「あこやちゃんは……神田くんと仲がいいのよね。すごいわ、私ったら彼のこと苛つかせてばっかりで……」

 テラスで女子会をしていると、ミランダが紅茶を飲みながらそんなことを言いだした。
 ジェリーが用意してくれた美味しいおやつを食べながら「いやぁ」と首を振る。

 ルル=ベルとアクマの大群の襲撃、さらにレベル4による侵攻を受けて壊滅的打撃を受けた黒の教団本部だが、いつもお茶会をしていた二階のテラスはなんとか無事に残っていた。
 今日はぽかぽか陽気を浴びながら、ミランダとリナリーの三人でエクソシスト女子会を開いている。

「仲がいいってみんな言うけど、単に付き合いが長くてお互い扱いを心得てるだけだから。神田が苛ついてるのはいつものことだし気にしなくていいよ」
「そうなのかしら……」
「短気で直情型だからねぇ、慎重なタイプのミランダにじれったくなるんでしょ」

 今日もリナリーの紅茶が美味しくて幸せだ。
 まだ骨のくっついていない左腕や疲労骨折していた右足首は全快していないが、こうやってみんなとのんびりお喋りできるだけで怪我が治るような気がする。
 スコーンをもしゃもしゃ食べながら幸せに浸った。
 そういえばアレンの監視についているハワード監査官もお菓子作りが上手なんだっけ。あの人もなんだかんだで面倒見のいいお兄さんタイプみたいだし、神田とは気が合わないだろうな。

「でもあこやと神田って、最初の頃はケンカばっかりじゃなかった?」
「まあねぇ、あの頃は神田もとげとげしてたから。でもリナとはすぐ打ち解けたでしょ」
「そうね、神田は中国語で話しかけてきてくれたから……」
「実際かなりわたしのこと嫌いだったと思うよ、あの人。わたしは教団で生まれて根っからのエクソシストで、イノセンス使って戦うのが当たり前で戦争が日常だった。それが神田には盲目的な教団への恭順に映ったんだろう」

 面と向かって「気色悪いんだよお前」と罵られたこともあった。
 アジア支部で一緒に過ごした日々があったから、そして仲裁してくれる父がいたから、お互い僅かずつ理解して歩み寄ることができたけど、本部で初対面していたら多分一生神田はわたしを憎んでいたと思う。
 そのくらい紙一重の関係だ。
 だからみんなが「仲がいい」と言うことに、すごく違和感がある。

 ミランダは意外そうな表情になって相槌を打っていたが、当時を知るリナリーは納得したみたいだった。

「そうね。私はあの頃、兄さんのところに帰りたくて仕方がなかったけど、あこやにはその『帰りたい』が理解できないって感じだったわ」
「帰るもなにも本部以外に家ないからね、わたし」
「そっか、あのときあこやに感じてた違和感はこれだったのね」

 ふむふむと頷くリナリーの後ろは食堂に面する硝子戸になっている。
 稽古着姿の神田が近付いてきて、コンと指の背で一度ノックした。


レゾンデートル


いま君の動脈が温か
いということ 紅茶




「神田だ」
「えええっ!?」
「ミランダそんなにびっくりしなくても」
「いえだだだだって……リナリーちゃんとあこやちゃんだけならともかく……私もいるのに声をかけてくるなんて……」
「気にしすぎだって」

 誰に用があるのか解らなかったので手招くと、神田はちょっとだけ眉間に皺を寄せながらテラスに出てくる。

「どうしたの。紅茶飲みたいの? リナが淹れてくれたセイロンだけど」
「…………」

 ティーカップを揺らしながら訊ねると、わたしの後ろに回ってきた神田は無言で紅茶を奪って飲み干した。
 全部飲まれるとは思わなかったので少々ショックだったが、まあ稽古終わりで喉が渇いていたのだろうと、心たいらかに溜め息をつく。

「付き合え」
「御覧の通りいま女子会中なんだけど」
「モヤシの野郎全然相手になんねぇんだよ。あれじゃ稽古になりやしねぇ」
「神田きみ、わたしが骨折中だということを忘れていないかい」
「…………」
「そんなだからバ神田って言われるんだよ──痛い痛い痛いっっ」

 背後から拳で蟀谷をキリキリ捩じ上げられて悲鳴を上げると、ミランダが顔を真っ蒼にして「カッ、神田くん、あこやちゃんは怪我を……!」と勇気ある抗議の声を上げた。

「いいのよミランダ、神田のこれは愛情表現みたいなものなんだから」
「リナ。テメエなに言ってんだ」
「って前にあこやが言ってた」
「痛い痛い痛い神田痛いってわたし怪我人なんだって」

 とはいえリナリーの仰る通り、愛情表現というかスキンシップみたいなものだと解釈しているので(そう思って受け入れてやれと昔父に言われたのだ)、ひとしきり騒いでからこてんと神田のお腹の辺りに後頭部を当てる。
 そのまま喉を反らして見上げると、神田はたいへん機嫌の悪そうな顔でわたしを見下ろした。

「アレンの剣術の稽古かぁ……確かに必要だろうけどさ、あれけっこう変則的だもんね」

 神田は無言だ。
 代わりにリナリーが「そうなの?」と首を傾げる。

「剣術って当然、両手で刀を握るのが一番力が伝わって強いわけ。居合いとか片手に何か持ってるとかならまた別だけど、わたしも神田も本気で戦うときは両手で握るでしょう」
「確かにそうね。二人の稽古はいつも両手」
「でもアレンの場合、イノセンスを発動した時点で左腕自体が剣になる。左腕がなくてバランスが取れない状態であんな大剣を揮うのは不便だよ、アレンの『神ノ道化』、あの形態はかなり戦いには向いてない。とわたしは思う」

 それを補うための鎧やマントなのだろうが、アレンのあのイノセンスは戦闘のためというよりも、伯爵の持つ武器と同じ形態という点の方に意味があるような気がする……。
 実際その憶測がアレンの立場を不利なものにしているので、いまは迂闊なことは言えないが。

 剣士である神田も違和感くらいは抱いているだろうが、彼の場合そういうことは『気付いて』いても『気にしない』だろう。

「別に剣の相手しろとは言ってねェだろ」
「はいはい、傍から口出ししろってことね。おやつ食べ終えたら行くから」
「車椅子は」
「ここまでミランダにおんぶしてもらった。体力作りのためだって」
「無線で呼べ」
「大丈夫だって修錬場までくらい歩ける……あーもう人の話聞かないんだから」

 自分の話したいことだけ伝えてとっととテラスを出て行った後ろ姿に項垂れると、リナリーがくすくす笑い始めた。
 心なしかミランダも微笑ましげな顔になっている。

「ふふふふふ、あれは私にも解ったわ、『無線で呼んだら迎えにくる』ってことよね」
「なんか神田とあこや、ちょっと変わった? やっぱり方舟の中で何かあったんでしょ!」
「何もないよ。……神田がわかりやすく優しいと気味悪いよね……悪いことが起きるような気がしてならない」
「もう、またそういうこと言う。ねえ教えてよ、方舟から帰ってきたときもちょっと変だったじゃない。みんな気になってたんだから」

 がこがこ椅子を寄せてきたリナリーがぺたっと抱きついてきた。
 くそ、可愛い。

「なーにーもーないって」
「嘘! 婦長まで気にして神田に外出許可を出したくらいなんだからね」
「婦長までグルだったのか、道理で……」
「あのときはほとんどみんなグルよ。あこやが任務に出る前に蟠りは解くようにって、兄さんも神田に頼みに行ったの」
「神田いますぐ迎えに来て」
『ハァ!? いま上に着いたところだぞふざけんな』
「だめ! だめだからね神田!」
「いいや、いますぐ来て神田。リナとわたしとどっちの言うことを聞くの」

 ぐりぐり抱きついてねだるリナリーを躱しながら無線ゴーレムで神田に呼びかけると、しばらく考えるような沈黙のあと『リナ』という答えが返ってきた。「裏切り者!!」
 とか言いながらもとんぼ返りしてくれたらしく、面倒くさそうな面持ちの神田がずかずかと食堂を突っ切ってくるのが見える。

「何やってんだお前ら」
「神田助けてー。リナがわたしの頭抱えるくらいこっ恥ずかしくて情けない方舟での最期を聴き出そうとしてくる……」
「あァ。後先考えず方舟に飛び込んで戦力偏らせた挙句、一体も敵を撃破せずに戻ってきて即死んだアレか」
「なに全部暴露してんの刻むぞ」
「ハッ。……リナ」

 わざわざご丁寧に口に出して嘲笑した神田は、唇を尖らせるリナリーを一声で引き剥がし、わたしの肩と腿の裏に腕を回した。
 左腕はまだ三角巾で吊っていてふとしたときに痛む。ミランダにしてもらったおんぶの体勢だと実はほんのちょっとしんどかったのだが、まさか横抱きにしてくれるとは思わなかった。
 確かにリナリーの言ったように、方舟帰還以降、もっと言うとルル=ベルの本部襲撃以降、神田の態度はどことなく軟化している。

 気味が悪いしなんだかくすぐったいけど、どうせ怪我が治るまでの間だから、大人しく気遣われておこう。

「ねえ神田、あこや絶対教えてくれないのよ。方舟の中で何があったの? それから婦長が外出許可を出してくれた夜も!」
「何もねェよ」
「二人して同じこと言うんだから!」
「リナリーちゃん。きっと二人だけの秘密なのよ……」

 ミランダにそう言われるのもそれはそれでこっ恥ずかしい気がするが、さすが年上女性というかなんというか、彼女に宥められてはリナリーも引き下がらざるを得ないらしい。
 これ幸い。食堂の中へ戻る神田の腕の中から彼女たちを振り返り、人差し指を唇に当てた。

「ごめんねリナ。墓まで持っていくって決めてるの」


「……なんだかあこやが大人の女の人みたいになっちゃって寂しい!」
「ふふふ。やっぱり何かあったんでしょうね」



「なんかリナ素直になったよね。あんなに甘えてくるのも珍しいっていうか」
「……お前が隠し事してんのが寂しいだけだろ」

 修錬場へ向かう階段を上りながらぽつりと零すと、神田もぽつりと返す。
 そういうものだろうかと首を傾げた。

 でも確かに、同年代のエクソシストとして三人まとめて勉強したり遊んだりしていたせいで、昔から二人でリナリーの面倒を見る構図にはなっていた。新入りの団員に三兄妹だと思われていたことも少なくない。
 ここにきて妹をよそに、兄姉二人で隠し事をしているのが気になるのか。

 こてんと神田の胸元に顔を寄せて耳を澄ました。
 造られたものだなんて信じられない、わたしとおんなじ鼓動。

 リナリーに寂しい思いをさせるのは本意でないが、それでも、墓まで持っていくと決めた秘密だ。

「……今度リナと三人でお茶会しよって言ったら参加する?」
「……誰がするか」
「あ、ちょっと躊躇った」
「うるせェ落とすぞ」
「ごめんごめん」