『うん、解った。他の部隊もアクマに襲われたという報告があるから、くれぐれも気をつけて』
わたしの『薄氷』が凍らせたアクマどもを、マリの『
足元の氷塊を蹴り飛ばしながら「うん」と肯いた。
「リナたちは?」
『ドイツで入院しているんだ。これから出発して、ラビとブックマンと一緒にクロス部隊として任務につくよう説明にいく』
「入院? 怪我したの」
『ああ、詳しいことはまだ聴き取りできていないから控えるけど……。でも大丈夫、ブックマンに診てもらうから心配しないで』
「あこや!!」神田の怒声とともに、取りこぼしたレベル2が背後から強襲してくる。
右手の薄氷の一閃でアクマを斬り捨てた。
アクマとの戦闘を経るごとに、その数は増えていっていた。
それでも盲目とはいえエクソシスト歴十年を超えるマリ、接近戦では他の追随を許さぬ神田、中距離戦に強いデイシャが揃っているため、わたしの出番はそこまで多くない。
「解った。コムイも出歩くなら気をつけてね」
『うん、ありがとう』
「ブックマンとラビによろしく」
『ああ、……』
数の多さに半ギレの神田が横に着地してきた。「働けテメエ!」くわっと凄まれたので笑いながら薄氷を揮う。
氷の斬撃がアクマを根こそぎ薙ぎ払った。
「どうかした?」
『いや……』
コムイは言い淀んだまま、打ち明けようとはしなかった。
考えすぎるきらいのある人だ。きっとわたしたちを戦場に放り込んで本部で帰りを待つことしかできないと、意味もなく自分を責めているに違いない。
「あーあ、早くジェリーのご飯食べたいなぁ。元帥見つけたらさっさと帰るからね」
『!……うん。待ってるね』
「ん。じゃーね」
レゾンデートル
茨道でもそれでもまだ 中篇
「二部屋しか空いてない!? マジかよ」
「お祭りが近いから人が増えてるんだってさ。どうする?」
エクソシスト歴でいうと一番新入りのデイシャが「えー」と嫌そうな顔で渋っている。
彼と合流し、ティエドール元帥を追う旅のなか、アクマの大群の足止めを喰らいながらも一行はひとまず西へ向かっていた。
スペインの港から海を渡ってトルコへ向かう算段だ。
「二人ずつか、男三人とわたし一人か。わたしどっちでもいいから男衆に任せます」
「お前な! 任せんじゃねぇよそこは『じゃあわたしが一人部屋ね』でいーんだよ!」
「だってそしたら誰か一人ベッドがないじゃない、見張りで起きてるっていってもなんか可哀想。大丈夫だよ、デイシャが血迷ってわたしに襲いかかっても撃退できるから」
「お前イノセンス使う気だろ……!」
げっそりした顔で呻く弟弟子の肩をぽんと叩いたマリが、「じゃあ神田とあこやで一部屋だな」とさも当たり前のように頷く。
「それこそ神田が血迷って襲いかかったら宿屋が壊滅するんじゃねーの。お前ら互角じゃん?」
「神田が……血迷ってわたしに……?」
「気色悪いこと言うんじゃねェデイシャ」
「痛いっ、いま何でわたしを殴った?」
一応現在地の報告のために、一定距離を進むごとに本部へ連絡を入れていた。
コムイは一旦アレンやリナリーたちへの説明のために出張していたが、しばらくすると無事に戻ったようだった。目を覚ましたアレンの証言とブックマンの情報から明らかになった『ノアの一族』の出現、新たな適合者が本部で武器を精製していることなど、新しい情報をいくつか聞かされる。
わたしたちはスペインのバルセロナに入っていた。
「ノアの一族?」
「そう。アクマとはまた違う伯爵側の勢力で、詳細な文献は残されていないらしい。アレンが遭遇したのは少女だったらしいけど、人間でありながらアクマを使役し、単純な攻撃ではすぐに再生してしまうって」
「人間がアクマを使役? なんだよそりゃ」
「さあね。──とりあえず厄介な相手であることに違いはない。単独で会敵した場合は戦わず撤退、少なくとも二人以上で当たること。アレンとリナが重傷を負わされた相手だ。はぐれたらまず合流することを考えよう」
コムイからの情報をまとめながら薄氷を抜刀した。
夜の帳に紛れてアクマの機械音がする。建物の影から続々と姿を現すそれらに刀を向け、その数の多さに溜め息をついた。
「モテモテだねわたしたち」
「有難くないモテじゃん」
夥しい数のアクマを相手にするたび、ほんの少し不安になる。
アクマの一体につき最低でも二人の人間が死んでいる。悲劇によって呼び戻された「魂」と、それを呼び戻した「皮」となる人と。
そしてアクマは人を殺して進化していく。
元帥の足跡を追うごとに増えていく襲撃のなか、すでに明らかにレベル1よりもレベル2の数の方が多くなってきていた。
アクマの進化形態は現在、最高で3までが確認されている。
この様子だといずれはレベル3と対峙することにもなるだろう。
夜通しの戦いを経て、否応なく四人は分断されることになった。
神田とデイシャは動き回って各個撃破の間合いなので仕方がないものの、離れないよう気をつけていたマリと別れることになったのが痛い。
最初はできるだけ市街地の破損がないよう戦っていたが、それも厳しくなってきたので、薄氷でアクマを凍らせる戦いにスイッチした。
「……レベル3に到達するまでに、どれくらいの人が殺されるんだろう……」
『何か言ったか、あこや』
「なんでもない」
郊外の教会に身を潜めてゆっくりと息を整える。
『……はら………たな』誰かの声がゴーレムから雑音交じりに聞こえた。
『あ? なに言ってやがる』
『音悪いな、デイシャ』
『……くもー、最……子悪ィんじゃんオ……無線ゴーレム……』
『お前らいまどこにいる?』
神田の問いかけに、そっと体を起こして外に出た。
不気味なほど白い半月が浮かんでいる。戦闘が始まってから四時間は経っただろうか。
『デケェ……塔から東に三キ……らい? あこやの派手な氷が………じゃん』
『私は西五キロといったところだろう』
「わたしは東北三キロかな。こっちからもデイシャのイノセンスちらっと見えたよ」
『チッ……俺は南だ』
どうやらアクマの密集区に突入してしまっているらしい。
神田の指示でどうにか十キロ圏内の集合を目指すこととなった。デイシャの言う「デケェ塔」とは現在建築中である市のシンボルのカトリック教会のことだが、その西にいるマリのところで合流となると、わたしとデイシャが一番遠い。
お腹すいたなぁ。
そんなことを考えながら薄氷を一振りする。手に馴染む重さ。問題ない、まだまだ戦える。
『時間は?』
『夜明けまでだ』
「オーケイ。ひとまずデイシャ合流しよ」
『オッケー』
どこの部隊もこのくらいの襲撃に晒されているとしたら、うちはいいとしても他が心配だ。
エクソシストは別にキャリアだけがものを言うわけではないが、それでも戦闘経験は何にも代え難い。リナリーがいるとしたって、エクソシスト歴数ヶ月のアレンと二年のラビ・ブックマンで構成されたクロス部隊(しかも追いかけるクロス元帥は行方不明)が、戦力的にはかなり厳しいはずだった。
リナ大丈夫かな。
けっこう思い詰めるタイプだから無茶してないといいけど。
デイシャの戦闘の土煙を目指して、アクマを破壊しながらひた走る。
目印にしていた教会の近くまで来たところで、アクマの砲撃を避けながら路地に出ると、正装した若い青年にかち合ってしまった。
「おっ?」
──こんなところで一般人を庇いながら戦えない。
「逃げて!!」
なんだって一体この夜中に町中をふらふらしているんだと、若干苛立たしい気持ちで氷の龍を繰り出してアクマを全て破壊した。
凍りついたアクマが爆発四散する。
「おお〜……派手だねえお嬢さん」
「悪いけど庇いながら戦う暇ないの。どこか屋内に避難して朝まで──」
ふと擡げた違和感に言葉を切り、本能で右手の相棒を揮った。
咄嗟に造り出した氷壁を青年の手が突き破ってくる。背後に跳躍して避けたが、団服についている胸元の釦が持って行かれた。
「はれっ……避けられると思わなかったな。お嬢さんけっこう勘がいい方?」
「……こんな時間にふらふら出歩いて、アクマやエクソシストを見て『派手だね』なんて呑気な感想が出てくるってことは、あなた一般人じゃないでしょ」
「いいねえ!」
──『ノアの一族』。
アクマを使役して通常の攻撃では斃せない厄介な相手。
白い手袋をした上品な手を氷壁から抜くと、甘い顔立ちの青年はにこりと微笑んだ。状況が状況でなければ女の子が放っておかないような美形。癖のある黒髪を撫でつけながら「あ〜あ」と肩を落とす。
「こんな状況じゃなきゃナンパするんだけど……」
「悪いけどそんな安い女じゃないから」
「残念。じゃあ殺るしかないか」
「それも生憎だけど」
氷の龍をけしかける。
本来なら市街地の損壊甚だしくなるので相当囲まれたときにしか使わない技だが、出し惜しみして死んでは本末転倒だ。「うわ〜」と歓声を洩らしながら後退した青年を追尾させつつ、路地を塞ぐ形で氷壁を立ち昇らせる。
「……ちょっとまともには相手してらんないわ」
単独で会敵した場合は戦わず撤退、と言ったのは自分だ。
気付けば辺り一帯のアクマはいなくなっていた。わたしとデイシャで一掃したかたちになったのだろう、夜の静寂を取り戻したバルセロナを疾走してマリのもとを目指す。
この任務につく前にコムイから諸々の説明を受けたとき、戦局が変わったことに嫌な感じがしていた。
伯爵が動き出す。
ノアの一族の出現。
……嫌な感じがする。
「デイシャ! デイシャどこ?」
『どうした、あこや』
「ノアっぽいのと遭遇した。いま全速力で逃げてるとこ。追ってくる感じはあんまりないけど……」
『ノア!? さっき言ってたアレか』
「正装した浅黒い肌のめちゃ美形だった。わたしの氷壁を素手でブチ破ったよあいつ」
デイシャが応答しない。
確かに調子が悪いとは言っていたし、戦闘に巻き込まれて無線ゴーレムが壊れてしまうことは実際ある。それでもこの位置でノアと出会った以上、嫌な予感がして仕方がない。
「デイシャが答えない……さっきから戦闘音が聞こえないの」
『おい、少し落ち着け』
「あれだけ近くにいたならわたしの氷が見えないはずないのに……全然合流できない……!」
『いいから真っ直ぐ走れ。もうじきそっちに合流する』
傍らを走っていた無線ゴーレムが先導するように前を飛び始めた。
不安を振り払うように地を蹴ると、ちょうど角から飛び出してきた神田と正面衝突する。けっこうな勢いで突っ込んだが容易く抱き留められた。
「前見て走れお前」
「神田……」
「ノアは」
「多分撒いた。……あんなの気付かないよ、アクマならボディを転換するから解るけど、あんなの……まるっきり人間だ……!」
握りしめた拳で八つ当たり交じりに神田の胸を叩くと、三倍くらいの力で頭を叩かれた。
バチンッ、と強烈な音とともに視界に火花が散る。悶絶しながらしゃがみ込むと蹴りの追撃がきた。
戦闘続きで気が立っているのは解るが、気安さゆえに手が出るのも解っているのだが、少々暴力的すぎやしないだろうか……。
リナリー相手なら絶対ここまでやらないくせに神田め。
「落ち着けっつってんだろ。マリんとこ行くぞ」
「…………」
盛大に文句を言いたかったがぐっと堪えた。
デイシャだってエクソシストだ。それも六年の経歴を持つ。
夜明けまでに集合だと神田が言って、彼はオッケーといつも通りに答えた。それが全てだ。
まだひりひりしている頭を抱えていた腕を伸ばすと、憮然とした神田が掴んで立ち上がらせてくれた。
「……ノアと遭遇したって聞いて、心配して引き返してくれた?」
「たまたま近くにいただけだ調子乗ってんじゃねェよ削ぐぞ」
「そんな喰い気味に罵倒しなくても……」