「アレンに中央の監視!?」

 任務帰りに科学班の研究室に寄ったところリーバーに呼び止められ、人気のない本棚の裏でこそこそとそんなことを耳打ちされた。

 アレンとクロス元帥による方舟の操作によってアジア支部伝いに本部まで帰ったあと、江戸での戦いに参加したエクソシストの多くは病室に監禁──もとい入院させられた。
 比較的ピンピンしていたわたしは数日安静にしたあと、動けないみんなの分を埋めるように、急を要する任務先にだけ方々飛び回っている。伯爵の動向がわからないうちは慎重にとコムイは進言したらしいが、中央庁は動けるものは使えと圧をかけたらしかった。

「方舟を動かしたからか……」
「ああ。詳しいことはオレにも解らんが、しばらくルベリエ長官が本部に滞在して、アレンにはハワード・リンク監査官がつくそうだ……」

 苦い顔のリーバーがくしゃりと前髪を掴む。
 その表情だけで状況がかなり切迫していることは解った。
 敵方の乗り物である方舟の操作法を知っていたアレンが、伯爵の手先でないかと疑われているのだろう。アレンの為人を知っている本部の団員であればそんなこと考えもしないだろうが、教団には多くの人が在籍している。全員が全員、アレンをよく知っているわけではない。

 よりにもよってルベリエか。

「……ヴァチカンで大人しくしてろってんだあの魅惑の後頭部野郎……」
「……あこや。真面目な話なんだから笑わすのやめてくれ」

 ちょっと肩が震えているリーバーの腹部を叩いた。
 こっちは真面目に悪態をついているのだ。

「リナは?」
「もう会っちまった。うっかりしてたよ。リナリーのこと頼むな」
「まあ今回は神田もしばらく本部だし大丈夫でしょ」

「神田?」リーバーが首を傾げたので、本棚に背を預けながら肩を竦める。

「本部の人ってみんなルベリエのこと苦手にしてるか、怖いと思っているでしょう。怯えもせずに毅然と相手できるのって神田だけなの。わたしは挑発しちゃうし、リナにとっては対ルベリエの安全地帯が神田の傍なのよ」
「そうなのか……」


レゾンデートル


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「──ルベリエのような考え方の幹部がいること自体は悪いことじゃないと思うのよね」
「はあ!?」
「だってそうでしょ。戦争の終結のために鬼になって冷酷な判断を下せる人間はいて然るべきよ。というか、このレベルの戦争ならいて当然。そういう判断と現場の意見を擦り合せることで慎重な前進が生まれる。どうせ中央庁は任務の移動に方舟を使うべきだって言い出したんでしょう?」

 ぐっと言葉に詰まったリーバーに片目をすがめた。

「ただ、そういう人たちには遠い場所にいてもらわないと」
「あこや……」
「現場にまで介入されちゃ困るのよねぇ。自分で戦うわけでもないくせにあれこれと口を出されるのは鬱陶しい」

 視線をずらした先では、いつもの科学班の面々がへろへろになりながら働いている。
 ジョニーとタップがげっそりしているのは、寝る間も惜しんで方舟の調査をしているからだろう。

「……本部に中央が介入するのは好ましくない。なんだか嫌な感じ……」



「ただーいまー」

 ひょこっと修錬場に顔を出してみると、神田がマリを相手に組手しているところだった。
 アレンやラビ、先日適合が判明したチャオジーが座ってその様子を眺めている。

「あこや! お帰りなさい」
「ん。みんなだいぶ怪我治った?」
「ハイ。ただクロウリーだけまだ目覚めなくて……。すみませんあこや、あこやにだけ任務に行ってもらって……」

 アレンが消滅した方舟を復活させたことで、彼らが負った体の怪我の大部分もついでに治ってしまったらしい。
 ただ一人、ひどく体に負担のかかる戦い方をしたクロウリーは、まだ入院中で意識が戻っていなかった。しょんぼりした様子のアレンの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。

「わたしはピンピンしてるから気にしないで。それより早くクロウリーと喋ってみたいな」
「そっか、あこやまだ全然か! クロちゃん面白いやつだぜ」
「へー。それは楽しみ」

 のんびり喋っているうちに神田がマリから一本取って終了。
「あこや、帰ってきたのか」「ただいまー」といつものやりとりをしていると、修錬場の砂地部分に残っていた神田がちょいちょいっと手招きで挑発してきた。
 マリと入れ替わりでぴょこんと下りる。

「おおっ、久々に双子の試合が見れるんか! ラッキー!」
「ラビは見たことあるんですね。僕まだなんです、凄いらしいって話ばっかりで」
「メチャクチャ見応えあるぜ! じじい呼んでこねーと! リナリーも!」

 わいわいとギャラリーが増えていく横で、マリから投げ渡された竹刀を二人向き合って構えた。
 半身を引いて下段で突き合わせるかたちになり、神田の紺碧色の双眸と見つめ合う。

「ただいま神田」
「…………」
「ただいま神田!」
「うるせェな」
「ただいまー神田ー!!」
「うるせーつってんだろ! 俺から一本取れたら言ってやるよ」
「お、言ったな? ちょーっと本気モード入ろうかな!」
「ハッ、デカいこと言ってっと恥かくぜ」

 軽口を叩き合いながら、目と目の応酬、呼吸の読み合いが始まった。
 視線の揺らぎ。呼吸。筋肉の僅かな兆候、構えの隙、力の入っているところ、入っていないところ。幼い頃から見慣れた相手のささやかな攻撃の予兆を五感すべてで拾っていく。
 膠着した睨み合いを、周囲が緊張の面持ちで見守っていた。

 神田は強い。
 桁外れた身体能力に加え、教団一の剣豪と謳われた父カゲマサの二番弟子。その実力は恐らくとっくに元帥レベルに到達している。

「──お前元帥に推挙されてんだろ」

 その一言に動揺した瞬間、神田が打ち込んできた。
 竹刀同士が打ち合う乾いた音が響き、わたしと神田の位置が入れ替わる。
「え?」「アレン見えた?」「全然……」アレンとラビの茫然とした声がぽつりと零れた。

「……なんで知ってんの」
「コムイに呼び出された」
「…………」
「断ったんだろ」
「断ったよ。ただでさえエクソシストの人数が減って通常任務に負担がかかるのに、このうえわたしが元帥になったら戦力大幅減でしょ」

 会話の隙をついて打ち込むが正面から受け止められる。「ラビ見えました?」「ぜんぜん!」外野の声を聞き流し、鍔で競り合いながら、いまや随分と高い位置になってしまった神田の顔を見上げた。

「それに、元帥になったら神田と任務に行けなくなっちゃうし」
「お前そんな下らない理由で──」
「隙ありィ!!」

 すぱーん! と動揺した胴に一閃。
「スゲェ! 汚ェさあこや!」ラビの野次が飛んできたが、勝ちは勝ちである。ふんふん鼻唄を歌いながら背を向けると、神田に襟首掴まれて投げ飛ばされた。

「うわ───っ!!」「あこやっ」
「うえっ、砂食べたきもちわるっ──ぐぇ」

 ダメージはそんなにないものの、ぺっぺと吐き出しているうちにいつの間にか神田が迫っていた。
 ちょっと卑怯なことをしたので怒ったみたいだ。
 馬乗りされて胸倉を極められたらさすがにどうしようもない。抵抗しようにも両手は見事に脚の下にされていた。

「ユウ! それはまずい! 体勢的にそれはまずいさ!!」
「神田、あこやは任務帰りなんですよ、女性にはもっと優しく!!」
「うるせェファーストネームを口にすんじゃねぇウサギ野郎削ぐぞ!!」
「神田重い、どいて……お腹減った……」

 やいやい文句を言いながら神田を引き剥がそうとやってきたエクソシスト仲間二人に威嚇したあと、神田は顔を歪めてわたしを見下ろす。
 盛大になにか言いたそうだ。
 溜め息をついて力を抜くと、胸倉を掴まれる力も弱まった。

「お父さんでさえ元帥にはならなかった。師匠より弱い弟子が元帥になるもんじゃぁない」
「…………」
「そういうことで、ただいま神田」
「チッ……」

 ようやくわたしの上から退いた神田が差し出してきた手に掴まり、勢いよく身を起こす。
 アレンたちによほど聞かれたくないんだろう、わたしの襟首を引っ掴んですたこらさっさと食堂へ向かいながら(お腹減ったって言ったのをちゃんと聞いていたみたい)、辛うじて聴こえるくらいの声で「おかえり」と呟いた。

「ルベリエがしばらく本部に滞在するらしいよ。聞いた?」
「ああ」
「リナのことちゃんと見ててね」

 返事はなかったが、神田の無言はたいてい了承の意を表すので問題なし。
 彼本人も、リナリーにとって対ルベリエの安全地帯が自分であることは自覚している。付き合いも長いことだし上手く励ましてくれるだろう。

「……アレンもリナも、コムイもリーバーも、あんまりしんどい思いしないといいんだけどなぁ……」

 誰にともなく呟いた声に当然、応えはなかった。