33


リサさんはとても優しい人だと思う。
数日前に、なほたち三人とリサさんのことについて話をした。あの子たちに彼女のことをどう思うか、と尋ねたら、みんなで顔を見合わせて「お日様みたいにポカポカしてて、陽だまりみたいな人!」なんて楽しそうに笑っていた。
私もなんとなく分かる気がする。
隊士たちの中には、彼女のおっとりした佇まいや傷ついた者を包み込む慈愛の深さを称えて、「女神様」みたいだと噂する声もある。けれど私にとっては、どこか遠く雲の上の存在のような言葉よりも、なほたちが言った「陽だまり」という例えの方が、ずっとしっくりと胸に落ちた。
完璧な存在として遥か高みから救いの手を差し伸べるのではない。傷つき、怯える私たちのすぐ隣にそっと腰を下ろし、冷え切った手に自分の温もりを分け与えてくれる。
誰もが彼女の側にいると、鬼殺隊という過酷な場所にいることすら一瞬忘れてしまうような、そんな温かい安心感をもらっていたのだと思う。

だからきっと、こうなってしまったのも…。
リサさんにとっては、誰かの暗闇を照らすために手を伸ばした結果、だったのかもしれない。


_______



「どこかで女の子が泣いている声がする!!」

突如として、そう叫びながら廊下を歩く私の横を駆け抜けていったのは、善逸さんだった。

「あ、おい!善逸、待てって!」

慌てて彼を呼び止めようと廊下を走ってきた炭治郎さんは、その場に残された私と視線が合うと、バツが悪そうに額を掻いて顔を逸らす。
さらに、そんな二人の様子を見ていた伊之助さんは、持っていた木刀を振り回しながら後を追いかけていってしまった。

「……まったく」

深く溜息をつき、呆れ果てて頭痛すら覚える。彼らがこの屋敷へ来てからというもの、本当に毎日が騒がしくて敵わない。
けれど、善逸さんの「女の子が泣いている」という言葉がふと引っかかった。嫌な胸騒ぎがして、私は持っていた道具を置き、彼らの後を追うようにして向かった。
しかし、廊下を曲がり、開け放たれた玄関先が見えたその瞬間。私の足は床に縫い付けられたように止まってしまう。
善逸さんも、伊之助さんも、炭治郎さんも。まるで言葉を忘れたかのように呆然と立ち尽くしていた。

玄関の床に無残に散らばった、私が頼んだ薬草たち。
その真ん中で、あの水柱様に、抱きしめられたままボロボロと涙をこぼすリサさんの姿。
少し離れた場所には、しのぶ様がひどく痛ましい表情で佇んでいる。

「おざきさん、……おざ、きさん、っ、おざきさん……っ!」

冨岡様の胸に顔を埋め、何度も、何度も、壊れた人形のようにその名前を繰り返すリサさん。
その悲痛な叫びを目にして、さぁ、と全身の血の気が引いていくのが分かった。
まさか、と思う。そんなはずはないと、否定したかった。
私は、続々と集まってくる隊士の中から必死に尾崎さんの姿を探した。リサさんと尾崎さん、二人は本当に仲が良かったのだ。いつも一緒にいる彼女達は、まるで姉妹のようにお互いを信頼していた。二人一緒にいると、とても目立っていた。
それなのに。どこを探しても、あの見慣れた、凛とした優しい先輩隊士の姿はない。
いつも「アオイちゃん、今日もありがとうね」と、怪我の手当てをするたびに申し訳なさそうに微笑んでくれていた尾崎さん。

胃の底から、冷たい泥のような塊がせり上がってくる。
那田蜘蛛山。下弦の鬼が潜んでいたという、あの地獄。
先遣隊として向かった隊士たちのほとんどが、生きては戻らなかった。そして、尾崎さんもその先遣隊の一員だったはずだ。

「嘘……でしょう……」

あの子たちがお日様みたいだと笑っていた温かな陽だまりが、目の前で、音を立てて崩れ落ちていく。
死と隣り合わせのこの場所で、誰もが心のどこかで求めていたはずの「普通の温かさ」。
それが、これほどまでにあっけなく、容赦なく壊されてしまう。
耳を塞ぎたくなるほどの慟哭どうこくを聞きながら、私はただ言葉もなく見つめていることしかできなかった。









静まり返った部屋の中に、ぽた、ぽた、と点滴の雫が垂れる音だけが冷たく響いていた。
寝台の傍らでは、しのぶ様が横たわるリサさんの着物の帯を、少しでも楽になるようにと手際よく緩めている。
私は濡れた手拭いを準備し、リサさんの額にじっとりとにじむ汗をそっと拭った。

「アオイ、ありがとう。助かります」
「いえ、これくらいしかできなくて……」

しのぶ様に短く答えながら、私は次の指示に備えて医療器具を整えた。
…どうして、こんなことになってしまったのだろう。自分たちは、どうにかしてこの最悪の事態を避けられなかったのだろうか。
たらればを数え上げればキリがない。けれど、結局のところ私たちは誰も、彼女の世界が粉々に砕け散るその瞬間を、止めることも、庇うこともできなかったのだ。
その時、扉の外から控えめなノック音が響く。

「胡蝶、入っていいか」
「あ、冨岡さん。どうぞ」

水柱様。まだ帰らずに、処置が終わるまで待っていたのか。

「高月の様子はどうだ」

ガラリと引き戸を開け敷居を跨いだ水柱様は、視線を眠るリサさんへと向けた。
しのぶ様はほんの少しだけ困ったように首を振る。

「大丈夫ですよ。今は落ち着いて眠っています」

…リサさん。
細い腕に管を繋がれて眠るその姿は、痛々しくて見ていられない。泣き疲れて限界を迎えてしまった彼女は、さっき冨岡さんに抱きしめられたまま、意識を失ってしまった。
そんなリサさんを、ここまで抱きかかえて運んできたのも冨岡さんだった。

「酷い過呼吸を起こしていましたし、体力的にも精神的にも、一気に限界を迎えてしまったのでしょう。脱水気味だったので念のために補液をしていますが、じきに目を覚ますと思います。身体の方に大きな異常はありませんから」

リサさんの腕に繋がれた管に視線を落とし、補液が均等に落ちているかを指先で確認する。
確かにこのままいけば、数時間後には意識も戻るだろう。けれど…目が覚めてしまったら、待ち受けているのは…。

「冨岡さんがいてくださって助かりました。見苦しいところを見せてしまって、申し訳ないです」

調合室にいた私には、あそこで一体何があったのか詳しい経緯までは分からない。けれど、どこか苦しげなしのぶ様を見るのは、本当に久しぶりのことだった。
カナエ様を亡くされたあの日以来、その表情を見ることはなかったから。

「いや、俺が判断を間違えた。俺の責任だ」

手に固く握りしめてられてた青い首飾りを、冨岡様は傍らにある机の上へ置きながらそう言う。
なんだか悔しかった。柱のお二人でさえ、胸を痛めてる中、何もできない自分が。
いつだってそうだ。恐怖に足がすくんで戦うことから逃げ出した私は、こうして誰かが深く傷つき、ただ安全な場所から見ていることしかできない。
命を懸けて前線で戦う勇気もないくせに、ここで誰かの帰りを待ち、傷を癒やすことしかできないくせに。
彼女が傷ついたとき、側にさえいることができなかった。

けれど、この行き場のない怒りを一体どこへぶつければいいのだろう。悪いのは鬼だと、どんなに頭の中で叫んだところで、今ここに鬼がいるわけではない。
いくら鬼を憎み、責め立てたとしても、奪われた命が戻るわけでも、壊れた心が元通りになるわけでもないのだ。
どこにもやれない怒りと悲しみは、行き場を失ってぐるりと回り、結局は自分を刃となって突き刺す。何もできなかった自分を責めるしか、この胸の痛みを収める方法が私にも分からない。

「……冨岡さんだけの責任ではありませんよ」

しのぶ様は痛ましげに目を伏せ、リサさんの肩に布団を上げる。
鬼殺隊にいれば誰もが経験したことのある痛み。けれど、しのぶ様と冨岡様はそれを知っていて、あえてリサさんに黙っていることを選んだのだ。
本当のことを早く伝えるべきだったのか、それとも最後まで隠し通すべきだったのか。何が正解だったかなんて、きっと誰にも分からない。優しさのつもりだった選択が、結果として誰かを酷く傷つけてしまうこともある。そんな残酷な現実の前に、やり切れない思いだけが募っていく。

「それでも」

冨岡さんは低く呟き、手を固く握りしめた。

「事実を隠すべきではなかった」
「……ええ、そうですね」

でも、それはきっと、リサさんのためだったのだと思う。
あまりにも優しい彼女を傷つけたくなくて、その心を必死に守りたくて。お二人はあえて真実を伏せていたに違いない。
しのぶ様はそっと、寝台に横たわるリサさんの手に触れた。
傷つくことから守りたかった。そう思うのは、誰だって同じだ。

「ここに、高月を連れてくるべきではなかった」
「……それは、どういう意味ですか」
「普通の町娘として生きていた方が、こいつにとっては幸せだった。鬼の存在も、身内の死も知らぬまま、ただ穏やかに年を重ねるべきだった」

およそ冨岡様らしくない、けれど、だからこそ彼がどれほどこの結末に心を痛めているかが伝わってくる。

「俺は今日のことを見てそう思った」

たしかに、冨岡様の言う通りなのかもしれない。お日様のように温かいリサさんは、こんなに冷たい涙を流すためにここにいるわけではない。ここではないどこか遠い場所で、鬼のことなんて何一つ知らないまま、普通の女の子として笑って生きる未来があったなら、きっとその方がずっと幸せだった。
けれど、もしそうなっていたら、私は彼女と出会うことはできなかった。

「………」

冨岡さんはそれ以上語ることはなく、机の上に置かれた青い首飾りをもう一度だけ見つめると、ゆっくりと踵を返す。
静かに閉まった部屋の扉だけが、残された私たち間に、冷たく居座り続けた。




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