5


一ヶ月ほどが経った。
慣れ、というのは本当にすごいもので、人間とは案外、どんな環境にも適応できてしまうものらしい。
もちろん、戸惑うことはまだまだ多い。けれど、分からないことは素直にアオイさんに教えを乞い、屋敷の仕事も少しずつ自分の手でこなせるようになっていた。
何もできずにただ縮こまっていたあの頃に比べれば、ちゃんとこの場所に足をつけて呼吸ができている気がする。

うん、お洗濯ももう完璧だ。
干し竿にずらりと並べた真っ白な敷布が風にはためくのを満足気に眺めていると、背後からぱたぱたと軽やかな足音が近づいてくる。

「リサさーん!」

声をそろえて呼ぶ声に振り返ると、三人の小さな女の子たちがこちらへ向かって一目散に駆け寄ってくるところだった。

きよちゃん、なほちゃん、すみちゃん。
初めて会ったときは、顔立ちがあまりにそっくりで、三つ子かと思ってしまったほどだ。けれど、それぞれ違う色の蝶の髪飾りと、元気な声を聞けば、今ではもう見間違えることはない。

「どうしたの、三人とも」

しゃがみ込んで目線を合わせると、一番手前にいたきよちゃんが、両手で大事そうに抱えていた包みを誇らしげに掲げてみせた。

「隠の後藤さんから、お土産にお煎餅をいただいたんです!」
「とっても香ばしくて、美味しそうなんです!」
「お仕事の合間に、みんなで一緒に食べませんか?」

三人が顔を見合わせ、期待に瞳をきらきらと輝かせながら私を見上げてくる。その無邪気な笑顔がたまらなく愛おしくて、私の口元も自然とほころんだ。

「私も一緒にいいの?」
「もちろんです!」
「あ、カナヲさんもお誘いしようと思っているんですけど、いいですか?」

すみちゃんの問いかけに、私は大きく頷く。

「もちろん」

カナヲさんとは、このお屋敷に私と同じように引き取られて暮らしている女の子だ。
自分から言葉を発することは滅多になく、いつも柔らかな微笑みを浮かべて佇んでいるけれど、どこか凛としていて、とても可愛らしい子だった。

「じゃあ早速、居間に集合でいいですか?」
「私、お茶を淹れて持っていきますね!」
「私、カナヲさんに声をかけてきます!」

三人はきびきびと役割を分担するや否や、それぞれ別の方向へと駆けていく。あっという間に洗濯場から散っていくその背中。

「ふふ、みんな早いなぁ」

自分よりずっと幼いのに、この屋敷の一員としてしっかり役割を果たしている三人。
怪我をした隊士たちに怯むことなく寄り添い、重労働も文句ひとつ言わずにこなす彼女たち。そんな姿を見ていると、私も負けられないと自然と背筋が伸びる。
同時に、時折見せる年相応の無邪気な笑顔が、たまらなく癒しでもあった。

「私も早く行こう」

空になった洗濯桶を片付け、手をきれいに洗い流す。
お煎餅の香ばしい匂いを想像しながら、私は弾む足取りで居間へと向かった。





***





「ご苦労だったね、しのぶ」
「ありがたきお言葉です、お館様」

任務から戻った足で産屋敷邸へ上がり、お館様への報告を終えて座敷を辞す。
縁側へ出たところで、ふと前方を歩く見覚えのある羽織が視界に入った。柱合会議でもない日に、ここで彼と顔を合わせるのは珍しい。

「冨岡さん」
「……胡蝶」

声を掛けると、彼はわずかに足を止めたものの、顔だけをこちらに巡らせ短く応じる。
いつもながら、会話を切り捨てるようなその態度に、思わず苦笑する。

「せっかくここでお会いしたのですか ら、少しくらい近況を聞かせてくださってもいいのに」
「…………蝶屋敷の、あの娘は」

投げかけられた予想外の問いに、思わず目を丸くした。
珍しいこともあるものだ。こちらが鎹鴉で手紙をよこしても、返ってきたのは『承知した』の一言だけだったのに。そんな人が、自ら他人の話題を口にするなんて。

「蝶屋敷の娘、ではなく高月リサさんですよ。ちゃんと名前があります」
「……高月の、様子は」
「元気にしていますよ。最近は笑顔も増えました。アオイやあの子たちともすっかり打ち解けて、仲良くやっています」

そう、元気すぎて心配になるほどに。
あれは前向きさというより、何かを必死に繋ぎ止めようとする怯えの裏返しだ。

「そうか。お前のところに置いたせいで、世話を増やしているな」
「それは構いませんが……」

不器用なりに気に掛けているのだろう。けれど、その気持ちも分からなくはない。リサさんには、どこか他人が放っておけなくなる独特の雰囲気がある。
身寄りをなくして鬼殺隊へ流れてくる人間は、誰もが胸の奥に燃える復讐心か、あるいは諦めに似た影を宿している。自分も、そして目の前にいる冨岡さんも例外ではない。
けれど、彼女の瞳にはそのどちらもなかった。鬼への憎悪に染まるでもなく、理不尽な境遇を恨んで心を閉ざすでもない。ただ与えられた居場所に感謝し、慣れない仕事に傷だらけの手を震わせながら、ひたむきに今日という日を生きようとしている。
その毒気の抜けた柔らかさが、ふと私の琴線に触れてしまうことがある。

「……ところで冨岡さん。彼女が保護されたあの晩、あの周辺の町や集落で鬼の被害報告は一切上がっていませんでした。けれど、彼女が語った情報は、どう考えても鬼の襲撃そのものです」

嘘をついているようには見えなかった。あの瞳に宿る恐怖は、到底偽れるものではない。

「彼女の過去について、何か他に心当たりはありませんか?」
「……なにも」
「そうですか……」

となると、彼女は一体どこから、どうやってあの雪深い町へと迷い込んできたのだろう。
遠く離れた別の地域で襲撃を受け、命からがら逃げてきたのか。あるいは、私たちがまだ把握していない別の鬼の仕業なのか。
けれど、それにしては腑に落ちない点が多すぎる。まるで別の場所から、突然に放り出されてしまったかのような違和感ばかりが残る。
答えの出ない思考に眉を寄せていると、それまで背を向けていた冨岡さんが、ゆっくりと身体をこちらへ向けた。

「……胡蝶。鬼以外の可能性はないか」
「鬼以外、ですか?」

鬼以外。あれほど怯え、震えていた彼女が受けた理不尽が、鬼によるものではないとしたら。
人為的な事件や狂気、あるいはそれに類する惨劇?
けれど、人の手によってあそこまでひとりの少女を追い詰め、全てを奪い去るような仕打ちが存在するというのなら、それは鬼の残虐さと何が違うというのだろう。

「人の手によるもの、という意味ですか?」
「……ただの推測だ」

冨岡さんは感情の読めない瞳のまま、淡々と続ける。

「鬼の痕跡も、血の匂いもなかった」
「ええ、それは私も感じましたけど……。現状では確かめようがありませんね。彼女自身、何が起きたのかを正確に思い出せていないようですし」
「……」
「無理に問い詰めて心の傷を抉るような真似はしたくありません。今はただ、蝶屋敷で静かに心を休めてもらうのが一番でしょう」

そう告げると、冨岡さんはわずかに視線を伏せ、短く息を零した。

「……任せる」
「はい、お任せください。得意分野なので。ですが冨岡さん」

立ち去ろうと身を引いた彼の背中に、私はすっと人差し指を立てて声を掛ける。

「少しくらい、顔を出してあげてくださいね。寂しがってましたよ」

ぴたりと足が止まったものの、冨岡さんは振り返ることなく歩き去っていった。
遠ざかる半々羽織の背中を見送りながら、私は相変わらずのその態度に、小さく息を吐き出した




前へ   次へ


目次へ戻る

Back to top

77985 views