「昨日の新入り。どんな感じだった?」

 正面で朝っぱらから蕎麦を啜っている神田に訊ねると、彼は無言でゆっくりとひとつ瞬きをして、器用にも表情を変えないまま目の色だけで不快感を示してみせた。
 お察し。神田とは合わないタイプだったんだろう。
 まあ初対面で神田と相性のいい人もなかなかいないけど。

 昨晩、任務から帰ってきたわたしと神田が医療班フロアで治療を受けていると、天井近くに設置されたスピーカーから、門番であるアレスティーナ(略)五号のけたたましい絶叫が響き渡った。

 曰く『額のペンタクルに呪いを受けた千年伯爵の仲間(かもしれない)スパイが侵入』。

 ちょうど傷に包帯を巻き終えたばかりだった神田は対アクマ武器『六幻』を掴み、「わたしも行く」「足手まといだ重傷人(意訳:怪我をしたのだからお前は大人しくしていろ)」といった端的なやりとりを残して飛んでいったのだ。
 のちに科学班から、先程の放送は誤報で実際は新しい入団者だった、という訂正がなされていた。どんな誤報だよ下手したら死んでるぞ、しっかりしろ科学班!……と思わなくもない。

「エクソシストだったんでしょ?」
「……寄生型だ」
「年は? わたしたちより年上?」
「下」

 教団内で男女問わず絶大な不人気を誇る神田も、多少は男と女に対する態度が変わる。多分この苛立っている感じを見る限り男の子なんだろう(女の子だったら神田はもうちょっと苦手そうにする)。
 年下の、男の子か。
 いずれは一緒に任務に当たることもあるだろうし、仲良くなれたらいいな。などと考えながら箸を進めていると、神田の背後に探索部隊ファインダーが数人着席したのが見えた。
 暗い表情をしていた彼らの間で、すすり泣く声が漏れ出す。仲間が殉職したのだろうということは容易に想像がついた。教団は人の死がすぐ隣にある。

 アクマとの戦いは、人間にとって圧倒的に不利だ。
 人間の皮を被っているから見分けがつかないうえ、その血の弾丸を一発受けるだけで致命傷となる。さらにはアクマを破壊することができるのはエクソシストの対アクマ武器のみ。
 それでも黒の教団は、大勢のただの人間の支援と戦いによって成り立っている。
 最前線でイノセンスの調査をする探索部隊は際立って犠牲者が多い。

 ──仲間を喪う痛みも、悲しみも、わかる。
 だが悼む場所は選ぶべきだ。

 ここは食堂で、命がけの任務から帰ってきた団員や、これから出立していく同志が大勢食事をとっている。毎日多くの死者が出る教団には、その死を悼むための場所もちゃんと設けられている。ここは追悼のための領域ではないのだ。
 とはいえそんなことをはっきり言えるほど豪胆ではなかった。

 ちらりと神田を窺うと、その柳眉の間にくっきりと皺が刻まれていた。
 なまじ顔が整っているせいでたいへん恐ろしく見える。
 さっさと食事を終えて席を立つのがいいだろうと食べるペースを上げたが、目の前にいる神田は容赦しなかった。

 まず「チッ」とご丁寧に舌打ちを漏らす。
 そしてその美顔を不愉快そうに歪めて「うるせーな」とハッキリ口にする。
 言うと思った。思っていたとも。それでも思わず天を仰いだ。

「何だとコラァ! もういっぺん言ってみやがれ!!」
「うるせーな。メシ食ってるときに後ろでメソメソ死んだ奴の追悼されちゃメシが不味くなんだよ」

 神田〜〜!
 間違ったことは言っていないし、神田にこれを求めるのも無駄なのは解っているが、もう少し言い方がなんとかならないかな……。
 激昂した探索部隊の一人が神田に向かって殴りかかったが、戦闘のエキスパートである彼に掠るはずもない。神田は軽く首を逸らすだけで拳を避けると、探索部隊の太い頸を右手で掴んだ。
 そこでようやく顔が見えたが、神田に喧嘩を売ったのはバズだったみたいだ。体も声も大きいタイプで探索部隊の中では存在感があるが、入団して日が浅くエクソシストとの連携もいまいち、神田との相性は最悪だろうとわたしがチェックしてコムイに報告した人。

 神田は間違っていない。
 ただ言葉と態度が悪すぎるのだ。
 だから敵が増える。現にいま、周囲の団員の批難の目は神田に向いている。
 まあ間違っていないとしても神田はやりすぎなので、バズが死なないうちに仲裁しなければ。咀嚼しながら箸を置く。

「死ぬのが嫌なら出て行けよ。お前一人の命くらい幾らでも代わりはいる」
「ストップ」

 そのとき、横から伸びてきた赤い左手が神田の腕を掴んだ。

「関係ないとこ悪いですけど、そういう言い方はないと思いますよ」

 優しげな風貌の男の子だった。
 白髪のせいで最初は老人かと思ったが、顔立ちも声も神田より若い。成る程これが例の新入りかなと眺めていると、神田はその少年を見下ろして悪態をついた。

「放せよモヤシ」
「モヤ……アレンです」
「ハッ、一ヶ月でくたばらなかったら憶えてやるよ。ここじゃこいつらみたいにバタバタ死んでいく奴が多いからな──」

 その瞬間、アレンと名乗った少年が、神田の腕を掴む手に力を籠めた。
 バズの頸を絞めていた神田の手が緩む。気絶して倒れた彼を仲間が慌ててその場から引き摺っていった。

「だから……そういう言い方はないでしょ」
「…………」

 神田はずば抜けて体格がいいわけじゃないし、怪力でもない。
 だが長いキャリアを持つ実力派エクソシストでその戦闘力は教団随一だ。
 ──その神田が、力で敗けた。
 無言で目を瞠るわたしの正面で、当の本人はアレンを冷たい目で見据えている。

「早死にするぜお前。嫌いなタイプだ」
「そりゃどうも」

 ……なんだこの二人。
 めちゃくちゃ仲悪いな。
 知らない人のふりしたいな。

 ごごごごご、と見えないオーラをぶつけあうエクソシスト二人を眺めていると、食堂脇の通路を通りがかった団員から「あこや!」と呼ばれた。
 科学班班長のリーバーと、エクソシストのリナリーだ。

「あと神田、アレンも。十分でメシ食って司令室に来てくれ」

「任務だ」そう言って手を振りながらリーバーとリナリーが去っていく。
 嫌な予感がひしひしと湧き上がってきた。


 わたしと、神田と、アレン?
 ──このめちゃくちゃ仲の悪い二人と任務?


レゾンデートル


戦火とイ長調  前篇




「さて、時間がないので粗筋を聞いたらすぐ出発して。詳しい内容は渡した資料を行きながら読むように」

 室長助手も兼任するリナリーから資料を受け取る。
 顔を見合わせた仲の悪い白黒コンビ(髪の色的に)をよそに、「三人トリオで行ってもらうよ」とコムイは断言した。慈悲もない。
 途端に嫌そうな表情になった二人を……いやわたしも含めて三人を、室長が楽しそうにからかう。

「え、何ナニ。もう仲悪くなったのキミら」
「コムイ。メンバー再編成を要求します。この二人とは一緒に行きたくない」
「でもワガママは聞かないよ」
「聞いてよ頼むから……」

 頭を抱えたわたしの肩をリナリーがぽんと叩いた。

「あこやは怪我がまだ治っていないからサポート要員ね。アレンくん、戦闘能力は高いけどエクソシストとしては新入りだから、色々教えてあげて」
「二人で行かせればいいじゃん。神田これで面倒見がいいんだし……痛いっ、蹴るな」
「テメエ面倒なこと押しつけようとしてんじゃねえよ」
「アレンくんが面倒とは言ってないでしょ、出会って早々に雰囲気最悪な二人と一緒に任務に行きたくないだけ」

 溜め息をつきながら立ち上がる。
 神田と違って面識のないわたしを、アレンはちょっと戸惑った様子で見つめていた。

「アレンくん、彼女は市村あこや。若いけどエクソシストとしてはかなりの熟練者ベテランだから色々教わるといいよ。神田くんとも仲良くやれる貴重な女の子だから、困ったら泣きついて」

 地下水路へ向かいながらコムイがわたしを紹介している。すたすたと先を行く神田の後ろ姿を追いつつくるりと振り返ると、アレンはびくっと固まった。
 左手を、差し出す。

「よろしく、アレン。まだ怪我が完治しないので戦闘は任せるけど、できる限りサポートするね」
「あっ、はい、よろしくお願いします!」

 おずおずと差し出された左手は、通常の皮膚と違ってごつごつしていた。血のような赤いその手の甲には、寄生型対アクマ武器の証でもある十字架が埋まっている。
 その端麗な顔立ちにはどこか異様な、左額の逆さペンタクルと左目を貫く傷跡。これが昨日アレスティーナに呪いと判断された部分だろうか。

「大変だね。入団翌日から任務なんて」
「アレンくんは即戦力だよ。クロス元帥のところで修業を積んだみたい」
「……あの人生きてたんだ」
「そうみたい」

 地下水路の送迎船発着場に到着したところで、リーバーがアレンに団服を手渡した。エクソシスト三人で船に乗り込むと、今回同行する探索部隊のトマが船を操って出発する。
 コムイとリーバーが微笑みながらこちらを見送っていた。

「行ってらっしゃい」

 コムイの言葉に、神田はちらりと彼らを振り返る。
 わたしはいつも通り右手を振って、アレンはなにか不思議なものを噛み締めるように「行ってきます」と静かに返した。



 文字通り飛び乗った汽車の一等車両に一室用意してもらい、今回の任務の概要を掴んだところで、神田がじろりとこちらを睨んできた。
 いや、本人は睨んだつもりはないかも。

「お前どのくらい使える」
「怪我したのは左腕だからやろうと思えばイノセンス発動も問題ないよ。あんまり動き回ると治りが遅くなるから婦長が怒るってくらいかな」
「チ……」

 例によって、付き合いの長い婦長の名前を聞くと強く出られない神田である。

「ま、コムイも念のための戦力増強程度に考えたんだろうし、基本的に二人で頑張ってね。危ないようならわたしも出るけど今回は神田の指示に従います」

 神田が無言になって車窓の外へ目をやった。彼の無言は了承の意だ。
 沈黙に耐えられなくなったのか、アレンは気まずそうな表情になって声をかけてきた。

「あの、さっきコムイさんがあこやは熟練者だからって言ってましたけど、どのくらい長いんですか?」
「わたし? 初任務は八歳だったよ。だからもう十年になるね」
「は、八歳……!?」
「びっくりだよねー。もう十年かぁ……」

 感慨深くなって腕組みをするわたしを神田が一瞥する。

「だから、怪我人だからとか女性だからとかあんまり考えずに、アレンはまず自分の身を護ることを考えていいからね」
「あっ……ハイ!」

 素直にこくりとうなずくアレンの頭をわしわし撫でた。
 神田に比べたら素直さと可愛さの塊みたいな後輩だ。とはいえ今朝の食堂での一戦を想えば、紳士な外面の下には好戦的な性格も隠れていそうではある。



 七千年前、ノアの大洪水で世界中に散逸したイノセンスは、現代に至るまでの長い間に様々な形質に変化していることが多い。
 その不思議な力に導かれてか、神の結晶はなぜだか奇怪を起こすとされていた。
 奇怪のあるところにイノセンスがある──教団はそういった場所を虱潰しに調査し、可能性が高いと判断した場所へエクソシストを派遣するのだ。

 南イタリアの古代都市マテールには亡霊が住んでいる。
 実しやかに囁かれる噂の調査に向かった探索部隊によると、亡霊の正体はかつてマテールの住民が造った、歌い踊る『人形』であるとされていた。
 住民のために造られ、町の廃棄とともに打ち棄てられた快楽人形。


 五百年経った今でもその孤独を癒すため、町に近付いた子どもを引きずり込むという。