時刻は深夜二時も後半戦に差し掛かった頃。
 外は嵐。窓ガラスに叩きつけるような雨が降り、暗い空は時折眩しく光っては雷鳴を轟かす。
 稲妻に照らされた教団内の廊下には、亡者と化した(死んでないけど)家族たちが、生き残っているわたしたちを仲間にすべく彷徨っていた。


 すったもんだの末合流したコムイによると、やっぱりこの状況はコムイのろくでもない発明品のせいらしい。


 投与するとどんな疲れもたちまち吹っ飛んで仕事ができるという、強力すぎて理性までたちまち吹っ飛んでしまうという、まーったく有難くなかった残業用ゾンビウイルス、その名も『コムビタンD』。
 教団内を徘徊する団員のなかに、最初にこのコムビタンDの原液を摂取した感染源がいる。それを探し出して確保し、抗体を獲得。これが、偶然生き残ってしまったわたしたちに課せられた使命だ。

 エクソシストはわたし、神田、リナリー、ラビ、アレン、ブックマン。
 残るはリンク監査官、リーバーにジョニーにロブ、それから諸悪の根源コムイと、ロボットのコムリンEX。

「ってて……」

 リナリーに抱えてもらって逃げる道中、松葉杖はどこかに落とした。
 自力で走れない身で文句を言う気はないが、三角巾の固定がズレて左腕が痛い。リナリーが「ニャ」と眉を下げた。

「ん、ダイジョブ。ごめんねリナ、ずっと抱えてもらっちゃって」
「ニャーニャー、ニャニャニャ」
「うんごめん、なんて言ってるかわかんない」

 しょぼ、と俯くリナリーの頭を撫でる。早く薬の効果が切れるといいんだけど。

 こと対人戦闘においては、エクソシストなら訓練を受けているけど、薬の影響でチビになってしまったわたしたち三人組はちょっと心許ない。あの場でマリが亡者組に仲間入りしたのは痛かったな……。

 咄嗟に駆け込んだ倉庫の窓から本部の廊下を窺い、リーバーが心底嫌そうに溜め息をついた。

「しかしあちこちにいるな……。これはマジでもう生存者は俺たちだけかもな」

 イヤ死んでませんて、とアレンが突っ込む。
 リーバーの足元でぴょこぴょこと片足ジャンプしていたら、ロブがお腹の辺りを抱えて持ち上げてくれた。

「あこや、松葉杖どこかにやったのか?」
「うん、落としちゃった。まあ歩けないわけじゃないし、ヘーキ」

 骨自体はだいぶくっついてきている。まだあまり負荷を掛けないようにと杖を持たされているのだけれど、この状況で婦長に怒られるとか言ってられないし。怒るはずの婦長も亡者入りしてるし。
 眼下に広がる廊下には、蹌踉とした足取りで生者を捜し求める亡者……もとい、家族たち。

「大体、感染源なんてどうやって見つけるんですか室長」
「どう? どうってまあ第六感とか? もしくは超感覚的知覚ESPとかベテラン刑事が行き詰まったとき最終的にアテにするアレとか?」
「要するに勘って言いたいんでしょうか?」

 一瞬でリーバーの目が据わった。
 コムイの無茶苦茶に一番慣れているのはこの人だけど、一番苦労して割をくってるのもまた彼だ。いつもなら肩を叩いてやるとこだけど生憎いまは背が足りない。
 ラビとブックマンがぴょこんと跳ねる。

「ニャニィ!?」
「はぁ? 何も手掛かりねェのかよっ、何も!?」
「あったらホントいいのにね……」

 コムイは途方に暮れたように息を吐いた。
 溜め息つきたいのはこっちだバカ。

「お前ホントいっぺん死なせてやる」
「GOと言いたいのは山々なんだが待ってくれ神田」


レゾンデートル


黒の教団壊滅事件
3rd  後篇




「貸せ」

 三角巾の隙間に手を差し込んで固定を直そうとしていたら、神田が首の後ろの結び目を解いてくれた。
 なんだろう、婦長に監視を命じられているからとはいえ、神田が最近甲斐甲斐しい。本人が無意識に気遣ってくれるからわたしも素直に享受しているけど、たまにコムイやラビがにまにまするから急に恥ずかしくなる。
 さすがに今は、揶揄う余裕もないみたいだけど。

「あのね神田、嫌なこと言っていい?」
「却下だ」
「わたしたち以外に生存者がいないってことはさ」
「却下だっつってんだろ」
「元帥たちは……」

 窓の外に黒い影が現れた。
 はっと振り返るアレン目掛けて窓ガラスを突き破り、「悪い子はいねがァァァ」と突入してきたのはソカロ元帥だ。
 アレンが咄嗟にイノセンスを発動して応戦するが、本人がアホほど強いうえよりによって対アクマ武器『神狂いマドネス』まで手にしているソカロ元帥には、さすがに勝てない。

 というか。

「先生なんで服着てないんですかッ!!」
「逃がさねぇぜあこや……!」
「狙いはわたしか!!」
「あこや、下がって!」

 確かに今のメンツのなかで最も付き合いが深いのはわたしだけども。
 焦るわたしをアレンが背後に庇い、神田が襟首を引っ掴んでさらに後退。すると今度は背後の入口から断末魔の悲鳴が響いた。

「うわぁぁぁぁ!!」
「ニャ───ッ!!」

 見ると、ソカロ元帥と同じく腰にタオルを結んだ状態のティエドール元帥に、リンク監査官が捕まっていた。そしてやっぱりタオルを巻いただけのクラウド元帥の腕にはウサ耳ブックマンが。
「リンク──!!」「じじぃ──!!」とそれぞれアレンやラビが絶叫するなか、神田が「テメエら風呂上がりか!!」とそりゃもう盛大に突っ込んだ。もうメチャクチャだ。

 感染し、理性の吹っ飛んだソカロ元帥を止められるものなんてない。
 元帥三人を相手取るにはこっちの戦力がしょぼすぎる。

「あああああせめてわたしたちが万全な状態なら!!」
「イヤそれでも無理さコレ!!」
「つべこべ言ってねぇで逃げろ!!」

 半ば神田に引きずられながら、とにかく元帥たちから距離を取ろうと出入口に急ぐ。アレンがどうにか『神ノ道化クラウン・クラウン』のマントを翻すが、明らかに状勢はこっちに不利だ。

「コムリンEXなんとかしてー!」

 コムイが悲鳴を上げる。
 すると、コムイに似たロボットのボディ前面がかぱっと開いて、夥しい数のミサイルが発射された。


「「「えっ」」」


 壊滅的打撃を受けて引っ越しが決まったはずの黒の教団本部には、元帥の攻撃とコムリンのミサイルによって、また大穴が開いた。



 ミサイルの直撃を受けて気絶したアレンをラビと神田が引き摺り、まだ怪我人であるわたしとジョニーはほうほうの体で追いかける。そして敵味方問わず洒落にならないミサイルをぶっ放した張本人、コムリンEXまでなぜかついてきた。

「あだだだだ……」
「あこや大丈夫っ?」

 人気のない倉庫に逃げて、扉を閉めた瞬間、足首が悲鳴を上げる。歩けないわけじゃないけど歩かないほうがいいんだな、なるほど……。
 ジョニーがわたしの足元に屈んで靴を脱がせてくれた。自分こそまだ走れない体のくせに、「も〜〜無茶するから」と眉を下げる。

「この騒ぎが終わったら、サポーターでも作ってみる?」
「あ、それいいかも。早く自分で歩いて体力戻したいし」
「……そーいう目的ならダメ」
「けち」

 ダメだからね! と、ジョニーは唇を尖らせた。こっちも負けずに唇を突き出して拗ねてみると、両手で頬っぺたをぷにぷにされる。体は子どもだからすべっすべで気持ちいいみたい。

 一息ついたところでアレンが目を覚ました。

「ずいぶんグッスリな気絶だったな、アレン。この体で運ぶの大変だったんだぜ?」
「他のみんなは?」
「爆発ではぐれちゃって。オレら六人しかいないんだ」
「六人?」

 ジョニーの言葉にアレンが目を瞬かせる。アレン、ジョニー、ラビと神田とわたし。「アレ」と指さされた残る一人は、倉庫の端っこで、主人であるコムイとはぐれた無力感に打ちひしがれるロボットである。
 アレンがあからさまに「アレか……」って顔になった。


 その瞬間。



 背にしていた扉が、コン、コン、と二度ノックされる。



 思わず全員飛び退り、エクソシスト組は無意識で戦闘態勢になった。武器のないこの状況、ゾンビの群れに押し入られたら終わりだ。
 険しい表情で睨みつける扉の向こうから、低く呻くような声が聞こえた。


「アレン……、ラビ……」


 呼ばれた二人に視線を向けると、「この声……」と目を丸くする。

「クロちゃんさ!?」
「クロウリー?」


「そうだ……私である。──扉を開けてくれ……」


 アレイスター・クロウリー。
 行方不明だったクロス元帥を追跡していたアレンとラビが、ルーマニアで出会ったエクソシストだ。江戸の方舟戦でかなり深刻な損傷を受け、アレンのおかげで方舟が復活して以降も目を覚ましていない。
 レベル4との戦闘があったときも、あの騒ぎのなか眠ったままだった。

「クロウリーが目を覚ました……のは嬉しい。けど怪しい!」
「それ。マジでそれさ、あこや」

 なんかもう色々あって疑心暗鬼なわたしたち。
 扉の向こうのクロウリーが正気でいるとは限らない。……と、コムリンEXが人間みたいな仕草で顎に手をやった。

「感染シテイルカモシレナイ。開ケル、アブナイネ」

 そーですね。
 心の中で返事しつつも、エクソシスト四人組、容赦なくコムリンEXの背を押して扉の方に突き出した。

「何スルノ!!」
「「「「開けてこい」」」」
「イヤアアアアヒドイネ! 怖イノミンナ一緒ヨ、開ケタ途端ズバン殺ヤラレル、ホラーの常識ネ!!」

「ヘーキヘーキ」「そんなパターンな展開ねぇよ」「そうそうナイナイ」ぶわぁっと滂沱の涙を流して嫌がるコムリンEXを四人でひたすら押す。コムリンシリーズには酷い目に遭わされているし、大体全部コムイが元凶なのでわたしたちに慈悲はない。

「僕らだってこんなことをキミにさせるのは辛いんだよ、EX、聞いて」
「イヤッ」

 アレンはあくまで紳士的にコムリンの両肩に手をやった。

「コムイさんたちとはぐれた今、コムビタンDのワクチンを作れるのはジョニーだけです!」
「あ、そだね」
「教団屈指のエクソシストであるあこやはまだ先日の怪我が治っていないし、何より女性を危険な目には遭わせられません!」
「アレンやさしい……!」
「こちらに残った手勢は僕とキミと役に立たなそうなチンクシャだけ!」
「「…………」」

 若干ひどい物言いに神田からブチッと聞こえたが、後ろからぎゅっとホールド。まあ落ち着きたまえ神田兄さん。


「お願いします……頼れるのはキミだけなんです……!」


 アレンは真摯に紳士だった。

 傍から見ていると本当に切なそうに見えるから、あの子すごい。背後に大量のバラが咲き誇る幻覚が見えた。
 ロボットのくせに感情豊かなコムリンEXは、見事胸を打ち抜かれたらしい。かわいそうに。アレンちゃっかり「危険」とか言っちゃってたけどね。

「コッ恋? コレハ恋ナノカ? アァン胸ガ苦シイ」「やってくれますか?」「ハイ……!」とかなんとかやってる一人と一機から離れたところで、わたしたちは遠い目になった。

「なにこの茶番」
「やっぱりクロス元帥の弟子だよねぇ……」
「アイツの博愛の中にロボットは入ってねェんだな」

 さっきまで猛烈に拒否していたEXが勢いよく扉に飛びつき、その二本のアームを使って扉をこじ開け──もとい破壊した。


 そして、開けた途端。
 コムリンEXはズバンと殺られた。


 EXのボディが空しく床に倒れる。見事に蹴り抜かれた頭部が口から血を吐きながら飛んできた。首から出血みたくオイルが噴き出しているのも、やたらとリアルでなんだかムカつく。

「さっさと開けりゃあいいものを……」

 物騒な言葉遣いのクロウリーが、扉の向こうから顔を出した。


「イライラさせおって──この──童ども」


 あ、死んだわこれ。

「わわ、わわわわわっ!!」
「カンベン、クロちゃん!」

 やはりクロウリーも感染していたらしく、倉庫の中に踏み入ってくるや否や戦闘が始まった。二人掛かりで取っ組み合った小さい十八歳たちは瞬殺、アレンはイノセンスまで発動して容赦なく拳を捻じ込む。
 その拍子にクロウリーが吐き出した瓶の蓋から、彼がコムビタンDを最初に摂取した感染源だということが判明した。

 アレン相手には分が悪いと感じてか、撤退したクロウリーを男子たちが追いかける。
 ──がしかし、わたしたちを追ってきた元帥三人組が正面からやってきたので即Uターン。

 アレンがジョニーを引っ張り、わたしは神田の首に掴まり、必死に逃げる。

「ねええええ誰なの元帥に最初に噛みついた考えなしのアホウはああああ!」
「知るかッ!!」
「ティエドール元帥はともかくさああああソカロ先生に噛みついた人って勇者だよねえええ!」
「あこやまだそんな余裕あるんさ!?」
「現実逃避してんじゃねェよクソあこや!!」
「アッそれ現実逃避なんですね!」

 間一髪の回避が続いていたが、ついには元帥三人がかりで攻撃をブチ込まれ、わたしたちは廊下に倒れ込んだ。
 ジョニーだけはどうにかアレンの『神ノ道化』が守ったけれど、ラビも神田も動けそうにない。じりじりと近づいてくる暴力そのものの元帥たちから、神田たちを庇うように、わたしは膝をついて立ち上がる。

「やめろ、バカ……」
「適う相手じゃないさ、あこや!」
「そうね。でもわたし、どうせ死ぬなら敵に背は見せないわ……!」

 最早何を言ってんだかよくわからないがともかく、このままゾンビになってたまるか!!

 意地だけで、わたしはソカロ元帥に飛びかかった。
 横っ面に一発蹴りを叩き込み、あわよくば脚で首を絞めて落とす!

 ──元の姿なら或いはそのくらいの反撃もできたろうが、生憎と子どもの軽い体だ。ソカロ元帥はひょいと棒切れでも掴むようにわたしの足首を捕まえた。

「ギャーッ」

 逆さ吊りにされて、シャツが捲れ上がる。
 わたしの体を高く掲げた元帥が舌なめずりをした。うわあああ、喰われる……。怖いよう。ソカロ元帥は元死刑囚だけど食人の趣味はなかったはずだ。でもやっぱり怖いよう。

「くっくっくっく、さぁぁて……」
「先生……ソカロ先生。可愛いあこやから、一生のお願いです」
「なんだ、クソチビ。首がいいか、腹がいいか?」


「噛まれるんだったらせめてクラウド元帥がいいです!!」


 だめだあいつ諦めやがった!……というラビの悲痛なツッコミと、腹部に走った強烈な痛みを最後に、わたしの意識は暗転した。


***



 後日、アジア支部から引っ越しの手伝いに来たバクにより、苦難の末コムビタンDの新たなワクチンが作られた。