27


けれど――。
人は、どんなに「こうあるべきだ」と自らを律し、心に固い錠前をかけたとしても、いとも容易くそれを壊されてしまう生き物らしい。どんなに深く封印したつもりでも、理屈ではどうにもならない感情というものが、この世には確かに存在する。
あれから約一ヶ月。冨岡さんは任務でずっとお屋敷を空けていて、私も蝶屋敷の仕事が忙しかったこともあって、お互いに顔を合わせる機会は一度もなかった。
だからこそ、私の中の『封印』は完璧に機能しているはずだったのだ。今日、こうして久しぶりにお手伝いにやってくるまでは。


「高月?」
「ぅわっ、はいッ」

不意に声をかけられてびくりと身を竦ませた。
目の前に座っていた冨岡さんが、心配そうにこちらを見つめている。

「どうかしたのか」
「いえっ……!な、なんでもないです」

何だろう。この惨状は。何をやっているのだろう。私は。
言い訳を探して、視線があちこちをさまよう。あれほど「大丈夫」だと胸を張っていた自分はどこへ行ったのだろう。
今の私は、ただ怯えた子供のように視線を泳がせ、まともな言葉すら紡げずにいる。こんなに分かりやすく動揺して、挙動不審な態度を見せていたら、それこそ彼に余計な不審を抱かせてしまうだけなのに。
ほら、早く目を合わせないと。早くいつものように、なんでもない風を装って返事をして。
必死に自分に命令するけれど、心臓が耳の奥でうるさいほどに鳴り響いていて、声が思うように出ない。

「さっきから筆が進んでいない」
「す、すみません……」

言われて手元を見れば、万年筆の先が紙の上で浮いたまま止まっている。お手伝いに来ているのに、これじゃあただの足手まといだ。

「具合が悪いなら、今日はここまででいい」
「え?」
「気づかなくて悪かった」
「え?ち、違います!大丈夫です……!」

冨岡さんが本気で私の体調を案じるような目で、すっと立ち上がろうとする。
違う。そうじゃない。

「大丈夫です!元気です!あの、ちょっとぼんやりしてただけで……!」

体制を戻した冨岡さんが、不思議そうにこちらを見つめている。
心の奥底に隠したつもりだった感情は、消えてなくなるどころか、会えなかった一ヶ月の間、私の中でさらに大きく膨れ上がってしまっていたのだ。
冨岡さんを目の前にした途端、目も合わせられないくらいに動揺して、頭の中が真っ白になって。いつもの私がどんな顔をして、どんな風に笑っていたのかさえ思い出せない。
ただ、すぐそこにいる彼のすべてに、私の心がいちいち過剰に反応してしまう。何も変わらないどころか、私の世界は、もう完全に変わってしまっていた。

「高月」
「……はい」
「こっちを見ろ」
「うぐ……っ」

無慈悲な命令に、喉の奥から変な声が漏れそうになった。
この人は、私をわざと追い詰めるような真似をしているのか。――いや、そんなことないと分かっているけれど、今の私にとっては確固たる確信犯にしか思えなかった。

「高月」

じっと待つような沈黙のあと、再び名前が呼ばれる。

「聞こえているな」
「はい……。聞こえては、います……」
「なら顔を上げろ」
「………」

言われれば言われるほど、体中が強張って動かなくなる。今ここで顔を上げたら、真っ赤に染まっているであろう私の顔が、彼に完全に晒されてしまう。ぼんやりしていたという嘘が、一瞬で剥ぎ取られてしまう。

「高月」

三度目。その異常なまでの執着が、余計に私の逃げ道を塞いでいった。

「……ほら」

促すような、掠れた声音に背中を押されるようにして、私はおそるおそる視線を上へと動かした。
視界が畳から彼の手元へ、そして半々羽織へと移り、最後に私をじっと見つめていたあの深く澄んだ瞳と、真正面からぶつかる。

「今日、初めて目が合った」
「えっ……?」

気のせいなんじゃ…。と言いながら引き攣った笑顔を浮かべてみるものの、私の視線は一秒もしないうちに耐えきれなくなって、再びあちこちへと泳ぎ出してしまう。

「……体調は」
「良い、です。本当に、どこも悪くありません」
「あのあと、あの男たちのことは。見かけるのか」
「いえ、見てないです。大丈夫です」
「食事は、摂れているか」
「はい……。アオイさんのご飯、毎日ちゃんと残さず食べてます」
「夜は」
「毎晩ぐっすりです」

一問一答のように、短い言葉が交わされる。
早くここから逃げ出したい。そんな私の焦りを見透かすように、冨岡さんの問いかけがふっと重みを変えた。

「俺が、何かしてしまったか」
「え……っ?」

泳いでいた視線が、驚きで彼の顔へと引き戻される。
冨岡さんは自分自身を深く責めるような、沈んだ瞳で私を見つめていた。

「あの川辺で、俺がお前に何か嫌がるようなことをしたのなら、言ってほしい」

違う。なぜそういう話になっているのか。
気を遣わせてしまっている。冨岡さんは今までと同じでいてくれているのに、私がこれじゃなんの意味もない。

「ち、違います。決して冨岡さんが何かをしたとかでは……」
「それなら、どうして目を逸らす」
「それは……」

言えない。あなたのことが好きで、だからまともに見られなくて、見られると胸が苦しくて。
そんな浅ましくてぐちゃぐちゃした理由、口が裂けても言えるはずがない。

「俺が触れたことがお前の気に障ったのか」
「ち、違います……っ!」

冨岡さんは、本当に私の心が分からないといった様子で眉の間に深い皺を寄せた。
そのとおりだ。困らせてしまっている自覚はある。

「冨岡さんのことが嫌だとか、そんな風に思ったことなんて、一度だってありません……。あの、本当に何もない、ので、気にせず放っておいていただけると……」

語尾が小さく萎んでいくのを感じながら、私はまた逃げるように視線を斜め下の畳へと落とした。
お願いだから、これ以上私を突き詰めないでほしい。この場を何とかやり過ごして、いつもの無害な空気に戻らせてほしい。
どれほど長く感じられたか分からない沈黙を破ったのは、どこか諦めの悪い彼の声だった。

「お前の『何もない』は信用できない」
「な、なぜですか……っ?」
「前科がある。お前は以前、高熱を出すまで自分の体調の不調にすら気づいていなかった」
「う……っ」

痛いところを突かれて、私は言葉を詰まらせた。

「あの時も、お前は同じように『何もない』と言っていた。だからお前が自分でそう口にしている時は、限界まで何かを溜め込んでいる時だ」

その観察眼と、私に向けられたどこまでも深い誠実さが嬉しくて申し訳なくて、ますます胸をきゅうっと締め付ける。
けれど、本当の理由だけは絶対に明かすわけにはいかない。私の頑なな沈黙が部屋の中に重く横たわっていく。
冨岡さんもこれ以上の追及は無駄だと察したのか、ふう、と小さく息を吐き出した。

「……問い詰めるつもりはなかった。悪かった」

すっと視線を手元の書物へと戻し、筆を取る。そして何事もなかったかのように、さらさらと文字を書き進め始めた。

「あ、いえ、冨岡さんのせいでは……」

そこまで言った時。
――ごうっ、と。開け放たれていた障子の向こうから、春の終わりの強い突風が、部屋の中へと一気に吹き込んできた。
あまりの勢いに、机の上に綺麗に重ねられていた未整理の半紙が、ぱらぱらと音を立てて数枚舞い上がる。

「あ……っ」

私は反射的に体を前のめりにし、飛びそうになった紙を押さえようと机の上に勢いよく手を伸ばした。
けれど、それは冨岡さんも同じだった。紙を押さえた瞬間。私の手の甲に、彼の少し骨張った手のひらががっしりと重なる。

「っ……!」

頭のてっぺんまで一気に血が上り、私は弾かれたようにその手を引っ込めた。
熱い、と思ってしまった。ただ肌が触れ合っただけなのに、まるでそこにだけ激しい火を押し当てられたかのような。
しかし、そこまでしてはっと思い至る。

「あ……」

やってしまった。おそるおそる視線を上げると、私のあからさまな態度に、冨岡さんが完全に動きを止めて固まっていた。
部屋を吹き抜けた風が止み、再び息の詰まるような沈黙がおりる。
冨岡さんはそのままゆっくりと膝に手を下ろした。

「……高月」
「ほ、本当に何もないんです……っ!」

言葉を遮って思わず否定する。
もう、これ以上ここにいたら、私の心臓も、隠し通さなきゃいけない秘密も、すべてが破裂してしまう。
私は何かに駆られるようにして、がた、と大きな音を立ててその場に立ち上がった。

「すみませんっ!今日のところは、ここで失礼させていただきます……!今日の分の整理はもう終わってますので。その、さ、さようなら、失礼しますっ……」

振り返ることもできず、私は逃げ出すようにしてその部屋から飛び出した。
後ろから私を呼ぶ声がもう一度聞こえた気がしたけれど、今の私にはそれに応えるだけの余裕は一欠片も残っていなかった。







「それで?顔が見られないってだけで、そのまま逃げて来ちゃったの?」
「そ、そんなはっきり言わなくても……」

私は縁側の床にへたり込んだまま、膝に顔を埋めて消え入りそうな声を絞り出した。
あの静まり返ったお屋敷からどうやってここまで戻ってきたのか、正直よく覚えていない。ただ無我夢中で走り続け、蝶屋敷の敷地へ飛び込んだとき、たまたま中庭で木刀を振るって打ち込み稽古をしていた尾崎さんの姿が目に入ったのだ。
その瞬間に一気に安堵が押し寄せて、文字通り泣きつくようにして彼女を捕まえ、今こうして縁側で話を聞いてもらっている。

「その状況で?あの冨岡さんを前に?」
「も、もう限界だったの……!まともに息もできなくて……!」
「そんなのでこれからどうするの?」
「だって冨岡さんが、"こっちを見ろ"って言うんだよ……?見られるわけがないよお」

情けなくべそをかく私に、尾崎さんは木刀を床に置き、汗を拭いながら呆れたように首を振った。

「別に怒ってるわけじゃないんだよ?でもちゃんと事実確認をしなきゃ、リサがどれだけ自爆してるか把握できないでしょ」
「じ、自爆って……」
「違うの?」
「……違わない、です」

これっぽっちも反論できず、私はさらに体を小さく丸める。

「想いは伝えないんじゃないの?私には余計意識してるようにしか見えないけど」
「う、うう……。そんなこと言ったって、無理なものは無理だったんだもん……」

思い出させないでほしい。一ヶ月前の自分の台詞が、今や特大のブーメランとなって胸に突き刺さっている。

「お屋敷飛び出してくるなんて」
「嫌だ、もう言わないで!分かってる、分かってるの……っ!私が勝手に混乱して、大迷惑をかけてるってことくらい……!」

本当に、どうしようもない惨状だ。尾崎さんの言う通り、立派な自爆以外の何物でもない。
頭を抱えて本格的に落ち込みだした私を憐れむように見つめ、尾崎さんはふうっと小さくため息をついた。

「たしかに、そんなだと相手は『嫌われたかな』って思っちゃうよね」
「うっ、」
「気にして、もうこれから手伝いには来なくていいって言われちゃうかも」
「そ……そんなあ……!」

それは、困る。
この何ヶ月かの間、何もできない私が、あのお屋敷で文字を書き写したり書物を整理したりする時間は、いつしかとても大切なものになっていた。少しずつだけど、自分が誰かの役に立てているんだと実感できて、それが心から嬉しかったのだ。
せっかく、あのお手伝いの時間が好きになりつつあったのに…。自分の不甲斐なさのせいで、私の居場所がなくなってしまったらどうしよう。

「ねえ、リサ。本当に気持ちは伝えないつもり?」

尾崎さんが、いつになく遠慮がちに、私の顔を覗き込むようにして聞いてきた。

「それは、うん………」

あいにく、自分の気持ちをそのまま差し出す勇気も、自分をごまかす器用さも持ち合わせていない私は、ただ不器用なまま立ち止まるしかできない。
もし私がもっと器用な人間なら、あのお屋敷でももっと上手に自分の感情を制御して、これまで通りの顔をして笑えていたのだろうか。

「それ、辛くない?」

尾崎さんが、自分の木刀の柄を指でなぞりながら静かに問いかけてきた。ぽかぽかと温かい陽射しの中で、彼女の横顔はさっきまでの責めるような響きを消して、ひどく真剣に私を見つめている。

「どうかな。まだ始めたばかりだから、あまりよくわからない」
「でも、顔も見られないくらい緊張するんでしょう?」
「……うん」
「なのに、側にいたいんだよね」
「…………うん」

私が頷くと、尾崎さんは小さく息を吐いてから苦笑した。それから、「そっか」と呟く。
尾崎さんはたぶん、私よりずっと自分の気持ちを素直に口にできる人なんだろう。好きなら好き、困ったなら困ったって、嘘なく言える。
だからこうして言葉を詰まらせて、自分の殻に閉じこもっている私を見ると、もどかしいのかもしれない。
そんな彼女の素直さが少し羨ましかった。けれど、だからといって私が簡単に口を開けるわけじゃないのだ。
この大正の世界で命を懸けて戦うあの人に、私の私情をぶつける重さ。今の安全な関係すら壊れて、もう二度と会えなくなるかもしれない。
それなら、どんなに苦しくても、言わずに密かに側にいる方がいい。例えそれが、顔すら合わせられないほどの自爆を繰り返す茨の道だとしても。

「頑固だねえ、リサは」

私の胸の内を察したのか、尾崎さんはそれ以上無理に聞き出そうとはせず、ぽんと私の肩を叩いた。
頑固、か…。以前、冨岡さんも同じようなことを言っていた気がする。

「でも、その道を進むにしても。本当にこのままだと側にいるどころか、冨岡さんの方から距離を置かれちゃうよ?」

それもそうだ。私が勝手に「密かに側にいよう」と決意したところで、肝心の冨岡さんは今、私に嫌われてしまったと誤解している可能性があるのだ。下手をすれば、本当に私のことを気遣って距離を置こうとするかもしれない。

「そんなの絶対に嫌、だよね?」

尾崎さんは困ったように眉を下げて笑った。

「あのお屋敷での時間、リサにとってすごく大切だったんでしょ?恩返しができて嬉しいって、少し前まであんなにキラキラした顔で話してくれたじゃない」
「尾崎さん……」

彼女の優しく諭すような声音が、じわりと私の心に染み渡っていく。 

「……うん。次に会ったとき、ちゃんと謝る……。この前のは、ちょっとぼんやりしてて驚いただけですって、ちゃんとお話する」

私が膝を抱えたままぽつりと呟くと、尾崎さんは「うんうん」と優しく微笑んでくれた。
私は彼女の温かさに救われながら、中庭の木々を見つめて小さくため息を吐き出す。
本当に、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。ただあの人の役に立ちたくて、ただ少しでも長く同じ空間にいたくて、それだけのつもりだったのに。恋心なんていう理屈の通じないものを自覚した途端、こんなにも自分の心ひとつ制御できなくなるなんて。
何か、具体的な対策を考えないと駄目だ。次に目が合ったとき、どうすれば心臓の音を悟られずにいられるだろう。どうすれば、いつものようになんでもない風を装って、穏やかに微笑み返すことができるだろう。
頭の中で「冨岡さんと対峙したときの自分」を想像してみるけれど、あの深く澄んだ瞳にじっと見つめられる瞬間を想像しただけで、またしても耳の奥が熱くなっていく。
これ以上自分の感情に振り回されて自爆しないために、私は心の中に、もっともっと頑丈な新しい壁を築く必要がある。
私なんかよりずっと大人で、自分の気持ちに素直になれる尾崎さんは、こういうときどうしているんだろう。

「あの、尾崎さんは……その、そういう人、いないの?もしいたら……」

私なりの精一杯の疑問を口にしようとした、その時だった。
――バサバサバサッ!

「ひゃっ!?」

突然、頭上から激しい羽音が降ってきて、私はまたしても無様に体をびくりと竦ませた。
見上げると、縁側のすぐ近くの庭木に一羽の鎹鴉が留まっている。尾崎さんの相棒である睡蓮だった。

「す、睡蓮か……心臓に悪い……」

鬼殺隊に関わるようになってそれなりに経つのに、私は未だにこの鴉たちに慣れることができない。実際の鴉は近くで見るとびっくりするほど大きいし、何よりあのビー玉のようにくるりとした瞳には、どうしても毎回圧倒されてしまうのだ。

「睡蓮。どうしたの?伝令?」

尾崎さんが声をかけると、睡蓮は止まり木の上で羽を一度大きく広げると、首をぐいと捻って私を睨みつけてきた。

「リサ、ナンカ、シけたツラシテル。ソンナダト、ブッサイクニナルヨ!ブサイク!ブサイク!」
「うっ……久しぶりに会うのに、そんなひどい……」

カタコトの、やけにはっきりとした悪声。恋煩いでべそをかいていたのは事実だけれど、まさか鴉に不細工呼ばわりされるなんて。隣で思わず笑ってしまった尾崎さんを恨めしげに見つめる。
尾崎さんは「ごめんごめん」と苦笑しながら立ち上がり、睡蓮の方へ手を伸ばした。本当にごめんと思っているのかどうか…。
睡蓮は尾崎さんの腕に器用に飛び移ると、今度はきりっとした顔になった。

「伝令!伝令!尾崎、次ノ任務ダヨ!」
「はいはい、どこ?」

尾崎さんが真剣な面持ちで問いかけると、睡蓮はその小さなくちばしを大きく開けて、次の目的地を告げた。

「北北東!北北東!次ノ任務ハ、那田蜘蛛山! 直ちに向カエ!直ちに向カエ!」

――那田蜘蛛山。
聞いたことのない不気味な山の名前に、私は先ほどまでの自分の小さな悩みが、すっと引いていくのを感じた。
尾崎さんはもう、私の恋の相談に乗ってくれる優しいお姉さんではなく、命を懸けて戦う一人の立派な剣士の顔に戻っている。

「那田蜘蛛山、ね……。分かった、すぐ準備する」

尾崎さんは睡蓮を再び羽ばたかせると、私を振り返っていつものように頼もしく、眩しい笑顔を見せた。

「もう、行っちゃうの?」

私が思わず引き止めるような声を出すと、尾崎さんは「うん」と頷きながら、手早く木刀を片付け始める。

「隊士だもん、命が下ったらすぐ行かなきゃ。那田蜘蛛山で別の隊士たちが戦ってるみたいだし、私が行かないと、向こうで誰かが困っちゃうからね」

そう言って笑う彼女は、本当に格好良くて、頼もしい。
引き止めたいわけじゃない。彼女が鬼殺隊として立派に全うしようとしている任務を、邪魔するつもりなんて毛頭ないけれど…やっぱり、心のどこかがきゅっと寂しくなる。
またしばらく会えなくなるんだろうな。そう思うと、自分でも気付かない間に、しゅんとした顔をしてしまっていたのだろう。
尾崎さんはそんな私を見て、息をこぼすように小さく笑った。それから、おいで、と言うように片手で私を手招きする。
言われた通りに縁側から立ち上がり、トテトテと足音を響かせて近づくと、彼女は私の体を優しく両腕で抱きしめてくれた。隊服越しに、尾崎さんの温かい体温が伝わってくる。

「いつも頑張ってて偉いよ、リサは」
「急になに……」
「ふふ、しばらく会えなくなるから少しは褒めておこうと思ってさ」
「調子いい……」

私は気恥ずかしさを隠すように呟きながらも、その心地よい温かさに身を委ね、彼女の背中にそっと手を回した。
尾崎さんは私の背中を優しく、ぽんぽんと一定のリズムで叩いてくれる。その手のひらの優しさが、私の頑なな心を少しずつ解きほぐしていく。

「自分に素直にね。言わずに側にいるって決めたのは良いけど、意地を張るのとは違うんだから」
「……うん」
「素直なリサの方が、絶対可愛いんだから」

その言葉に、また胸が甘酸っぱく疼く。尾崎さんは私の体をそっと離すと、今度は両手で私の両頬をむにっと挟み込んだ。

「じゃ、行ってくるね!戻ってきたら、またここでお話の続き聞かせてね?」
「う、うん。気をつけてね。絶対に、無事で帰ってきて」
「任せなさーい!」

尾崎さんは満面の笑みで親指を立てると、支度をしに軽やかな足取りで駆けていった。
その背中がひるがえった瞬間、彼女の胸元で、私とお揃いの首飾りがシャランと綺麗な音を立てて揺れる。
一人中庭に取り残された私は、自分の胸元にある同じ首飾りにそっと手を当てた。まだ尾崎さんの温もりが残っているみたいだ。

自分に、素直に。
…そうだよね。ここで私が意地を張って逃げたままでいたら、大切なものまで無くなってしまう。
尾崎さんの力強い優しさに背中を押され、私は小さく息を吸い込んだ。


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