「あこやもたまには可愛い服を着るべき!」

 談話室のソファに寝転がって読書していると、ぷくっと頬を膨らませたリナリーが腰に手を当てて顔を覗き込んできた。
 相変わらず無自覚にあざと可愛い妹だ。
 彼女の顔をじっと見つめながら片手で手招きし、「なぁに」と屈んだ彼女の首の後ろに手を回して引き寄せる。すべらかな頬にぐりぐりとすり寄ってから手を放すと、リナリーの背後で顔を赤くして硬直しているアレンやその他探索部隊たちが目に入った。キスでもしたように見えましたかね? 役得、役得。

「可愛いよ、リナリー」
「どうしてそうなるの! 私はあこやの話をしているのよ!」
「可愛い服っていうのはね、似合う子が着るからこそ真の可愛さを発揮するんだよ。可愛い服を着こなすためにはそれなりの努力をするべきだ、それが可愛い服に対する礼儀っていうものだ。わたしはわりと筋肉が目立つからあんまり似合わないんだよ。そういう要素はリナに任せた。以上」
「もうっ、あこや!」

 視線を戻した本をぱっと取り上げられる。
 稽古のとき以外はオーダーメイドのお洒落な中国服を着ているリナリーに比べて、わたしは日常的に質素な稽古着で過ごしている。神田ほどではないがわたしもある程度修錬の鬼な部分がある(なにせ師匠である父が鬼神であった)ので、一日の大半動き回っているためだ。
 着飾ったところを見せたい人もいないし、そういうことに喜びを感じるタイプではないので、クローゼットの中身も華やかではない。

「ね、ね、お願い。アレンくんもほら何か言ってやって!」
「えっ僕ですか。えーっと……」

 アレンまで引っ張り込んで何を考えているのだか。
 まだ少し遠慮がちな様子で口を濁す彼に視線をやって「無理しなくていいよアレン」と手を振る。

「なにムキになってんの、リナ。わたしが適当な服を着てるのは今に始まったことじゃないでしょう」
「そうだけど……」

「本返して」唇を尖らせて恨めしげな目になったリナリーに手を差し出した。渋々といった様子で手の中に戻されたそれを再び開き、視線を落とす。

「正直に言わないならしないから」
「正直に言ったらしてくれる!?」
「リナも一緒に着てくれるならね」
「着る!!」
「ほんとリナリーに甘いですよね、あこや」


レゾンデートル


花と屑




 今朝のことだ。
 任務に向かう神田に司令室で概要を説明していた折り、コムイがふと「あこやちゃんさぁ」と何故か急にわたしの名を口にしたという。
 曰く、「最近団服と稽古着以外の服を着ているところを見ないんだけど、たまにはきれいなドレスとか着てるの見たくない?」
 任務の話をしているときに関係ない話題を振られるのが嫌いな神田は、いつものようにイライラしながら「俺が知るか」と答え、コムイは「えええ〜〜神田くんから言ってみてよ可愛いカッコしてって〜〜」と駄々をこね、最終的にブチ切れた彼が「あいつにドレスなんざ似合うわけねェだろ!!」と怒鳴りつけて出立したらしい。

「ねえひどいでしょ? だから神田が帰ってくるまでに可愛い服作ってもらって、それで出迎えてびっくりさせましょ!」
「不機嫌な神田と任務に行った哀れな探索部隊はどなた?」
「トマですって」
「……まあトマなら上手いことやってくれるか」

 話を聞く限り単にコムイに対してキレただけで、本気で罵られた感じはしないのだけれど。
 というか神田がそういう憎まれ口を叩くのは珍しくないし、リナリーだって本気で言っているか否かの判別はつくはずなので、結局はそのネタを利用して自分の願望を満たそうとしているだけなのでは。

 ま、妹のおねだりに付き合うのも姉の役目か。
 そういうわけでやる気満々のリナリーに引っ張られ、ワードローブを訪れた。
 教団には大きなワードローブが備えてあって、団服以外の普段着や団員のウェアはここで作られている。
 採寸してもらってデザインを簡単に伝えると、最優先で作って三日後とのことだった。神田の任務地は往復で四日かかるらしいので余裕で間に合うはずだ。

「ふふふ、神田のびっくりする顔が楽しみね!」
「……でもねぇリナ……」

 上機嫌で腕にひっついている妹の顔を眺めつつ、戦闘時のよき相棒の仏頂面を思い浮かべる。

「神田が優しく微笑んで『とてもキレイだよ。ダーリン』とか言いだしたら蕁麻疹が止まらないっていうか殴り飛ばしそうなんだけど」
「あこやってばロマンス・ノベルの読み過ぎよ。私だってさすがにそこまで期待はしていないわ」

 あ、よかった。
 リナリーの中でのハードルがそこまで高くないことに安堵していると、顎に手を当てた彼女が恐ろしいことを言いだした。

「ティエドール元帥のアート・オブ・神田ならやってくれるかも?」
「……アートオブは喋らないよ。で、神田がブチ切れて教団が壊滅する」
「やめておきましょう」


‥‥




 神田から任務完了の連絡がきて二日。
 わざわざ同行のトマに通信で現在地を問い合わせたリナリーが「今日のお昼に着くって!」と知らせてきたので、朝稽古後は衣装班が最高傑作と豪語したワンピースを着用した。

 オーダーメイドのきれいなAライン。
 わたしは黒地を希望したがリナリーに「ちょっとあこや黙ってて」と却下されたので、もう好きにしてくれと匙を投げたのだが、仕上がったボルドーのワンピースはなかなかいいシルエットをしている。
 普段着で着飾ることは滅多にしないが、団服はリナリーとお揃いデザインなのでスカートを穿くことに抵抗があるわけではない。
 むしろいつもより長いスカートの裾がひらりと翻るのを感心しながら眺めた。

「あこや、ちゃんと着替えた?」
「はいはい、着ました着ました。衣装班最高傑作だけあっていい出来だ」

 リナリーは色違いのネイビーを着ている。
 にっこり笑った彼女は「はい髪の毛ほどいて」と朝稽古の名残のポニーテールを引っ張ってくる。大人しくブラシできれいに梳かしてもらったものの、ヘアアクセサリーまで準備してきたのにはさすがにぎょぎょっと身を引いた。

「そこまでしなくてもいいでしょ」
「いいじゃない、せっかくだから」
「……あんまり気合い入れてる風にするのは恥ずかしいんだけど……」
「じゃあせめて口紅だけ!」

 といった具合でお人形になっていると、ゴーレムがぴょこんと目を開ける。
『神田くんが地下に着いたよ〜』とコムイが通信してきて、リナリーは「大変! 早く行かなきゃ」と慌ててわたしの手を掴んだ。

「今回どうだったって?」
「イノセンスは回収できたみたいよ。デイシャと合流してからの任務だったし、怪我もしてないって。よかったわね」
「そう、それならそんなに機嫌も悪くなさそうだ」

 なにやらご機嫌でいまにもスキップしそうなリナリーを、通りすがりの団員たちがぽうっと振り返る。
 神田がいい反応を返すとは到底思えないが、この嬉しそうな妹を見ることができただけでも、わざわざワンピースを作ってもらった甲斐があったかな。あとはあの神田兄さんがどれだけ妹の希望に添おうとしてくれるかだ。

 科学班の研究室に入ると、書類に埋もれて屍と化している班員に紛れて、アレンがひょこひょこと働いているのが見えた。
 エクソシストとしての給与はある程度出るが、アレンの場合はクロス元帥にツケられた借金返済のため科学班や食堂でアルバイトもしている。こちらに気付いたアレンが「あっ」と笑顔になり、それを合図に班員が続々とこちらを振り返った。

「お……おおぉぉ……」
「噂には聞いていたが……あこやが服を着ている!」
「誰いま普段のわたしが服を着てないみたいな言い方したの」

 書類整理の手伝いをしていたのか、アレンが紙の束を抱えたまま小走りにやってきて、にこっと可愛らしく微笑む。

「二人ともすごく似合ってますよ。色違いなんですね」
「アレンくん百点!!」
「はい?」

 ぐっと親指を立てたリナリーに、アレンは首を傾げていた。
 これが百点ということは神田はいいとこ五点くらいだろうな。
 そんな可愛い年下二人組を横目に、紙の海に突っ伏しているリーバーのもとへ歩み寄る。机の端っこに腰かけて、明るい茶色の髪を指先で梳いた。

「ひっどいクマ。たまには部下に任せて仮眠くらい取りなよ」
「ああ、あこや……一昨日くらいから噂になってたぞ、お前が可愛く着飾って神田を驚かせるんだって……リナリーが楽しそうに言い触らしてた」
「全くリナはしょうがないな……」

 苦笑いを浮かべると、リーバーはペンを置いて伸びをしながら一瞥をくれた。「でも実際よく似合ってるぞ。神田のリアクションはオレも楽しみだな」
 科学班に来るとついつい班員の世話を焼いてしまう性質のリナリーなので、アレンと一緒にフロアを歩き回りながら甲斐甲斐しく声をかけている。その様子を遠目に眺めながら顎に手を当てた。

「でもねぇ、任務前にそのやりとりがあったなら多分、神田もリナの企みそうなことくらい見当がつくと思うのよね。だから多分それなりに身構えて帰ってくると思う。下手なリアクションしてリナを拗ねさせるようなことは、さすがの神田も避けるでしょ」
「じゃあズバリ第一声は?」
「そうだなー、ちょっと黙ってから『二人揃いにしたのか』くらいじゃないかな。でリナが『何かもっと他に言うことないの?』『ねぇよ』みたいな」
「ハハ、目に浮かぶ」

 リーバーとのんびり話をしていると、リナリーの「お帰りなさい神田!」という声が聴こえてきた。
 お、と顔を見合わせて入口の方を見やる。
 事前情報通り無傷らしい神田がリナリーを見て、表情は変わらないが何か察したような様子になり、次にわたしの方に視線を投げてきた。

「……二人揃いにしたのか」

 と予想通りの発言が飛び出したのでリーバーが噴きだす。

「もう、何かもっと他に言うことないの?」
「ねェよ」

 予想通りすぎて面白くもない。
 思った通りぷくっと頬を膨らましている妹の肩を抱き、もう片方の手でワンピースの裾をぴらっと持ち上げた。

「こらこら神田兄さん、こういうとき男ならなんと褒めるべきか、父カゲマサに多少なりとも教わっただろう。おかえり神田」
「……戻った」
「日本語でもいいからとりあえず褒めろ。適当でいいから」
「あこや雑すぎませんか」

 先程百点満点の認定を受けていた弟アレンの鋭い突っ込みはスルー。
 日本人エクソシストとして迎えられた神田に、父はいくらか日本語を教えている。誰かに日本のことを訊かれたとき、大体のことは「憶えていない」で通せばいいものの、全く記憶がないというのも不自然だということでそうなったのだ。
 研究所生まれの神田の第一言語は英語。アジア支部や中国で過ごしたため中国語も使えるが、中国語で褒めてはリナリーがバッチリ聞いている。
 日本語ならわたしと神田以外、誰も理解できないから丁度よかった。

 丁度よかったのだが。


「馬子にも衣装」


 にっこり笑顔のまま鳩尾を狙った右脚は寸前で神田の両腕にガードされる。

「あこや!?」アレンとリナリーの驚愕の悲鳴に科学班も慌てて駆け寄ってきた。
 ワンピースに合わせて作ってもらったパンプスのヒールがめり込むようにぐりぐり動かすと、さすがに神田が顔を蒼くして「テメエ……」と低く呻く。

「せっかくあこや姉さんが丸く収めてやろうっつってんのにいい度胸じゃないのパッツン野郎」
「聞きとれねぇよゆっくり喋れ」
「可愛い妹が可愛い服着て褒めてほしいって言ってんのよ素直に褒めればいいのよ。別にわたしを褒めろつってんじゃないのワンピースを褒めればいいの」
「早すぎだっつってんだろ
……つーかお前中身見えてんだよ脚下ろせ」

 教団生まれのわたしも第一言語は当然英語だが、父から教わっているので普通に日本語は喋れる。神田は本当に最低限教えられただけなのでリスニングは苦手だし語彙も多くないのだ。
「あこやが脚を出すなんて何言ったんだよ神田」呆れ顔のリーバーの仲裁を受けてようやく脚を下ろし、ハラハラしているリナリーたちに向けて肩を竦める。

「Fair feathers make fair fowls.……いや咄嗟に。イノセンス持ってなくてよかったわー」
「怖いこと言うな!!」「科学班壊滅させる気か!!」

 リナリーは残念そうな顔になったが、もとより神田が大人しく褒めるとは思っていないだろうから、ここらで諦めることにしたようだった。
「最低ですね神田」「ケンカ売ってんのかモヤシ」と放っておいたらすぐ睨み合う白黒コンビの間に入って引き剥がす。

「はいはいはいケンカしないの。神田お昼もう食べた?」
「……まだだ」
「じゃあお昼一緒に食べよ。そのあと修錬場で相手してよ」

 任務の入っていない日は大抵そうして過ごすことが多いので何気なく誘ったが、神田は一瞬だけ口を閉ざして片目を細めた。

 おや、珍しい反応。

「……その服でやんのか?」
「着替えるに決まってるでしょ! なに言ってんの、もしかして疲れてる?」

 びっくりして声が大きくなってしまった。
 すると神田はつとわたしを見下ろし、ワンピースの裾を摘まんで持ち上げる。ちょいちょいと手招くので首を傾げながら顔を寄せると、子ども同士の内緒話みたいに耳元に口を寄せてきた。


「……カゲマサが喜びそうな服だ」


 吐息交じりに吹き込まれたぎこちない日本語に動きを止めると、神田はきびすを返して食堂に向かって歩き始める。
 固まったわたしの顔を覗き込んだリナリーとアレンが「えっ」と目を丸くした。

「な、なに言われたんですかあこや!? 真っ赤ですよ!?」
「えっ、嘘、今の日本語でしょ、神田なんて言ったの?」

 両手で顔を覆って俯くと、みんながわらわら集まってくる。
 我関せずですたすたフロアを後にしていく神田の後ろ姿に「……午後は付き合ってくれるんでしょ!」と怒鳴ると、くるりと振り返った彼の黒髪が揺れた。

「帰ったばっかだぞ。休ませろ」

 いつも任務から帰って時間が空いていたら修錬場か森の中に直行する鍛錬の鬼が、何を言っているんだか!
 この発言にピンと来たのは付き合いの長いリナリーとロブ、あとはリーバーくらいだっただろう。ニヤニヤしながら「今のは解ったぞ〜」とわたしの肩に腕を回す。

「ほらほら一緒に昼メシ食うんだろ、今日はそのままでいてやれよ」
「……リーバーそのからかい方おじさんくさい」
「地味に傷付くからやめてくれ」

 何を言われて赤面したのか追及したそうな顔のみんなからそそくさと逃れて、神田の背中を追いかけた。
 たまには可愛い服もいいかもね。

 お昼ご飯を食べながら、その日は久々に神田と父の思い出話に花を咲かせた。