44


「雨が、上がりませんね…」
 
ぽつりとこぼした私の声は、激しさを増す雨音に吸い込まれて消えていった。
居間の座卓の上には、あれほど山積みになっていた帳簿が、今は嘘のようにすっきりと片付けられている。遅れをとっていた分をすべて取り戻し、真っ白だったページは、私の懸命に綴った文字で埋め尽くされていた。 
ふと正面を見ると、冨岡さんもとっくに筆を置いていた。彼が受け持っていた他の書類仕事もすべて片付いたようで、今は膝の上に軽く手を置き、障子の外の景色を見つめている。

いつの間にか、日はすっかり落ちていた。障子の向こう側には、ただ暗い闇が広がっている。時折、風が激しく吹き付けるたびに、雨粒が石を投げつけたような鋭い音を立てて雨戸を叩いていた。
止むどころか、より一層強まっている。これでは雨というより、嵐だ。

「これ、帰れるでしょうか……?」

昼間、しのぶさんにかけられた言葉と、そして玄関で冨岡さんに叱られた「帰りはどうするんだ」という問いが、現実味を帯びて胸にのしかかってくる。
この嵐の中、外に出るのは自殺行為に等しい。それに、この暗さと湿り気は、鬼たちが最も好む条件だ。 
ちらりと、冨岡さんの横顔を盗み見る。いろりの残り火が、彼の端正な顔立ちを室内に浮かび上がらせていた。
何を考えているのかは分からない。ただ、荒れ狂う外の世界から、この部屋だけが切り離されて、私たち二人だけが静かに取り残されたような。そんな感覚に陥る。

「…無理だな」

ふいに、冨岡さんが口を開いた。視線は外に向けられたまま、その声だけが静かに落ちてくる。

「風も出てきた。俺はともかく、お前は外を歩ける状況じゃない」
「そう、ですよね……」

分かっていた答え。結局、私は彼の手を借りなければ、この嵐を越すことさえできない。
来るんじゃなかったな。しのぶさんの言うことを聞いていたら良かった。
パチッ、といろりの薪が爆ぜた。その小さな音が、部屋の静寂をよりいっそう深いものにしていく。

「…今晩は、ここに泊まれ」

さらりと言い放たれたその言葉に、私は心臓が跳ね上がるのを止められなかった。









そこからは、まるで現実感のないまま、時間だけが静かに流れていった。
自分の戸惑いを置き去りにして、物事は淡々と進んでいく。気づけば、私は広い畳のお部屋で、冨岡さんと横に並んで夕餉の時間を過ごしていた。

『簡単なものしか用意できない』

そう言っていた冨岡さんだけれど、今目の前には、湯気の立つ汁物と、焼き魚、漬物、炊きたての白いご飯がお膳に乗っている。
こんなにしっかりと作るつもりなら、私も手伝ったのに。申し訳ないなと思いながらも、正座したまま有り難くそれを口に運ぶ。
こんなつもりじゃなかったのに。立ち上る湯気の向こう側で、黙々と食事をする冨岡さんを見ると、居た堪れない気持ちになってくる。
…とても、綺麗に食事をする。綺麗というか、丁寧というか。口の端についているご飯粒は、本人だけが気づいていないらしい。
私はというと、心臓がばくばくとうるさくて、食事作法どころではない。彼に続くように、ただ機械的に口に運ぶだけ。

食事を終え、お膳を下げたあとも、一息つく間さえ今の私には与えられなかった。
「来い」短くそう告げると、冨岡さんは私の返事を待たず、迷いのない足取りで廊下を歩き出す。気づいたときには、彼に案内されるまま、私は屋敷の奥にある湯殿へと辿り着いていた。

「着替えはこれを」

手渡されたのは、清潔に使い込まれた紺青色の浴衣。

「石鹸は中にある。…湯船に浸かって、よく温まれ」

淡々と、事務的なまでに短く説明を終えると、背にそっと手を添え私を浴室の方へと促した。
有無を言わさないこの感じ、逆らえる気がしない。何か口を挟もうものなら遮られるのでは。私は申し訳ないと思いながらも、冨岡さんの言う通りに脱衣所へと入った。
ピシャリと後ろで木戸が閉まると、そこには一人、うす暗い空間と湿り気を帯びた木の香りが残される。
一度息を吐き出すと、意を決して着物を脱ぎ、浴室へと続く重い扉を開けた。石の床に座り、備え付けられていた木桶で身体を流すと、来る途中で浴びた雨や冷えがゆっくりと落ちていくのが分かった。
しのぶさんに教えてもらった通りに髪と身体を丁寧に洗い、濡れた髪を邪魔にならないようまとめる。
それから、たっぷりと湯が張られた丸い木桶の湯船に、ゆっくりと身を沈めた。

…何をやっているんだろう、私は。
湯船の縁に肘を乗せ、ふう、と細く息を吐く。役に立ちたくて、ここまで来たはずなのに。お茶を淹れさせ、火を熾させ、夜ご飯に、今はお風呂まで。これでは助けに来たどころか、ただ面倒をかけに来ただけじゃないか。
外ではまだ、嵐が狂ったように屋根を叩いている。この雨音が止まない限り、私はこの屋敷から一歩も外には出られない。
どうしたものかと思いながらも、ここまできたらもうこの流れに身を任せるしかない。

湯から上がると、濡れた身体を拭い、床に置いてあったあの紺青色の浴衣を手に取った。改めて広げてみると、私の体型よりかなり大きい。言うまでもなく、これは冨岡さんのものだろう。
気恥ずかしさを覚えながらも、それを振り切るように頭を振ってから袖を通すと、案の定、手首も足首もすっぽりと隠れてしまう。
…それに、冨岡さんの匂いがする。その事実に、また心臓がうるさく鳴り始める。
布をお腹のあたりで折り返し、腰紐をぎゅっと引っ張ってなんとか丈を調節した。…とりあえず見られる格好にはなっただろう。分かってはいたけど、冨岡さん身長も肩幅もあるし、やっぱり大きいんだな。
手拭いで髪をしっかりと拭き、乱れた呼吸を整えるために深く息を吸い込む。脱衣所を出て、彼が待つ居間へと続く廊下を進んだ。
申し訳なさと緊張で足取りは重かったけれど、暗がりの先に漏れる、微かな光を目指して私は歩き続ける。
そして意を決して障子の枠に手をかけると、少しだけ隙間を開けて、恐る恐る中を覗き込んだ。

「……あの、お風呂、お先にいただきました……」

嵐の音にかき消されそうな細い声で告げると、部屋の中央、灯りのそばに座っていた冨岡さんの手が止まった。刀の手入れの最中だったみたいだ。青く輝く刀身が、手元の布で丁寧に拭われている。
私の声に反応して、冨岡さんはゆっくりと顔を上げた。彼は何かを言いかけたように口元を動かしたが、すぐに結び直され、言葉に詰まったような沈黙が落ちる。
その視線の熱に耐えきれなくなって、私は慌てて口を開いた。

「と、冨岡さんも、お風呂どうぞ…。すごく温まりました。何から何まですみません……」

当たり前のことを、しどろもどろに言う。
すると冨岡さんは、ふいっと私から視線を逸らし、一度小さく息を吐いた。

「…ああ」

その素っ気ない横顔に、私の心臓はさらに跳ね上がる。
冨岡さんは手元の刀を慣れた手つきで鞘に納めると、音もなく立ち上がった。私はどうしていいか分からず、長すぎる袖口をぎゅっと握りしめたまま、その場に立ち尽くす。
冨岡さんが、私のすぐ横を通り過ぎようとしたその時。ぽん、と大きくて温かい掌が、私の頭の上に軽く乗せられた。
え、と息を呑んで見上げようとした時には、もうその手は離れていて。冨岡さんは何も言わず、そのまま浴室へと続く暗い廊下へと消えていく。後に残されたのは、私の頭に残る掌の熱と、彼の気配だけ。
私はその場にへたりと座り込み、しばらくその場から動けなかった。




…落ち着こう。これは良くない。動揺しているのは、たぶん私だけだ。そっと障子を閉め、廊下を一度見渡してから、気を紛らわすためにも私は台所へと足を向けた。
せめて、今夜のお礼に、寝る前のお茶くらいは私が淹れよう。このままお世話になるままじゃ、落ち着かない。

その途中、激しい雨音が気になって、廊下の雨戸をほんの少しだけ開けてみた。隙間から覗いた外の世界は、ただ暗い闇が広がっているだけ。叩きつけるような雨粒が飛沫となって顔に当たり、思わず身をすくめる。
これでは、外へ出るどころか、一歩先を見通すことさえ難しい。

結局、大人しく台所で湯を沸かし、急須を温めることにした。蝶屋敷とは少し勝手が違うせいで手慣れないながらも、覚えた通りにひとつひとつ丁寧に行っていく。
…こうしていると、いつもの日常に戻ったみたいで、少しだけ心が落ち着いてくる。
しのぶさん、今頃心配しているだろうな。夕方には戻るつもりだったのに、まさかこんな嵐に足止めを食らって泊まることになるなんて。
こんな雨では鴉を飛ばすこともできないし、私の無事を伝える手段も今のところ何一つない。
明日、帰ったらちゃんと謝らなきゃ…。外の激しい音を聞きながら、私は沸いたお湯をゆっくりと急須に注いだ。
男の人はあまり長く湯に浸からないと聞くが、流石に注ぐの早すぎたかな、なんて勝手な予想を立てていたけれど。

「高月」
「っ……!」

現実は、私の予想を遥かに上回る速さだった。私は慌てて振り向き、急須を持ったまま台所の入り口を見据える。
そこに立っていた冨岡さんは、私と似た藍色の浴衣を身にまとっていた。なんとなく私は見ていられなくなって、視線を逸らす。

「と、冨岡さん。早かったですね。おかえりなさい…」
「居間にいなかったから、探した」

冨岡さんは私の動揺など気にも留めず、淡々とそう言って近づいてきた。

「あ、えっと…。一晩のお礼に、お茶を淹れようと思って…。すみません、勝手に台所を使って」

申し訳なさから、持っていた急須を少しだけ持ち上げて見せると、冨岡さんは一瞬だけそれを見て静かに息を吐いた。

「…そこは構わない。それよりも、この雨の中お前が外に出たのかと思って焦った」
「そ、外?」
「廊下が雨で濡れていた」

たぶん、それはさっき止まない雨が気になって雨戸を開けた際、吹き込んできた飛沫を浴びてしまったものだ。
それを一目で見抜かれたことに驚き、私は目を泳がせる。

「あ、いえ。ただ、少しだけ雨脚が気になって、覗いただけで…」
「……」

冨岡さんは何も言わず、そんな私の手から急須を取り上げ、盆に乗せてあった茶碗と一緒にひょいと持ち上げた。…私がやるつもりだったのに。
そのまま、進んでいく背中を追って私も廊下を歩き出す。

それにしても、本当にこのお屋敷は冨岡さん以外に人がいないらしい。普段はどうやって生活しているのだろう。隠の人はお昼にしか来ないのかな。
でも確かに、それが正解だと思う。浴衣姿の冨岡さんは、なんだか心臓に悪い。私が着るとあんなに不格好だった浴衣も、冨岡さんが着ると驚くほどしっくりと馴染む。
体格が良いのは分かっていたけれど、こうして目の当たりにすると、いつも隊服で隠れていたがっしりとした肩や胸の厚みも、彼が紛れもなく強靭な肉体を持つ男の人なのだと突きつけられたような気がする。
あまりに綺麗な顔をしているから、時々、この人が「鍛え抜かれた剣士」だということを脳がうっかり忘れそうになるから。

「高月」
「は、はい?」

その時、前を歩く冨岡さんが、どこか難しい顔をして振り返った。

「何か変なことを考えているだろう」
「何も」
「顔に出てる」

冷めた様子の冨岡さんに指摘されて、ほんのり顔が熱くなる。
無視だ、無視。せっかく淹れたお茶なんだから、温かいうちに飲まないと勿体ない。






居間の中心に置かれた行灯の、小さな揺らめき。座卓を挟んで向かい合う私たちの間に、淡い光が落ちている。
湯呑みを持つ手を入れ替えたり、ふとした拍子に視線が合ったり。とりとめのない話を、ひとつ、またひとつと重ねながら、私はようやくこの空気に身を委ねられるようになってきた。

「…そういえば、冨岡さんってお料理お上手なんですね。驚きました。さっきの夕餉、すごく美味しかったです」
「別に一人で暮らしていれば、それくらいは嫌でも覚える」

冨岡さんは湯呑みを見つめたまま、淡々と答える。その横顔を眺めながら、私はふと思ったことを口にした。

「それだけじゃないですよ。なんとなく、冨岡さんは育ちが良さそうだと思っていたので、納得です。所作もすごく綺麗ですし」

私の言葉に、冨岡さんは少しだけ意外そうに瞬きをした。「そうでもない」と一言だけ返し、再びお茶を啜る。
その無欲な反応に、私は自分がいかに彼を"遠い存在"として勝手に見ていたかを痛感して、少しだけ苦笑した。

「私は最初、蝶屋敷で一通り覚える時、調理道具の使い方に少し戸惑いました。…アオイさんに何回も教え直されて」
「最初は誰でもそうだ。俺も、最初からできたわけではない」

彼はそこで一度言葉を切り、遠い記憶を辿るように、視線を行灯の火へと向けた。

「姉と二人で住んでいた時、なるべく家事は手伝うようにしていた。…それに、育手にも一通り作り方は教わった」
「……育手?」

聞き慣れない言葉に私が問い返すと、冨岡さんは視線を私に戻し、落ち着いた声で教えてくれた。

「鬼殺隊に入ろうとする剣士を育てる、指導者のことだ。剣の修行だけでなく、山での暮らし方も教わる」
「あ、そ、そうだったんですね……」

私は頷きながら、胸の奥で小さく息を飲んだ。
冨岡さん、お姉さんがいたんだ…。勝手に、ずっと一人で生きてきた人みたいに思っていたけれど。そうじゃない時間もちゃんとあったのだと知れて良かった。

「意外です。冨岡さんに、お姉さんがいるなんて」
「……ああ」

淡々とした言い方だったけれど、その声にはどこか変に力が入っていなくて。
私はそれ以上、踏み込めなかった。なんとなくら彼が寂しい顔をした気がしたから。
ただ、湯気の向こうで静かにお茶を啜る横顔を、少しだけ違う気持ちで見つめる。

「そういえばこの前、甘露寺さんにお会いしたんですよ!柱にあんなに可愛らしい方がいらしたなんて驚きました」

重くなりかけた空気を払拭したくて、私は努めて明るい声でそう切り出した。

「…甘露寺か」
「はい!お話しているだけで、こっちまで元気になれちゃうような方ですね。しのぶさんが、紹介してくださって」

私の言葉に、冨岡さんは「そうか」と短く相槌を打った。
それからは、堰を切ったように色々な話をした。私がここに来る前、どんな生活をしていたのか。もちろん、未来から来たなんて信じがたい事実は心の奥底に伏せたまま。
それでも、かつての私の日常にいた家族のことや、好きだった風景のこと、他愛もない出来事をぽつりぽつりと話して聞かせた。

「……父がすごく心配性だったんです。それで、実家にいた頃は、私が何か失敗するたびに父がお節介を焼いてきて。当時はそれが少しだけ窮屈だったんですけど、今思うと、ああいう時間が一番の贅沢だったんだなって。さっき冨岡さんのご飯を食べながらふと思い出しちゃいました」

冨岡さんは決して聞き上手というわけではない。相槌も短く、自分から話を広げることもしないけれど、私が言葉を紡ぐ間、じっと静かに耳を傾けてくれていた。

「…心配する理由もわかる。お前はもう少し、」
「『警戒心を持った方がいい』……ですよね?いい加減もう覚えましたよ」

彼の言葉を先回りして告げると、冨岡さんは「…そうだ」と短く、どこか柔らかい響きで肯定した。

「心配してくれる者がいるのは、悪いことではない。折を見て、両親のところへ顔を出してやれ。喜ぶだろう」

パチッ、と行灯の火が爆ぜる。堰を切ったように喋っていた私の口が、ぴたりと止まった。
居間に重い沈黙が降りる。冨岡さんは私の異変を感じ取ったのか、少しだけ伏せていた視線を上げ、じっと私の顔を覗き込んだ。

「…すまない。失言だったか」

彼の声に、わずかな動揺が混じる。
私が両親を亡くしているか、あるいは帰りたくても帰れない事情があるのだと察したのだろう。

「あ…。いえ、すみません。違うんです。たぶん、もう会うことは叶わないんですけど。でも、どこかで……そう、どこか遠い場所で、元気にしてくれていたらいいなって。今は、そう願っているんです…」

嘘ではない。ただ、その「遠い場所」が、百年の時を超えた先にあるというだけ。
私の言葉を聞いて、冨岡さんはそれ以上何も聞かなかった。ただ、凪いだ水面のような深い瞳で私を見つめ続けている。
あ、まただ。沈黙を埋めようと必死に笑っていたけれど、彼のその真っ直ぐすぎる視線にさらされていると、心の内側まで見透かされているような気分になって、じわじわと顔が熱くなる。

「…あ、あの。な、なんですか?私、やっぱり喋りすぎましたか…?」

耐えきれなくなって、震える声で聞き返す。すると、冨岡さんは瞬きもせずに淡々と告げた。

「いや。よく回る口だなと思って、見ていた」
「……っ」

恥ずかしい。それってつまり、私が一人で恥ずかしげもなく喋り倒して、勝手に落ち込んで、勝手に無理して笑っていたのを、彼は特等席でじっくり鑑賞していたということじゃないか。

「そ、それは……!冨岡さんが静かすぎるから、つい……!」
「別に、悪い意味ではない」

慌てて弁明する私を遮るように、彼はわずかに目を細めた。

「お前の話は聞いていて飽きない」

ぽつりと落とされたその言葉に、完全に毒気を抜かれてしまった。
羞恥心と、それ以上の熱い何かが胸の奥にこみ上げてきて、私は逃げるように最後のお茶を喉に流し込む。
悔しい。この人はいつだって無自覚に、私の平穏をめちゃくちゃにかき乱していく。


そんな熱を持った空気のまま、一通りのことを話し終わり、さてそろそろ寝ようという時になって、それは起こったのである。
私は立ち上がり、少しだけ長すぎる浴衣の裾を気にしながら、ずっと考えていた「寝場所」についての提案を口にした。

「…あの、冨岡さん。図々しいのは承知の上なんですけど、今夜、道場の隅っこをお借りしてもいいでしょうか?」

これ以上、彼の生活空間を侵食するのは忍びない。道場の板張りなら、端の方で丸まっていれば邪魔にならないはずだ。
そう思って、私は居間の障子の向こう側、道場へと続く廊下を指差した。
すると、冨岡さんは手にしていた湯呑みをゆっくりと置き、あからさまに怪訝そうな顔をして首を傾げた。

「何をするつもりだ」
「えっ、いや、あの、寝床として……」
「は?」

その「は?」が、低く、短く落とされる。冨岡さんは、まるで見当違いな言語を話す生き物を見るような目で、じっと私を見つめた。
いや、なんでそんな顔をするの?



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