35
「……凄いたくさん食べますね、冨岡さん」
「お前ももっと食べろ」
そう言って、冨岡さんは新しく運ばれてきた串を、私の取り皿へとコトリと置いた。
私は手元の湯呑みを両手で包み込んだまま、目の前の大皿から焼き鳥が一本、また一本と消えていくのを、ただ呆然と眺めていることしかできない。
「行ったら分かる」とだけ言われ、一体どこへ連行されるのかと身構えていたけれど。辿り着いた先は町外れにある、大衆向けの焼き鳥屋だった。
この人は、ただ私をご飯屋に連れて来たかっただけなのだ。
店に馴染まない綺麗な顔をして、焼き鳥を凄まじい勢いで平らげることなのだから、そのちぐはぐさに思わず気が抜けてしまう。
並んで腰掛けた狭い長椅子の向こうからは、炭火の香ばしい匂いが漂ってくる。落ち着かない気持ちのまま、私はなんとなく周囲を見渡した。
時刻はまだ、お昼前。お世辞にも広いとは言えない店内には、まだ人は少なく、ぽつりと数人の客が静かに串を口に運んでいるだけだ。
美味しい、のだろうか。手つかずのまま、私の取り皿の上で少しずつ冷めていく焼き鳥を見つめる。
香ばしくて、とても良い匂いがしている。いつもならきっと、すぐに手を伸ばして食べていただろう。
そもそも、どうしてこんなにたくさんの量を頼んだのだろうか。冨岡さんの目の前には、すでに空になった竹串が山のように積み上がっている。ただでさえ驚くような量を食べているというのに、皿の上のものが減るたびに、彼は当然のように追加の注文を重ねていた。
その時、
――二人以上で来店の方
――焼き鳥、食べ放題
…これか。
だから、席に着くや否や「これを二人前」とだけ注文し、こんなに次から次へと大皿が運ばれてきているのだ。この時代にも食べ放題だなんて仕組みがあったのだなと、その珍しさに少し感心してしまう。
「あの、冨岡さん。私、今日はお財布が……」
「俺が払う。気にするな」
「でも、こんなにたくさん……」
「お前が食べなければ、俺が食べるだけだ」
淡々とした口調でそう言い切ると、冨岡さんは再びもぐもぐと串を口に運び始めた。
私も仕方なく、取り皿に置かれた焼き鳥を見つめる。せめて、一本は食べなければ申し訳ない。
「……じゃあ、いただきます」
串を持ち上げ、タレの染みたお肉を一口だけ齧ってみる。香ばしい風味が口いっぱいに広がって、ほんの少しだけ、自分がお腹が空いていたことに気づかされた。
「……美味しい、です」
「親父、次を頼む」
「……お、おう」
ぽつり、と呟くと、冨岡さんがすぐに次を注文した。まだ、ようやく一本を食べ終えようとしているところなのに。
「冨岡さんはよくここに来るんですか?」
「いや、初めてだ」
「えっ、初めてなんですか?」
その割には、ずいぶんと迷いなく店に入って、席に着くなり注文していたような。
「通りかかった時に、あの張り紙が見えた。一人では注文できない決まりになっているらしい」
冨岡さんが張り紙を指差しながら答える。
…なるほど。以前から狙いを定めていたのだろう。たくさん食べる冨岡さんには、もってこいの仕組みだ。
店主が新しく焼き上がった大皿を抱えて持ってきて、冨岡さんの前にそれが追加される。
「親父、それから塩の
「……」
冨岡さんの追加注文に、店主がついに観念したように引きつった笑みを浮かべた。
「に、兄ちゃん、まだ食べるのかい……?」
「ああ」
「いや、その……これ以上食べると、兄ちゃんの胃の調子が、その、悪くなっちまうんじゃないかと思ってよ……」
「大丈夫だ。だって食べ放題だろう」
「は、はえ……」
店主の心配を余計なお世話とばかりに一蹴する冨岡さんに、彼は魂が抜けたような声を漏らした。そのままトボトボと厨房の奥へと引き下がっていく。
「っ、ふは」
そのあまりにも噛み合わないやり取りに、私は思わず吹き出していた。
「なんだ」
冨岡さんが不服そうにこちらに視線を向けてくるが、私は口元を押さえたままさらに笑い声を上げてしまう。
「あははっ、いや、だって……っ」
それもそうだ。完全に、お店側が用意した食べ放題の想定を超えているはずだ。
お店側にしてみれば、私のような客ばかりなら食べ放題という仕組みも大いに儲かるのだろうけれど、冨岡さんという存在がその目算を完全に狂わせている。
まさか、こんな見目麗しい剣士がやってきて、表情一つ変えずに淡々と大皿を空にしていくなんて、お店側も夢にも思っていなかったに違いない。
「何がおかしい」
「ふ、ふふっ……ごめんなさい……」
それなのに、この人は。
「あははっ……っ、ちょ、まっ……それは……っ」
何それ。まさか、そんな一面があったなんて。
唇の端にちょん、とついた焼き鳥のタレ。
真面目な顔で食べ放題を即答して。店主を圧倒するほど食べて。なのに、口の周りは無防備で。
…それはあまりにもずるい。完全にツボに入ってしまい、やめたいのにどうしても笑いが収まらない。机に伏せるようにして、私はひたすらくすくすと言葉にならない声を漏らした。
「ふ、ふふっ……ほんと、ごめんなさい、冨岡さん……っ、でも、おかしくて……っ」
謝りながらも笑いが次々とせり上がってくる。とうとう目元にまで涙が滲んできて、私は慌てて袖でそれをゴシゴシと拭った。
冨岡さんはといえば、しばらく呆気にとられて私を見つめていた。
しかし、私がようやく落ち着きを取り戻し始めたのを見届けると、彼は安心したようにふっと小さく息を吐き、机に肩肘をつく。そして、どこか温かい光を宿した瞳で、こちらを見つめてきた。
「もういいのか」
「は、はい。すみません……」
さすがに笑いすぎてしまっただろうか。久しぶりにこんなに笑った気がする。少しばかり反省しながら、私は恐る恐る顔を上げた。
いつの間にか彼の口の端に付いていたあのタレは、綺麗になくなっている。どうやら私が笑い転げている間に、自分で拭ってしまったらしい。
「残念だな」
「えっ?」
冨岡さんはどこか名残惜しそうな視線をこちらに向けたまま、焼き鳥を一本手に取る。
「何がですか?」
「お前が笑うのをやめたのが、だ」
「そ、それは冨岡さんがおかしなことを言うからです」
「俺は、お前が笑っているところを見て安心した」
「どうして……ですか」
「時々、今にも泣き出しそうで酷く脆く見えた」
「……そう、見えましたか?」
大丈夫だと言い聞かせて、みんなの前だけではなんとか踏ん張れているつもりでいたけれど。でも、冨岡さんの目にはそうは映っていなかったらしい。
「ああ」と頷いた冨岡さんは焼き鳥をそのまま口へと含んだ。もぐもぐと咀嚼し、ごくりと飲み込んでから、また言葉を続ける。
「元来、お前は強い奴なんだろう」
「え……?私、全然強くなんてないです」
「そうか?俺は職業柄、いろんな人と会う機会が多い。だが、お前の強さは稀だと思う」
「ど、どこが……」
私がそう言い終わる前に、冨岡さんが小さく息を吐いた。
「そういうところだ」
何のことか分からず、私は目を瞬かせる。次の瞬間、冨岡さんの指先が伸びてきて、私の額にこつ、と触れ押された。
突然のことに思わず頬を熱くして、私は慌てて額を押さえる。
「そうやって、限界を超えるまで一人で抱え込むところだ」
私は言葉を失って、彼を見つめることしかできなかった。
尾崎さんを亡くしてから、私の世界はがらりと色を変えてしまった。寝ても覚めても涙が溢れて、底のない暗闇に突き落とされたような毎日。
どうして彼女が死ななければならなかったのかと、理不尽な現実を何度も呪った。
けれど、いつまでも泣いていたら、しのぶさんたちに余計な心配をかけてしまう。だから「大丈夫、私は平気」と自分に言い聞かせて、必死に笑顔の仮面を貼り付けて踏ん張ってきたのだ。
「全然、強くなんてありません。ただ必死なだけです……。毎晩、夢を見るんです」
そんな私のどこが強いと言うのだろう。
「夢?」
「はい……。尾崎さんが鬼の糸に操られて、泣きながら助けを求めている夢です。私はただ、蝶屋敷の玄関で彼女が帰ってくるのを待っていることしかできなくて……。手を伸ばしても全然届かなくて、彼女の体が、不自然な方向に折れ曲がっていくところで、いつも目が覚めるんです」
目を閉じれば、今でもあの悪夢の光景が脳裏に焼き付いている。耳の奥で、親友の絶叫がよみがえる。
「それで眠れないのか」
「……はい」
私は小さく頷いて、視線を落とした。
目を閉じればあの光景が待っていると思うと、夜が来るのが怖かった。横になって、ただ天井を見つめたまま朝を迎える日々。
ただ怖くて、苦しくて、眠ることすらできなくなって。今が夢だったらどんなに良かっただろうって、
その時、冨岡さんは懐から白い手拭いを取り出すと、そっと差し出してくる。
「使え」
言われて初めて、自分の視界が涙で歪んでいることに気がついた。慌てて受け取り、目元を押し当てる。
「胡蝶はそのことを知っているのか」
「……いえ、言っていません。しのぶさんにも……誰にも、話していません」
「なぜ言わない。あいつなら、お前の体調を案じて薬なり何なりを処方してくれるはずだ」
冨岡さんの言葉はもっともだ。しのぶさんなら、睡眠薬の類いのものを、処方してくれたに違いない。
けれど、それができないからこそ、私は一人で抱え込んでいたのだ。
「言えるわけ、ないです……。尾崎さんが亡くなったとき、私、我を忘れるくらい泣き喚いてしまって……皆に、たくさん心配をかけたのに。今だって、笑顔が不自然だって気づかれているかもしれないのに……これ以上、私のことで皆に心配や負担をかけたくありません」
命をかけて戦っている彼らに、迷惑をかけたくない。同じような痛みを、何度も彼らは乗り越えてきているのだ。
私の言葉を静かに聞いていた冨岡さんは、ふう、と小さく息を吐いた。
「前にお前に言ったはずだ」
「え……?」
「頼れ、と」
手拭いから顔を上げた私を、冨岡さんの指の背が目元を優しくなぞるようにして、涙をそっと押し拭う。
――『……冨岡さん。私は、どうすれば良かったんでしょうか』
――『頼れ』
――『頼る、ですか?』
――『そうだ。一人で抱え込もうとするな。次からはもっと早くに人を頼れ』
以前、私が同じように頑なに殻に閉じこもっていた時、彼が私にくれた言葉。
この消えない悲しみも、あの時のように助けてと誰かに頼って、一緒に背負ってもらって良かったのだろうか。
「お前は、尾崎という隊士を大切に思っていたのだろう。心が傷つくのは当然だ」
──たしかに、尾崎さんなら、私がこんな風に自分を追い詰めることを喜ばない。
でも、分からない。今の私には、何が正しくて、どうあるべきなのか、何もかもが霧に包まれたように見えなくなっている。
だから、分からないからこそ、今の私のままで、それを確かめに行きたくなった。本当の気持ちを全部吐き出したその先に、私が求めている答えがあるような、そんな気がしたから。
「……冨岡さん」
「何だ」
まっすぐにこちらを見つめてくる、どこまでも深い青の瞳。私は両手を握りしめ、祈るような気持ちで彼を見つめた。
「このあと、行きたいところがあるんです。一緒に来てくださいますか?」
*
「ここに、彼女が眠っているんですね……」
そう言って、私は足を止めた。
とても静かなその場所には、見渡す限りの石碑が整然と並んでいる。命を落とした鬼殺隊士たちが眠る場所。
――こんなにも。
鬼によって、こんなにも多くの人が亡くなったのだと、冷酷な事実を改めて突きつけられる。自分の意思で冨岡さんに頼み、ここに連れて来てもらったのは私なのに。息を吸うのも忘れて、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。
誰かの名前。誰かの人生。誰かと一緒に過ごすはずだった時間。それが、ここではただ物言わぬ石となって、静かに並んでいる。
「……尾崎さん」
たくさんの石碑の間を縫うようにして歩みを進め、ようやく見つけたその場所で、私はぽつりとその名を零した。
現実を完全に認めてしまうのが怖くて、ずっと逃げ続けていた。けれど、こうして目の前にすると、不思議と涙は出なかった。ただ、胸の奥がじんわりと痺れるような感覚の中で、私はその名前をぽーっと眺める。
そっとその場にしゃがみ込み、道すがら手に入れた白い菊の花を、墓石の前に供えた。
遅くなって、ごめんね…。あなたの死を知るまでに、少し時間がかかってしまった。
知ってからも、ここに来る勇気がなくてずっと逃げ回っていた。本当に、薄情な友達でごめんなさい。
でも、本当は。ここに来たら、あなたが本当にいなくなってしまったって、認めなきゃいけないのが怖かった…。
合わせていた手をゆっくりと下ろし、私は隣に佇む冨岡さんを小さく見上げた。
「冨岡さん……。私、何から話せばいいのか、わかりません」
いつも隣にいたはずの彼女が、私の知らない間に命を落としていたという現実。
どうして、彼女がそんな恐ろしい目に遭っている時に、私は何一つ気づかずにのうのうと過ごしていたのだろう。
寂しい、置いていかないでほしい、もっと話したかった――。
そんな、ぶつけようのない怒りや寂しさ、そして何も知らなかった自分への悔しさが、泥のように頭の中で渦巻いて、どれを最初に言葉にすればいいのか分からなくなってしまう。
「ゆっくりでいい」
そう言われて、私は小さく息を吐き出した。
何を話せばいいのか分からない。そう思ったけれど、彼の言葉によって、せわしなく波立っていた頭の中が、少しずつ凪いでいくのが分かる。
溢れそうになる感情の渦から、ゆっくりと、一番奥底にある言葉を手繰り寄せる。
怒りでも、悔しさでも、取り繕った笑顔でもない。
ただ、私の中に残された、尾崎さんとの思い出。
いつも一緒に笑い合って、他愛もないことでお喋りをして、お互いを心配し合っていた、あの温かい日々のこと。
…尾崎さん。蝶屋敷はね、相変わらず騒がしい日々が続いているよ。
炭治郎くんって子がやって来てね。妹さんが、鬼になってしまったんだって。だけど炭治郎くんはね、その妹さんを人間に戻すために、負けないで必死に戦っているの。
私、彼らを見送る時、あなたのことを考えていた。もう二度と、誰の命も消えてほしくないって、そればかり祈っていた。
だけど、だけどね、尾崎さん。私は…あなたに、生きていてほしかった。
炭治郎くんたちの無事を祈るその裏で、私の心は、ずっと醜く駄々をこねていた。
またいつもみたいに、任務から帰ってきたあなたに「おかえり」って言って、他愛のない話をして笑い合いたかった。一緒に美味しいものを食べて、くだらないことで悩み合いたかった。
ただ、それだけだったのに。
寂しいよ、尾崎さん。
……すごく、寂しい。
供えた菊の花びらが風で優しく揺れる。その可憐な姿が、どこか親友の面影と重なって、胸の奥が愛おしさで締め付けられる。
伝えたいことがね、本当にたくさんあるの。もし、あの任務に行く前に、私がもっと引き留めていたら。もっと別の言葉をかけていたら、何か変わっていたのかな。
考えても仕方のないことばかりが、頭の中をぐるぐると回って、そのたびに息ができなくなる。
あなたがいない世界なんて、何事もなかったかのように朝が来て、平然と時間が進んでいくのが、本当に恐ろしいの。
本当は全然平気なんかじゃない。
目の前でなほちゃんたちが笑っている時も、アオイさんが忙しそうに走り回っている時も、私の頭の片隅には、いつもあなたの幻影がこびりついて離れない。
「尾崎さん、次はいつ来るかな」って思う瞬間が、一日に何度もあって、そのたびに息が止まりそうになる。
あなたがいたから、私はここで自分の居場所を見つけることができたのに。
あなたがいてくれたから、私はただ息をしているだけじゃなくて、ここで「生きていていいんだ」って、そう思えたのに。
いつか…もっと時間が経ったら、あなたには本当のことを言いたかった。
私はね、本当はこの時代に生まれた人間じゃないの。遠い未来から、気づいたらここに迷い込んでしまって。そんなおかしな私だけど、あなたはいつも隣で支えてくれた。だから…。
だから、いつかもっとちゃんと伝えようと思っていたその言葉を、今ここであなたに届けたい。
見知らぬ世界に突然放り出されて、孤独で押し潰されそうだった私を、あなたがその優しい笑顔で包み込んでくれたこと。
何も分からない私に寄り添い、どんな時も私の心の拠り所でいてくれたこと。
もしあなたに出会えていなかったら、私はとうに立ち上がれなくなっていたと思う。
あなたが私の言葉に耳を傾けてくれたから、私はこの時代で自分の足で立つことができた。あなたが隣で笑ってくれたから、私はどんなことがあっても、前を向いて生きていく勇気をもらえたんだよ。
私に「生きる温もり」を教えてくれて、本当にありがとう。私の心の一番温かい場所を守り続けてくれて、本当に、ありがとう。
伝えたいことはたくさんあるのに、次に溢れてくるのは、彼女への尽きない感謝ばかりだった。
ただ優しく寄り添って、私の存在を肯定してくれた彼女。ただ隣にいてくれるだけで、どれほど救われていたか、当時の私はちゃんと彼女に伝えられていただろうか。
「……よく考えてみると私、尾崎さんのこと、何も知らないんです」
合わせていた手を解き、私は隣に立つ冨岡さんを見上げた。
「いつも私の話ばかり聞いてくれて、自分のことは二の次で。優しくて、温かくて、凛としていて……よく食べて、故郷の桜餅が大好きだってことくらいしか、私、彼女のことを知りません」
思い出すのは、いつだって私を気遣って、自分のことは後回しにしていた彼女の優しい笑顔ばかり。
「もっと、彼女のことを聞いていればよかったのに」
任務が忙しそうだったから。疲れていそうだったから。私が話すのを彼女が楽しそうに聞いてくれるから、私が話すほうが楽だろうって、勝手に決めてしまっていた。
聞こうと思えば、いくらでも聞けたはずなのに。「尾崎さんは?」って、それだけでよかったのに。
彼女はきっと、少し照れながらでも話してくれたはずだ。
「もっともっと、感謝を直接伝えたかった」
悔やんでも悔やみきれない思いが胸を締め付ける。
「私、強くならなきゃって。立ち止まらないで……彼女が頑張り屋さんだねって褒めてくれたように、ちゃんとやらなきゃって。……でも」
言葉が途切れ、視界が歪み白い花がにじんでいく。
「一緒にいるときは、全部半分こだったんです。辛いときも、しんどかったときも。彼女がいたから、私、ここまで耐えてこられたのに」
喉の奥がきゅっと狭くなって、息をするのが苦しくなる。
「甘えていいって。一人で抱え込まなくていいって。いつでも声をかけてね、って……。……でも、もう……」
あの日、私を抱きしめて、そう言ってくれた彼女はもうどこにもいない。
「もう、いないんです……。どこを探しても……どこにも……」
抑えようとしても、声がひどく震えてしまう。
深く息を吸おうとするのに、空気が肺の途中でつかえたように上手く吸えない。
「私……これから、彼女なしにどうやって悲しめば……どうやって、前を向いていけば……いいんでしょうか……」
半分こにしてくれる人は、もういない。一人で背負うには、この世界の悲しみはあまりにも重すぎる。
視界を遮る涙が、ついに堪えきれずに頬を伝って流れ落ちた。
「会いたい」
ぽつりと、こぼれる。
「尾崎さんに……会いたい……」
一度決壊してしまった感情は、もう止まらない。
両手で顔を覆い、私はその場に丸まるようにして、ぽろぽろと涙を流した。
日常を取り繕っていた仮面が剥がれ落ち、子供のように声を上げて泣き崩れる私の肩を、大きな手のひらがそっと包み込んだ。
冨岡さんは地面に膝を突き、私の目線に合わせるようにして低く屈んでくれている。
私は冨岡さんの羽織の袖を、縋るようにしてぎゅっと握りしめた。涙は次から次へと溢れ、しばらく止まることはなかった。
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