カッとなったアレンは到着するや否や、生き残った部隊を蹂躙するアクマに向かって突っ込んでいく。レベル1のボール型ならまだしも、進化して独自の能力を得たレベル2に対する戦い方ではない。
クロス元帥の弟子で即戦力。とはいってもエクソシストとしては新人──コムイとリナリーの言葉が蘇る。
「ひとまずは人形の保護?」
指示を仰ぐと神田は「前に出るな」と返事になっているんだかなっていないんだか怪しい反応を寄越し、『六幻』の界蟲一幻でアクマを薙ぎ払った。
派手な攻撃と爆発のせいでレベル2がこちらに気付いたが、アレンがいるので動くに動けないようだ。好都合というには戦況が悪いけど。
頭が半ば潰れている探索部隊の横に膝をつき、神田が淡々と訊ねる。
「おい。あの結界装置の解除コードは何だ」
「き……来てくれたのかエクソシスト……」
若い隊員だ。怪我の程度を見ても致命傷だし、本人もそれは解っているのか、どこか穏やかな笑みを浮かべている。
「早く答えろ。お前たちの死を無駄にしたくないのならな」
容赦ない神田の言葉にも微笑んだまま、彼は解除コードを呟いて息を引き取った。
わたしは指先で彼の唇を閉じ、瞼を下ろして項垂れる。
「主よ──永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を照らしたまえ。彼らの安らかに憩わんことを」
神田は何も言わずに結界装置の傍へと飛び降りた。
すぐに合流したわたしも、人形の周囲に配置された四つの結界装置にコードを打ち込んでいく。"Have a hope"。
間に合えなかった『希望』たるわたしたちがすべきこと。
「来い」
結界の中に保護されていたのは老人と少女の二人だった。
少女をわたしが、老人を神田がそれぞれ担ぎ、ひとまずこの戦地からの脱出を最優先に退避していく。アレンを置き去りにする形になるのは気にかかったが、どこまでも相性のよくない白黒コンビはお互い納得ずくで分断してしまった。
「あとでアレン、回収するよね?」
「放っとけ」
「も〜〜……」
無線ゴーレムでトマと合流の連絡を取り合うと、神田はマテールの住民ふたりに向き直った。
空を飛ぶアクマから逃れるなら、都市の地下に張り巡らされた地下通路を通った方がいい。わたしが運んでいた少女がそう提案したからだ。
「さて、それじゃ地下に入るが道は知っているんだろうな」
一旦地面に下ろした二人はぴったりと寄り添っている。
肯いたのは老人の方だった。
顔を覆い隠していた幅広の帽子を脱ぎ、襤褸のフードを取る。
罅割れた浅黒い肌。いくつもの出来物が痛々しい。片目は垂れ下がった皮膚に潰されていた。
「知っている。私は五百年ここにいる……知らぬ道はない」
「お前が人形か? 話せるとは驚きだな」
そうだ、と老人は静かに言った。
五百年も生きているとなると、やはり『マテールの亡霊=人形』が、イノセンスを核に作られた可能性が高くなる。つまりこの老人の心臓、あるいはそれに等しい臓器が、ということなのだが……。
なんとなく、違和感が、あるような。
……神田は気付いているのだろうか。
いや気付いてなさそうだ。
あけすけに「できれば今すぐお前の心臓を頂きたい」とか言って、一緒にいる少女が慌てている。さすが、デリカシーが足りない。
「地下の道はグゾルしか知らない。彼がいないと迷うだけよ!」
「お前は何なんだ?」
「私は……グゾルの……」
言い淀む少女を、老人が遮る。
「人間に捨てられていた子どもだ……」
昔拾って傍においていたのだと咳き込みながら語る老人と、それを心配そうに見上げる少女。神田は無言で見つめている。
民を喜ばせるために造られた、歌って踊る人形が、果たして男の、しかも老人の形をしているなんてことがあるのだろうか。
人形といったら普通は少年少女、あっても女性くらいのものだろう。
それにあの、肺を患っている老人特有の苦しげな咳。
人形が肺を病むか?
神田もきっと同じようなことを考えているだろうが(考えていなかったらちょっとびっくりする)、そこでトマが合流したので思考を打ち止めたらしい。
「……悪いがこちらも引き下がれん。あのアクマにお前の心臓を奪われるわけにはいかないんだ」
恐らくイノセンスを持つ人形は少女の方だ。
どういう事情があって老人が少女を庇うのか、どうして二人が一緒にいるのか、考えても解らないことだが神田はひとまず追及しないことにしたようだ。
「今はいいが、最後には必ず心臓をもらう……」
短気で冷淡。
教団ではそう嫌厭されがちな神田だが、決して冷酷無比なだけの人ではない。
「巻き込んですまない」
レゾンデートル
戦火とイ長調 中篇
合流したトマが連れてきたティムキャンピーは、アレンの師であるクロス元帥が造ったゴーレムで、映像記録能力が備わっている。元帥がまだ本部に寄りついていた頃はティムのこともよく見かけていたので、教団歴が長いわたしや神田はそのことを知っていた。
ティムが見せてくれた映像のおかげで、レベル2のアクマの能力が明らかになった。
その目で写し取った対象物に化けることができ、装備や能力も自らのものにすることができる。見た目が左右逆なので判別は容易いが、アレンとの一戦で彼の対アクマ武器の能力もコピーされたらしいのは厄介だった。
アレンの安否は不明。
あのクロス元帥の弟子だし頑丈に鍛えられてはいるだろうが、なんといっても初任務だ。
さすがに援護してやればよかったかな、でもアレンも「大丈夫ですからあこやはイノセンスを」とか笑うから……とちょっぴり反省していると、「逃げやがった!!」と神田の怒声が聞こえてきた。
「なに、どうしたの」
「あいつらがいねェんだよ! くそ……!」
「あー、やっぱ大人しく心臓くれるわけないよね……神田があんな『できれば今すぐ頂きたい』とか正直に言うからだよ」
「テメエ人のせいにしてんじゃねえよ! 探せ!!」
「──ねえ、ちょっと」
ぷんすかしている神田の腕を掴む。
同時にトマも気付いて「神田殿後ろ……」と目を丸くした。
「カ……カンダ……」
右頬に傷跡、右胸にローズクロス。
左右逆さまのアレンが、だらだら血を流しながら近付いてくる。
「左右が逆になってるなら見れば解るね。ローズクロスがいい目印になる」「ああ。もしそんな姿でノコノコ現れたら余程の馬鹿だな」というやり取りをしてからまだ一分と経っていない。
即座に神田が六幻を抜刀する。
「……どうやらとんだ馬鹿のようだな」
巻き込まれないようトマを二歩下がらせて、わたしも神田の背に隠れる。狭い通路での戦闘は射線を塞ぐと自殺行為だ。
六幻の横一閃で飛び出した蟲の群れが、アクマに向かって突っ込んでいく。
衝撃、あるいは続く戦闘に向けて重心を落としたわたしと神田の目の前にそのとき、見覚えのある左手が現れた。
壁の中の通路から顔を出したアレンの対アクマ武器、大きな左手とぶつかった界蟲一幻が消滅していく。
アクマを庇ったようにしか見えないその光景に目を疑っていると、左右逆さまのアレンが「ウォーカー殿」と小さく呟いてその場に倒れた。
……「ウォーカー殿」?
眉を顰めるわたしの横で、「どういうつもりだテメエ……」と低く呻いた神田が六幻を握ったまま怒鳴る。
「なんでアクマを庇いやがった!!」
「神田、僕にはアクマを見分けられる『目』があるんです。この人はアクマじゃない!」
「目……?」
寄生型エクソシストにそんな能力が付随するなんて聞いたことがない。
すると本物のアレンが左右逆のアレンを抱き起こし、顔の皮をびりびりと剥いでいく。
中から現れたのは意識を失ったトマ。
ならわたしの後ろにいるこれは。
「何っ……」
「そっちのトマがアクマだ神田ッ!!」
背負ったイノセンスの柄に手を掛けたがそれよりも早く、六幻の峰で叩き飛ばされる。神田がアクマの腕に捕まり、壁を突き抜けた先で叩きつけられた音がした。
「神田!!」
──庇われた。
腹の底から瞬間的に怒りが湧き上がる。その勢いのまま対アクマ武器『
後を追ってきたアレンの追撃で、アクマが吹き飛ばされていく。
「神田! 神田生きてる!?」
立ったまま意識を失っている神田の顔を覗き込んだ。
左肩から右脇腹にかけて正視も憚られる裂傷があり、夥しい量の血が足元に血の海を作っていた。六幻の発動も解けている。これは一回『死んだ』かもしれない。
「……あこや、神田息してます!」
「うんそうだね、アレン手を貸して。さすがにわたしじゃ神田を運べない」
「はい……あこやは、怪我は」
「大丈夫。わたしがトマと六幻を運ぶ。あれで破壊できたとは思えないから一旦撤退して体勢を立て直そう」
満身創痍の彼らとともにその場を離れると、当て所なく町を彷徨い始めた。
重傷の神田と負傷したアレンにトマ、まともに戦えるのはわたしだけ。わたしだけでも戦えるだけましだと見るべきか。イノセンスの人形には逃げられ、レベル2を相手にエクソシスト三人が撤退。なんてお粗末な顛末だろう。
自然と険しい表情になったとき、どこからともなく歌が聞こえてきた。
「歌……?」
「……あの子か」
マテールはその過酷な環境から「神に見放された土地」と呼ばれていた。
絶望に生きる民たちはそれを忘れるため人形を作ったのである。
踊りを舞い、歌を奏でる、美しい快楽人形を。
となればこの歌声も、あの老人と一緒にいた少女のものだろう。
撤退するにしてもイノセンスは確保しなければならない。アレンを促して、歌声の聴こえる方を目指して歩みを進めた。
子守唄に導かれた先で少女と老人に合流し、一悶着あったもののとりあえず落ち着いて話す体勢を作ることができた。
辿り着いたのは天井の広い地下ホールだ。
風化が進み、地面は砂に覆われている。
神に見放された土地。絶望に生きた民にすら見放された都市。あるいはここは墓場なのだろう。ひっそりと死に行こうとしている老人と少女のための、二人だけの。
「トマは、怪我は平気?」
「はい……。面目次第もありません」
「止血だけしてね。アレンも。神田の手当ては、慣れてるからわたしでやるね」
神田が団服の下に着ていたシャツを裂いて即席の止血帯にする。凄まじい傷だが、例の特殊な体質のおかげで血は止まりつつあった。
今はアレンが差し出してくれた団服を枕に、いくらか安定した呼吸を保っている。
……生きている。
その間、ララという人形の少女が何もかもを語ってくれた。
彼女を造ったマテールの民が去って五百年。
その永きに渡りひとり動き続けてきたララは、迷い込んだ子どもに「歌はいかが?」と訊ねては、彼女に怯え「化け物」と襲いかかってきた彼らをその手で弑してきた。
人間のために歌うのが彼女の存在理由だった。
五百年間ひとり動き続けた孤独。寂しさと憎しみが綯い交ぜになって半ば壊れかけていた彼女が、八十年前に出会ったのは、顔に醜い傷のある男の子。
「歌はいかが?」と訊ねたララに、彼は「ぼくのために歌ってくれるの?」と笑ってくれた。
あの日からずっと、グゾルとララはともに生きてきたという。
「グゾルはね、もうすぐ動かなくなるの。心臓の音がどんどん小さくなってるもの」
人形であるララには老いも死もない。
死に向かいゆく老人の膝の上で、美しい少女がその胸に寄り添う。どう見ても不自然だけれどどこか必然であるような光景だった。
出逢った男の子と人形。
時は過ぎて、男の子は老爺になった。それでも変わらず人形を愛している、巷で流行りのロマンス・ノベルも顔負けの純愛物語。
「最後まで一緒にいさせて……最後まで人形として動かさせて!」
泣きそうな声で懇願するララに、アレンが言葉を失っている。
難しい任務になってしまった。イノセンスには確かに、意思、という他ない何かがある。ただそれは適合者を守ろうとする動きがそのように解釈できるという場合がほとんどで、ララのように明確な言葉でこちらに訴えかけてくることは少ない。
……言葉が通じる相手に対して、容赦なく振る舞えるほどアレンは強くない。
「駄目だ」
横たわっていた神田が身を起こす。
背後に聴こえる呼吸のリズムから、意識が戻ったことには気付いていた。
容赦ないその響きにはっとアレンがこちらに顔を向けるが、神田は構わず続ける。
「その老人が死ぬまで待てだと……この状況でそんな願いは聞いていられない。俺たちはイノセンスを守るためにここに来たんだ」
──"Have a hope"。
間に合えなかった『希望』たるわたしたちがすべきこと。
「今すぐその人形の心臓を取れ!」
息荒く神田がララたちを睨みつける。
アレンは視線を落とした。
「と……取れません」
「…………」
「ごめん──僕は取りたくない」
き……来てくれたのかエクソシスト
早く答えろ。お前たちの死を無駄にしたくないのならな
永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を照らしたまえ
アレンの言葉に激昂した神田は、いままで自分が枕にしていた黒い団服を投げつける。
左胸のローズクロス、エクソシストの証。
「その団服は怪我人の枕にするものじゃねぇんだよ……エクソシストが着るものだ!!」
教団の希望を背負って戦う、選ばれた戦士の証。
イノセンスを護り、アクマを斃すことを使命づけられた、教団に属する全ての団員の平和への願いのために戦う者の証。
そのことを神田はよく知っている。
良くも、悪くも、──それこそ身を斬る痛みを伴って、知っている。
膝の上で両手を握りしめて、今にも倒れそうな顔色の神田に駆け寄りたがる体を抑え込む。辛い決断を神田に委ねた自覚があるのだから、邪魔してはいけない。
「犠牲があるから救いがあんだよ、新人……!」
「じゃあ僕がなりますよ」
ララへ六幻を突きつけた神田を遮るように、アレンが立ち上がった。
「僕がこのふたりの犠牲になればいいですか?」
その左胸に纏ったローズクロスで切っ先を受け止める。
「彼らは自分たちの望む最期を迎えたがっているだけなんです。それまでイノセンスは取りません、僕がアクマを破壊すれば問題ないでしょう!?……犠牲ばかりで勝つ戦争なんて虚しいだけですよ!!」
神田が六幻を投げ捨て、握った拳でアレンの顔面を殴りつけた。
尻餅をついたアレンの前に神田もしゃがみ込む。貧血を起こしたのだろう、いくら傷口が塞がりかけていても失った血が戻るには時間が足りない。
トマが「神田殿」と心配そうに声をかけて、こちらに視線をやっているが、肩を竦めておいた。
アレンの気持ちもわかるが、神田の判断が正しいと思う。この場で任務の主導権を握るのは神田だ。あくまでサポート要員とリナリーに言われたことは忘れていない。
わざわざアレンの最初の任務で、神田とチームを組ませた。
コムイにとってはこの衝突も計算内のはず。
「とんだ甘さだなおい……可哀想なら他人のために自分を切り売りするってか……?」
悲鳴のような神田の声が胸に痛かった。
……彼にとってのこの戦争のはじまりが、あまりに残酷だったことを知っている。
かつて彼は自分自身の力で、自分自身のために、彼の最も大切なものを破壊しなければならなかった。
その破壊を、犠牲を、正当化しなければ耐えられなかった。だからその犠牲のために今まで戦ってきた。
冷血と誹られても、他の誰に何を言われても。
長い長い贖罪の戦いの最中に、彼は今もいる。
「テメエに大事なものはねぇのかよ!!」
神田の絶叫に、アレンは静かに微笑んだ。
まだ十五かそこいらの少年に似つかわしくない、まるで悼むような表情だった。
「大事なものは、昔なくした。可哀想とかそんなきれいな理由、あんま持ってないよ、自分がただそういうところを見たくないだけ……それだけだ。──守れるなら守りたい!」
守れるなら守りたい──
その甘い幻想が、いかに遠いか。
眩しいほど清々しいその言葉に神田すら反論の言葉を失ったその瞬間。
歴戦の勘としかいいようのない感覚に、従わされた体が勝手に動いた。立ち上がる暇も惜しい。中途半端な姿勢から砂地を蹴った。
ララとグゾルに手を伸ばす。
わたしの突然の動きに目を丸くした二人の体を、砂中から現れた凶刃が貫いた。