『そうか、元帥と合流できたか……』

 本部に連絡すると、コムイではなくリーバーが応答した。
 世界各地でノアと思われる勢力による大粛清が起き、探索部隊が大勢命を落としたという。エクソシストも数名の死亡が確認され、コムイはいまその対応や中央庁との連絡で手が離せないとのことだった。
 リーバーの声はひどく掠れていた。
 コムイだけじゃない、きっと科学班や他のみんなも死ぬほど忙しくしているのだろう。

「そっか、デイシャ以外にも……クラウド元帥の部隊が……」

 ──現時点で死亡が確認できているのは、デイシャを含むエクソシスト四名、そして世界各地の探索部隊八十二名。
 クラウド部隊のエクソシスト三名が全滅。ソカロ部隊も中国手前で通信が断絶。他にも探索部隊のいくつかの隊に連絡が取れず、死亡者はまだ増えるだろうというのが本部の見解らしい。

「……厳しいね」
『ああ……お前らが無事なのが救いだよ。そういや、クロス部隊のほうで新しいエクソシストが見つかったんだそうだ。即戦力だから一緒に旅するってよ』
「そう。それならちょっと安心」

 リナリーたちクロス部隊は現在ルーマニアを出たところで、クロス元帥の造ったゴーレムであるティムキャンピーの案内に従い、東へ向かっているところらしい。
 いまや無事が確認されているのはわたしたちとクロス部隊だけになってしまった。

『あと、こっちで新しい団服を開発したんだ。どこかで渡したいんだが支部の近くは通るか?』
「うーん、どうだろ。元帥は本部に帰らず適合者探索任務を続行するって言うから……」

『やっぱりなぁ』苦笑したようなリーバーの口調から察するに、本部の方でもこれは想定の範囲内だったのだろう。
 ティエドール元帥は基本的に大らかで柔和な人だが、こうと決めたことは譲らないし、彼自身の信念には呆れるほど素直だ。そんな人だからこそ九年前、支部から逃げだしたマリと神田を保護して、第二使徒計画凍結の追い風になってくれた。

「まあ、向かう先が判ったらまた連絡するね」


レゾンデートル


ふたつの足枷  1




「色々考えたんだけどね、日本に行こうと思うんだ」

 町中の飯屋で食事をとっていると、おもむろに元帥はそんなことを言いだした。
 日本というと、父カゲマサの故郷であり、表向きには神田の出身地となっている極東の島国である。

「日本ですか……」
「うん。鎖国政策が長らく続いたせいでうちの調査の手もほとんど入っていない。新しい適合者の候補が眠っているとすれば日本だと思うんだ。そこんとこどう思う?」

 元帥がこちらを見た。
 父という日本人をよく知るわたしが最も詳しいだろうことは間違いない。話を聞いていたマリと神田も一瞥を寄越してくる。

「……鎖国といっても一切の貿易港を開いていないわけではないようですが、確かに外国の手が入りにくいせいでいまいち解らない国ですよね。父が日本にいた頃は、アメリカから開国を要求されたせいで国内に派閥ができて、どうも血腥い状況だったみたいですけど」

 父にこの話を聞いたのは十年前、父が日本にいたのはそれ以上前のことだ。
 二十年強も経っていれば国内情勢も変わっているかもしれないが、情報の入りにくい国ゆえ詳細は解っていない。

「日本に行くとしたら……陸路で中国まで向かって、そこから船でしょうか?」
「船だと襲われたら逃げ場がありませんね。沈んだら終わりです」

 わたしの提案にマリが渋い顔になる。実際、スペインを出て元帥に追いつくまでの海路は少々心臓に悪かった。
 元帥はいつも通り飄々とした態度でスプーンを振る。

「その辺はほら、私の『楽園ノ彫刻』の防御とマリの聴力による察知、あとは教団が誇るサムライ二人の接近戦でどうにかなるなる」
「「なるかなぁ……」」

 マリと被った。


 とはいえ、言いだしたら譲らない元帥の伴をすると決めたのはわたしたちだ。
 慌ててリーバーに連絡して、中国にあるアジア支部に新しい団服を送るよう手配してもらうと、わたしたちは日本へ向かう旅を開始した。

 アクマの襲撃に遭いながらも、鉄道を乗り継いで東へ。
 道中ついにレベル3ともかち合い大規模な戦闘になったが、引き受けた神田が難なく撃破した。「神田が勝てるならわたしも楽勝かな」「あ? やってみろよテメエ」「二人ともケンカはやめろ」とかいうやりとりを経て、その後わたしも一体破壊。
 もともと数の多さに辟易はしていたが、逆に言ってしまえばそれだけだったので、ティエドール元帥とも合流したいま大抵のアクマは敵ではなかった。

「……来てるな」
「また? ストーカー」
「今日も見てるだけだ」

 アクマに紛れてノアと思しき大柄な男が度々姿を現してはいたが、わたしが遭遇した青年のように仕掛けてはこなかった。じっとこちらを見ているだけなので「ストーカー」というあだ名がついたのだ。
 見られるだけというのも不気味なもので、わたしは彼の姿を見つけるたびに苛々していたが、元帥は泰然と笑って受け流す。

「仕掛けてこないならこちらから向かうことはない。無駄に戦闘になって消耗するのは避けたいからね」



 そんな風にティエドール部隊は比較的平和な道のりを辿り、大した負傷もなく中国の港まで辿りつくと、アジア支部より派遣されてきた科学班から新しい団服を受け取った。
 基本的な造りは変わっていない。神田たち男性陣はコートで、わたしはフード付きミニスカートのままだ。ただ従来のものと比べて柔軟性が上がり、いくらか頑丈にもなったという。

「あこやの団服は相変わらずミニスカートなんだねぇ」
「そうですね。昔リナリーとお揃いにしてもらって、なんだかんだでこのデザインに慣れちゃいました」

 神田みたいなしゅっとしたコートもいいなとは思うが、裾がバタバタすると『薄氷』の氷結に巻き込まれることがあるのだ。
 団服を着るのが辛かったリナリーのために、コムイが室長になってからはデザイン性に富んだものが作られるようになった。「わたしとお揃いにしようよ」と言ったときのリナリーの嬉しそうな顔が忘れられないから、身長が伸びて何度か作り直しても、基本的なデザインはお揃いのまま。

 出航の準備が整うまでの間、神田とマリが町に出掛けて必要な物資の買い出しに行くことになったので、わたしは元帥とともに港でのんびりと待っている。

「サポーターが日本まで送り届けてくれるそうですが、どの港につけたらいいでしょう」
「うん。貿易港につくと色々面倒だから、こっそり上陸できるところがあればいいんだけどねぇ……」

 海をスケッチしている元帥と話していると、突然叫び声が聞こえてきた。

「ギャ──放せこんにゃろパッツン野郎!!」

 パッツン野郎と言われると、最近少々前髪が伸びてきたとはいえ、うちの神田しか思いつかない。
 二人してぱっとそちらを向くと、蜂のようなボディをしたアクマの首根っこを掴んで喉元に六幻を突きつけた神田が、鬼の形相でずんずん向かって来ていた。
 後ろから慌てた様子のマリがついてくる。

「……なにしてんの神田」
「クロス元帥からの使いだとかいうアクマだそうだ」

 その一言に集約された情報が多すぎて理解できない。
 人間を殺すために生み出された殺戮兵器たるアクマが、クロス元帥のお使い?
 そんなノアじゃあるまいしと疑いの目をアクマに向けると、ぎゃーすか騒ぎながら「ホントだっつってんだろこのパッツン野郎が!」と暴れている。神田はいまにも六幻を発動しそうな体勢だが、一応クロス元帥の名が出たため連行してきたようだった。
 神田に確保されたままのアクマが語るにはこういうことらしい。

 行方不明のクロス元帥は現在、極秘任務のため日本に向かっている。
 日本はすでに千年伯爵の手に落ち、レベル3以上の高位アクマの巣窟だ。それでも日本へ向かうというのなら、人目につかない港へ入港できるよう、案内の改造アクマを貸してやる。

「日本が……」

 ぽつりと零したわたしを、元帥が一瞥した。

 いつか行ってみたいと思っていた父の故郷。
 こんなかたちで向かうことになるとは思っておらず、日本へ向かうと聞いたときは不謹慎にも嬉しくなったが──すでに伯爵の支配下にあるとは。
 気遣うような素振りを見せたマリを手で制して、かつて父に聴かされた話を思い返す。

「……父から聴いた話ですと、政権を巡る派閥や開国と攘夷を巡る勢力がかなり混沌としていたそうです。恐らく国内で戦争になったのでしょうね。その隙に乗じた伯爵が一気にアクマを量産したのかも」
「成る程ね。確かに戦争は格好の『悲劇』だ……」

 考え得る可能性を述べると元帥が肯いた。
「マリアンに貸しを作るのは嫌なんだけどなぁ」頭を掻きながら苦い表情になった元帥に、護衛三人は顔を見合わせる。神田は相変わらず改造アクマに六幻を突きつけたままだ。

 レベル3以上のアクマの巣窟。
 ならば元帥が推測したように適合者が生存している可能性は限りなく低い。国自体が伯爵の手に落ちたというならば、仮にいたとしてもイノセンスごと殺されたとみるべきだ。

「ですが……」幼い頃から見知ったクロス元帥の、後ろ姿が脳裡に蘇る。
 お酒が好きで、女性が好きで、ぐーたらでちょっとだらしがなくて、でも死ぬほど強くて、たまにふと見せる優しげな目はどこか悲しそうだった。気まぐれに高い高いをしてくれたり、お土産を買ってきてくれたり、乱暴に頭を撫でてくれたり。
 素直じゃないんだ、あの人。

「──解釈次第では、我々に日本に来てほしいというようにも聞こえます」
「……あこやもそう思うかい」
「というか、任務のために日本を目指しているクロス元帥が、こちらを巻き込もうとしている感じですかね。元帥が日本へ向かうならクロス部隊も追うでしょうし、一旦あの子たちとの合流を目指して向かってみるのはどうでしょうか」
「うーん……」
「日本が伯爵の支配下にあるとすれば、クロス部隊の戦力では心許ない気がします。これ以上エクソシストの数を減らすべきではない」

 わたしたちが中国に辿りつくまでにも殉職者は増えている。エクソシスト六名、探索部隊百四十六名。
 それに日本の情報が乏しいわたしたちからすれば、案内してくれるという改造アクマの存在は有難い。
 神田は「パッツン野郎」を連呼する改造アクマを今すぐにでも叩き斬りたそうな顔でいたが、最終的にティエドール元帥がそれでも日本へ向かうという判断を下すと、心底渋々といった様子で六幻を退いた。



「……早速来たな」

 日本への航海中、アクマの猛攻は激しさを増した。
 船全体を元帥の『楽園ノ彫刻』で守りながら、その外でマリと神田とともに破壊していく。
 市街地では遠慮して使えなかった氷結能力は、見渡す限り海という状況下では実質最強だった。制限なく攻撃できるのでむしろやりやすかったくらいだ。

 わたしがアクマをまとめて凍らせて、マリの『聖人ノ詩篇』第二開放で大方撃破、残った数体を神田が洩らさず破壊していく。
 改造アクマが「こいつら怖い」とガタガタ震えるほどの戦いっぷりだった。

 さすがに数百の大群を相手にして、返り血も浴びないというのは難しい。
 血といっても機体をつくるオイルなのだろうが、一度目の襲撃がひと段落した頃にはわたしも神田もどろっどろだった。

「うわひっどい……せっかく新しい団服もらったのに……」
「チッ……お前先シャワー浴びてこい」
「はーい」

 交代でシャワーを浴びたり休憩したりしながら警戒に当たる。
 これだけ襲撃が激しいということはやはり、伯爵はわたしたちに日本に来てほしくないということなのだろう、というのがティエドール元帥の見解だった。

 航海が始まって三日が過ぎた頃、船室のソファに寝転んで目を閉じていると、神田が肩を怒らせながら扉を蹴り開けてやってきた。

「……今度はなに怒ってんの。元帥になんか言われた?」
「うるせえ!」

 ふわふわっとしていて弟子を溺愛するたちのティエドール元帥は、神田とすこぶる相性が悪い。コムイがわたしをこの部隊に入れた理由の一つでもあるのだが、わたしとしては元帥に逆らえずに爆発する神田は見ていて面白いから楽しかった。
 ぷんすかしながら向かい側のソファに腰を下ろすと、神田は剣呑な表情で六幻を抱えて眼を閉じる。

 珍しいな、ここで寝るつもりか。
 お互い一緒に寝ることには大した抵抗がないが、いくつか部屋があるのにわざわざわたしのところまで来て瞼を下ろしたのは意外だった。
 ……いや、多分元帥を避けた結果がここなのだろうな。
 元帥は人並みに常識があるので「女の子が寝てる部屋には勝手に入らないよ〜」と手を振っていたから。

「リナが寝てる部屋には近づかないくせに……わたしの扱いって一体……」
「……あいつの部屋に入ったらコムイの野郎がうるせえだろうが」
「うわ、ド正論。ごめん、言ったわたしが馬鹿だった」
「テメエもとっとと寝ろ」
「寝れないよこんな危ない航海中に……」
「いいからとっとと寝ろ!!」
「いや神田なんでそんな怒ってんの」

 一体ティエドール元帥は神田になにを言ってここまで怒らせたのだろう。
 逆に気になってきたから訊きに行くかなと身を起こすと、すぐさま飛びついてきた神田に頭を抑え込まれてソファに逆戻りした。

「ななななななに!? 血迷ったのか神田!? だめだよ、ここで血迷われたら戦争待ったなしの船沈没コースまっしぐら」
「気色悪いこと言ってんじゃねえ誰がテメエに欲情するか」
「ごごごごめん痛い痛い痛い頭痛いって!!」

 ミシミシと頭蓋骨が軋む音が聞こえた気がしたので秒で謝罪すると、歯が折れるぞというくらい盛大な舌打ちをしてソファに腰を下ろす。
 下手をするとまたキレそうなので、言われた通り大人しく横になった。

「ここにいるからとにかく寝てろ」
「……うい」
「マリとオヤジがうるせえんだよ……お前のクマ」
「あー……」
「デイシャが死んでからまともに寝てねえだろうが」
「うーん……」
「生返事してんじゃねえオトすぞ」
「ごめん寝ます全力で寝ます抜刀しないで」

 そうか、マリと元帥にけしかけられてあんなに機嫌が悪かったのか。
 息を吐いて神田の方を見ると、再び六幻を抱えて瞼を閉じている。苛々しながらも体を休めようとしている彼を見ていると、なんだか笑えてきた。

「……ねえ神田そこにいる?」
「うるせえとっとと寝ろ」
「ずっとそこにいる?」
「…………。言ったろ」

 面倒くさそうに海より深い溜め息をついた神田が吐き捨てる。

「俺はそうそう死なねえ」
「……そうだね」

 そうそう死なない彼の治癒能力を恃みにはしたくない。
 そうやって特攻していく神田の戦い方が嫌いだ。
 庇われる自分がもっと嫌いだ。

 でもその言葉は、涙が出るほど尊かった。