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目の前の机に置かれた背の高いガラスの器。そこには真っ白な生クリームと、鮮やかな季節の果物が乗っている。
私はスプーンを手に取り、まずはクリームがたっぷり絡んだ冷たい塊を口に運んだ。
「っ、ん〜〜!!」
入れた瞬間、舌の上で溶ける濃厚な甘みと、氷菓子特有のまろやかさ。それが喉を通り、暑さで火照っていた身体が芯から解きほぐされていく。
「美味しい…!幸せの味がします…っ!」
こんなもの、食べるのはいつぶりだろう。
和と洋が混ざり合った店内。窓際の席に冨岡さんと向かい合って座り、しばらく待って運ばれてきたのは。
高いガラスの器に盛られた"あいすくりん"。けれどそれは単なるアイスではなく、真っ白な生クリームや果物がこれでもかと添えられた、現代でいうところの「パフェ」に近い代物だった。
昔は、コンビニに行けばいつでも買えたはずのもの。友達と放課後に笑いながら食べた、あの当たり前だったはずの贅沢。大正というこの時代で、こうして再びその記憶に触れられることが、たまらなく嬉しかった。
「本当に幸せですっ…!昔は毎日のように食べてて!またここでも食べられるなんて、思ってませんでした……!」
自然と緩む頬を隠すこともできず、私は次々と果物やクリームを口に運んだ。
ふと前を見ると、冨岡さんはスプーンを片手に、冷やしるこを静かに口に運んでいた。彼が選んだのは、氷が浮かんだ冷たい餡の中に白い白玉が沈んでいる、和の甘味だ。
冨岡さんは自分のおしるこを食べる合間に、私の様子をじっと見つめていた。
「…そんなに美味いか」
「はいっ…!とっても…!冨岡さんも食べてみますか?」
私はスプーンいっぱいに生クリームと瑞々しい果物を掬い取ると、無意識のうちにそれを彼の口元へと差し出す。
冨岡さんは、差し出されたそれを見つめたまま、ぴたりと動きを止めた。数秒、静止画のように固まる冨岡さん。私はようやくそこで自分が何をしようとしていたのか把握し、急速に身体が熱を帯びていくのが分かった。
ここは現代のカフェではない。ましてや気心の知れた女子会でもない。ここは大正時代だ。
男女が外で向かい合って座っているだけでも人目が気になるような時代に、あろうことか私は、自分が使っているスプーンで彼に「あーん」をしようとしてしまうなんて。
「いらない、ですよね……。すみません……」
私は弾かれたようにスプーンを引っ込めた。
穴があったら入りたいとは、まさにこのことだ。いくら現代の感覚が抜けていないとはいえ、これはあまりに無作法だったのではないか。冨岡さんに「品のない女だ」と思われたらどうしよう。
この気まずすぎる沈黙をどうにかしたくて、私は喉まで出かかった悲鳴を飲み込み、力技で話を逸らした。
「と、冨岡さんは…!それ、美味しいですか?」
冨岡さんは、差し出されたスプーンが消えた空間を少しの間見つめていたが、やがて視線を自分の器へと落とす。
「…ああ。甘い」
なんだか微妙な反応だ。確かに、冨岡さんは自分から「これが食べたい」と言ってここに来たわけではないから。
私は引っ込めたスプーンをそのまま自分の口へと運んだ。もぐもぐと咀嚼しながら、視線を器の底へと落とす。
「お前の故郷は、そんなに栄えた場所だったのか」
「えっ?あ……これ、ですか?たしかに学校帰りに友達と食べたり、カフェに行って家族と食べたり……よくしてました。少し変わった場所、だったかもしれません」
私がかつていた現代では、どこにでも溢れていたはずの味だ。コンビニに行けば手に入り、放課後に友達と笑いながら食べていた、当たり前の日常の象徴。
「特に駅前のコンビニにあるのが好きで……」
そこまで言って、私はしまったとばかりに口を閉じた。案の定、冨岡さんが聞き慣れない単語に目をぱちくらと輝かせている。
「…そうか」
けれど冨岡さんは深く追及することはせず、ただ静かに頷いた。また不思議に思わせてしまったかもしれない。前もやらかしたばかりだったのに。
「あ、でも、普通の甘味も大好きですよ。お団子とかお萩とか、お煎餅とか……」
取り繕うように、私は慌てて言葉を重ねた。
あまりに"故郷"の話ばかりして、彼に遠い世界の住人だと思われたくなかった。それに、この時代に来てから知った、丁寧に作られた和菓子の素朴な甘さも、今の私にとっては同じくらい"幸せの味"なのだ。
「…お萩か」
冨岡さんが、私の言葉をなぞるように低く呟く。
「はい。蝶屋敷でも時々いただきますけど、素朴な甘さが美味しいですよね」
そう笑って見せると、冨岡さんはしばらくの間、何かを考え込むように黙り込んだ。
…もしかして、冨岡さんもお萩が好きなのかな。いや、どうだろう。そういえば私、冨岡さんの好きな食べ物も知らないな。
言葉足らずな彼のことだから、自分からあまり何が「好きだ」とは言わないかもしれないけれど。今度なほちゃんたちに聞いてみようか。知ってるかな。そんな、ささやかな計画を頭の中で膨らませる。
「おにぎりは、なぜ具なしがいいんだ」
「へ?」
唐突な話題の転換に、私はスプーンを持ったまま固まった。
おにぎり?なんの話?
「蝶屋敷の小さい娘から聞いた。お前は、具のない握り飯が好きだと」
聞き覚えのある名前が出てきて、私は咀嚼していた果物を喉を詰まらせそうになった。
いつの間にそんな話を…。それに、なほちゃんたちもなぜそんなピンポイントな情報を冨岡さんに渡してしまったのだろうか。
まさか…。先日、炭治郎くんやなほちゃんたちと一緒に、夜の縁側で賑やかに話をしていた時のことがよぎる。あの時、私は彼らに冨岡さんへの気持ちがバレてしまった訳だが。もしかして、彼女たちは気を利かせたつもりでお節介を焼いてくれているのではないだろうか。
嬉しい反面、屋敷のみんなに生温かく見守られているような現状に顔から火が出るような心地がした。
「なぜだ?何か理由があるのか」
真っ直ぐに、一点の曇りもない蒼い瞳が私を射抜く。ただの好奇心というには、あまりに真剣すぎる眼差し。確かに、具なしが好きな人はあまりいないのかもしれないけど。
私は飲み込んだあいすくりんの冷たさを喉に感じながら、戸惑い混じりに問い返した。
「理由、ですか…?そんな大層なものじゃないですけど…、どうして急にそんな…?」
「任務中、ふとした時に気になって仕方ない」
さらりと、とんでもないことを言う。
任務中。つまり、命のやり取りをするような過酷な現場で、冨岡さんはあろうことか「私の好みの握り飯」について思考を巡らせていたというのか。
こうして会っている時以外も、私のことを考えてくれている。その事実は、すごく嬉しいけれど。同時に、私のせいで彼の集中が乱れ、もしも万が一のことがあったら。そう思うと、手放しで喜ぶわけにはいかない。
それに、この理由を彼に話すのは……。
「でも……」
恥ずかしさと、彼に秘密を共有するような共犯意識が混ざり合って、心臓の音がどんどん速くなっていく。
私は握りしめたスプーンを見つめ、熱くなった顔をさらに伏せながら消え入りそうな声で呟いた。
「……本当に、そんな真剣に聞くようなことじゃないですよ?聞きますか、本当に」
「ああ。聞きたい」
…ずるいなあ、冨岡さんは。
間髪入れずに返ってきた返事に、私はついに観念した。彼の手元にある冷やしるこの氷が、カラン、と小さく音を立てて溶ける。
「……私が、初めて冨岡さんに会ったときのこと、覚えてますか」
私はスプーンを器の縁に預け、視線を落としたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あの時、道端にうずくまっていた私に冨岡さんがおにぎりをくれましたよね」
ああ、こんなこと、本人を前にして言えるわけないのに。
脳裏に浮かぶのは、この時代に迷い込み、行くあてもなく町を彷徨っていたあの日のこと。道端に座り込み、絶望と孤独に押し潰されそうになっていた私に、最初に声をかけてくれたのが冨岡さんだった。
あの時、彼が無造作に差し出してくれたのが、一つのおにぎり。長い時間持ち歩いていたのか、それはすっかり冷たくなっていたし、中には具も何も入っていなかったけれど。一口食べた瞬間、凍りついていた心がじわりと溶け出すような、不思議な温かさを感じたのだ。
私にとって具のないおにぎりは、ただの食べ物じゃない。あの日、彼がくれた「救い」そのものの味。今でもそれを食べるたび、あの時の温もりを思い出して、胸の奥がぽかぽかと癒される。
…そんな、恋心に直結するような理由を、どうやって説明すればいいのか。
「冷たくて具も入ってなかったけど、なぜか、すごく温かい味がしたんです。……あのおにぎりのおかげで、私は今ここにいられるんだって思うと、なんだか一番特別な食べ物になっちゃって」
語りすぎないように言葉を選んだつもりだったが、それでも声が震えてしまう。
「だから、好きなんです」と、最後はほとんど消え入りそうな声で結んだ。
冨岡さんは、微動だにせず固まっていた。白玉を掬いかけたスプーンを止めたまま、彼は私の言葉を反芻するように沈黙している。
やがて、冨岡さんは耐えきれなくなったように、ふいと顔を窓の外へ逸らした。横を向いた彼の、黒髪の間から覗く耳の付け根が、なんとなく赤く染まっているように見える。
「……そうか」
短く、ひどく掠れた声。彼はそのまま、外の通りを歩く人々を凝視するようにして、頑なにこちらを見ようとはしなかった。
私、とんでもないこと言ったのでは?今の理由は、客観的に聞けば「あなたがくれたから、今でもそれが特別なんです」という、実質的な告白に近いものではなかったか。
そう気づいた瞬間、私自身の体温も一気に跳ね上がった。視界がちかちかと熱を持ち、ぼやけて初めて羞恥で涙が溢れそうになる。
冨岡さんの耳に宿った熱が、テーブルを越えて私にまで伝染してきたかのようだった。
店内の風鈴がカラカラと空回りする音だけが、やけに大きく響く。
お互いに顔を見られないまま、私は溶けかけたあいすくりんを、冨岡さんは自分のおしるこを、ただ黙々と口へと運んだ。
*
店を出てからも、お互いにまともな会話はできなかった。
照れくささが限界を超えていたのは私だけではなかったようで、冨岡さんもどこか足早に、けれど私が遅れないよう何度も間を空けては立ち止まり、蝶屋敷の門の前まで送ってくれた。
夕刻が近づき、空は鮮やかな茜色に染まり始めている。けれど、日中の熱を蓄えた地面からはまだじわじわと暑い空気が立ち上り、私の顔の火照りをさらに煽るようだった。
「ここまででいいか」
屋敷の門の前で、冨岡さんが足を止めた。私もそれに合わせて止まり、彼の方を向く。
改めて向かい合うと、先ほどの店でのやり取りがフラッシュバックして、また心臓がうるさく鳴り出した。
「あ、はい…。今日は、ご馳走してくださって本当にありがとうございました。その、贈り物も……すごく、大切にします」
私は無意識に帯元に手をやり、そこにある硝子の花弁をそっと撫でた。
冨岡さんは私のその動作をじっと見つめていたが、やがてどこか満足げに「ああ」と頷く。
「また数週間後、頼む」
「はい。鴉を飛ばしてくだされば、伺います。気をつけてお帰りくださいね」
「ああ」
冨岡さんはそれだけを言い残し、翻した羽織を風になびかせて、元来た道を歩き出した。
夕闇が忍び寄り始めた町の中へ消えていく彼の背中を、私は門柱に寄りかかるようにして、しばらくの間呆然と見送っていた。
「……あ」
そういえば。屋敷を出る前、冨岡さんは『俺も町に用がある』と言っていたけれど。結局、冨岡さんが言っていた「用」とは何だったのだろう。一緒に歩いている間、彼がどこか別の店に立ち寄った様子はなかった。
まさか。あのお店に行くこと自体が、彼の用事だったなんてことは……ないよね?
「…まさか、ね」
一人で呟いて、私は熱を帯びた頬を冷ますように両手で押さえた。
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