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ピカッと室内が白く照らされ、間髪入れずにドドンッと落雷の轟音が落ちる。
ひ、と思わず肩を跳ね上げ、手に持っていた万年筆を落としそうになった。
嵐である。どこからどう見ても、嵐である。
ゴウゴウと地鳴りのように響く風の音に、葉や枝が暴れまわっているのが閉め切った雨戸越しにもはっきりと伝わってくる。

おかしい。止むどころか、ひどくなっているではないか。これはもうただの通り雨ではないだろう。
まさか、帰れない?いや、傘を持って走る?しのぶさんに迎えに来てもらう…?いや、この嵐の中を来させるなんて絶対に駄目だ。そもそも連絡の手間を考えたら鴉だって飛べない嵐なんだから、連絡の取りようがない。
自力で帰るのも不可能な惨状。誰かに助けを求めることもできない絶体絶命の状況。
『雨が弱まったら帰ります』なんて言った手前、手持ちの選択肢がすべて消えていく現実に、冷や汗が背中を滑り落ちていく。

手元の帳簿に落とさなければならないはずの視線はすっかり泳ぎ、もうどうにもできなくなって、救いを求めるように瞳を向かいの冨岡さんへと向けた。
冨岡さんは私の動揺に気づいていたようで、手元の書類から視線を上げると、ガタガタと揺れる雨戸のほうへ一度顔を向ける。
外の気配を確かめるようにしばらく見つめたあと、こちらへ顔を戻し言った。

「今晩はここに泊まれ」

さらりと告げられたその言葉に、私は心臓が跳ね上がるのを止められなかった。

「そ、それはさすがに申し訳なさすぎます。お風呂までお借りしたのに、泊まっていくなんていくらなんでも……」
「この雨の中、帰る手立てがあるなら止めはしないが」
「………」

冨岡さんの言う通りだ。
この暴風雨の中へ一歩でも踏み出せば、巡り巡って冨岡さんや蝶屋敷の皆に多大な迷惑と心配をかけることになる。冷静に考えなくても、絶対に無理だと分かる。
唇を噛み締め、黙ってその場に縮こまるように考え込んでしまった私を見て、冨岡さんはふっと息を吐いた。

「もちろん、誓って変なことはしない」
「あ、その辺は全く心配してないです……。冨岡さんですもん」
「…警戒心の希薄さはそう簡単には治らないか」

溜息混じりに呟かれた言葉は良く聞き取れなかった。首を傾げれば、冨岡さんは「なんでもない」と首を振るだけ。

「余っている部屋もあるから、好きに使えばいい」

冨岡さんはそう言うと、手元の筆を静かに置き書類の端を整える。

「私がここにいたら冨岡さんも気を使ってくつろげないじゃ……それに、いくらなんでも図々しすぎるかな、とか……」
「何がだ」

何がって。

「色々です」

そう、色々。図々しいとか、迷惑だとか、往生際が悪いだとか。
ただでさえ、お風呂まで借りて心臓が破裂しそうだったのに、このまま朝まで同じ屋根の下で過ごすなんて正気の沙汰じゃない。

「お前が気にするようなことは何もない」

当の冨岡さんはそんな私の心なんて知る由もない。ただただ純粋に外の嵐と私の安全を考慮して、合理的な提案をしてくれているだけ。
自分の置かれている状況をよく考えてみる。どうするのが自分にとっても、冨岡さんにとっても良いのか。
怪我をして救助されるリスクと、一晩部屋の隅っこでおとなしくお世話になる迷惑。
…天秤にかけるまでもないだろう。

「すみません。それじゃあ……お世話になります」

結果、これしかなかった。









「冨岡さんってお料理できたんですね」

手を合わせてから箸を手に取り、私は思わず感心したように口にしていた。

「…それは少し語弊があるな」

隣でまた箸を手に取りながら、不審そうにこちらを見つめる瞳に、慌ててぱたぱたと両手を振る。

「あ、いえっ変な意味じゃなくて、『簡単なものしか作れない』って仰っていたので、もっとこう本当に簡単なものを想像していたというか……」

目の前の低い膳に並べられているのは、ツヤツヤと湯気を立てる炊きたての白米に、身がふっくらと焼き上がった鮭の塩焼き。そして、根菜がごろごろと入ったお味噌汁。立派すぎる夕餉だった。
残りの帳簿をキリのいいところまで片付け終えた頃、すっかり時刻は夕方になっていた。こんなにも長時間手伝いができたのは初めてだ。数字と睨めっこを続けていたおかげで、お腹もぺこぺこだった。
そこから、どうやって夕食を済ませようかという話になり、私は少しでも申し訳なさを減らしたくて「夕餉の準備なら私がやります!」と力んで台所へ向かおうとしたのだが。冨岡さんにあっさり
首根っこを掴まれ制され、「簡単なものしか作れないから変に気を使うな」とまで言われてしまった。
ただおとなしく待つことしかできなかった。何の手伝いもさせてもらえなかったことがどうにも腑に落ちない。
そんな経緯があったからこそ、目の前に運ばれてきたお膳の完成度に驚いてしまったのだ。
何しろ相手は柱として任務をこなす剣士。失礼ながら、包丁を握ってる姿も、火加減を気にしながら台所に立つ姿もまるで想像がつかず、せいぜいおにぎりとお漬物くらいを想像していた。
そっと鮭の身をほぐして口に運ぶと、香ばしさが口いっぱいに広がる。

「すごく美味しいです……。冨岡さんが実は、すごくお料理上手で家庭的だったなんてびっくりです……」
「一人で暮らしていればそれくらいは覚える。…育手にも一通り作り方は教わった」
「育手?」
「鬼殺隊に入ろうとする剣士を育てる、指導者のことだ」

ああ、育ててくれるからその人たちのことを『育手』と言うんだ。
剣術だけでなく、こうして生きるために必要なことまで教えてくれるなんて、まるで親のようだ。

「なんだか温かい味がします。このお味噌汁だって、味付けがすごく優しいです」
「それは……、姉に教えてもらった」

ぽつり、とどこか凪いた声が降ってくる。
冨岡さん、お姉さんがいるんだ。私にとってはどこか兄のように頼もしい人だから、これもまた少し意外だった。

「やっぱり。どことなく家庭の味だなって思ったんです。すごくお姉さんと仲が良いんですね」

普段の姿からは想像もつかないような冨岡さんの意外な一面を、今日はなんだかいっぱい知ることができている。
今こうして隣に座って美味しい夕餉を食べることも、彼の昔の話を少しだけ聞くことができたのも、雨のおかげだろうか。
気づけば最初抱いていた緊張なんてどこかへ吹き飛んでいて、他愛のない会話を交わしながら食べる食事は、ただただ居心地よく、楽しい時間だった。
冨岡さんは相変わらず言葉数が少なくはあるけれど、私が問いかければちゃんと答えてくれるし、私が話すどんな小さな話にも静かに耳を傾け、ひとつひとつ頷いてくれる。おかげで、すっかり時間が経つのを忘れてしまっていた。
食事が終わった後は、せめてものお礼にとお願いして、お膳の片付けとお皿洗いを私にさせてもらった。
すっきりと片付いた台所を後にし、いつもの居間へ戻って温かいお茶を二人で啜る。

「逆に冨岡さんできないことってないんですか?例えば、お洗濯ができないとか」
「…できる」
「じゃあ実はカナヅチだとか、歌が破滅的だとか、そういうのもないですか?」
「ないな」
「うーん……じゃあ、裁縫はどうですか?指に針を刺しちゃうとか!」
「………」

無言になった冨岡さんは、すっと視線を泳がせると何事もなかったかのように湯呑みを手に取り、そのまま口へと運んだ。お茶をすすりながら、決してこちらと目を合わせようとしない。
あ、お裁縫は苦手なんだ。

「ふふ、そうなんですね」
「なぜ嬉しそうなんだ」

口の中のものを飲み込んだ冨岡さんが、解せないといった風にぽつりと呟く。

「冨岡さんも私と同じ人間なんだなと思って」
「……俺をなんだと思っているんだ」
「じゃあ他に苦手なものってないんですか?」

だって、こんなに頼もしくてお料理まで完璧なら一つや二つ弱点を知っておきたくなる。
追及するように尋ねる私に対し、冨岡さんはしばらく答えを探すように視線をゆっくりと彷徨わせた。

「……犬」
「犬?どうしてですか、すごく可愛いのに!」
「理由が必要か?」
「だって、嫌いになるには理由がありますよね?」

不思議に思って首を傾げる私に、冨岡さんは至極真面目な顔で問い返してくる。

「お前はどうなんだ」

あ、話を逸らしたなと思いながらも、せっかくの問いかけを突っぱねるのも野暮なのでそのまま乗っかることにした。

「私は苦手な動物って特にないです。犬も猫も好きですし、鳥も可愛いです。動物みんな好きですよ」

小さい頃から生き物はなんでも好きだった。野良猫を撫でたり、空を飛ぶ鳥を眺めたり、近所の犬と戯れたり。
食べ物だってそうだ。よほどのゲテモノでも出されない限り、嫌いで食べられないものなんて特に思い当たらない。子供の頃から何でもよく食べて、よく笑い、素直に育ってきた自覚がある。
冨岡さんはどんな子供だったのだろう。お姉さんや、育手の方と過ごしていた頃の冨岡さんは、一体どんな表情で、どんな日常を送っていたのだろうか。

「冨岡さんが子供の頃は……」

途中まで出かかったその問いかけを、私は呑み込んで言葉を止めた。

「俺がどうした」
「……いえ、やっぱりやめておきます」

どこか、冨岡さんが寂しそうな顔をした気がしたから。
冨岡さんは少し不思議そうに首を傾げたけれど、それ以上追及してくることはなかった。私も何事もなかったかのように湯呑みを手に取り、まだ温かいお茶を一口啜る。
静かな室内に、外の雨音が優しく響いていた。ふと視線を上げると、湯気の向こうで冨岡さんとパッチリ目が合う。
瞬間、冨岡さんはほんのわずかだけ視線を泳がせ、私も小さく吹き出しそうになるのをこらえて、そっと微笑みを返した。

「冨岡さん。今夜、任務はないんですか?」
「鴉が戻らないんじゃ何もわからない」
「そっか……じゃあ、久しぶりに今夜はゆっくり休めるんですね」

外の雨音を静かに聴きながら二人でお茶を飲み終えると、すっかり夜も深まっていた。
残っていた帳簿の整理も終わり、お腹も満たされ、そろそろ休む時間だ。普段ならもう布団に入っている頃合い。
私が湯呑みを台所に下げて片付けている間に、冨岡さんは一言声をかけて湯殿へ向かい、ほどなくして戻ってきた。
いつものようにひとつに結ばれていたはずの黒髪は解かれて肩に落ち、少し濡れている。

「高月、もう休め」
「あ、はい。ありがとうございます」

思わずぱっと目を逸らしながら、冨岡さんの邪魔にならないよう、どこで夜を明かそうかと頭の中で考えを巡らせた。彼の暮らしの邪魔はしたくないし、余計な手間もかけさせたくない。

「あの、冨岡さん。今夜、道場の隅っこをお借りしてもいいでしょうか?」

私が廊下の向こうを指差して言うと、冨岡さんはあからさまに怪訝そうな顔をして首を傾げた。

「何をするつもりだ」
「えっ?いや、あの、寝床として……」
「は?」

おずおずと言えば、圧のこもった声で問い返される。
え。なんでそんな眉を顰めて、いらっしゃるのか。



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