さすがのわたしも本部以外の見知らぬ団員までみな家族と言えるほど朗らかではないので、よその人たちが行き交う姿に息苦しさも憶えたが、表向きはいつも通り任務に出掛けている。
本部帰還からおよそ二週間。
ようやくアレンたち全員が退院したが、大事を取って任務への復帰は許可されていない。
神田は自分も出るとコムイのもとへ直談判に行ったようだが、どっちにしろ『六幻』の修復が済んでいないのでまだ先になるようだ。
「……元帥また神田に殴られたんです?」
「まあね〜集合写真撮ろうって言っただけなのにさ〜」
「またアートオブ引っ張り出して脅したんでしょ。いい加減嫌われますよ」
頬杖をついてフゥと遠くを眺める彼と向かい合わせで食事をしながら、ティエドール元帥からの真っ直ぐな愛を向けられて戸惑い苛立ち爆発する神田を想像して笑った。
いつものことである。
暴れる神田を抑える役目のマリには申し訳ないが、こういう話を聞くと、ああ日常が戻ってきたなという風に感じた。
「あこや、キミもね、あんまり一人で気張っちゃ駄目だよ」
「は……」
突如水を向けられてぽかんとしていると、元帥は嘆息する。
「方舟の中で何があったのか、ユーくん喋ろうとしないからみんな首傾げてるけどね。ラビに聞いたよ、途中でユーくんのために引き返してそのまま追いついてこなかったって? あこやにしては珍しい判断だったね」
……ラビあいつ。
表情に出ないように内心で舌打ちをしてから(こういうとき神田の影響だなって思う)、デザートの杏仁豆腐に手をつけた。
「……馬鹿なことをしたと思っております」
「いや、いいんだよ。ユーくんのことを大事に思ってくれているのは私も嬉しいし、珍しい判断だとは思ったけど拙かったとは思わない。ただねぇ、こういうネタであこやをいじるのが大好きな奴もいるからねぇ……」
「「…………」」
同じ男を思い浮かべたのだろう。
二人一緒に苦い顔になってしまった。
元帥は昔からあの人のことが苦手なようだが、わたしはもちろん家族だと思っているし子どもの頃からよく構ってもらっていた。多少、いやかなり底意地の悪い人ではあるけれども、そこまで極悪人でもないと思う。
多分。
……きっと。
「ま、あいつにもいま中央庁がべったり張り付いているから、そんな暇ないとは思うんだけど」
「その鬱憤をわたしで晴らそうとする可能性は大ですね」
「「…………」」
レゾンデートル
今日もまた惰性の切っ
先でぶらさがる 後篇
杏仁豆腐を食べ終えたところでアレンとリンク監査官が食堂に入ってきたのが見えた。相も変わらず中央庁の監視が張りついて、昼夜を問わず調書を取られているようだ。
時計を見ると八時になっていた。そろそろ神田やマリなんかのエクソシストたちも朝食を取りにくる頃だ。
トレイを持って席を立つと、元帥が首を傾げる。
「みんなと食べないのかい」
「別に避けているわけじゃないですよ。これから任務なので」
「成る程ね。……無茶な任務はコムイが避けているだろうが、気をつけて」
「はい。行ってきます」
食器を返却してから食堂を出る途中、わたしを見つけたアレンが「あこや!」と手を振ってきた。
その声を聞いた他の団員がアレンに気付き、表情を曇らせて顔を寄せ合う。さすがに声高に噂話をするほど恥知らずではないようだが、何を喋っているかなど想像は容易い。
わざとらしく彼らの横を通り過ぎて、一瞥をくれてやる。
入団して歴の浅い科学班だ。
わたしの視線に気がついて口を閉ざしはしたが、こういう噂をいちいち潰していてもきりがないか。
「おはよう、アレン、リンク監査官」
「おはようございます」
「おはようございます、あこや! もう食べちゃったんですか? 最近全然朝ご飯を一緒できないから寂しいです」
「いまから出発なの。でも日帰りできるから、明日は一緒に食べよ」
「ほんとですか!」
ぱあっと顔を明るくさせたアレンの頭をわしゃわしゃ撫でる。
教団に入ってきた頃に比べるとずいぶん素直に感情が出るようになった。すっかり馴染んだなと微笑ましい気持ちになりながら手を振って、すれ違った団員とあいさつをしながら地下水路へ向かう。
知らない顔が行き交うホーム。
知っている顔もみんなどこかピリピリしていて、居心地が悪かった。
ここのところの任務は、イノセンスの保護よりもアクマ殲滅がメインになってきている気がする。
先のノアによる大粛清のせいで、部隊の多くが壊滅・潰走したため、調査が曖昧なまま放置された場所がいくつもあるのだ。そういったところに探索部隊と一緒に向かって、調査に同行しアクマを斃すというケースが多かった。
エクソシスト一人体制での任務ではあるが幸いにも包囲されることはなく、自分の負傷も怪我人の数も最低限で帰還できている。
「今回もハズレ!」
「……ごめんね……」
「いいけどね別に。いまの本部ちょっと居心地悪いから、外に出るいい口実になる」
司令室のソファに踏ん反り返ってひとまずの報告をすると、コムイはしんどそうに眉を寄せて溜め息をついた。
アレン・ウォーカーはノアの手先なのではないか。
中央庁がわざわざ監視に出張ってきているうえ、クロス元帥は軟禁状態。師弟揃ってこの状況では教団内に疑惑が広まるのも無理はない。
一連の戦闘でアレンのイノセンス『神ノ道化』が、伯爵のそれと酷似した大剣に姿を変えたこと、そして中国では咎落ちになったスーマンを救けようともしたことが重なって、その悪意ある推測は留まるところを知らない。
エクソシスト、スーマン・ダークは敵に命乞いをした。
世界各地に散らばる部隊の位置情報を問い合わせ、ティキ・ミックに横流ししたそうだ。そのせいで教団側の殉職者数が膨れ上がり、中国では咎落ちした彼によって多くの血が流れている。
その彼までも救おうとしたことでアレンの印象は最悪に近い。
「……あこやちゃんがそんなこと言うの初めて聴いたよ。きみはいつでも『ただいま』って、笑って帰ってきてくれたから」
「本当にね」ソファの上で膝を抱えて顎を乗せる。
わたしだって、まさか自分がこのホームに帰りたくないと思うようになるなんて、考えてもみなかった。
「ごめんね。いつも頼ってばかりだ。あこやちゃんだってまだ十八歳で、ボクより年下なのに……」
「本部暦だけならコムイより三倍長いわたしに謝ろうとは図々しいぞ」
茶化すように口角を上げると、コムイはまた眉を下げて笑う。
方舟から帰ってきた瞬間は本当に嬉しそうに笑っていたが、以降は本部やエクソシストたちにとって厳しい状況を迎えていることもあり、この室長は自分を責めるような表情をすることが多くなっていた。
「いいからコムイは本部を守ることだけ考えて、わたしは大人しく任務に出掛けてできるだけみんなを休ませるようにする」
「……本当はあこやちゃんにも休んでほしいんだけどナァァァ?」
「ちゃんと報告書読んだ? わたし方舟で何もしてないから疲れてないんだよ」
恨みがましい目つきのコムイに肩を竦めて、笑いながら司令室を逃げ出す。
市村あこやを元帥の空席に据えるべきだというルベリエと、三時間にも渡る激論を繰り広げ、その推挙は辞退する代わりにいち早く復帰するという約束をした。ついでに他のエクソシスト全員の戦線復帰に関しては医療班の婦長の判断を最優先とする、という事項もこっそり取りつけてある。
本部をコムイが守る。
わたしは現場を守る。
決して無理をしているつもりはないのだが、コムイやみんなが心配してくるので、やっぱりまずったかなぁとも反省していた。
「でもやっぱり合わせる顔がなかったしね、あの頃は……」
自室へ戻る道を歩いていると、前方から人の気配がした。
いまは夜中で団員のほとんどは寝ているはずだが、科学班など昼夜関係ない部署もあるので人がいること自体は不思議ではない。長年の癖でぶつからないように避けて歩いていたはずだが、なぜか肩が触れた。
「お。なんだどこの小娘かと思ったらあこやじゃねェか」
「げっ、クロス元帥……」
「ただねぇ、こういうネタであこやをいじるのが大好きな奴もいるからねぇ……」
渦中のクロス・マリアン元帥その人である。
今朝ティエドール元帥とあんな話をしていたせいで、つい「げっ」とか言ってしまった。
「ご挨拶だなお前」
「すみません。……ていうか軟禁中なんじゃなかったんですか、なに出歩いてるんです」
「風呂上がりだよ」
クロス元帥が大人しくみんなと同じ大浴場を使うわけがない。察するに、監視の人を引き連れて自分の部屋に戻りわざわざ優雅にシャワーを浴びたあと、再び元の部屋に戻るところといった感じだろうか。
この人の監視をさせられる中央庁の人も不憫だな。
そんなことを考えていると、元帥は手袋を嵌めたその手で顎を掴んできた。
「お前随分と女の顔になったな。男でもできたのか?」
「セクハラですよクロス元帥」
「本当のこと言っただけだろ。当ててやろうか。あいつだろ、神田」
クロス元帥はわたしたちが方舟で戦っている間、ずっと敵に紛れて身を隠していたらしい。
大元帥から受けた『江戸にある方舟の中のアクマ生成工場の破壊』という任務遂行のため、クロス部隊を利用し、ティエドール部隊を呼び寄せ、崩壊に向かって突き進む方舟の中でじっとそのときを待っていたのだ。
最終的には元帥の指示とアレンのおかげで方舟は帰還し、アクマ生成工場のダウンロードも阻止できた。
いま方舟は本部の上空に浮かんでおり、科学班による解析や調査が急ピッチで進められている。
にやにやしている元帥を見上げながら、あまりにも変わっていないその人の絡み方にむしろ安心してしまった。
「期待を裏切るようで悪いですけど、クロス小父上の酒の肴になるようなネタは何もないですよ」
「誤魔化そうとしたって無駄だぜ? お前神田のとこまでまっしぐらに戻ってったじゃねぇか」
「馬鹿なことをしたと思っております」
「いいじゃねェか! 昔から戦うことしか知らねぇお前が愛に目覚めてくれて俺は嬉しいんだよ。すっかり色っぽい顔するようになりやがって」
愛……?
なんだかぞわっとした。
愛という単語にではなく、この人が愛という単語を使ったことにだ。
外に何人パトロンがいるんだか知らないが、この人が男女の情愛について語るのは何か違う気がするぞ。失礼極まりない考えを表情に出さないよう努めながら、「元帥」と小さく溜め息をついた。
「本当に、あのときの判断は間違いだったと反省しているんです。結局わたしは何もできないまま神田とともに消滅してしまった、あのとき引き返さなければもっと違った結末があったかもしれないし、アレンたちの負傷も少なかったかもしれない。……あまりからかっていじめないでください……」
苦り切ってこてんと首を傾げると、元帥はぱちぱちと瞬いた。
昔と変わらずお顔の右側にはその赤髪が垂らしてあるが、珍しくわたしの言葉に呆気に取られているのだということは解った。
「……お前本っ当、呆れるほど頑固だな」
「何を今更」
「愧じるな。あのときお前があそこにいたって出来ることは少なかったさ。神田を一人で死なせたくなかったんだろ、お前らそういうとこあるしな、昔から……」
「クロス元帥がまともなこと言ってる……」
「オイ」
「痛い痛い痛いすみませんごめんなさい頭割れちゃう」
顎にかかっていた手が頭部に移動してギリギリと締め付けられるので即座に謝罪していると、後ろから首に腕を回されて引き寄せられた。
後頭部を勢いよくぶつける羽目になったが、視界に入った腕で誰かすぐに把握する。
「神田?」
全然気配に気がつかなかった。
少しびっくりしながら見上げると、神田はいつも通りの仏頂面でクロス元帥と見つめ合っている。
そういえばこの二人が喋っているところを見たことがない。
神田の場合ティエドール元帥とはまた違ったベクトルで、クロス元帥とは相性が悪そうだ。
「…………」
「なんだ。俺はいまあこやと話をしているんだが」
「……痛がっているようにも見えましたが」
「だから助けにきたか? 随分殊勝なことするようになったもんだな、手負いの獣だったお前が……。あこやに過保護なのはカゲマサへの義理立てか」
「クロス小父上」
自分がこの人にいじめられるのは慣れている。
が、さすがに神田にまで絡むのは見過ごせない。
「神田をいじめないでください。怒りますよ!」
ぎゅっと眉根を寄せて大きな声を出すと、元帥はおかしそうに笑いながらわたしの頭をバシバシ叩いた。
遠慮なさすぎて若干痛い。
そう思っているのがばれたのか、神田が乱暴に一歩下がってくれたのでその手から逃れることができた。
「悪い悪い、そんな怒るなよ。可愛い娘に男ができたら試したくなるだろ?」
「男じゃないって言ってるのに聞きやしないなこの人は……!」
「……失礼します」
有無を言わさず神田に引きずられて歩きだす。
首だけ振り返って「元帥あんまり見張りの人困らせちゃだめですよ」と声をかけると、ニヤリと口角を上げて意地の悪い笑みを浮かべた。あれは自重する気ないな、可哀想に。
神田は身軽な格好をしていた。
恐らくは森で夜稽古をしていた帰りなのだろう、腰には武器庫から拝借したと思しき日本刀がある。相変わらず鍛錬の鬼だよなと感心しながら抱かれたままの肩をちょっと見下ろした。
すると神田は視線に気付いて、ぱっと手を放す。
その放し方にちょっと違和感を抱いたが、とりあえず肩を竦めた。
「助かった。あの人昔からわたしをいじるのが趣味だから」
「……怪我は」
「今回は無傷。偉いでしょ? ただいま神田」
「……おかえり」
おや珍しい。「行ってくる」とか「戻った」とかなら抵抗なく返事するようになったけど、「おかえり」は渋ることが多いのに。
ペースを全く合わせてくれない神田の横を、少し小走り気味に歩きながら、クロス元帥に掴まれた顎の辺りをなんとなくさする。
「わたしそんなに顔変わったかな」
「は?」
「女の顔になったなって言われたけど、何がどう違うのか全然わかんない」
「お前元々女だろ」
「神田がそれを認識してたことにおどろ……痛い痛い痛い」
さすっていた顎を掴まれ渾身の力で締めつけられた。顎が砕ける。
はぁと疲れたように溜め息をついた神田は、掴む力を緩めると、指先でわたしの頬と顎を撫でつつ手を離していった。
「……なんも変わらねぇよ」
立ち尽くすわたしを置いて、神田は黒髪を揺らしながら去っていく。
何も変わらないわけがあるか、バカ。
愛なんて高尚な話じゃない、ただその存在が隣にないとうまく息ができないだけ、それが本人の知るところとなって変わらずにいる方が難しい。大体わたしより問題発言した男がいけしゃあしゃあと「なんも変わらねぇ」だって?
冗談も程々にしろあのバ神田。
「あっ……明日一発なぐる……!」
あんな。
あんな指先の一撫でで、迂闊にも動揺した自分が悔しい。
神田譲りの舌打ちを零すと、夜半の本部に反響して消えていった。