37
毎晩、夢見が悪い。それは自分でも分かっていた。自分は寝不足だ、という認識もそれなりにしていたつもりだった。
けれどそれは、身体がとうに限界を越えているという自覚とは、まったく別の話だったらしい。
次に目が覚めたとき、視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井と窓から差し込むやたらと強い日差しだった。
時計に視線をやると、なんとお昼の十二時をとうに過ぎていた。
「ええ、うそだぁ……」
小さく呟きながら、布団の中で思いきり両腕を伸ばす。あんなに重かった頭はすっきりと軽くなっていて、昨日までの疲労感が嘘のようだ。
こんな時間まで一度も目を覚まさずに眠りこけていたなんて。呆然としながらゆっくりと上体を起こすと、パサリ、と胸元から何かが床の上に落ちる。
「あ……、」
それは、冨岡さんに貸してもらった、あの白い手拭いだった。
…起こしてって、言ったのに。ということは、あの馬車の後、彼が私をここまで運んでくれたのだろう。
冨岡さんに運ばれるのは、これで二度目だ。本当に、油断も隙もない。次にもしそういうことがあったら、その時は絶対に眠らないでおこうと心に誓った。
「…洗って返さなきゃ」
落ちた白い布を拾い上げ、両手で包み込むようにしてぽつりと呟く。昨日のことは思い出すだけで胸がツンと痛むけれど、不思議と今までのような暗い絶望感はなかった。
ふと視線を上げると、机の上に置かれているのが目に入る。首もとに手をやると、そこにも私がいつもつけている、同じ対の首飾りがある。
寂しくて、恋しくて、どうしようもないくらい会いたいけれど。それでも、人生は進んでいく。いつか、この首飾りをお守りにして、私も前も向いていけるだろうか。
その時、コンコン、と控えめなノックの音が響く。
「は、はい!どうぞ」
慌てて滲みかけていた涙を拭い声をかけると、戸が開いてアオイさんが顔を出した。
「リサさんおはようございます。と言っても、もうお昼過ぎていますけどね」
いつものように少し呆れたような、けれどどこかホッとしたような調子でアオイさんが微笑む。
「あ、アオイさん。おはよう、ございます……」
恥ずかしさに頬を熱くしながら返すと、アオイさんの両手にお膳が握られているのが見えた。湯気の立つお味噌汁と美味しそうなご飯が乗っている。
「ご飯、まだですよね?昨日の夜も食べ損ねていましたし、これだけ寝たらきっとお腹が空いた頃だろうと思って、持ってきました」
「え、あ、ありがとうございます……っ!すみません、わざわざ運んでもらっちゃって……」
「いいんですよ。しっかり食べて体力を戻すのも、立派な療養なんですから」
「わあ……アオイさんの作った筑前煮、美味しそう……」
言われてみれば、お腹がぐう、と小さく音を立てる。お膳から立ち上る優しい出汁の香りが鼻腔をくすぐり、それだけでなんだか泣きそうになってしまう。
「ここに置いておきますから、ゆっくり食べてくださいね。食べ終わったらそのままでいいですから」
「あっ、あの、アオイさん」
そのまま立ち去ろうとしたアオイさんに、私は思わず声をかけていた。
「その、たくさんご心配をおかけしました……。私、あの……」
これまで塞ぎ込んで、みんなに余計な気を遣わせてばかりだった。その申し訳なさと、それでもこうして変わらずにいてくれることへの感謝が胸にせり上がってくる。
まだ完全に元気いっぱい、というわけにはいかないけれど、それでも。
「でも、もう大丈夫ですから。……ありがとうございました」
少しだけ不器用になってしまったかもしれないけれど、今できる精一杯の気持ちを込めて、私はアオイさんに微笑みかけた。
アオイさんは私の言葉を黙って聞いたあと、じっと顔を見つめてきた。そしてすぐに、ふっと表情を和らげる。
「……昨日、水柱様とお墓参りに行って来られたんですよね」
「あ、はい」
どうしてそれを、と思ったけれど、私が寝ている間に冨岡さんがここまで運んでくれたのだから、アオイさんたちが事情を知っているのも当然だ。
「良かったです。ずっと心配してましたから」
「心配ばかりかけて、本当にすみません」
「違いますよ。このままリサさんがお屋敷から出ていっちゃうんじゃないかって、心配してたんです」
「え、……っで、出たくないです!?」
予想もしなかった心配をされていたことに驚いて、私は思わず身を乗り出して否定した。アオイさんも冨岡さんみたいなことを言う。
居場所なんて、ここ以外にどこにもない。むしろ、こうして置いてくれているみんなの優しさに、いつも感謝している。
「ふふ、ならいいんです。…さ、冷めないうちに食べてくださいね」
私の必死な様子がおかしかったのか、アオイさんは今度こそ本当に安心したように笑って部屋を後にした。
私に居場所を与えてくれたしのぶさん。いつも厳しいけれど、誰よりも早く私の異変に気づいてくれるアオイさん。言葉数は少なくても、すれ違うたびにふわりと優しい微笑みを向けてくれるカナヲさん。私の顔を見るたびに「リサさん!」と無邪気に駆け寄ってきてくれる、なほちゃん、きよちゃん、すみちゃん。
みんな、優しい。優しすぎるほどだ。私はここで、みんなと一緒に生きていきたい。尾崎さんが命を懸けて守ろうとしたこの世界で。
「……いただきます」
小さくそう呟き、私はアオイさんが作ってくれた温かいご飯をゆっくりと口へと運んだ。
*
「本当にこのお部屋を使っていいんですか?」
遅い朝餉を食べ、湯殿でこわばった体をすっきりと洗い流した私を待っていたのは、申し訳ないくらいに良いお部屋だった。
驚きと戸惑いで目を丸くする私に、アオイさんは誇らしげに胸を張って見せる。
「もちろんです。昨日急いで用意したんですから。さあ、遠慮しないで入ってください」
促されるままに一歩足を踏み入れる。
ここは、普段患者たちが怪我の療養のために使う病棟とは違い、しのぶさんたち蝶屋敷の身内が普段生活をしている離れだった。
以前私が使っていたのは、病室として使われるはずの空き部屋。そこに比べて、だいぶ部屋が広くなって、窓からの景色も良くなった。
でも、元々の部屋で特に不便に思ったことはないし、居候の私に、いきなりこんな良い部屋を用意されて恐縮しないわけがない。
「計画自体は、ずっと前からあったんですよ。ほら、病棟の方だとどうしてもいろんな人が出入りしますし……安全面だって少し心配じゃないですか」
確かに、病棟は任務で傷ついた隊士たちが昼夜問わず運ばれてくる場所だ。
あの暴漢に襲われた一件以来、見知らぬ男性の大きな物音に、一時は体を強張らせていたこともあった。
「……そういうことなら。皆さんと部屋が近くなって嬉しいです」
ここは前と違って和室だけれど、ずっと広くて、天井も高くて、畳まで新しい。
「それじゃあ、私は今から病室を順番に回ってきますね」
「あ、じゃあ私も一緒に……」
「大丈夫です!リサさんは、自分の新しいお部屋の片づけをしててください」
「あ、う……」
手伝いを、させてもらえない。アオイさんは有無を言わせないと言わんばかりに、私の言葉を遮った。
まあ、まる一日寝ていた人間が「お手伝いします!」なんて言っても、何の説得力もないのは確かだ。
「あ、アオイさん。あの、しのぶさんは今どこにいらっしゃいますか?」
アオイさんが部屋を出て行こうとしたとき、ふと思い出して声をかけた。前に、大荒れに荒れて取り乱してしまった手前、もう一度きちんとお礼と謝罪を伝えたかったのだ。
「しのぶ様なら、カナヲと町へ出かけられましたよ」
「あ、そうなんですか?」
それなら、邪魔するわけにはいかないな…。
水入らずの姉妹の大切な時間だ。今日くらいは心配事を忘れて、ただ穏やかに笑っていてほしい。
しのぶさんへの謝罪とお礼は、後日にしよう。そう決めて、私は部屋を出て行くアオイさんを見送った。
さて。一人残された新しい部屋で、ぽつんと立ち尽くす。
片付け、と言われて部屋の隅にまとめられた荷物を見つめるけれど、中身はほんの少しの着替えや身の回りのものがあるだけだ。無意識のうちに物を増やさないように生活していたから、あっという間に片付けは終わってしまう。
以前、冨岡さんからもらった桜の枝も、花が落ちたあともしばらくは緑の葉を茂らせて目を楽しませてくれていたけれど、やがて静かに枯れてしまった。
それから、新しく設えられた真新しい文机の上に、これも冨岡さんにもらった飴玉の瓶をそっと置いた。
最後に残った一番大切な荷物を手にする。指先でその冷たい青石の感触を確かめたあと、手拭いを用意して尾崎さんの首飾りを丁寧にくるんだ。
そして、引き出しの奥へと、大切に大切に、仕舞い込んだ。
*
——柱の煉獄さんが亡くなった。
その報せは、あっという間に鬼殺隊の中を駆け抜けた。
「柱」という存在は、私たちにとってこの過酷な世界を繋ぎ止めている、絶対的な防波堤のようなものだ。彼らがいるから、この世界はまだ、かろうじて人の世界として保たれているのだと。
私自身、柱の方々のことを詳しく知っているわけじゃない。お屋敷でお世話になっているしのぶさんと、冨岡さん。私が直接言葉を交わしたことがある柱は、その二人だけだ。
それでも、あの圧倒的な強さと存在感は痛いほど分かっていた。だからこそ、直接お会いしたことのない煉獄さんの訃報は、胸をえぐるような衝撃だった。
私たちが絶対に敵わないような異形を、当たり前のようになぎ払っていく雲の上の存在。その柱でさえ、命を落とすことがあるなんて。鬼という存在の理不尽さと底知れなさを感じた。
彼らの強さも、命も、決して永遠を約束されたものではなく、削ればいつか尽きてしまう、私たちと同じ有限のものなのだと思い知らされる。
どれほど尊く磨き上げられた命であっても、失われるときは一瞬で、そこに何の奇跡も慈悲も起きはしない。
誰もが明日を奪われるかもしれないこの世界で、私たちは何を信じて、何に縋って生きていけばいいのだろう。
「わーん!炭治郎さんがいませーんっ!!」
任務へ見送ったあの日から、そう日を置かずに炭治郎くん、善逸くん、伊之助くんの三人は蝶屋敷へ戻ってくることとなった。傷だらけの体で戻ってきた彼らは、再びこの蝶屋敷で療養生活を送っている。
なんだか、みんな少し静かになってしまった。前みたいに、善逸くんの賑やかな泣き言が響くことも、伊之助くんが猪突猛進と騒ぎ立てることもない。
それぞれの部屋に、ぽっかりと冷たい沈黙が居座っているような、そんな息苦しさがあった。
そんなある日のこと。突然、炭治郎くんの行方が分からなくなってしまった。
「どうしたの、きよちゃん?炭治郎くんがいないって?」
「お薬の時間なのに、炭治郎さんがどこにもいらっしゃらないんです……!まだお体、すごく痛むはずなのに……!」
「えっ?!」
涙をいっぱいにためたきよちゃんが、私の着物の袖をぎゅっと掴んで見上げてくる。
「お部屋もお庭も厠も、全部探したんです……!」
私の頭に、あの抜け殻のようになっていた炭治郎くんの姿がよぎる。
三人の中でも、特に炭治郎くんの怪我は重かった。お腹に大きな傷を負っていて、動くことでさえ大きな痛みが伴うほどの。
「それに炭治郎さん、傷が治ってないのに鍛錬もなさってて!しのぶ様もぴきぴきなさってるんです!安静に、って言われてるのに……!」
「あの怪我で!?」
思わず目を見張った。そんな状態で鍛錬をすれば、下手をすればまた傷が開いてしまうかもしれない。しのぶさんがぴきぴきしている光景が容易に目に浮かぶ。そんな体で、一体どこへ行ったというのだろう。
ひとまず私ときよちゃんの二人で、手分けして炭治郎くんを探し出すことに決めた。きよちゃんには屋敷の中をもう一度探してもらい、私は屋敷の外を捜索する。
あの傷を考えれば、まだ遠くまでは行っていないはずだった。まずは屋敷の裏手にある林や、普段みんなが鍛錬に使う裏庭の隅々まで声を張り上げながら探した。
屋敷の周辺にいないとなれば、次は町だ。炭治郎くんのあの生真面目な性格を考えれば、何か目的があって町の方へ向かったのかもしれない。
そう思ったのだけれど、町中をどれだけ歩き回っても、彼に繋がる手がかりは一つも見つからなかった。
そして、結局、夜まで炭治郎くんの姿が見えることはなく。
夜明けまで、彼が帰って来ることはなかった。
次の日の早朝。
炭治郎くんのことが心配で、いつもよりずいぶん早い時間に目が覚めてしまった。布団から起き上がったものの、まだ頭の芯が少しぼんやりとしていて、眠たい目をこすりながら部屋を出る。
まだ薄暗く、他の誰も起きていない静かな廊下を進みながら、とにかく今はいつも通りに自分の仕事をこなさなければと思う。今日こそ炭治郎くんが戻って来なかったら、それこそ大事だ。
ひとまず火を熾して、みんなの朝餉とお薬の準備を始めよう。それから、また探しにいけばいい。そう自分に言い聞かせるように、私が台所の引き戸に手をかけた、その矢先。
「リサさん!!!」
「ひゃい!?」
突然目の前に現れたアオイさんに飛び上がるほど驚いてしまい、私は素っ頓狂な声を上げた。寝ぼけていた頭が一気に冴え渡る。
「あ、アオイさん?は、早起きですね……?」
「すみませんリサさん!!今すぐに町に行って、みたらし団子を三本買ってきてくださいませんか!!」
「みたら、……え?」
「みたらし団子です!!」
すごい剣幕で不思議なことを言われるものだから、聞き間違えかと思って思わず聞き返してしまった。
みたらし団子?いや、なぜ?
何か深い理由があるのだろうか。こんな早朝から一体、どういった意図があってみたらし団子を三本も買いに行かなければならないのだろうか。
「あの、アオイさん、どうして今お団子を……」
「訳はあとで説明するので!早急にお願いします!これ、お金です!!」
問答無用といった様子で手のひらに巾着袋を押しつけられる。
お腹に大きな怪我を負った炭治郎くんの行方がまだ分かっていないというのに、意図がどうしても掴めない。
けれど、アオイさんがここまで必死に言うのにも、きっと何か重要な理由があるのだろう。
「わ、分かりました!行ってきます!」
私はその巾着袋をきゅっと握りしめ、玄関へと引き返して草履に足を突っ込んだ。
まだ開けたばかりの、この時間からやっている一番近くのお団子屋さんを目指して朝の道を全力で走った。
*
「鋼鐵塚さんの追跡は、夜明け近くまで続いたんだって」
お味噌汁の椀を持ったまま、善逸くんがどこか同情した顔で呟いた。
「それで食欲ねえのか!食え!」
隣で伊之助くんが、茶碗を持った反対の手で炭治郎くんの背中をバンバンと叩く。
「ごふっ……!ごめん、伊之助……でも本当に、気持ち悪くて……」
朝の食堂。入院服の胸元をゆるめた炭治郎くんは、お腹をさすりながら力なく笑った。お粥を一口すするだけで精一杯のようだ。その手は、心なしか震えている。
…炭治郎くんが見つかった。それも、私が息を切らせて団子屋から屋敷に戻ったときには、もう炭治郎くんは布団の中に連れ戻されたあとだった。一体どこへ行っていたのか、皆が問い詰めるなかで炭治郎くんは申し訳なさそうに、切なそうに語ったそうだ。
亡くなった煉獄さんのお屋敷へ行っていたと。遺された最期の言葉を、お父様と弟さんに直接伝えるために。
「おかわり、いりませんか?」
「ごめん、すみちゃん今はちょっと……」
その体で、何里もある道のりを歩き通していたなんてとても信じられない。
けれど、大切な人の最期の願いを、きちんと届けること。そして次に進むために、知るべきことから決して目を逸らさないこと。きっと、炭治郎くんにとってそれは、どんな痛みに耐えてでも成し遂げなければならないことだったのかもしれない。
「本当に心配したんですよ?」
しかし、強い思いがあったとしても、死んでしまっては元も子もない。きよちゃんの言葉に、炭治郎くんは「本当にごめんなさい……」と眉を下げて、申し訳なさそうに手を合わせた。
「……鋼鐵塚さんは今どうしてるの?」
「鋼鐵塚さんなら緑側で、リサさんが買って来てくださったみたらし団子を食べていらっしゃいますよ」
「なんとか機嫌も直ったようですよ」
「そうなんだ。みんなありがとう……」
しかし、炭治郎くんがようやく用件を終えて、疲れ果てて蝶屋敷の近くまで帰り着いたところで、今度はもう一つの災難が待ち受けていた。
あの無限列車での戦いで、炭治郎くんは自身の刀を失くしてしまったらしい。その刀を打った刀鍛冶――鋼鐵塚さん、というらしいその方は、自分の作った刀に並々ならぬ執念と愛情を持っているらしく。
自分の刀が失われたことを知るや否や、怒り狂って包丁を両手に、炭治郎くんを襲ってきたのだという。
「鋼鐵塚さんって、少し気難しい方なの?」
「はい。腕は確かなんですけど……」
私の質問に、きよちゃんが小声で答えてくれる。
そうなんだ。そこで、あのみたらし団子の出番だったという訳だ。刃物を振り回して追いかけてくるような凄まじい刀鍛冶さんでも、好物には目がないらしい。
「お団子一つで機嫌が直っちゃうなんて、なんだか可愛らしいところもある人なんだね」
私が微笑みながら言うと、包丁で追いかけ回された当事者の炭治郎くんは「かわいくは…なかったかな…」と遠い目をして苦笑していた。
アオイさんときよちゃんたちも、どこか引き攣った笑いを浮かべている。
確かに、夜明けまで包丁を持った人に追いかけ回されるなんて、普通に恐怖でしかない。炭治郎くんが無事で、買ってきたお団子が役に立って本当に良かった。
「俺も団子食いてえ!」
「はいはい、またあとで伊之助さんの分も買っておきますから」
伊之助くんをなだめるアオイさんの横で、私はお粥を前にした炭治郎くんの横顔をそっと見つめた。
あの炭治郎くんでも、落ち込んだり、もう駄目だと思ってしまうことがあるんだな。いつも真っ直ぐで、迷いがなくて、どんな状況でも前を向いていた炭治郎くん。
「さっ!それを食べ終わったら今日も機能回復訓練に入りますからね!」
腰に手を当ててパンパンと手を叩いたアオイさんの容赦のない宣告に、食堂の空気が一瞬で凍りついた。
「うげぇぇぇっ!勘弁してよアオイちゃん!俺まだ身体中が痛くて動けないんだってばぁぁ!」
「甘えたことを言わないでください!怪我を治して元の状態に戻すまでが療養なんですっ!」
「嫌だあぁぁ炭治郎助けてぇ!アオイちゃんが鬼に見えるよおぉ!」
「……あ、炭治郎さんは別ですよ!しばらくお布団でじっとしているよう、しのぶ様から命令が出ています」
善逸くんをビシッと指差しつつも、炭治郎くんにはクルリと向き直って、少し口調を和らげながらそう釘を刺すアオイさん。
「あはは……うん、ありがとうアオイさん。お言葉に甘えて、もう少し休ませてもらいます」
弱々しくも、素直にお粥の匙を取り直した炭治郎くんの姿に、私は胸の内で小さく安堵の息を漏らした。
良かった。ちゃんと休んでくれるみたいだ。
煉獄さんを失った痛みを誤魔化すように、ここ数日は傷も癒えきらない体で無理矢理にでも鍛錬に打ち込んでいた炭治郎くん。
その悲痛な背中を考えるたび胸が締め付けられる心地だったけれど、しのぶさんの言いつけとアオイさんの言葉なら、おとなしく従う気になってくれたらしい。
今の彼に必要なのは、刃を振るうことではなく、身体と心を少しでも休めることなのだから。
誰だって。痛みを抱えている。それは唐突に私たちを襲い、避けられない。
でも――それでも。その消えない痛みを抱えたままであっても、私たちはこの先へ生きていかなければならない。
彼が、彼女が、命を賭してまで美しいと信じたこの世界で。
炭治郎くんがその背中で私に教えてくれたように。今度は私が、その光を、この世界の優しさを。強く信じていなければならないのだと、そう思った。
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