司令室に顔を出すと、アレンがすでにソファに座っていた。
「や。来たね」マグカップ片手に手を振るコムイの笑みで、今回の任務はこの新入りとのコンビなのだと納得する。

「今回はアレンとか。なんか新鮮」
「あこやと二人は初めてですね。よろしくお願いします」

 マテールぶりの、アレンとの任務だ。


レゾンデートル


少年と少女の共生論  後篇




 アイルランドにてイノセンスが原因と見られる奇怪を確認。
 アクマも何体か潜伏していると考えられる。現地の探索部隊と合流しイノセンスを保護せよ。

 現地へ向かう汽車の中で詳細の資料を読んで概要を掴むと、正面の席でまだ頁を捲っているアレンをこっそり眺めた。
 白い髪。上品な顔立ち。
 左の額の逆さペンタクル、左眼を貫いて頬まで伸びる傷跡。
 幼少期、アクマにしてしまった父から受けた呪いだという風に聞いた。人間とアクマを見分けることのできる左眼、イノセンスには関わりなく彼だけが持つ、業の深い特殊能力。

「アレン」
「はい」
「わたしの対アクマ武器のことを説明しておくね。神田と同じ日本刀型で名は『薄氷うすらひ』、氷結能力があって、アクマを凍らせて破壊する。氷の斬撃を放つ、指定領域を空間ごと凍らせる、あるいは指定した物体を凍らせることができる」
「な、なんかすごいですね」

 アレンの寄生型とはまた違った毛色だからか、目を白黒させながら聞いている。
 普段は背中に背負っているが、席に座っている間は邪魔になるので、いま薄氷は膝の上に置いてあった。装飾の施された瀟洒な鞘の表面を撫でながら肩を竦める。

「ただ当然の話、凍ると寒いし足元が滑るの。だからよほど包囲されない限りは使わずに接近戦で破壊する。アレンもできたら第二開放で援護してほしい」
「わかりました」

 他のエクソシストが一緒なら、対アクマ武器の能力や間合いも解っているから適当に動くのだが、アレンとは初めてでお互いの戦い方を把握できていない。
 忌々しいことに多少無茶の利いてしまう神田がいたマテールのときとはわけが違う。あんな事態になるのは避けたいので打ち合わせは必要だ。
 現地についてからの動きなども話していると、アレンがふと「あの」と顔を上げる。

「一つ訊きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「うん、どうぞ」
「マテールのときのことなんですけど。……ララの心臓を今すぐ取れと言った神田に、僕は取りたくないと答えました。あのとき、あこやは何も言わなかったですけど、……あなただったらどうしますか?」

「今すぐその人形の心臓を取れ!」
「ごめん──僕は取りたくない」


 コムイがアレンとの最初の任務に神田を当てた意味は、本部に帰還して彼の身の上を少し聞きかじったところでなんとなく悟った。
 今回わたしと二人で組ませたのもこれが目的か。
 神田は言葉が足りないからなぁ。

「わたしは神田の判断が正しかったと思うよ」
「それがエクソシストの使命だからですか? そのためにはララたちの気持ちや、少しの犠牲は仕方ないものなんでしょうか。僕にはどうしても割り切れなくて……」
「うーん……」

 難しい状況だった、とは思う。
 あのとき神田がいなくて、あそこまで強引に話を進めてくれなかったら、わたしだって「今すぐ取れ」なんてなかなか言えなかった。

 結局はイノセンスも保護できてアクマは破壊できた。
 だが結果論だ。

「アレン、マテールに到着したときすでに先行の探索部隊が全滅していたのは憶えているよね」
「はい、勿論」
「彼らはなんのために命を落としたんだろう。彼らの望みは、使命はなんだっただろう?」
「……イノセンスを守ること、ですか?」

「そう」肯いて、こてんと壁に寄りかかる。
 あのとき全滅した部隊の中には顔見知りもいた。故郷にわたしと同い年の娘がいるのだと可愛がってくれた探索部隊が。
 遺体は残らなかった。

「わたしたちは望むと望まざるに拘わらず、イノセンスに選ばれて、アクマを破壊することができる。この戦争の終結という教団の全団員の希望を背負って立つ戦士だ。わたしたちには当然、勝利の確率を上げるために探索部隊が命を賭してくれたイノセンスを守る──責任がある」
「…………」
「状況をよく思い出してね。レベル2のアクマが一体、戦力筆頭の神田は戦闘不能、アレンもトマも負傷していて、わたしも主戦力ではなかった。あそこに至るまでに何人の探索部隊が、ララの心臓を守るために命を散らしていったのか」

 アレンは何も言わずに続きを待っている。

「アクマを撃破できる可能性よりも、神田はイノセンスを守ることを択んだ。それが探索部隊の望みだったことを神田はよく知っている。状況を鑑みてもあのときはイノセンスを回収して撤退するのが最善だったと思うよ」
「神田はじゃあ、犠牲になった探索部隊のために?」
「いやーそこまできちんと考えてはいないと思うけどね」

 さすがにそんな善良な考え方はできないと思う。むしろ神田は教団とか世界とか、そんなものはどうでもいいはずだ。

「わたしたちが任務に忠実であることが即ち、彼らの望みを繋ぐことにもつながる。わたしも神田も前線に立ってきた時間が長いから、そういう『計算』が滲みついている……」
「計算、ですか」
「アレンとは比べ物にならないほどの任務をこなしてきた。夥しい数の犠牲者を目の前にして、全てを救うことはできないと身を以て知ってる。神田の場合は言い方がかなり悪いからああなるんだけど、考え方の大筋は決して悪ではないよ」

 自ら進んで人に嫌われるような言葉を択ぶ。
 人を遠ざけるような態度を取る。
 あの拒絶の発端となった過去を考えれば、神田ばかりを責めることは、わたしにはできない。

「言い方はかなり悪いけど……、ああいう冷静な決断を迷いなく口にできる神田は、凄いと思う。言い方ものすっごい悪いけどね」
「三回言いましたね」
「苦労させられてるからねぇ」

 あの神田の怒濤の罵詈雑言によって引き起こされる衝突に、何度巻き込まれて仲裁したか数えきれない。
 今はだいぶ大人しくなったが昔は酷かった。父がいた頃は額の小突き一つで神田が収まったのだが、わたしではもう掴みかかって引き倒さないと止まってくれない。
 怒りの矛先がわたしに向いてケンカ続行──というパターンもよくあった。

「まあ、考え方や価値観は色々あって然るべきだわ。アレンの優しさに救われる人もいるだろうし、神田の冷静さに救われる人もいる。自分とは違うスタンスの人がいることをちゃんと理解して、そのうえで任務に支障が出なければ、それでいいと思う」
「……ありがとうございます」
「でも神田のことムカつくのも解るよ? 言い方悪いもんね」
「四回目ですよあこや」



 アクマを見分けることのできるアレンの左眼の能力は、任務に有利に働いた。
 人の皮を被って擬態しているアクマに対して、エクソシストや探索部隊はどうしても対応が半歩遅れる。わたしや神田、リナリーたちなど戦闘慣れしたエクソシストは条件反射で臨戦態勢が取れるが、それでもアレンの左眼の予知のおかげで楽に戦えた。

「──全機撃破したかな」
「そうですね、もう気配は感じられません」

 森の中で探索部隊が保護していたイノセンスを狙って、アクマが仕掛けてきた。
 打ち合わせ通りにわたしが接近戦で各個撃破、アレンが後方から銃刀器型の第二開放で支援という体制をとり、一時間もかけずに制圧は完了。結界装置で身を守っていた探索部隊とイノセンスのもとへ戻ると、血塗れのアレンがいた。

「……なに、怪我した?」
「はい、結界装置が一個壊れてしまったので……」

 探索部隊を庇ってアクマの攻撃を受けたということだろう。
 じっと見つめているわたしの視線を受けて、アレンは慌てたように手を振る。

「あっ、でも僕、寄生型ですから! 弾丸ウィルスは効かないですし、大丈夫です。それにしてもあこや、本当に強いですね、傷どころか返り血ひとつついてない……」

 寄生型のイノセンスを身に宿すエクソシストは、その体が対アクマ武器。
 従って装備型をはじめとする普通の人間には致命傷となるアクマの血の弾丸ウィルスも、体の中のイノセンスで相殺できる。
 それは知っているが──

 結界装置を解除していく探索部隊、その腕に抱えられたイノセンスと思しき弓矢を一瞥しながら、「アレンさぁ」と零した。
 思ったよりも低い声になった。

「アクマを破壊してそれで任務完了って思ってない?」
「え……」
「わたしたちの任務はイノセンスの保護。保護したそれを本部まで無事に送り届けること。本部まで戻る道中にアクマの襲撃がないと言いきれる? ばかすか他人庇って怪我して、結果帰り道でイノセンスを守りきれませんでしたなんて、笑えないからね」

 ──哀れなアクマに魂の救済を……。
 破壊後の爆発に紛れて、アレンが切なげに零したその言葉を聴いたのがわたしだけでよかったと思う。
 アクマに大切な人を殺された恨み辛みを抱く団員は多いから。持たない団員などいないと言った方がいいかもしれない。

「無茶して大怪我しながら戦うことなんて誰にでもできるんだよ。自分が怪我をしない、万全の状態で戦える体を少しでも長く保つ戦い方を憶えなさい。自分の体を盾にするんじゃなくて、その対アクマ武器で誰かを守ることを考える」
「……は、はい」
「アレンの優しさはもちろん尊重されて然るべきだけどね、それは本当に強い人じゃないと戦い抜けないよ。そんな風に怪我していたら守れるものも守れない」

 がばっとコートを引っぺがして、攻撃を受けたらしい右腕を露出させる。
 探索部隊から受け取った救急キットでとりあえず止血しながら、ちょっと落ち込んだ様子のアレンの顔を覗き込んだ。

「神田だって言ったでしょ、『口にしたことを守らない奴はもっと嫌いだ』」
「うっ」
「次神田に会ったときに嫌味言われないように頑張って強くなろ」

 神田の名前を出すと表情が変わる。すっかり鬼門になってしまったみたいだな。

「攻撃を避けられないわけじゃないのに、咄嗟のときは体を盾にしようとするっていうのがまずいけない。まあこれ神田にも言えるんだけどね」
「……あこやを庇って神田が怪我したのが頭に来たって、こういうことだったんですね」
「そう」

 よく似てる。
 馬鹿みたいに真っ直ぐで、頑固で、譲らなくて。
 実力がないわけじゃないのに自分をどこか投げやりに扱って、頭の判断より体の動きの方が早いときは迷わず自分を犠牲にしてしまうところ。
 それを犠牲とすら思っていないところ。


 大切な人をその手で壊した罪悪を一身に背負って、それでも前に進んできたところも。


「ほんと大事なんですね、神田のこと」
「なに言ってんの。アレンのことも大事だからこんなに怒ってるのよ」
「……だいじ」
「言ったでしょ教団のみんな家族だって。家族が怪我したら心配するでしょ普通……はいおしまい、一旦町の宿まで帰って本部に連絡取ろう。アレン悪いけどアクマが出たら教えて、わたしが全部斃す」

 後ろを確認せずに探索部隊を促して森を歩き始めたのだが、アレンが立ち止まったままついてきていなかった。
「アレーン?」大きめの声で呼びかけると、はっと顔を上げて「すみません!」と駆け足に追いついてくる。

「どうかしたの」
「いえ……、あの、あこや、帰ったら稽古してくれませんか」
「いいよ。そのためにまず──」
「『本部まで無事にイノセンスを送り届けること』! ですね!」
「そういうことです」

 ぴょこぴょこあとをついてくるアレンに然りと肯くと、横を歩いていた探索部隊がふふっと笑った。
 この間の任務でも一緒になったゴズだ。なんと神田をちょっと尊敬している変わり者。

「なに」
「いえ、なんだか姉弟みたいだなと思って」

「お……お姉さん」感動したようにまた立ち止まってふるふる震えているアレンを、今度は待たなかった。
 全く手のかかる可愛い弟だこと。肩を竦めると、彼はその大柄な体に似合わぬ柔和な笑顔になる。

「ほら。可愛いんじゃないですか」
「さあね」

 我に返ったアレンが慌てて追いついてくるのを、振り返ってちょっと笑った。