8:Little Wing






「大丈夫か?」
「だっ、大丈夫っ…」
言葉とは裏腹な要之助の姿を見てふたりは足を止めた。
「すんもはん」
声小さく伝える彼に謝る必要は無いと兵卒は答えたのだった。

走った。
実家からここまでひたすら走り、走った。
実方から城下まで大した距離では無い筈で、幾度となく行き来している道であるのに驚く程息が切れた。
息を吐く中で自分でも情けないと思ったが、成長期とはいえ要之助はまだ十代そこそこだ。
体力気力共に男盛りである兵卒に付いて行くのには若干の無理があったのかもしれない。
「俺が様子ば見て来っで、おはんらここで待っちょれ」
ひとりが気を遣って付近の探索に出ると、もうひとりが水を寄越してきた。
「………」
ぺこりと頭を下げて口を付ける。

「足手纏いなんち思うちょらんぞ」

不意に落とされた一言に「えっ」と驚いて見上げた要之助に、兵卒は頷き返した。
「必ず桐野さあに会わせてやる」
「そんなら私は…必ず辺見さあに会わせてあげもす」
掛けられた言葉が嬉しくてつい軽口が漏れたのだが、それが案外受けたのか彼は少年の背中を叩いて笑った。



一緒に城山に行きたいと言い出した理由を質した道之進に、要之助は明確な答えを出すことは出来なかった。
行かなければならない。桐野に会わなければならない。
ただそう思った。
自分でも何故かは判然としなかった。しかし今ここを発たなければ一生後悔する。
それだけははっきりと分かった。

「兄さあがおらんこっなってから、出来る事ば気張ろうち思うちょりました」
そうだ。
戦が始まってから今まで、本当に少ない出来ることを精一杯やってきた。
しかし今言い出していることは違う。
単なる我が儘だ。
出来る事ではなくてやりたいことだ。それでも、

「お願いしもす。行かっ、行かせてくいやんせ」
桐野に会いたいのだと。

人に土下座すること等一生無いと思っていた。翻せばそれだけ必死だった。


道之進が帰って来てからずっと考えていたのだ。
目の当たりにした父の静寂でも毅然とした姿、人から聞かされた兄の目立たぬ剛毅さ。
刀を振るうのとはまた別の、表面には出てこない強さ。
それを知ったのは初めてではなかった。そんな人の傍に僅かな間でも居たのだから。

だが我が家族の中にもその強さが存在する事を知ったのは、新鮮な驚きだったのだ。
父と兄の姿はいずれもひとつ筋の入った男の姿だった。
いつも一緒にいながら、自分は一体家族のどこを見ていたのだろう。

一両日寝食を共にした兵卒らも同じなのだろうか。
彼らにもきっと父母がおり妻子がいる。兄弟もいることだろう。
そしてその輪の中では特に突出した所のない善き子、善き夫、善き父親であるのかもしれない。
父と兄がそうであったように。

人は皆同じなのだろうか。
自分が今まで生きてきた世界では、大人達は家族を養い今を生きる事に精一杯で、力や勇気を奨励されてもその実際の「形」を目の当たりにしたことはない。
そう感じていたのだ。
だが今、有形無形の強靭さでそれぞれの場所で戦う男達を見ると…

見ているようで、表面しか見えていない。
理解しているようで、腹の底では理解出来ていない。

そう思えてくる。
戦が始まる前、桐野と係わることで()の人の内側を覗き見た気がした。
しかし実はそれさえも彼の表面の一部だったのかもしれない。

吉田での日々の(まにま)に見た毎日の笑顔も理非を正す時の厳しい横顔も、戦士としての貌も、全てが”桐野利秋”だった。
共に過ごした時間に嘘はなかったと思う。
だがそれは”桐野利秋”の全てではない。多分。平時に彼が見せる一面ではあっても。

非常の時にこそ人間の真価が浮き彫りになるという。
薩摩を故郷とする誰にとっても今は非常の(とき)だ。
それは恐らく桐野にとっても。
彼の全てを知りたいとは思わないのだ。それは神でなければ不可能だろうから。
ただ…
平時には触れ得なかった― 触れていて気が付かなかったのかもしれないが ―、もう少しだけ深い所に、違う一面に触れてみたい。

桐野利秋という男の真価に触れてみたい。

そこに昔、手を伸ばしてみたいと感じた”きらきら”の源泉があるような気がした。

ここを発った所で本営に辿り着けるのか。
辿り着けた所で会えるのか。
会えた所で求める答えが得られるのか。
―――― 分からない。
だが出来るかどうかは問題ではなかった。
そうしたい。
会いたい。
意志と感情が理性を凌駕した。
どうしようもなく桐野に会いたかった。


色々な想いが綯い交ぜになり過ぎて上手く言葉を吐く事が出来ない。
沈黙が重い。皆黙っている。
やがて父が溜息をひとつ落とすと、肩に手を添え顔を覗き込んできた。

「死ぬぞ」

ずしりと一言。

「はい」
「分かっちょるなら、止めはせん。行け」

その声に頭を上げると道之進が眼前にいた。

「…父上…成長しもしたなあ」
「ああ」

少しく驚きを浮かべた兄が弟の顔をじっと見つめて呟いた。
出陣時に見収めたのとは顔付きが若干変わっている事に気が付いた様子だった。
その表情がふっと和らぐ。

「自らを(かえ)りみて(なお)くんば、千万人と(いえど)も吾往かん」

省みて己が正しいと思うなら、己に恥じる所が無いと思うのならば行け。

「この言葉を汝に贈ろう」
「兄さあ、……」
言葉が続かない。
この後においても背中を押してくれる兄に泣きそうになった。


「弟御を俺達に預けて貰えもはんか?否、一緒に来て貰えんじゃろうか」

そんな中兵卒のひとりが突如言い出した。
思わずその顔を見つめる。”手”を、差し伸べてくれた…

自分の在り方が少し変わるだけで、世界の在り方も見え方もまるで違うように思えた。
その変化に自分自身が少しだけ付いていけず、頼んでおいていざ誘われると、
「よかですかっ?」
聞き返してしまった。
「袖触れ合うも多生の縁ち言いもすが…俺達もえらか袖ば掴んでしもたな」
もうひとりの兵卒の軽口に全員が笑った。

「如何する」

改めて聞かれた時には微塵の躊躇も無かった。
元より反対されても行く積もりで出発の準備だけは整えていたのだ。否やが有る訳がない。



知らぬ道でも無し、大事を取って出立は夜が更けてからになった。
「眠っておけ」
少なくとも家を出ると暫くは横にはなれまい。
もう少し大人達の側にいたかったが、足を引っ張りたくないので要之助は素直に従った。
うつらうつらと夢うつつを行き来する中で、彼らのさんざめく笑い声が聞こえてくる。

吉田でも幾度となく同じ様な事があったように思う。
大して昔の話では無いのに、それが今は何故だか酷く懐かしい。
囲炉裏端で桐野と話をする大人や青年がいる時もあれば、幸吉と自分だけの時もあった。
話を聞いて笑ったり、話をして笑ったり、笑われたり。
笑ったり、笑ったり、笑ったりした。
会えた所でそんな時間を過ごすことはもうないのだろう。
戻らざる平穏さを想うと僅かに心が痛んだ。


20201111改訂再掲/080216(071228-080110)
Little wing.Wanna fly like you.
TMGの ”TRAIN,TRAIN” I'll never get the chance to go If I don't go now. そのまんま…



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