神田とマリが失踪してしばらくすると、わたしと父は本部へと戻った。
 二人の行方について中央庁から尋問を受けはしたものの、知らぬ存ぜぬを貫き通してティエドール元帥の抗議の連絡を待った。やがて訪れた報に、二人が無事元帥と合流できたことを知って、親子でこっそりと胸を撫で下ろしたものだ。

 そのあとはいつも通りに任務、任務、たまの息抜き、任務。
 新しいエクソシストが本部に入ると知らされたのは、それから十ヶ月ほど経ってからのことだ。

『あこやっ! 助けてくれ!!』

 修錬場でファインダーたちと耐久手合わせをしていたところ、無線ゴーレムがけたたましく騒ぎ始めた。
 科学班のジジの声だ。

「どしたのジジ! アクマ?」
『新入りのエクソシストが食堂で暴れてんだ! ガキなのに強くて全然歯がたたん! このままじゃ誰か死ぬ!!』
「新入りのガキ?──ごめん行ってくる!」

 竹刀を掴んで飛び出すと「おう」「いってらっしゃーい」と送り出された。
 まさかねと思いつつ食堂へ駆けつけるとそのまさか、黒髪を後頭部で一つにまとめたアジア人の少年が、探索部隊の数名を相手取ってボコボコにしているではないか。
 周りでハラハラと見つめていた団員が「あこや!」と声を上げる。

「やっぱり神田だ。なんでこんなことになってんの……」
「探索部隊が『どんなエクソシストかと思ったらあんなガキかよ』って零したのが聴こえたみたいでな……一気に飛びかかってあっという間にこんな状態に……」
「知り合いか? あこや」
「アジア支部で会ったことある。ちょっと手荒にいくね」

 久方ぶりの再会がこんなものになるとは。
 内心呆れ果てながら竹刀を構えて、暴れる神田へ向けて一直線に奔る。

 斜め下から振り抜いた竹刀は六幻の抜刀で真っ二つにされた。切られた竹刀の先を掴んで二刀流の形をとると、呼吸の間も与えず神田に襲いかかる。
 さすがに真剣の六幻を相手にしては分が悪いが、神田の剣筋はよくも悪くも変わっていなかった。

 一瞬の隙を縫って脇腹に回し蹴りを叩き込み、そこでようやく「あこや……!?」と我に返った神田の首を掴んで食堂のテーブルの上に組み敷く。
 けたたましい音が響いて食器や食事が払い落とされたが、暴れるちび怪獣を止めたのだから大目に見てもらいたい。

「久しぶり、神田」


レゾンデートル


双子  1




「テメエっ、放せあこや!!」
「どうどう。元気そうでなにより。お父さんはまだ任務に出てるけど明日帰ってくるよ」
「……、……カゲマサ生きてんのか」
「当たり前じゃない。──頭冷えた?」

 胸倉を極めながら呑気に再会の挨拶を交わしていたわけだが、父の名前を出したことで神田の殺意が収まった。
 抵抗の力も弱まったので退き、テーブルから下りて立ち上がらせる。

「ジジー、医療班に神田連れてってくる。片づけお願いね」
「おう! 助かったぜあこや」

 ぶすっとしているものの、とりあえず大暴れはしなくなった神田の腕を引いて歩きだすと、周りで一連を見ていた団員のみんなが「あこやスゲェ」「猛獣使い」と囁いているのが聞こえてきた。
 猛獣使い……。
 有難くないあだ名だなぁ。

 あのくらいの取っ組み合いで神田が怪我などしないのは解っていたが、打ち身くらいはあるはずなので婦長のもとへと連行した。
 ジジから連絡を受けていたのか婦長直々に出迎えて、「触るなババア」と喚く神田をひっ捕まえて服を剥く。さすが婦長だ。

「神田ぁ──そんな嫌がらなくても婦長は大丈夫だから」
「うるせぇっ、あこやテメエぶっ殺す!!」
「キッチリ殺し返す。わたしからきれいに一本取れるようになってから言えバ神田」
「上等だッ、このあと相手しやがれ百遍泣かす!!」
「はいはい。これから先エクソシストとして戦うなら、婦長にくらい体見せられるようにならないと。他の誰が嫌でも構わないからさぁ」

 相変わらず他人を近くに寄せるのは嫌なようだ。
 いくら怪我がすぐ治るといったって限界はある。現に神田は、同じ体質のアルマが『再生しなくなる』まで『破壊』したのだ。やたらと負傷していたらいつかはガタがくるということを、神田はその身を以て知っている。

 暴れまくる彼の後頭部で揺れるポニーテールを見つめると、その髪をまとめている組紐が、一年前にわたしが渡したものとは違っていることに気づいた。
 わたしの視線に気づいた神田が、急に大人しくなって婦長の手を受け入れる。

「…………千切れた」
「そっか」
「アクマと戦闘になったとき。一月十五日」
「細かいな。よく憶えてるね日付なんて」
「元帥が」

 神田はふいと視線を逸らした。

「約束破ったら謝るもんだって……形見だったんだろ。キャスの」

 キャサリン。それが母の名前だ。
 研究所で日々を過ごすなかで、神田も母と接する機会があったのだろう。母の名を教えた憶えはなかったが、マリかティエドール元帥が教えたのかもしれない。

「いいよ別に気にしなくて。形見って嘘だし」
「ハアアアアア!?」

 再び神田が吠えた。

「嘘かよテメエ!!」
「うん。嘘ついてごめんねー」

 へらっと笑って軽く謝ると、神田はなにか察したように顔を歪めて舌打ちを零す。傍らの婦長がいたましげな表情になったのに気づいたのだろう。婦長は正直だから。

「……嘘かよ」
「うん。大事にしてくれたんだね。ごめんね神田」
「嘘……」
「嘘だよ」
「……悪かったな。壊して」
「いいよ」

 それきり神田は沈黙して、婦長に剥かれた服をせっせと着直した。
「神田が生きて謝りにきてくれたから、いいよ」もう一度繰り返すと、六幻を掴んだ彼がまた痛烈な舌打ちを零してわたしの髪を掴む。

「なになに」
「行くぞ。テメエをブチ殺す」
「よしきた。やれるもんならやってみろ」


 第二使徒計画は永久凍結された。
 両親の死亡を受けてアジア支部の支部長に昇進したバクと、第六研究所唯一の生き残りであるレニー・エプスタインの訴えによって。
 そもそも第二使徒計画の存在自体が機密であったことから、残る被験体YUの存在も隠匿されることとなる。『神田ユウ』となった彼は以前考えた設定通り、日本人エクソシストである父の伝手から発見された新たな適合者ということで本部に迎えられるらしい。

「成る程っ、で保護されたアジア支部でわたしと面識があったと、そういう設定ね」
「ボロ出すんじゃねェぞテメエっ、俺の体のことも黙ってろよ」
「言われなくても。本部ではどれくらい知ってるの」
「室長、科学班班長、医療班班長、カゲマサ、お前、あとマリと元帥」
「りょうかいっ、隙アリ!」
「だあッ!!」

 修錬場の砂地に叩き込まれた神田が「もう一本!」と起き上がる。
 食事どきで周りに誰もいないのをいいことに、わたしと神田は耐久組手をしながら、お互いの情報や設定のすり合わせをしていた。

「もーお腹減った。ご飯食べようよ」
「うるせえ敗けっぱなしで終われるか!」
「強くなったよ神田は。比べ物にならないくらい。でもわたしだって一年間成長してるんだからそうそう敗けないって」

 婦長のもとをあとにしてから数時間ぶっ続けだ。
 神田は今朝本部に到着したばかりで、わたしが仲裁に入ったあのとき、ちょうどジジに本部内の案内を受けていたところだという。ジジに確認したら食堂で最後だったらしいので、心おきなく手合わせをしているというわけだ。

「お、あこや! やっぱここにいたか」
「ジジ」

 お腹が空いたから食堂に行きたいわたしVS敗けっぱなしでは終われない神田の泥沼の戦いが始まろうとしたとき、ひょこっと顔を出したのは先程食堂で別れたジジだった。

「無線鳴らしてくれたらいいのに」
「いや〜〜研究室に籠もってたら運動不足で死ぬからな! 散歩がてら捜しに来た! メシ食ったら司令室に集合してくれ」
「了解」

 ジジが会いに来た意味がわかっていない神田が無言でこちらを見ている。

「ごめん神田、やっぱまた今度。任務みたい」
「……一人で行くのか」
「まさか! さすがに誰か他の人と一緒だと思うよ。神田は今日が初日だし、お父さんが帰ってきたら一緒に初任務じゃないかな」

 修錬場の隅に放っておいた上着を羽織りながら肩を竦めた。
 並んで食堂へ向かって歩き始めたわたしたちを見下ろし、ジジがにやにやする。

「なんかお前ら仲いいな? 黒の長髪でアジア人の顔立ち。身長も同じくらいだし、そうやってると仲のいい双子に見えるぜ」
「ふふ。それならわたしの方が姉弟子だねー」
「ハア? お前みたいな姉死んでもごめんだ」

「可愛い顔してんだからユウ、もちっと上品な──」からかおうとしたジジを、神田は音が出そうなほど鋭い眼光で睨みつける。
 あまりの迫力にジジが言葉を失い、笑顔のまま固まった。

「俺をファーストネームで呼ぶんじゃねぇ。斬り刻むぞ」

 すたこら歩いて修錬場を出て行く神田を、固まった笑顔のまま見送ったジジが、やがてわたしに視線を寄越す。

「……あいつ怖くね?」
「ユウって呼ばれるの嫌なんだって。わたしもお父さんもやられたよ、あれ」
「マジかよ」
「だから神田って呼んであげて。……一人でずかずか進んじゃったけど、道ちゃんと憶えてるのかな」

 ジジと別れて食堂へ向かう道すがら、案の定迷子となっていた神田に合流した。
 食堂の注文口に神田を連れていき、注文の仕方を教える。アジア支部の頃は人間として当たり前の知識が欠如していたが、この一年弱でティエドール元帥から色々教わったらしい。大体の料理名を理解したので、まあ父が帰還するまでは一人でもどうにかなるだろう。

 手早く食事を終えると、神田を置いて席を立つ。

「食べ終わったら食器はちゃんと返却口に返すんだよ。さっき派手に暴れたから色々言ってくる人いると思うけど、全部無視だからね、無視。暴れたらお父さんに伝わるから」
「……うるせぇな」
「じゃ、行ってきます!」
「…………」
「行ってきます神田」
「…………」

 むすっとした顔のままパスタをぐるぐるしている神田の耳を引っ張った。

「行ってきますって言った家族には『行ってらっしゃい』でしょーが」
「痛ェな引っ張んな!! 誰が家族だ!!」
「黒の教団本部に属する者みな家族。ここで生まれたわたしにとってはね」
「とっとと行け!!」

 一年前に比べるとだいぶお喋りになったから大丈夫かと思ったが、やっぱりさすがに無理か。
 まだまだ人間らしいとは言いがたい神田の振舞いは、父と辛抱強くどうにかしていかねばなるまい。

 でも別れたときよりずっと、明るい表情をしている。
 鋭い目つきは変わらなくてもそこに宿る光が違う。
 ひたすら絶望を湛えていた透明な空色の双眸は、いまは激しい不快感だとか、反抗心だとか、負けん気だとか、そういう生に傾いた感情を示していた。あのときの神田には、ティエドール元帥で正解だったのだろう。

「じゃあね。無駄にけんかしちゃだめだよ」
「うるせェ。帰ったら続きだかんな」

 よく考えたら神田に見送られるのはこれが初めてだ。
 任務から帰ったら「ただいま」って言って、今度は「おかえり」を言わせよう。ひねくれているから、意訳しないと解らないような暴言を吐きそうだけど。