正面に座るティエドール元帥は、さっきからわたしをスケッチしている。
「神田はやはりギルを追ったと思うかい?」
飄々とした様子の元帥にちらと視線を寄せた。
中央庁及び大元帥の指令で神田保護部隊を編成したといえど、ティエドール元帥の目的はあくまで『弟子の神田を守ること』だ。そのためなら教団にちょっとばかし背くことさえ厭わない、昔からそういう一本気の通った人だった。
「元帥はどう思いますか?」
「さあねぇ。私はあのとき北米支部での戦いに立ち会うこともできなかったから、神田がどういう考えでアルマと逃亡し、どういう思いで教団に帰ってきたのかも解らない。あこやには全部お見通しなのかな?」
死んでいなければ、戻ってくるだろうと思っていた。
わたしの知る神田ならきっと戻ってくると。
神田とアルマを自由にしてくれたアレンのために戻ってきて、アレンの逃亡を知ればそれを追うだろう。
ジョニーの退団をマリから聞かされたときは、アレンを追うジョニーを、きっと神田なら手伝うだろう。
わたしには会わずに行くだろうということも。
「わざと神田に会わなかったのかい?」
元帥は質問を変えた。
「神田が本部に帰還して、あこやも戻ってきて、二人で会って、その翌日に彼が本部を出たなんてことになればキミが追及されるのは当たり前だものね。そういう知恵ばっかり回っちゃうんだからさ、仕方ない子たちだよ」
「……連絡くれただけ、ましだと思いません?」
「思う思う。でも、会いたかったでしょ」
『会いたかった』──?
最後に触れた冷たい手を思い出す。
アルマが破壊した北米支部の瓦礫の山で、行かないでとみっともなく縋ったわたしの手を引き剥がした、神田の鏡のような双眸も。
「会っても、……何を話せばいいのか……」
「キミたちでも困ることってあるんだね」
「ありますよ、そりゃ。アルマの話とか、母の話とか、アジア支部で過ごした日のこととか、避けてる話が山ほど」
神田のいない世界で息などできないと思っていた。
死なないと言ってくれた彼のいない戦場など怖くて戦えないと。
それでも気付けば月日は流れているし、わたしは一人で当たり前に任務に出掛けている。神田の死体を捜しに行きたいとさえ、考えていた。
「……わたしってそこまで神田のこと好きじゃなかったのかも……」
「なーに、恋の話?」
「や、そんな可愛い話でもないんですけど、意外と神田なしでもやっていけるもんだなと」
「ユーくん泣くかもよ、それ聞いたら」
「神田の泣き顔とかむしろ拝んでやりたいですよねぇ。すっかり可愛くなくなっちゃって」
「「…………」」
しばし沈黙して、想像してみた。
昔の神田の泣き顔ならたまに見たものだが、あそこまで育った奴の涙というと、いくらわたしでも上手く思い描けないな。
レゾンデートル
君とあの人のまちがいさがし 偽
神田を追うためにはジョニーを追うこと。
ジョニーを追うためにはアレンを追うこと。
結局こうなるんだよなと内心で溜め息をつきながら、聞き込みに向かう探索部隊を見送った。「ビン底眼鏡のインテリ」と「黒髪長身美形」のセットの目撃情報ならすぐに入手できるだろう。
駅の近くの本屋で周辺地域と欧州近辺の地図を購入し、コーヒーを飲みながら広げた。
さすがに、捜すふりをして追いつかないようにする、なんて器用な芸当はできない。
本気で追いかけるから本気で逃げてね〜、と心の中でジョニーを応援した。
「さて……、まずはアレンの動きだな」
わたしが薄氷の眠りから覚めたときには、アレンはすでに教団を出ていた。
地下牢に繋がれた彼は、リンク監査官との面会中に逃亡している。監査官に言われてその直前、ジェリーは特製のお粥を作ったらしかった。自白剤を恐れて食事も摂らなかった彼のために監査官が工夫してくれたのだ。
監査官は死亡、アレンはノアとともに教団を出た。
『黒い靴』で追ったリナリーに笑顔で別れを告げて、方舟ゲートでどこかへ行ってしまったという。
「監査官を殺したのはアレンじゃない。……それなら『僕はエクソシストだ』なんて笑って言えるわけがない。アレンはきっと監査官の死そのものを知らない」
「何があっても僕はエクソシストだ」
「リナリーやみんなのいる教団が大好きだよ」
教団に愛想が尽きて逃げるのならそんな言葉は出てこないはずだ。
アレンは『十四番目』と戦うために、ティムキャンピーだけを連れて一人になったのだ。わたしの知るアレンは、そういう子だ。
『十四番目』につながる唯一の手がかりはクロス元帥だけど、彼も姿を消してしまっている。それならアレンはどこへ向かうだろう。
クロス元帥にはパトロンが何人もいたというから、その伝手を当たるのだろうか。
「それだとジョニーは追えないよな。追うとしたらアレンの借金先の飲み屋か……」
牢に繋がれた状態のまま逃げ出したアレンだから、当座の資金なんかも持っていなかったはずだ。生計を立てるため、賭場でポーカーしたり大道芸を披露したりしているかも。
追手を撒くなら人の多い街が向いている。それでいて逃げやすく、鉄道や海路など選択肢が多い場所。あれから三ヶ月も経ったのだから英国内にはまさかいないだろうが。
考え得る可能性を列挙しながら地図に印をつけていく。
あとは目撃情報が頼りだが、なにしろ捜している相手が目立つ容姿をしているから、こっちの方があてになるかもしれない。
「神田だもんなー、変装するとか団服は脱ぐとかそういう発想なさそうだし、部屋見た限り最低限のお金くらいしか持って出てなかったし……」
ああ否、と首を振る。
団服を着た神田は上にコートを着て、六幻と、もう一振り刀を持ち出したようだった。
九年前、マリと一緒にアジア支部を逃げ出したあの日、父が彼に与えた脇差だ。
何だかんだと大事に持ったままだった神田は、本部に戻って来てからもずっと部屋に置いていた。父亡き今、形見のようなものになってしまっている。
薄氷とは別に持ってきた大刀の柄に手を掛けた。
こちらは父の死後にわたしが受け継いだ遺品だった。
……会っても、何を話せばいいのか。
目を伏せた視界の隅に、手を振りながら駆け寄ってくる探索部隊が映った。
やはり神田とジョニーは変装もしていないらしく、目撃情報を辿るのは容易かった。
ロンドンを出てフランスへ渡り、繁華街を練り歩きながらベルギーへ。明らかに飲み屋をハシゴしている足取りなので、探索部隊は「なんで飲み歩いてんだ?」と首を傾げていたが、クロス元帥を知るティエドール元帥は「成る程ね」と髭を撫でていた。
目撃情報との時差からも今日明日には追いつける目算がついたところで、宿を取って交代で休憩に入る。
「探索部隊が追いかけても神田には逃げられるでしょ。本人の追跡はあこやに任せるといいよ」
と、ティエドール元帥がそんなことを言ってしまったので、探索部隊には日中の聞き込みを全面的に任せて、わたしは夜になってから飲み屋に繰り出すことになった。
団服を脱いで男物の服を着る。刀は十字にして背負い、外套を纏って見えないようにした。女が夜に出歩いているとなると面倒に巻き込まれることもあるので、フードをすっぽりかぶっている。
それでもたまに変なのに絡まれたが、丁重に昏倒して頂いた。
「「ビン底眼鏡と黒髪美形?」」
店の前で客引きをしていた女性たちに訊ねると、二人は「あ、見た見た」「すっごい美形!」とテンションを上げる。
「さっきここ通っていったよ。二人とも顔真っ赤だったから色々絡まれてたけど、美形が全部殴り飛ばしてたよね〜」
「なになに、あの二人なんかあるの!?」
一々お店に入って酒を飲んでいればそりゃ真っ赤にもなるだろうな。
ジョニーはともかく神田が酔うというのが意外だったが、全部殴り飛ばしていたという辺りはさすがというか。
好奇心を全面に出して腕を組んできたお姉さんに、苦笑しながらフードを上げる。
「黒髪美形の妹なんです。──兄は父との折り合いが悪く、先日こんな家誰が継ぐかと父と罵詈雑言の嵐に殴り合い蹴り合いの末家を出てしまったのですが、幼い頃から可愛がってくれていた祖母が病に倒れ余命幾許もなく、最期に兄が幸せになった姿を見たいと涙ながらに懇願されまして慌てて足取りを追っている次第であります」
「父? 祖母? ちょっと早口すぎてよく聞き取れなかったけど色々大変なのねぇ」
「本当にさっき通り過ぎたとこだから、スグ追いつくと思うよ〜」
「ありがとう。追いかけてみます」
頑張ってね〜、と見送ってくれたお姉さんたちに手を振り返し、外套の釦を外してフードも下ろした。足早に雑踏を歩き、酔っ払いに掴まれた腕を振り払い、二人組で歩く男を捜す。ちらりと黒髪が揺れるのが見えた。通りを外れて角を曲がる。──気付かれている。
外套を脱ぎ捨てた。
フードで眠っていたゴーレムを起こすと、傍らでぱたぱたと羽ばたき始める。
大刀の柄を握り、神田の黒髪が消えた角を曲がった瞬間、振り下ろされた白刃を十字に受け止めた。
「っ……あこや!?」
驚愕の声を上げたのはジョニーだ。
神田が抜いたのは六幻でなく脇差だった。イノセンスでない父の形見を咬み合わせながら、一度弾いて距離をとる。
「あこや、どうしてここに!?」
「……互角で戦えるわたしが、神田の追跡部隊に組み込まれないわけがないでしょう」
「教団の追手なの!?」
白刃が閃いた。
神田の一閃がわたしのゴーレムを真っ二つに斬り裂き、破片が石畳に落下する。
「待ってあこや、ちょっと話そう、そんな、刀は仕舞って……神田も!」
「ジョニー黙ってろ」脇差を鞘に納めた神田は左足を引いて腰を落とした。
居合いの姿勢だ。倣って納刀し足を開いて重心を落とす。
ぴりぴりと肌を刺す殺気。前髪の隙間から除く空色の双眸の剣呑な光。同時にゆっくりと右手を柄にかけ、小指から順に握りしめていく。
久しぶりだな、神田とやり合うのも。
呼吸がとまる。
五指で柄を取ったと同時に抜刀し、ひとつの迷いもなく神田の頸を狙った。