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昼間の賑やかさが嘘のように静まり返ったその夜。
長雨を降らせていた雲は今晩は消え、夜空には吸い込まれそうなほど澄み切った月が、青白い光を優しく地上へと注いでいた。久々の晴天がもたらした涼やかな風が、庭の草木をサラサラと揺らす。

「へぇ、炭治郎くんって六人兄弟の長男だったんだ」

虫の鳴き声に耳を澄ませながら、私は縁側の隣に座る炭治郎くんに視線を向けた。
庭のあちこちでは、すみちゃん、きよちゃん、なほちゃんの三人が楽しそうに禰󠄀豆子ちゃんと追いかけっこをしている。
鬼である禰󠄀豆子ちゃんにとって、太陽の消えた夜だけが、こうして自由に動き回れる大切な時間だ。最近では、三人娘も禰󠄀豆子ちゃんと遊べる夜になるのを心待ちにしているようだった。

「はい!一番下の六太まで入れると、それはもう毎日が賑やかで……。善逸や伊之助がいても、今が少し、静かに感じるくらいです」
「六人兄弟のお兄ちゃんかぁ。すごいね、炭治郎くんは本当にしっかりしてるもの」
「そんなことないですよ」

照れくさそうに頬をかく炭治郎くん。
なんだか、すごく納得だ。炭治郎くんのあの底なしの優しさや、自分のことよりもまずは人の心配をして、傷ついた誰かに当たり前のように寄り添える姿勢。
初対面の時から感じていた彼の不思議な包容力は、きっとこうして大家族の長男として、たくさんの弟や妹たちの手を取り、愛し、守ってきた日々の中で育まれたものなのだろう。

「私は一人っ子だったから、そういう賑やかな家族ってすごく憧れちゃう」

父と母から溢れんばかりの愛を注がれ、何不自由なく大切に育てられた。けれど、一人で静かに過ごす子供時代の中で、「もしも私に兄弟がいたらどうだっただろう」と何度か考えたことはある。

「へえ、リサさんは一人っ子だったんですか。意外です」

炭治郎くんは少し驚いたように丸い目をパチパチさせると、どこか感心したような表情で私を見つめた。

「いつも周りをよく見ていて面倒見がいいので、俺、てっきり下に兄弟がいるのかなって思ってました」
「えっそんなこと言われたの初めてだよ!」
「本当ですか?」

未来にいた頃の自分を思い出してみても、決して誰かを引っ張ったり、かいがいしく面倒を見たりするようなタイプではなかったはずだ。
どちらかと言えば、家族や友人から「見ていてハラハラする」と呆れられ、何をするときも心配ばかりかけられていた側だったと思う。
雨の日に転びそうになったり、先ほども曲がり角で人にぶつかってしまったり…自分ではちっとも成長していないつもりだったけれど。
でも、ここに来てから、少しずつ私も変わっているのかもしれない。

「わっ、禰󠄀豆子ちゃん?」

その時、三人娘たちと元気に追いかけっこをしていたはずの禰󠄀豆子ちゃんが、とてとてとこちらへ歩いてくると、そのまま私の膝にしがみつくようにして、ぎゅっと抱きついてきた。

「むー」

竹の口枷の奥から、甘えるような小さな声が漏れる。

「ふふ、どうしたの?眠くなっちゃった?」

尋ねながら視線を下げると、彼女は私の着物にすりすりと、小さな頭を擦り付けてきた。
柔らかくつややかな黒髪と、あたたかな体温が太もも越しに伝わってくる。ほんのり薄紅色の瞳は、心なしかトロリと重たそうに揺れていた。
たくさん動き回って、少し疲れちゃったのかもしれない。
…可愛いなぁ。もしも私に妹がいたら、こんな感じだったのだろうか。

「炭治郎くん、可愛すぎてどうしよう」
「禰󠄀豆子は村でも評判な美人だったんで」

どこか誇らしげに胸を張る炭治郎くん。それはもう、自慢の妹だことだろう。
二人が、いつか絶対に報われてほしいなと思う。鬼の牙も爪もすべて消え去って、どうかこの優しき兄妹に、陽の当たる場所での穏やかな日々が戻ってきてほしい。
そんな私の静かな願いをよそに、炭治郎くんはふと思い出したようにポン、と手を打った。

「そうだ俺、リサさんにずっと聞きたかったことがあるんですけど」
「うん?なあに?」

禰󠄀豆子ちゃんの頭を優しく撫で下ろしながら、私は笑みを返した。
炭治郎くんは、どこか言いづらそうに視線を泳がせ、それから意を決したように真剣な瞳で私を見つめてくる。

「リサさんと冨岡さんって、その……恋仲なんですか?」
「―――っこ!!??」

思いもよらぬ名前と単語の組み合わせに、喉の奥が変な音を立てた。
せっかくの情緒も優雅な夜風も、一瞬でどこかへ吹き飛んでいく。ゲホゲホと激しく咳き込む私を見て、炭治郎くんは「大丈夫ですか!?」と慌てて私の背中をさすってくれる。

「……ち、違います!!!」
「えっ違うんですか?」

炭治郎くんは一体何を言い出すのだろう。慌てて否定をしたが、なんだか腑に落ちないような表情を浮かべている。
いくらなんでも「恋仲」だなんて、発想が飛躍しすぎている。

「…どうしてそう思ったの?」
「那田蜘蛛山の一件があったとき、冨岡さんがリサさんに寄り添ってずっと抱きしめてましたよね」
「…そうだったかな」
「それに、リサさんが眠っていた時も、冨岡さんが横抱きにして部屋まで運んでいるのを見かけましたし」
「……そうだったかな」
「それだけじゃないです。お二人が一緒にいた時の匂い……雰囲気というか。すごくお互いを大切に想っているように感じたので」

炭治郎くんは少しだけ困ったように、耳飾りをカランっと鳴らしながら首を傾げた。

「てっきり、そういう仲なのだと」
「匂い?ち、違うよ!そんなんじゃない!冨岡さんはただ色々と気にかけてくれているだけで……」

これ以上の誤解を広げまいと必死に説明する。

「えっ、えっ、何のお話ですか〜?!炭治郎さん、今なんて言ったんですか?」
「なんでもない、なほちゃん、なんでもないから気にしないで」
「怪しいですよ!リサさんのお顔が真っ赤です!何を話したのか教えてください!」
「す、すみちゃんも興味持たなくていいから!」

慌てて駆け寄ってきた三人に返事を返しつつ、私は炭治郎くんに視線を向ける。

「えぇ……。そうなんですか?」

炭治郎くんは、きょとんとした顔で、まるでとても残念なものを見るように目を丸くした。
そんな顔をされたって、絶対にありえないものはない。奇跡が百回起きたってない。
これ以上この話題を掘り下げられたら、私が自爆してしまうのは時間の問題だった。

「そ、それより炭治郎くんこそ、冨岡さんとはどういう関係なの?」

よし、完璧。我ながら見事な話の方向転換だと、そっと胸を撫でおろす。
急に話を振られた炭治郎くんは、「えっ俺ですか?」とパチパチと目を丸くさせた。

「冨岡さんは……俺にとって恩人であり、兄弟子であり、本当に感謝してもしきれない人です」
「へ、へえ。そうなんだ」

以前、二人が一緒に話している姿をどこかで見かけたことがあった。
口数が少なくて何を考えているのか読みづらい冨岡さんと、真っ直ぐで嘘のつけない炭治郎くん。一見すると不思議な組み合わせだけれど、どこか似た雰囲気をもっている。
隊服を着ているとき、つけてる脚絆きゃはんも同じだ。
そうだ、炭治郎くんも「水の呼吸」の使い手だったっけ。兄弟子ということは、同じ流派を汲む剣士ということなのだろうか。

「最初にお会いした時から、冨岡さんは俺と禰󠄀豆子のために道を示してくださって……!」

冨岡さんへ尊敬と感謝を語る炭治郎くんの瞳は、きらきらと眩しく輝いている。彼にとっても、冨岡さんは特別な存在なんだ。誤解されやすい冨岡さんの真直ぐな優しさを、炭治郎くんもしっかりと感じ取っている。
三人娘たちも「へぇ〜!」と目を輝かせながら、炭治郎くんのお話にすっかり夢中になっていた。
なんとか興味がそっちに向いてくれたことに、安堵する。

「だから俺、そんな冨岡さんとリサさんお二人の関係がずっと気になってて!」

……。
なぜ、話を戻すのか。

「そ、それは……私も炭治郎くんと同じだよ。私も冨岡さんに身寄りのなかったところを救われて。いつも危なっかしいから、よく面倒をみてくれてるだけだよ。ほら、警戒心を持てってこの前も怒られたばかりで……」
「そうですか?」

一応こちらの言葉を聞いてはくれるものの、私の必死な説明が彼の胸にはまるで響いていないのが丸わかりだった。

「リサさんが泣いてたとき、冨岡さん、辛そうに眉を寄せて、どうしていいか分からないって顔をしてましたよ」
「……」
「だから、てっきり」

そこで言葉を切り、炭治郎くんは私を見た。

「冨岡さんにとってリサさんは、特別な人なんだろうなって」

特別。
その二文字が、私の胸の奥深くまで沈んでいく。
――もし、そうだったとして。頭のどこかで一瞬でもそんな甘い幻想を抱いてしまった自分に気づき、急激に胸がきゅうっと締めつけられるように痛んだ。
そばにいさせてくれるだけで十分だった。無事を確認できる距離に居られるだけで、これ以上の幸せはないと自分に言い聞かせてきたはずなのに。
それなのに「特別」なんて言葉を向けられた途端、心のどこかで欲張ろうとしてしまう自分が恐ろしい。

「……違うよ」

自分に言い聞かせるように、ぽつりと落とした声は小さく震えていた。

「炭治郎くん……本当に、違うんだよ。そんな風に言ったら、冨岡さんが困っちゃうよ」

必死に微笑もうとしたけれど、どんな顔ができているのか自分でも分からなかった。
膝の上の禰󠄀豆子ちゃんが、私の声の揺らぎを感じ取ったのか、小さな手でそっと私の膝を包み込むように撫でてくれる。

「……でも、リサさんは冨岡さんのことが好き、なんですよね?」

不意を突かれて思わず目を見開く。
炭治郎くんが少し首を傾げ、覗き込むようにしてまっすぐに私の瞳を見つめてきた。
どうして…。

「すみません。俺……ちょっと鼻が利くので、人の感情がわかるんです」

さっき言ってた匂いって…。
周囲をふと見やると、すみちゃん、きよちゃん、なほちゃんが「きゃあ!」と声をあげ、じっとこちらを伺うように見つめていた。

「優しくて、温かくて、でもどこか切なくて。リサさんからは冨岡さんの話題が出る度に、いつもそんな匂いがします」

――なんということでしょう。
胸の奥深く、誰にも悟られないようにそっと大切に隠し通してきたつもりのこの恋心が、まさか物理的な「匂い」として漏れ出していたなんて。
そんなの、そんなの知らない。

「……そんな、の……。私、そんな匂い、させてたの……?」
「はい。とっても真っ直ぐで綺麗な匂いです」

隠せていたと思っていたのは自分だけで、ダダ漏れになっていた。そんな能力がこの時代には存在していたなんて、知らなかった。匂いで感情がわかる?
炭治郎くんという少年の持つあまりに鋭い感性に、私は白旗を上げるしかなかった。
あまりの恥ずかしさで顔から火が出そうになり、両手で覆った顔をそのまま膝の上の禰󠄀豆子ちゃんへと埋めて没頭してしまう。

「安心してください!俺、このことは誰にも言いませんから!」
「私たちも秘密にしてます!」
「約束しますっ!」
「……お願いします……っ」

手のひらの中で、それだけを絞り出すように呟く。
いくら炭治郎くんが優しいと言えど、こうして真っ直ぐに物事を尋ねてくるのはやはり子供らしいなと思う。けれどそれと同時に、この子に嘘は吐けないとも思った。

「あの、リサさん……」

私のあまりの落ち込みようと動揺ぶりに、炭治郎くんが慌てたように言った。

「すみません、俺、余計なことを……」
「ううん、炭治郎くんのせいじゃないよ」

おそるおそる上体をあげ、指の隙間から炭治郎くんを覗き見る。

「いや、そんなことは……。あまりにもわかりやすい匂いがしていたので、てっきり他のみなさんも知っているものだとばかり」
「うっ」

冨岡さんにまで勘づかれていたらどうしよう。しのぶさんやアオイさんには、もうバレているかもしれない。

「その、想いは……伝えないんですか?」
「……ううん。私は、冨岡さんのことを好きだなって想い続けられればそれでいい」

へらりと私が笑って言うと、炭治郎くんはどこか複雑そうな表情を浮かべて眉を下げた。
尾崎さんに、辛くないか、って聞かれたのを覚えている。想い続けるだけで、苦しくはないのかと。
今考えると、少し、辛いのかもしれない。前まではこんなふうに辛いと感じることはあまりなかったのに、貪欲になってしまったみたいだ。想い続けるだけというのは、存外苦しい。

「リサさんがそう決めたなら俺は何も言いませんけど、でも、無理に『違う』って言い聞かせる必要はないんじゃないでしょうか」
「……どうして?」
「冨岡さんの匂いがなんとなく……うーん、なんて言うんでしょう。まあ、ただ想い続けるだけと決めるのは時期尚早だと思います」
「炭治郎くん……」

…優しい子だ。
ただ想い続けるだけと決めるのは、まだ早い――。炭治郎くんは、前向きに私の背中を押そうとしてくれているのだろう。
けれど、一歩踏み出してこの関係を壊してしまうくらいなら、私はやっぱり、この距離感のままで冨岡さんの隣にいたいと思う。

「……ありがとう、炭治郎くん」

指の隙間からそっと顔を出し、私はまだ火照りの残る頬を緩ませながら笑みを彼に向けた。





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