世界各地でAKUMAによる大規模侵攻が発生。
 これを受けて黒の教団本部は、エクソシストの総力を投入しての殲滅任務を決定した。中国、ロシア、ギリシャ、そしてヨルダンの四ヶ所に、第三サードエクソシストを含めた二十名弱を送り込む。
 これだけの人数が一斉に戦地へ赴くのは、元帥の護衛任務以来だった。

 わたしは神田とアレンとともにヨルダンへ。
 任務の資料をフェイ補佐官から受け取り、ぱらぱらっと頁をめくる。情報が多くないのはきっと、イノセンスの奇怪調査なんかじゃなく、純粋な戦力と戦力のぶつかり合いになるからだろう。

「元帥三名は他の班についてもらう。状況によってはここが一番の激戦区になるかもしれない。サードも三名同行してもらうけど、くれぐれも気をつけて」

 司令室の隅に立つ三名を横目に眺める。

 北米支部のレニー・エプスタイン主導で造り出された“第三エクソシスト”。
 人体を半AKUMA化させることで、アクマを共喰いする能力を得た人造使徒だ。サード投入からそう長いこと経っていないけれど、今のところ第三使徒計画に破綻の兆しはない。
 わたしたちと一緒に行くのは、リンク監査官と同年代くらいのマダラオ、トクサ、そしてまだほんの少女に見えるテワクという女の子。

「……貧乏籤はうちかぁ」
「戦力的に見たら、神田くんとあこやちゃんのところは外しても大丈夫かなって。ゴメンね、いつもいつも」
「いやいや。これはこれで、やりやすいよ」

 エクソシストとなって一年未満のクロウリー、ミランダ、チャオジー、ティモシーは全員元帥たちと一緒だ。その他も、経験年数や武器の特性を鑑みた配置になっているのがちゃんと解る。

 アレンを見て、神田を見た。

「懐かしいメンツだね」

 そうだね、とコムイは目元をやわらげた。



 司令室を出たあと、荷物をまとめるため自室へと戻る道すがら、神田の隣でそっと息を吐く。

「アクマを倒しに行くこと自体に、文句があるわけじゃないんだけど」
「…………」
「なんだか嫌な感じがするね」

 神田は応えない。
 この無言はいつもの肯定ではなく、多分、「どうでもいい」のほう。

「北米支部でも会議があるって、科学班がけっこう出張中じゃない。エクソシストが出払えば本部も手薄になる。総力を投入して殲滅するんじゃなくて、『戦力を分散させられている』っていうか……」

 ああ、確か、以前もこうして、神田と一緒に歩いて。
 嫌な感じがする、って話して、その通り嫌な戦況が続いて、たくさんの人を喪ったんだっけ……。

 黙り込んだわたしをちらと空色の双眸で一瞥し、神田はフンと鼻を鳴らした。

「何があっても叩っ斬るだけだ」
「……仰る通りです」


レゾンデートル


その白い肌が灰になるまで




 夢を見ていた。
 神田が、漆黒の髪を翻しながら何かと戦っている夢だ。

 彼が六幻を抜いて戦う相手などアクマ以外にいない。神田と同じくらいの身長をした人型のアクマは背中に翅を生やしていた。一瞬レベル4かとも思ったけれど、それにしては様子がおかしい。

 大抵のレベル4はそれまでの進化とは異なり、レベルが上がることで『個』を失う。
 個別の外見も能力も捨て去り、ただ殺戮に特化した兵器としてのみ生きる無垢で邪悪な赤子。これまでわたしが撃破してきた三体は全てその容姿をしていた。
 なのに『彼』は、神田と同じくらいの身長の男の子だった。
 浅紫色の短髪。優しげな下がり眉。鼻の頭を通る一筋の傷か、刺青か、近くで見たことがないからよく解らないけれど、『彼』を特徴づける一つのファクター。
 背中に生えた未熟な翅。頭上に浮かぶ光輪。右手から繋がる鎌のような──イノセンス。


 わたしはあれに、斬られたことがある。


 神田はそのアクマと戦っている。
 何度斬っても、何度刺しても再生するそのたった一人の友人が……再生しなくなるまで、ばらばらに。


 わたしはその光景を見ていた。

 あのときと同じように、ただ見つめていた。


*   *



 頭が痛い。
 神田に付き合って深酒した翌朝の頭痛によく似ていた。頬や肩が冷たい床に接している。体の右側を下にして、倒れているようだ。
「あこや……!」薄っすらと聞こえてきたのは、リーバーの声。
 彼は確か、第三使徒計画の研究会議で北米支部へ行っているはずだ。それなのにどうして声がするんだろう。

「……、……」

 いや待て、確か。
 ヨルダンでの任務中、アクマの増殖が止まらなくてアレンやリンク監査官と分散して。神田と教団陣営についていて。一旦離れて遠方のアクマを蹴散らし帰ってきたら、そう、初めて見る顔のノアがいて。

「カンダユウじゃな?」
「なんだテメエは」

「『アルマ』という名を知っておるか?」


 そうだ。神田。──『アルマ』。



 は、と体を起こす。

 わたしが転がされていた透明な床には、円形の方陣が描かれていた。
 その下に一人の男の子が眠っている。

 中途半端に再生し、歪に成長し、人間になり損ねたような姿。
 夢で見ていた姿とは違ってどこか痛々しく、かつて母を殺しわたしやマリに重傷を負わせたあのときとは様子が違ったが、鼻の頭を通る、この一筋の、傷。


「お母さん」

「お母さん? トゥイ支部長……?」

「あこや来ちゃだめ、逃げて、逃げるの、研究所の外へ、支部まで戻って、お父さんのところへ!!」

「おかあさ……」


「キミ、だれ?」


 走馬灯にも似た、いまは亡き母の声が脳裡に蘇る。血の海に静かに落ちた母の手、跳ねた血痕、閉じた瞼、蒼白い頬、振り返ったそこにいた血塗れの少年と、次の瞬間に感じた衝撃と痛み。

 全てが鮮烈に思い起こされた。


 アルマ。
 こんなところで……生きていたのか。


「ど、う、いうこと……」

 眼下に眠る男の子が誰かというところまでは解ったが、なぜこんな状況になっているのかは把握できない。
 顔を上げて辺りを見渡すと、アルマを見下ろして立っている神田がいた。

 傍らにはわたしたちを連れてきたノアと、千年伯爵。ティキ・ミックもいる。もう一人知らない顔のノア、それと喋る人形。ぞんざいに床に転がされているサードのトクサは、両腕が半ばで無くなっている。
 部屋の壁際には身動きが取れない様子のリーバーやジョニーたち科学班が立たされている。バク、レニー支部長、ルベリエ──やはりここは北米支部なのだ。

 伯爵に組み敷かれた足の下には、アレンの白髪が見えていた。

「アレン・ウォーカー……お前は二度と教団へは帰しまセン……! お前は『十四番目』が残した奏者の資格ではナイ、『十四番目』本人だったのでスネ!」

 伯爵が不気味な笑みを浮かべてアレンに語りかけるのを耳の端に捉えながら、呼吸を殺して神田を窺う。呆気に取られて、眼下のアルマから目が離せないふうを装っておくことにした。
 神田も何が何だか解っていないに違いない。

「ご存じでしょう、千年伯爵はアクマ製造者……お前はあのとき、アクマ越しに我輩へ呼びかけたのでショウ?」

 北米支部、九年前に神田が破壊したはずのアルマ、伯爵とアレン、『十四番目』、ノアが三人と人形一つ、周りに浮いているレベル4、人質に取られた科学班。
 状況は最悪。

 そのとき、伯爵に組み敷かれたアレンの表情が、仕草が、声が、一変した。

「その通りだよ」

 ノアたちの気配が変わる。──これが『十四番目』。
 アレンは右手を伸ばして、伯爵の頬を撫でた。

「お前に伝えたかったんだ。オレが戻ってきたこと」
「『十四番目』……ッ」
「今度こそお前を殺す。お前を殺して、オレが千年伯爵になる!!」

 茫洋とした眼差しでアルマを見下ろしていた神田の、鮮やかな空色の目がくるりと動いた。
 わたしを視界に捉える。
 ……うん。なんだか事態が混み入ってきた。こうなった以上やはり教団側は、伯爵側に戦力を分散させられ、わたしたちはまんまと北米支部に拉致されてきたと考えていい。


 でもそうね、何があっても叩っ斬るだけ、だもんね。


「がぁああぁぁあぁっ!!」

『十四番目』に豹変したときと同じく唐突に、アレンは吠えながら千年伯爵に強烈な頭突きをお見舞いした。
 顔面を両手で押さえた伯爵が後ろ向きに倒れていく。
 あれは痛そう。

「いいですか伯爵、あと『十四番目』もよーく聞け、僕はエクソシストのアレン・ウォーカーです、それ以外には死んでもならない!」

 アレンの怒声に思わず口元が緩んだ。
 入団した頃は穏やかな紳士の仮面をつけていて、感情を曝け出すことを避ける子だった。それが今、純粋な怒りを爆発させながら、自分の名を大声で叫んでいる。

 初めてこの三人で任務に出かけたときは、どこか脆くて、傷つきやすくて。

 そんなことを懐古していたら、神田の視線が僅かに動いた。
 応えて顎を引く。すると視界にとらえた彼の爪先に、跳躍のための力が籠もった。

「あんたら兄弟のよく判らん喧嘩に人を勝手に巻き込むな!! 迷・惑・ですッ!!」


 アレンの大音声に伯爵一派が呆気に取られたその瞬間、神田とともに床を蹴る。


 転がされていた六幻と薄氷をそれぞれ手に取った。神田はなぜかノアの膝の上にいた人形まで攫って、伯爵目がけて一直線に跳躍する。
 振り下ろした二刀はティキの腕で弾かれたが、隙をついたアレンも離脱してきた。ひどい怪我を負ったトクサに肩を貸しながら合流してくる。

「神田、あこや、動けたんですか!」
「悪いかよ」

 悪びれない神田の態度を見て、それなりに心配してくれていたらしいアレンは「悪かないですが」と口の端を引き攣らせた。

「だったらなんで今まで固まってたのか大変気になります」
「脳天潰されて起きたらここにいたんだ。状況理解すんのに時間かかったんだよ」
「ごめんねー、まあ未だによく解ってないんだけどさ。とりあえずここは北米支部で、アレンはまだアレンだね? 神田はどう、頭大丈夫?」
「ナメてんのかテメエその訊き方……」

 呑気なやりとりをしていると、神田は攫ってきた人形の胸元のリボンをしゅるーっと解く。「ギャーなにすんのエッチ」と大騒ぎする声は少女のものだ。わたしたちを襲撃したノアが「ロード」と呼んでいたから、このぬいぐるみは第九使徒のロードなのだろう。
 ノアは人間だという風に聞いてたんだけどな。何でもありなんだな。

「テメエの兄弟が髪紐壊しやがったんだリボンよこせ」
「キャー神田のエッチ」
「斬り刻むぞ!!」
「斬り刻み返すわ〜」
「ホンットいつも通りですね二人とも!」

 一旦退避して体勢を立て直すため研究室の出口目がけて走っていたが、施設内に張り巡らされている導管が生き物のように蠢き退路を塞いだ。
 これまたノアの能力らしい。

「しまった、出口を塞がれた!」

 薄氷を抜いて両手で構える。

 それにしても、なぜ伯爵はアルマに目をつけたのだろう。
 百歩譲ってアルマのことをつついて神田を利用するとか、母を殺されたわたしを利用するとかならまだ解る。アルマに対して異なる想いを抱く、神田とわたしを潰し合わせるという可能性も。でもどうしてここにアレンが?
 アルマの件と『十四番目』の問題は全く別のはずだけれど……。

 ──考えても仕方がないか。
 蠢く導管によって床から引きずり出されたアルマが、伯爵の頭上に掲げられた。

「アレン・ウォーカー。キミが自ら進んで教団を捨てられるようにしてあげマショウ。今日はキミの退団パーティーでス……!」

 誰が退団だ誰が、と悪態をつきながら、完全に初対面のアレンは「誰ですかあれ」とアルマを見上げた。
 トクサの答えは早かった。

「アルマ=カルマ。私たちサードの第一母胎です。元は神田ユウと同じ、人造使徒の被験体……」


 どきりと、心臓が変な音を立てた。
『私たちサードの第一母胎』?


 だって、第三エクソシストは人体生成をして半アクマ化した存在だと説明を受けた。
 その第一母胎がアルマ。
 つまり教団は、あのときユウに破壊されて再生できなくなったアルマの体を秘密裏に保管していて、それを九年経った今も、人造使徒などという幻想のために──今も──


 今も……こんなところで。


「もう二度と、このような悲劇を……」


 咄嗟にバクに視線をやると、彼は泣きそうな顔をしていた。レニーを捜す。彼女はあからさまに顔を背けた。


「誰だそいつは」


 意識のないアルマを見やって神田が吐き捨てる。いつもの無遠慮な物言いそのままに、なんなら無造作に首筋を掻きながら。

 場の空気が凍りついた。
 さすがの伯爵も動揺を隠しきれなかったと見えて(いや伯爵は普段からわりと感情豊かみたいだけど)、「今なんて言いましタ?」と訊き返してくる。

「『誰だそいつは』」

 ご丁寧に繰り返した神田に、ノアはアルマをよぅく見せるように導管ごと近付いてきた。それでも彼の表情や返答は変わらない。「誰だそいつは」

 途端にざわざわし始めたノアや伯爵を眺めながら、神田の横顔を見上げる。
 九年前、あの一瞬しか出会わなかったわたしでさえ彼だと判った。神田がアルマを判らないはずがない。
 それでも利用されようとしていることに気付いてか、彼はしれっとした表情で伯爵たちを眺めている。ここで動揺してアルマのために動けば向こうの思惑通りだと、神田も十分解っているのだ。
 その方針に合わせるべきかと腹を括った瞬間、彼の肩によじ登ってきた人形が「何言ってんのさもぉ〜〜」と高い声を上げた。

「アルマだよぉ! 九年前、キミが殺したあの失敗作の──」

 ロードの言葉を遮るように、神田はその口を塞ぐ。


「あいつは死んだ」


 重苦しい声。
 ……手負いの獣の双眸。

 九年かけてやっと、やっとその面影を振り払い、戦い方を身につけて、彼の手を引いて、ようやく今の距離を許してくれたのに。
『アルマ』という名前だけで、神田は九年前のあの惨劇に引き戻されてしまう。


「でも生きてたんだよぉ」


 彼はまだ、何者からも解放されてはいない。


「あんな姿になっても生きてたのに教団が隠してたんだよぉ」
「潰されてぇのか」
「キミにアルマの罪をかぶせて奴らは隠してた。『聖戦』を言い訳にしてぇ、九年もね!」


 レニー。バク。あのとき、第二セカンドエクソシスト計画を凍結すると決意した二人。
 ルベリエ。実験の推進を図り、計画凍結の壁となり続けた男。


「挙句の果てにAKUMAの卵核埋め込まれちゃって。今じゃアルマは教団に貪られる生き人形だぁ!」


 神田がロードの顔面を握り潰した。
 残った体が、綿と一緒に地面にぽとりと落っこちる。
「アルマに会えて嬉しくなかった?」それでも口の減らないロードは小首を傾げて笑うように続けた。


「もしかしてキミにアルマを斬らせた女……」


 いけない。
 それは、だって、神田の最もやわらかい部分だ。



「『あの人』のことが関係あるのぉ?」



 神田の振り下ろした六幻の切っ先をアレンが掴む。
「落ち着いて神田」と声をかけるその横を縫って、薄氷がロードの胴体に突き立った。

「っ、あこやも! こんな攻撃がロードに効かないのは知ってるでしょう!?」
「ごめんアレン、どいて」
「あこや! 挑発に乗っちゃだめだ! こいつらキミたちで何か企んでる!!」
「うん解ってるよアレン。いいからどいて」
「僕らは捕まってるみんなを助けなきゃ……」
「そこをどいて!!」

 九年かけて、ようやく。

 一人ぼっちになった『YU』は『神田ユウ』になり、ティエドール元帥の弟子としてエクソシストになり、市村景政の剣の弟子として教団でも名の知れた剣士になり、わたしの唯一無二として戦士になり、夜、嫌な夢を見て魘されて起きて泣くこともなくなった。


 九年かけてようやくここまできた。
 破壊を自らに科すこの人の贖罪の戦いを傍らでずっと見てきた。


 なのに、その名ひとつで、神田ユウをYUに、ぶっきら棒な日本人エクソシストをただの手負いの獣に引き戻す──



 ──アルマなんて。
 アルマなんて!!



「どいつもこいつも……! いい加減神田を解放してよ!!」

 ロードの体を貫いた薄氷を抜き、発動しようとしたときのことだった。
 ぽこぽこぽこ、とぬいぐるみの体が再生していく。

「いいよぉっだ、アルマだってことが信じられないっていうんならぁ」

 足元に巨大な眼が開いた。
 わたしたちを襲撃した例のノアの額に開いていた、第三の眼と同じもの。


「アルマ自身に信じさせてもらえ……!」