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よく、夢をみる。
自分の非力さ。生きている意味は何なのか。何故ゆえあの時守れずに失ったのか。
…自問する。
命を奪う側に大義があるわけでもなく、命を落とす側に落ち度があるわけでもない。ただそこに、理不尽な力の差があったというだけの話。
生き残った者に特別な価値があるわけでもなければ、逝った者が劣っていたわけでもない。
けれど、誰かの犠牲の上に成り立つ生は、それ自体が罪の形をしている。
はっと目を開けると、視界に飛び込んできたのは見慣れた薄暗い自室の天井だった。
肌に張り付く冷たい汗を拭う気力もなく、乱れた呼吸を整えながら、柱時計の針に視線を移す。
…
何年経とうと色褪せることなく、深い夜の底から引きずり出されるようにして繰り返される記憶。覚めるたびに残るのは、肺の奥まで冷え切るような虚無感だけだ。
横たわったまま腕を持ち上げ、手の甲で両目を覆うようにして、深い息を吐き出した。
『また冨岡さんが無理してるのが分かったら、私今度こそ大泣きしますからね』
…随分と、辿々しい脅しだった。
脅迫としてはまるで体をなしていないし、痛くも痒くもないはずなのに、思い出すだけで妙に毒気を抜かれてしまう。
泣かれてしまうのだろうか。また。綺麗な目に涙をいっぱいに溜めて、瞳を潤ませて。必死にこらえようとしながらもぽろぽろと零す。
居ても立ってもいられなくなった俺は、がばりと勢いよく上半身を起こした。
それとほぼ同時、廊下の向こうから遠慮がちな足音が近づき、部屋の障子の前で止まる。
「水柱様、お休みのところ失礼いたします」
「……ああ、何だ」
「本部より伝達です。先日水柱様が巡回された北西の集落について、その後の調査班からも『鬼の痕跡を含め一切の異常なし』との報告が上がりました。これにより、本件の任務完了が正式に記録されましたのでご報告いたします。書状はこちらに置いておきます」
「分かった。ご苦労だった」
短く返すと、障子の向こうで衣擦れの音がして、文箱が床に置かれる。
異常なし、か。あの集落には、確かに鬼の気配は微塵も残っていなかった。これで
だが、これで俺に課せられた急ぎの任務はなくなったということでもある。ぽっかりと空いた時間は、余計な思考を呼び戻すだけで、あまり好ましいものではなかった。
「それから、蟲柱様より水柱様宛てにお手紙とお薬を預かっております。こちらも一緒に置いておきますので、ご確認ください」
「ああ、分かった」
「それでは失礼いたします」
隠は一礼すると、足音を忍ばせながら廊下の奥へと去っていった。遠ざかる気配を見送る。
胡蝶からの手紙と薬。どうせまた、「食後に忘れず飲んでくださいね」といった小言めいた注意書きと、飲み切った分の補充だろう。用件もないのにわざわざ文を寄こすはずがない。
敷布団から立ち上がり、障子へ近づいて引き開ける。足元には、几帳面に揃えられた書状と、小箱に入った丸薬、そして藤色の文が置かれていた。
それらをまとめて拾い上げると、廊下を歩いて縁側へ腰掛ける。
まだ太陽の上らない薄暗闇の中、俺は指先で胡蝶の手紙の封を解いた。
『冨岡さんへ。
同封したお薬は、前回の処方から少し調合を変えてあります。油断して服用を怠らないでくださいね。
悪化してから泣きつかれても困りますし、何よりあなたの治療にこれ以上私の貴重な時間を割かれるのは非常に面倒ですので。
それから、先日、リサさんが私のところへあなたの状態を尋ねにきました。これ以上、彼女に余計な心配を増やさせないでください。』
…胡蝶の嫌味はいつものことだが。文を読み終え、俺は紙を折り畳んだ。
余計なことに気づかれてしまった。なぜ、あの夜、高月に話してしまったのだろうか。
彼女は人の痛みに敏感すぎるのだ。ただでさえ他人のことばかり気にかける性質なのに。隠さなければならないと分かっていたはずだろう。
眠れないことに苦痛を感じる段階はとうに過ぎてる。ただ、刃を振るい続けるだけ。それが俺の日常だった。
命を削っているという自覚すら、摩耗して消えていたのだ。あの夜、彼女に腕を引かれるまでは。
『……っ、嫌です!!』
恐れることもせず、こちらを見据えて彼女は大声を出した。
『今すぐ寝ましょう。いいえ、寝かせます!』
それでもやはり少し苦しいのか、段々と俯きがちになる彼女に、俺は呆然と立ち尽くす。
『不愉快でも何でもいいです!嫌われてもいいですから、今はとにかく寝てください!』
そう言い切ると、高月はゆっくりと顔を上げて俺を見つめた。
瞳は不安げに揺れ、それでいてどこか神秘的だ。いつもほんのり色づいている頬が、その時は余計に赤く見えた。
正直、意味が分からなかった。どうしてたったそれだけのことで、お前がそんなに苦しそうな顔をするのか。
俺が眠れなかろうと、命をすり減らそうと、それはお前には何の関係もないことだろうに。
余程自分は険しい顔をしていたのか、高月は怯えながらもそれでも言葉を紡ぐ。
『私を救ってくれたのは、他の誰でもない冨岡さんじゃないですか』
どうしてそんな、当たり前みたいに言うんだ。どうしてこんなに、堪らない気持ちにさせるんだ。
分からない。高月を見ていると、何ひとつ分からなくなる。
誰からも好かれるようなおおらかな性格で、放っておけば危ういことを平気でしでかす。自分と似た境遇で友を失った彼女。
だから、ほんの少しだけ気掛かりで…本当に、妹のような感覚で接していたつもりだった。
『自分の体を一番労わってあげられるのは自分だけなんです。毎日頑張っている分、今日はお休みをあげてもいいんじゃないですか?』
飼い犬に手を噛まれるような、そんな衝撃を受けた。予防線を張ったつもりが、いとも容易く壊された。
真面目で純情で、潔癖。大体そんなところだろうと打算をしていたら、酷い目に遭った。
とんでもない。彼女の方が何枚も上手だった。下手な俺の自衛になんて目もくれず、丸ごと包み込んでしまう。
時折驚くほど大人びているのに、いざとなるとへっぴり腰ですぐに萎縮する。
我慢ならなかった。なんてことないように話すくせに、それが的を得ているから、縋りたくなった。
『休みをくれるんだろう。なら、ここにいろ』
何もしないと言っておきながら、俺は彼女に触れた。もっともらしい言葉を並べて、その実、彼女の温もりに縋りついた。
それだけで、あんなにも長い間苛まれていた悪夢を見ることすらなく、朝まで眠れてしまったのだから、我ながら始末に負えない。
どれだけ強力な睡眠薬を飲んでも訪れなかった平穏が、ただ彼女が隣にいて、その微かな体温を感じていただけですんなりと手に入ってしまったのだ。
…完全に、やってしまった。俺は未熟だ。
腰が低い彼女に付け込み、利用したようなものだ。
「………」
どう、詫びればいいだろうか。
翌朝、目覚めた彼女の目には涙が浮かんでいた。俺の腕の中で身動きも取れず、逃げ場を塞がれたまま夜を明かしたのだ。
嫌だったに違いない。断りきれず、逃げ出すことも許されず、どれほど不快な思いをさせただろう。
『私、冨岡さんのことが大事だから』
…何か、埋め合わせをしなければならない。
許してもらえるとは思っていない。だが、傷つけてしまったことに対する落とし前くらいは、人としてつけなければならなかった。
言葉を飾ることも、器用に機嫌を取ることもできない俺ができることといえば、せめて彼女の好きなものでも届けることくらいだ。
東の空がゆっくりと白んでいく中、俺は隊服に腕を通した。形見の羽織を手に取り、白革のベルトに日輪刀を差す。
そして門の鍵を閉めると、町へ向かって歩き出した。
*
辿り着いた宿場町は、すでに朝の活気で溢れかえっていた。一軒の小間物屋の前で、俺は足を止める。
軒先には、色鮮やかなちりめんの巾着や組紐、硝子玉のかんざし、蒔絵の施された櫛、そして西洋風の華やかな髪飾りなどが並べられていた。
…何も、分からない。
この店の前で腕を組み、立ち尽くしたまま悩み始めてかれこれ
埋め合わせをしようと勢いだけで町へ出たものの、そもそも俺は、彼女について何一つ知らないのだ。
何が好きで、何に心惹かれるのか。蝶屋敷で立ち働く姿を思い浮かべてみても、記憶にあるのは他人の世話を焼き、いつも誰かのために駆け回っている姿ばかりだ。
自分の身を飾るようなものを欲しがっている姿など、一度も見たことがない。
たった一人の娘の喜ぶ顔を想像することの、なんと難解で途方もないことか。判断が早いも何も、あったものではない。
彼女の肌の色には、何色が合うのか。
あの髪に挿すなら、かんざしなのか、それとも櫛なのか。
華美な細工のものがいいのか、それとも慎ましい小振りなものなのか。
日頃から身につけられる実用的なものがいいのか、それとも、ただ手元に置いて眺めるような飾り物がいいのか。
ただでさえ気を使う彼女のことだ。気に入らなくとも無理に笑顔を作って受け取るに違いない。
「……あの、旦那」
視線を向けると、店番の初老の男が、おずおずと愛想笑いを浮かべながらこちらを伺っていた。
腰の刀を恐れているのか、引きつった笑みの奥に微かな警戒を滲ませている。
「さっきから随分と熱心に見てるが……贈り物でもお探しで?もしよければ、お相手の年頃やら好みでも仰ってくださいな。見繕いましょうか」
相手の年頃は分かっても、肝心の好みなど微塵も知らない。ただ機嫌を直してほしい。
「……いや、いい」
短く告げると、店主は拍子抜けしたように目を瞬かせた。
…やはり、行くしかない。行けば、彼女の身近にいる者たちが何か知っているかもしれない。
胡蝶に見つかれば厄介だが、早朝の任務明けの隙を突けば、あいつ以外の誰かから話を聞くくらいはできるだろう。
俺は店先に背を向けると、迷いを断ち切るように蝶屋敷へ向けて歩き出した。
*
「へぇ、いらっしゃい……って、おや?旦那、また来てくれたのかい」
再び小間物屋の暖簾をくぐると、先ほどの店主が目を丸くして出迎えた。
腰に刀を差した男の再訪に、多少の身構えは見せつつも、先ほどよりは幾分柔らかな視線を向けてくる。
「何だい、やっぱり誰ぞに贈りものかい?今度は少しばかり目星がついたのかね」
「……ああ」
短く頷き、蝶屋敷の娘たちから聞き出してきた情報を頭の中で整理する。
具なしのおにぎり、甘いもの、花、流行りの新しいもの。
おにぎりは論外として、菓子や花は消え物だ。形に残るもので、なおかつ彼女が重荷に感じず受け取れるもの。
「……花を模した、流行りものはあるか」
低く問いかけると、店主は一瞬驚いたように瞬きをし、それから商売人らしい快活な笑みを浮かべて手を打った。
「へぇ、そいつはいい!花と流行りものね。ちょうど今、若いお嬢さん方の間で西洋風のリボンや、ちりめん細工の小花をあしらったかんざしが飛ぶように売れてるんでさぁ。旦那、お相手の着物の色や髪の長さは分かるかい?とびきり似合うやつを見繕ってやるよ」
「……髪は、このくらいで着物は……淡い桜色を着ていることが多い」
記憶から彼女の姿を手繰り寄せ、口にする。
見慣れているはずなのに、風に揺れる髪の長さばかりが妙に鮮明に浮かんできた。
「髪がその長さなら、小振りの花かんざしか、リボン留めなんかが一番映える。待ってな、奥からとびきり上等なやつを出してくるから」
店主が奥から次々と並べ始めた色とりどりの髪飾りを前に、彼女の姿を思い浮かべながら視線を走らせる。
「髪飾りもいいが……他にはないか」
並べられたリボンやかざしを一瞥し、静かに首を横に振った。
普段から屋敷の仕事で忙しなく動き回る彼女だ。派手な髪飾りでは邪魔になるかもしれない。身につけても目立ちすぎず、それでいて彼女の気付け薬になるようなもの。
「それなら、旦那。とっておきのがあるぜ」
店主は合点がいったように頷くと、帳場の下から小さな桐箱を一つ取り出してきた。
「硝子の帯留めさ。西洋の新しい技術で作られた硝子の中に、咲き誇る山桜を閉じ込めてある。光に透かすとほら、淡い桜色が浮かび上がって綺麗だろう?若いお嬢さんの帯周りにも邪魔にならず、それでいてハイカラだ。つい昨日、都から仕入れたばかりの極上物だよ」
差し出されたそれを見つめる。指先ほどの大きさに切り取られた、澄んだ硝子。
以前、満開の桜の木の下で、彼女は咲き誇る花と同じ淡い桜色の着物を着ていた。
風が吹き抜けるたび、枝から零れ落ちた花びらが激しく舞い踊り、彼女の身体を包み込んでいく。
舞い散る桜吹雪の中に溶け込んで、このままどこかへ攫われて消えてしまうのではないか。
そう錯覚するほど儚げで、そして、その色が驚くほどよく似合っていた。
あの時、思わず言葉にも出してしまった情景が、この小さな硝子細工の中にそのまま閉じ込められているようだった。
花であり、新しく、そして何より、彼女によく似合う色。
あれだけ迷っていたはずなのに、もう他のものなど目に入らなかった。
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