レゾンデートル


君とあの人のまちがいさがし 真




「……、……なにしてんの」

 刃が頸を跳ね飛ばす前に手を止めたのは、神田の脇差が、明らかにわたしの急所を狙っていないのが見えたからだ。
 抜かれた刀はどこを狙うわけでもなく、銀色の月光を反射している。

「わたしが神田を斬るわけないと思ってる?」
「…………」

 彼は喉元に突き付けられた大刀を意にも介さず、無言で脇差を鞘に納めた。
 躊躇なく一歩踏み出してくる。刃が首筋を掠り、赤い筋が浮いた。反射的に少しだけ刀を引いたが、それ以上の距離を神田は詰めてくる。

「ちょ、っとやだ、来ないで」
「うるせえな」
「神田……!」

 無遠慮にずかずか近付いてくる彼に刀を突きつけながらもじりじり後退し、逃げ回る間もなく壁際まで追い詰められた。
 顔の両脇に手をついて、彼は仏頂面でわたしを見下ろす。
 辛うじて刀は掲げたまま精一杯抵抗したものの、鬱陶しそうにそれを見下ろした神田は無造作に掴んで大刀を放り投げた。いよいよ遮るものもなくなった至近距離で、三ヶ月以上ぶりに会う彼の顔を見つめる。


 嘘みたいにきれいな黒髪。
 東洋系の肌の色、怜悧な顔立ち。
 透き通る青天のような目。


 アジア第六研究所を破壊した神田が見た、衝き抜けるような蒼天。青空のようできれいだと褒めた瞬間、潰そうとしたほど彼が憎む、空。


「……、……ご、めん」
「あ?」

 咄嗟に口をついて出た謝罪に、彼は眉を寄せた。

「い、ろいろ、ごめん」
「謝る意味がわかんねぇよ」
「出会ってから今まで、本当にごめんなさい……」
「……ハアアア!?」

 会っても、何を話せばいいのか判らなかった。
 北米支部でノアに見せられた神田の過去は、わたしが知っていると思い込んでいた何倍も痛くて悲しくて辛かった。そんなものを本人の意思に関係なく知ってしまったことも、何も知らないくせに神田のことを理解しているような顔をしていたことも、何もかも、酷く恥ずかしかった。

 想いが言葉にならない。
 代わりに零れてきたのは大粒の涙だった。目が熱い。わたし、どこか壊れてしまったのかもしれない。

「わたし何も解ってなかった、セカンドのことも神田のことも、教団のことも研究所のことも、なのに知ったかぶって神田のこと救おうとしてた。お父さんにもバクにも詳しい情報を伏せられて守られていたことにも気付かずに……!」
「おい」
「ほんとごめん、恥ずかしい、何にも知らないでわたしばっかりほけほけ笑って鬱陶しかったよね、ほんと、嫌だったよね、ごめんね! 嫌われて当然だ、こんなの」
「人の話を」
「わたしアレンみたいに神田とアルマのこと救えないし、なんなら今でもアルマのこと赦せないの、今だってどうしたらいいか判んない、もうどうやって戦ったらいいのかも……」


「人の話を聞け!!」
「痛ぁぁぁい!!」


 強烈な頭突きに涙も引っ込んだ。

 しばらく二人して額の痛みに悶絶していたが、先に復活した神田が深い溜め息をつきながら項垂れる。
 こ、この石頭め……。

「こっち向け」
「……無理」
「無理じゃねェんだよこっち向け」

 ごち、と今度は手加減した様子で額がぶつかる。
 人に慣れない獣のような仕草で、神田の鼻先が蟀谷にかかる髪を擽った。
 あーこれ駄々こねたら力尽くでやられるやつだ。恐る恐る顔を正面に向けて、以前に比べるとどこか穏やかな表情を浮かべている神田の眸を、見る。

「……景政やバクがお前に情報を伏せたのは当然の判断だろ。お前が計画の詳しい部分まで知らなかったことなんて今更だし、俺もお前に話そうとは思わなかった。それをお前は何を言ってんだ」
「だ、……だって、なんにも知らないくせに、神田のこと神田より解ってるとか、すごい阿呆なことを言った……」
「お前が知らないのは『YU』だろ」

 はぁ、と項垂れた神田の黒髪が頬を擽った。
「ものすごく呆れています」「ものすごく言いたくないです」「でもしょうがないので言います」ってでかでか顔に書いてある。


「『神田ユウ』のことはお前が一番よく解ってる。どんだけ罵倒しても大ゲンカしても九年間隣にいた、他の誰でもないお前が。お前はこれも否定するのか」


 わたしって単純だ。
 あの日北米支部でロードに抉られた傷が、こんなぶっきら棒な言葉でいとも簡単に癒えていく。


「お前の九年に俺がいたように、俺の九年にもお前がいた。……ムカつくことにな」


 憎まれ口を叩く優しい声音に背筋がそわそわする。耐えきれずに視線を逸らして、両手で顔を覆った。

「解ったらどうでもいいこと悩むな。ごめんだの何だのそれよりもっと先に言うことがあんだろ」

 壁についていた両手がゆっくり下ろされて、背中に回って、抱き寄せられる。
 うわ、と頭の中が真っ白になった耳元に「ただいま」と世にも珍しい言葉が、なんと自発的に、吹き込まれたのだ。

「ただいま。あこや」
「…………」
「耳聞こえてねぇのかテメエは! ただいまッつってんだろ!!」
「おおおおかえり!!」

 ちょっと色々と意外すぎて理解が追いつかなかったので、怒鳴られた勢いで怒鳴り返してしまった。
 なんだか雰囲気台無しだ。いやわたしたちの間柄に雰囲気も何もあったものではないけど。
 結局いつも通りに「ったく」「どいつもこいつも」とイライラしはじめた神田が、それでも抱きしめてくれたままでいたので、その体を両腕いっぱい伸ばしてぎゅーっと抱き返す。

 三ヶ月、強張っていた顔の筋肉が緩んでいくのが解った。


 ああ、神田だ。
 ……神田が生きてる。


 あんなにぼろぼろになって、再生も追いつかなくて、六幻さえ持たずにアルマと一緒に逃げた神田が、生きてここにいる。
 ただいま、って言いに来てくれた。


 先程とは違う意味合いの涙で、視界が滲んだ。


「おかえり、神田……」
「遅せぇよ。意味わかんねーことばっかぬかしやがって」
「そっか……神田的には再会して一番に『おかえり』って言ってほしかったのか。空気読めなくてごめん」

 茶化してそんなことを言うと大変不服そうな顔になったが、意外にも反論はなかった。

 しばし目一杯神田の生還を確かめたところで体を離し、巻き添えを食わないよう離れたところでハラハラと見守っていたジョニーを手招いた。

「よ、よかった、ほんとよかったよ、二人が本気で戦うとこなんてオレ見たくないよ〜〜」
「ごめんごめん。でも本気で斬るつもりだったけどね」
「ある程度はな」

 さらーっと流すわたしたちにまたジョニーが固まったが、ひとまず放っておく。
 ぱん、と手を叩いて空気を変えた。

「さて、それとこれとは話が別。今現在、本部エクソシストの立場は非常に微妙なのよ。アレンと神田は言わずもがなだし、リナとマリは神田の逃亡幇助を疑われているし、ラビとブックマンは行方不明のまま、戦力は減ってエクソシスト同士の関係も微妙。せめてわたしは一応、神の忠実な僕でいなければならないということで──」

 薄氷を鞘ごと掴んで振り下ろすと、神田は六幻の鞘でそれを受けた。
 突如再開した戦闘を見てジョニーが真っ蒼になったのを捉えつつ、神田の顔を覗き込む。

「帰ったら元帥になる」
「…………」
「もうさすがに逃げてられないでしょ」
「……そうか。なら本気でやった方がいいな」

 さすが、理解が早い。
 感心するよりも先に神田の膝が鳩尾に入った。ジョニーの「神田!?」という悲鳴を聴きながら頽れると、前髪を掴んで引きずられる。理解が早いのはいいが容赦なさすぎ。
 人目につかない路地に放り投げられて、薄氷を傍らに置かれた。

「……痛い」
「手ェ抜いても不審だろうが。我慢しろ」
「なになになに、どういうことなの? あこや大丈夫!?」
「ジョニー、いい? 『路地裏で出くわした最初の一撃でゴーレムを壊された。応援を呼ぶ間もなく神田に一発入れられたわたしは気絶し、目が覚めたら二人はいなかった』」

 解っていないジョニーに噛み砕いて説明すると、あっ、と口を開けて納得したらしい。
 転がしていた二刀を拾ってきた神田がそれらを薄氷の横に並べる。もともと刀はわたしとやり合う用で持って出たはずだから、こうなった今は必要ない。端的に隠蔽工作を済ませた神田はジョニーに荷物を持つよう促し、地面に倒れた体勢のまま待っていたわたしを見下ろす。

「…………」
「なによ」

 さっきやたらと「おかえり」にこだわっていたから、今度は「行ってらっしゃい」だろうか。
 ぱちりと瞬いて視線を返すと、人差し指だけくいっと動かして起き上がるよう指示してくる。

「もー、なに、さっさと行かないと……」

 隠蔽工作の意味がなくなるよ、と続けようとしたわたしの眼前に神田が膝を折った。



 すいと近付いてきた彼の唇が一瞬だけ、口に触れる。



「……、……はい?」
「じゃあな。あと、これやる」
「え、ちょ、神田さん……? えっ何この紙。えっていうか何やってんのあんた」
「気にすんな」

 呆気に取られるわたしの目と鼻の先で、神田は口角を上げて意地悪く笑った。

「ファーストキスなんて事故みてぇなもんだろ。科学班のオヤジ共はそう言ってたぜ」

 目にも留まらぬわたしの抜刀を六幻の鞘で軽く受け流すと、なぜかされたわたしより真っ赤になって絶句しているジョニーを連れて、神田は路地の闇に紛れていく。

「あ……あァァああァんのバ神田!!」

 次会ったら絶対一発ぶん殴る。
 乙女の唇を奪っておいて「事故」だとおぉぉ!?


*     *



 ワナワナと震えるわたしをよそに朝日は昇り、宿に帰ってこなかったことを心配した元帥や探索部隊が捜しに来た。
 反撃の隙もなく神田にボコボコに伸されたのが悔しいから本部には連絡しないでくれ、と頼んだわたしを気遣う探索部隊の後ろで、ティエドール元帥は何やら訳知り顔で髭をさすっている。何もかもばれているような気がする……が、特に言及はされなかったので見逃してくれるのだろう。
 慌てて再捜索に繰り出した探索部隊たちにちょっと申し訳なく思いながら、元帥の隣でちょこんと膝を抱えた。

「元帥……」
「なーに?」
「……人に、絵をあげるのって、どういう気持ちからくるものなんでしょう?」

 去り際に神田が押しつけてきたのは一枚の絵だった。
 海の絵だ。
 エメラルドグリーンに輝く海と、どこまでも透き通る、神田の嫌いな『青い空』。画面右上に太陽が輝き、鴎が二羽飛んでいる。見た瞬間なんとなく、マテールの任務で大怪我を負った神田が入院したあの病室から見えた景色を思い出した。
 紙の裏に書かれていた日付から見て、神田が姿を消していた間の絵であることは間違いないけれど。

 元帥は「うーん」と髭を撫でる。

「『その景色を見せてあげたい』とかかなぁ? ユーくんとマーくん連れて方々旅してたときに、マーくんがそう言ってたことがあるね」

 ……そういえば、神田が本部に来たとき、「ジジイからだ」ってすごく不服そうな顔でティエドール元帥の絵をもらったっけ。
 いやそれにしても神田がわたしに景色を見せてあげたいて。
 ないない。
 あまりにも想像できなくて即座に却下してしまった。が、ティエドール元帥はそう思わなかったらしい。

「ユーくんにもそう思える相手ができたんだね」
「…………」

 なんと返事をすればいいのか解らず、思いきり困った顔をしてしまった。

 団服のポーチに仕舞っていた絵を取り出し、開く。
 ……いつか、どこの海だか、教えてくれる日がくるのだろうか。