30
「い〜や〜!!」
朝の光がカーテン越しに白くにじむころ、病室のとある一室から甲高い叫び声が響いていた。
「これ以上飲めないよ〜!!」
「毎日毎日同じことを!!」
私は寝台の敷布をたたみながら、アオイさんの鋭い叱責が飛ぶその光景を見て小さく笑った。
数日前までは緊張でいっぱいだった屋敷が、今ではすっかり賑やかになっていた。この病室の三人が来てからというもの、ずっとこうなのだ。そのほとんどの原因が、この黄色い頭の善逸くんなのだけれど。
「善逸さんが最も重傷なんです!早く薬飲んでください!」
そう言って手渡された薬湯を、善逸くんは震えながらぶるぶると震えながら見つめる。
そんな彼を見つめて、「まったく…」とアオイさんが腰に手を当て大きく息を吐いた。彼女がこんなふうにため息をつくのも、ここ数日毎日のことだ。
善逸くんの薬嫌いには、本当にみんなが手を焼いていた。どうも苦いものが苦手らしく、口に触れただけで泣き叫ぶ。
重症だと聞いているから、できればすんなりと飲んで早く治してほしいのだけれど。この調子では完治まで程遠いのではないかと心配になる。
「炭治郎さんのお薬はそちらです」
「ありがとう」
落ち着いた声がして、私はそちらに顔を向けた。
赤みがかった髪に、額に傷のある少年。穏やかな顔つきで、見ているこちらまで優しい気持ちになれるような雰囲気を持っている。
炭治郎くんは善逸くんと同期だと聞いたけれど、まったく真逆のタイプだ。とても心根の優しい少年で、こちらがすること一つ一つに丁寧にお礼の言葉を落としてくれる。
今も、きよちゃんが薬湯の入った湯呑みを差し出すと、炭治郎くんはすんなりとそれをゴクリと飲み干した。
「うん」
そう言って短く頷いて、苦いはずなのに顔ひとつしかめない。その仕草だけで、人の気持ちを丁寧に扱う子なんだと分かる。
しかし、そんな炭治郎くんを見て善逸くんがなぜか大きく「おいっ!」と反応した。
「炭治郎の薬は飲みやすいんだろ!?そうだろ!?俺と違うんだろ!?えこひいきだ〜!!」
善逸くんが布団の上で足をバタつかせながら叫ぶ。
その早口に、アオイさんのこめかみがぴきりぴきりと音を立てるのが分かった。今にも爆弾が落ちそうだ。
「善逸!病室だぞ、静かにしろ!」
炭治郎くんがそんな空気を察知して、困りながらも強めに声を上げるが、善逸くんは全く聞く耳を持っていない。
「炭治郎は特別扱いされてるんだよ〜!!俺のだけ絶対苦いやつだよ〜!!」
「違います!!同じ薬です!!」
アオイさんの返答はきっぱりしているのに、善逸くんの涙声は止まらない。私はその横で敷布を整えながら、小さく息を吐いた。
…今日も賑やかだなあ。
なんというか、この病室の人たちはとてもキャラが濃い。炭治郎くんと善逸くんの間に眠っている伊之助くんという少年もそうだ。ぴくりとも動かないから心配だが、変な被り物を頭から被っていてとてもインパクトが強い。
ここは何かと騒がしいけれど、でもそれが日常の一部みたいになりつつあって、なんだか微笑ましくも見える。
「元気そうだな」
「あ、村田さん!」
その時、病室の入り口から明るい声が飛んできた。炭治郎くんがぱっと声をあげる。
その声に吊られるように視線を向けると、隊服姿の黒髪の青年が立っていた。
「よっ」
軽く片手を上げたその指には、白い包帯がぐるりと巻かれていて。彼も那田蜘蛛山へ行ってきた人なのかもしれないなどと思った。
なんだか落ち着いていて、サラサラの髪の毛が印象的な人だ。
…それにしても、村田さん。名前に聞き覚えがあるような、ないような。そんなことを考えていたら、
「リサさん」
アオイさんに呼ばれ、はっと肩を揺らした。
「善逸さんが薬を飲み終わるまで、しっかり見張っていてください」
「あ…、はい……」
苦笑しながら返事をして、言われた通りに善逸くんの方へ向かう。彼はまだ湯呑みを両手で抱えたまま、ぶるぶる震えていた。
「善逸くん…」
そっと声をかけると、彼はびくっと肩を揺らした。
「しのぶさんの薬だよ?一口でもいいから飲んでみない?」
「む、無理だよ……いくら可愛い子に飲めって言われても、こんなの飲んだら絶対死ぬよ……俺はまだ生きたい……!」
泣き声が今にもひっくり返りそうで、私は目を瞬いた。生きてもらうために飲んで欲しいのだけれど。すんなりとはいかないみたいだ。これは、しばらく時間を要すかもしれない。
どうしたものかと、寝台の横に置かれた椅子にそっと腰を下ろすと、善逸くんが村田さんと話をする炭治郎くんに声をかけた。
「炭治郎?誰、その人」
さっきまで大泣きしていたとは思えないほどケロリとした顔で言うものだから、思わず呆れる。
その切り替えの早さ、こんなふうに軽く会話をする元気があるなら、薬なんてすぐ飲めるはずだ。
「那田蜘蛛山で一緒に戦った…」
炭治郎くんは穏やかな声で答え、正面に座っていた青年に視線を向けた。
「村田だ。よろしくな。…そっちの女の子は?蝶屋敷で初めて見る顔だが…」
「あ、はじめまして。高月リサです」
ぺこりと頭を下げると、村田さんはふっと気さくに笑った。
その横で、炭治郎くんが柔らかい声で付け足す。
「とても心優しい人なんですよ。僕たちをよく気にかけてくれてて!…善逸もリサさんやアオイさんを困らせるな」
優しい炭治郎くんに優しいと言われると、なんだか照れる。言葉で返すよりも先にその思いが滲んでしまって、視線がふと足元へ落ちた。
その流れのまま、村田さんがふと私の横に目をとめる。
「あっ、君、その腕……」
驚いたような声が落ち、私は善逸くんの方へ視線を移した。
彼の腕はまだ蜘蛛の鬼の術によって短いままで、入院服の袖の長さが余っていた。善逸くんは両手を一生懸命に振りながら、状況を説明する。
「蜘蛛になりかけて、今も腕と足が短いままで……」
「だからこの薬が必要なんです!!」
会話を聞いていたアオイさんが前に出てきて、びしりと声を張る。その勢いに、善逸くんは「ひいいっ!」と肩をすくめた。
「だ、だって!それまずすぎでしょ!まずいにも程度ってものがあるでしょ!!」
「腕が元どおりにならなくても知りませんからね!」
「冷たい!その言い方冷たいよぉ!!」
「あなたは贅沢なんです!この薬を飲んで、お日様をたくさん浴びれば後遺症は残らないって言ってるんですよ?」
アオイさんの声は鋭いけれど、そこに含まれているものは分かる。善逸くんのことを本気で心配しているのだ。けれど…それが彼に伝わってるのかどうか。
完全に“蜘蛛”になってしまった人は、元には戻れるけど後遺症が残ると聞いたし、善逸くんはぎりぎりのところで助かった側だ。でも当の本人は――
「む〜り〜!まずいものはまずいんだからさ〜!」
涙声のままベッドを飛び越え、炭治郎くんの元へばたばたと逃げていった。
「…はあ、もう知りません。リサさん、もういいですよ。行きましょう」
疲れ切った声を残して、アオイさんはくるりと背を向ける。そのまま部屋を出て行く彼女を私は目で追った。
…アオイさんやしのぶさんは大変だ。これまでも薬を飲みたがらない隊士がいただろうけど、一体どうやって飲ませてきたんだろう。
苦いものって飲む前からイヤな味がする気がしてくるし、確かに想像だけで喉が閉じてしまう。彼の気持ちも理解はできる。
もういいと言われてしまったけど、でも心配だ。どうするべきか…。
「ははは、楽しそうでいいな…。その那田蜘蛛山の一件での子細報告で柱合会議に呼ばれたんだけど……」
「む、村田さんが?」
「ああ、地獄だった!」
村田さんがぽつりと零し、さっきまでの賑やかさと反比例するように部屋の空気が沈んだ。炭治郎くんたちはどこか驚いたように目を瞬かせる。
善逸くんに薬を飲んでもらう方法で頭を抱えていた私も、柱合会議という言葉になぜか反応してしまって、耳が自然とそちらへ傾いた。
「怖すぎだよ、柱……。なんか、最近の隊士はめちゃくちゃ質が落ちてるってピリピリしてて、みんな。那田蜘蛛山行ったときも命令に従わないヤツとかいたからさ。その育手は誰かって話題になって、めっちゃ言及されてさ」
そこまで一気に言い切ったあと、村田さんはがくりと肩を落とした。まるで背中の力が全部抜けたみたいに項垂れて、視線は膝のあたりをさまよっている。
「俺みたいな階級の者にそんなこと言ったってさ――」
…そんなことがあったんだ。
私の知っている柱は、しのぶさんと冨岡さんだけだけれど、怖いなんてイメージはあまりない。
しのぶさんは、たしかに怒るととても怖いけれど、普段は穏やかで、話すときはいつも相手を思いやっている。
冨岡さんにいたっては、怒っている姿を想像するほうが難しい。
だから、“柱は怖い”という村田さんの言葉が、どうしてもすぐには結びつかない。
私の知らないところで、柱という存在には別の顔があるのかもしれない。まだまだその実態は謎に包まれたままだな、とそんなことを思った。
…それにしても。やっぱり、村田さんという名前、どこかで聞いた気がするんだけど。誰が話していたのだろう。尾崎さん…だったかな。そこまで考えていた時――
「あっ、」
ひらり、と蝶の紋様の羽織が視界の端をよぎった。しのぶさんだ。彼女が病室に入って来ていた。
炭治郎くんも善逸くんも、すぐ彼女に気付いて一瞬で顔を青ざめさせる。
ただひとり、背中を向けていた村田さんだけがその存在に気付いていなかった。
しのぶさんは一つずつ順番に病室を回ってきただけなのだろうが、タイミングが悪い。さすがにこのままでは彼のためにならないと、呼びかけようとした瞬間、しのぶさんと目が合った。
しっ――
人差し指を唇に添えられ、私は息を飲んだ。
そのすぐ村田さんの後ろに、ふわりと足音が近づく。
「あ〜あ、柱怖えよ……」
村田さんのぼやく声が、やけにのんびりと響いた瞬間。
「こんにちは」
「――ッッ!!?」
村田さんの体が跳ね上がるように固まった。
頬から血の気が抜け、目はこれ以上ないほど見開かれ、炭治郎くんと善逸くんも「終わった」という顔をしている。
「は、柱っ!胡蝶様!!」
「こんにちは」
「あっどうも!その、さ、さようなら〜〜!!」
村田さんはほぼ反射的に礼をして、次の瞬間には駆け出していた。扉がバタンと閉まり、廊下の奥へ逃げていく足音がどんどん遠ざかっていく。
…よほど怖い思いをしたのだろう。あの怯え方、尋常じゃない。
冨岡さんも怒るのかな。一度だけでも、そういう姿を見てみたい――なんて、ほんの少し思ってしまった。
「あらあら、さようなら。…どうですか?体のほうは」
しのぶさんは全く気にすることなく、変わらぬ柔らかい声で炭治郎くんたちへ向き直る。
炭治郎くんは姿勢を正しながら「かなり良くなってきてます」と答え、その後ろで善逸くんが、しのぶさんへ向けて頬を真っ赤にして鼻の下を伸ばしていた。
確かにしのぶさん、とっても綺麗だから。初めて会ったとき、私も息を呑んだなあと呑気に考えていたとき。
「……リサさん、案内をお願いできますか?」
「えっ」
まさか自分に話が飛んでくるとは思わず、きょとんと固まってしまった。目を瞬かせる私に、しのぶさんは察したようにもう一度ゆっくりと説明を重ねてくれる。
「彼らには今日から“機能回復訓練”に入ってもらいます。炭治郎さんたちを、訓練室へ案内していただけますか?」
「あ……」
そう言われて、ようやく頭の中で点と点が線に繋がる。
機能回復訓練――といえば、あれしかない。以前、アオイさんとカナヲさんが行っていたあれだ。
私自身、ちらりと見ただけでもとても大変そうに見えたのだけれど。
「…わかりました」
そう言ってにこりと微笑むと、私はほんのひと呼吸おいて、ゆっくり炭治郎くんと善逸くんの方へ視線を向けた。
ふたりの喉が、ごくりと小さく鳴る気配がした。
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