深夜に帰還してからまだ顔を合わせていなかったので、わたしを見た神田は表情を変えないまま「お」みたいな反応をする。普段呆れるほど無愛想なくせに、たまに見せるこういうところが可愛いなと思う。多分科学班とかリナリーも同じ気持ちなんだろうな。
神田は朝稽古中だったのか、ラフな格好をしていた。
「帰ってたのか」
「うん、遅くにね。おはよ」
「…………」
「おはよう神田」
「……はよ」
いつも通り渋々といった表情の神田と並んで歩く。「司令室?」訊ねると無言で肯いたので、今度の任務は神田と一緒に出ることになるのだろう。
それ自体は珍しいことではないので、特に言葉を交わすでもなくコムイのもとへ向かった。
帰ってきたときは夜中だったから気付かなかったが、どこかホームが騒然としている。特に科学班の辺りは落ち着きがない。
何かあったのだろう。恐らくわたしたちにとって良くないことが。神田とともに司令室の扉を開けると、憔悴した様子のコムイが「来たね」とこちらに視線を寄越した。
急を要する任務であれば御託はいらない。
ソファに腰かけることもなく立ったまま説明を求めると、コムイは資料を手渡してきた。
「イエーガー元帥が瀕死の重傷で発見された」
「……イエーガー元帥が!?」
教団最高齢のエクソシストでありながら常に第一線で戦っていた人だ。
優しく穏やかで、幼い頃はわたしや神田もよく可愛がってもらった。こういう戦争だからいつ誰が死んでもおかしくはないと解っているつもりでも、さすがに元帥の危篤となると衝撃がある。
「ベルギーで発見されたとき元帥は教会の十字架に裏向きに吊るされ、背中に『神狩り』と彫られていた」
「神……イノセンスか。千年伯爵がイノセンスを狩りにきたっていうこと?」
「恐らくは。奪われたイノセンスは、元帥の対アクマ武器を含めて九個」
一〇九個のうちの九。
決して少ない数ではない。
続いたコムイの説明によると、瀕死の重傷を負いながらも辛うじて生きていた元帥は、とある歌を歌い続けているという。
──千年公は捜してる。大事なハート捜してる。
──わたしはハズレ。次は誰……
「『ハート』?」
「教団が探し求めるイノセンスの中にひとつ、「心臓」ともいうべき核のイノセンスがあるそうだ」
「ハート」と呼ばれるそれは、全てのイノセンスの力の根源であり、そして全てのイノセンスを無に帰す存在。
どのような形態であるかは一切謎だが、今回伯爵はハートの持ち主の可能性が高いとして元帥を最初に狙っている。そこで教団は各地に散らばるエクソシストを四つの部隊に分け、元帥の護衛につかせることに決定した。
「神田くんとあこやちゃんはティエドール元帥を追ってくれ。途中でマリとデイシャが合流する。長期の任務になるだろうから荷物をまとめて、食事をとったらすぐに発ってほしい」
ティエドール元帥の名を聞いて神田があからさまに顔を歪めた。
わたしを除く三人は全員、入団初期ティエドール元帥に師事した弟子たちだが、神田はあの人を心底苦手にしている。
わたしは壁に貼られた今回の任務の部隊編成を眺めて首を傾げた。
「わたしがティエドール部隊でいいの? 神田とマリもいるのに戦力偏らない?」
「ソカロ元帥にずけずけ物言いできるのってあこやちゃんくらいだから、そっちとも悩んだんだけどね……」
五人の元帥の中でも、元死刑囚という異色の経歴をもつソカロ元帥はちょっと、いやだいぶ怖い。
その仮面の外見も然ることながら、取り分けてぶっ飛んだ人格ゆえ弟子が泣きながら「師匠替えてください」と本部に泣きつくほどだ。わたしは父とソカロ元帥が長い付き合いだったので慣れているが。
「やっぱり『薄氷』の間合いを知っていて一番活かすことができるのは神田くんでしょ、あと神田くんがイライラしたときのお薬役」
「成る程。お薬は大事だ。じゃあソカロ部隊には頑張ってもらいましょう」
「何が成る程だテメエ」
「痛い、蹴るな」
司令室を出て、荷物をまとめるために私室へ戻りながら唇を舐めた。
神田がちらりと横目に見下ろしてくる。
「戦局が変わる。……なんだか嫌な感じ」
レゾンデートル
茨道でもそれでもまだ 前篇
司令室で話を聴いた一時間後には神田と地下で合流し、コムイとリーバーの見送りを受けて出発した。
ひとまずフランスにいるマリとの合流を目指して汽車に乗る。
その日の晩は二人で一泊した。急な宿泊だったので部屋が足りず、二人で一緒に泊まることとなった。
「しばらくは単独行動控えた方がいいよね。町に出るならついて行くよ」
「……今日はいい」
神田はたまに任務で外に出たとき、町をふらつきたがることがある。
どうやら誰かを捜しているようだ、と気付いたのは五年前のことだった。それが神田の出生に関わることなのか、わたしは知らない。
二つ並んだベッドの片方に倒れ込むと、神田はもう片方に腰を下ろした。
腰に佩いた六幻をベルトから抜き、抱え込むようにしてうつむく。呼吸をひそめて、じっと何かに耐えるように目を伏せる。死のように静かな彼の横顔を、こっそりと見上げた。
やがて神田は瞬きをして顔を上げる。
じいっと見つめていたわたしに気付いて「なんだよ」と眉を寄せた。
「……神田ってたまに何か見てるよね」
「…………」
「わたしには見えない何かが視えてる。ゴーストとか? 日本語では『ユーレイ』って言うんだって」
「下らねーこと言ってんじゃねぇよ」
悪態で誤魔化した。ということは、言いたくないということ。
彼の出生の秘密のあらかたを知っていて、教団内で誰より付き合いが長くても、知らないことや聞かされていないことはたくさんある。
別にそれでいい。
そのことは神田の中で最もやわらかい部分だ。他人が触れたら壊れてしまう。だから神田は自分を護るためにとげとげしている。昔からそうだったし、だから昔から彼自身が喋りたがらないことを追及するのは避けていた。
視線を逸らして枕に顔を埋める。
「あー、疲れた……。今日帰ってきたの三時だったんだよ。報告書上げて寝たのが五時。ゴーレムに叩き起こされたのが七時……」
「寝てろ。何かあったときに寝不足でしたとか言ったら叩っ斬るぞ」
「うん。三時間交代ね。おやすみ」
「布団かけろ馬鹿」
「もー動けん無理神田かけて」
「チッッ」乱暴な舌打ちをした神田が面倒くさそうに立ち上がり、わたしを転がしながらブランケットを剥ぎ取って投げつけてきた。
見張りの交代だと起こされたのはそれから五時間後。
起きたら肩までブランケットもかけてくれていて、思わず笑ってしまった。悪態をつくくせに放っておけないなんて、損で可愛い性分だ。
翌日にマリと合流してしばらく進み、また一泊した。
今度は神田とマリが同室でわたしは一人部屋。デイシャとの合流は一週間後の予定で、そのあとティエドール元帥の足跡を追うこととなる。月一の定期報告ではヨーロッパ圏にいたようだが、フットワークの軽い人なので油断はできない。
まあ、四年間行方不明のクロス元帥を追うリナリーやアレンたちよりはましだ。
寝台の上で座禅を組んでいると、隣の部屋のマリがこちらに向かってくるのがわかった。
隣室のドアを開けてから、ゆったりとした足取りで六歩。ノックされる前に「どうぞ」と声をかけると、マリは穏やかな笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
「相変わらず敏いな」
「マリの足音は聴き慣れてるもの。神田は?」
「町に出たみたいだ」
「……単独行動はよせって言ったのに」
昨日はわたしと二人だったから出なかっただけか。
「神田は相変わらず素直じゃない」
「ひねくれすぎて一周回って解りやすいからいいけどね。……お父さんが死んでからちょっと過保護になったなとは思う。無茶な戦い方はしなくなったから、いやそれでも負傷は多いけど、とりあえずうるさく口出ししないようにはしてるんだけどね」
「あこやを喪いたくないんだろう」
「そこまで殊勝なこと考えてくれてるかな? だとしたらちょっと面白い」
父が殉職し、わたしとの任務が主になった頃、神田は大怪我をすることが増えた。
わたしを庇ったものによる負傷が格段に多くなった。
治癒能力をあてにして進んでアクマの弾丸に身を晒すような戦い方は、父の死後わたしが落ち着くのと並行して少しずつなりを潜めていったが、どこかわたしに怪我させまいとする動きは残ってしまっている。
特別な想いがそこにあるわけじゃない。
多分ただの反射だ。
『装備型エクソシストのあこやは弾丸を受けたら死ぬ。俺は死なない。だから俺が前に出る』その単純な計算は確かに間違ってはいないが──腹立たしい。
リナリーなら『
マリならそのヘッドホンで拡張した聴力でかなり早くに察知する。
神田がああいう風に庇おうとするのはわたしだけだ、憎たらしいことこの上ない。
昨晩大人しくしていたのもどうせ、単独行動を控えようという判断ではなく、わたしを一人にさせないようにしただけだ。
むすっとしたわたしの気配を感じてかマリが苦笑いになる。
「……イエーガー元帥が息を引き取ったそうだな」
「うん」
今日の夕方、コムイから連絡を受けた。
受話器を持つのとは別の手で神田の団服を握りしめたけど、神田は文句を言わなかった。
「お前も神田も、勉強を教えて貰ったりしていたから辛いだろう」
「うん。でも辛がってても戦争は終わらないから」
「……泣かなくなったな。あこや」
マリのおおきな手が伸びてきた。
ぽん、と頭の上に乗っかって、わしわし髪を巻き込んで撫でる。
「神田が心配していた」
「それマリの意訳でしょ」
「うっ、いや、まあ確かにそうだが。──カゲマサさんが亡くなったあの日に泣いてから、教団の誰が死んでもあこやが涙を見せなくなったこと、気にしていたぞ」
マリの微笑みをなんとなしに眺めながら、気付かれていたのか、と内心で独り言つ。
まあ、気付くよね、そりゃ。
昔のわたしはわりと泣き虫でめそめそしていた。家族の誰かがが亡くなる度に大聖堂で大泣きして、泣き疲れて動けなくなって、神田が捜索に駆り出されて、泣くな鬱陶しいと嫌そうな顔をされたものだ。
家族が死ぬのが悲しかった。身を切られるような痛みだった。
わたしがその場にいればと、どうしてもそう考えてしまった。
それでもあの十四歳の日。
父の柩の前で、何も言わない神田に抱き寄せられて泣いたあの日──
「泣いても戦争終わんないって気付いちゃったからね」
「…………」
「嘆く時間があるなら戦う。それが弔いになる」
「……そうか」
「薄情でしょ。神田やマリが死んでも泣かないかもよ」
「それはないだろ」
冗談めかして笑ったところで、マリが眉を上げて部屋の外を見やるような仕草をした。表情はそこまで切羽詰まっていないからアクマの襲撃ではないだろう。多分、神田の足音が聴こえたのだ。
「帰ってきた?」
「ああ」
ドアを開けてみると、ちょうど神田が階段を上がってきたところだった。
「単独行動するなって昨日言ったじゃん」とりあえず文句をぶつけると、「うるせぇ」といつもの悪態が返ってくる。本当、昔から呆れるほど語彙の少ない男だ。
「もー、誰捜してんのか知らないけど。あんまり心配させないでよね」
「テメエが俺の心配なんかするかよ」
「してるよ」
「死なないでよ。神田」うっかりそんなことを言ってしまったわたしに、神田はぱちりと瞬いた。
部屋の中にマリがいるのを見て片眉を上げると、控えめな舌打ちを零す。
「俺はそうそう死なねェよ」
「……知ってるけど」
「知ってんなら下らねぇこと言うな。そのブサイクな面やめろ」
「ぶさ……」
なかなか頻度の少ない罵り言葉に面食らっていると、神田はすたすたと横切って男部屋に戻っていった。
バタン! と乱暴な音をたてて扉が閉まる。
溜め息をついてマリのもとへ戻ると、彼は苦笑しきりの様子で首を傾げた。
「意訳が必要か?」
「すり合わせはしよう。『俺はそうそう死なないからそんなブサイクな顔で心配するな』で合ってるかな?」
「惜しいな。『俺はそうそう死なないからそんな泣きそうな顔をするな』だと思うぞ」
「あー、ブサイクってそういう……」
いやそれにしたって他の言い方がなかったかな、神田の奴。いやいやそれを神田に求めるのも無駄な話か。
なんだか気が抜けてベッドに倒れ込むと、マリは静かに立ち上がる。
「さて、部屋に戻るとするよ」
「……おやすみ」
「ああ。おやすみ、あこや」