53


薄手の麻で仕立てられた、涼やかな向日葵のような明るい黄色。袖を通した瞬間、肌を撫でるさらりとした風通しの良さに、思わずふうっと心地よい息が漏れる。
帯をきゅっと結び直して、最後に胸元へ、あの帯留めをそっと通す。

「よし、これで大丈夫かな」

姿見の前で身支度を整えて部屋を出た途端、廊下の角からパタパタと可愛らしい足音が響いてきた。

「あーっ!リサさん!」
「わあ、新しいお着物ですか!?」

姿を現したのは、洗濯物を抱えたきよちゃん、すみちゃん、なほちゃんの三人だ。
私を見るなり目をきらきらと輝かせて駆け寄ってくると、周りをすずめのように囲んで上から下まで興味津々に覗き込んでくる。

「すっごく可愛いです!向日葵みたい!」
「涼しげで素敵です!」
「いつもの色も好きですけど、この色を着てるとリサさんがお日様みたいに明るく見えます!」

口々に褒めちぎる三人娘の勢いに、私は思わず頬を熱くしながら照れ笑いを浮かべる。

「本当?暑くなってきたからしのぶさんが新しいの買ってくれたんだ。ちょっと明るすぎるの選んだかなって心配だったんだけど……」
「全然そんなことないです!」
「ねーっ!ねーっ!」

なほちゃんがぶんぶんと首を横に振れば、きよちゃんとすみちゃんも一緒になって激しく頷いてくれる。

「ありがとう。みんなにそう言ってもらえて嬉しい」

三人の頭を順番に優しく撫でると、みんな嬉しそうに目を細めてえへへと笑った。
朝からこんなに元気を分けてもらえるなんて、今日一日も頑張れそうだ。

「あ、そういえば雪人ゆきとさんが駄々こねてましたよ。リサさんが今朝の機能回復訓練に来てくれなかったって」
「え?ああ、朝からお風呂に入ってたから……」

苦笑しながら答えると、頭の片隅にあどけない少年の顔が浮かぶ。
雪人くんとは、二週間前にこの屋敷に運ばれてきたばかりの若い隊士のことだ。深い切り傷を負った彼の縫合に付き添ったことがあるのだが、なぜかそれ以来すっかり懐かれてしまっている。
人懐っこい性格と愛嬌のある笑顔で、他の隊士たちからも弟のように可愛がられている男の子だ。
昨夜、消灯前の廊下ですれ違ったとき、
『明日の朝の訓練、絶対見に来てくださいね。リサさんがいてくれないと、訓練に耐えられそうにないです!』
そんな必死な顔でお願いされて、つい「分かった」と約束してしまったのだ。
けれど昨夜、すべての仕事を終えて入浴しようとしたら、運悪くお風呂の湯がすでに落とされてしまったあとだった。汗をかいたままのわけにもいかず、今朝一番に湯を入れて入っていたら、すっかり訓練の時間を過ぎていた。

「約束破ったみたいになっちゃったな……」

申し訳なさで眉を下げると、なほちゃんが「アオイさんにたくさん絞られて、終わったあと抜け殻みたいになってましたよ」とくすくす笑う。

「次会ったら声をかけてあげてください。可哀想なくらいしょぼくれてました」

そんなきよちゃんの言葉に頷いて、私は曖昧に笑った。







畳の上に敷かれた大きな布。その上には摘み取って丁寧に乾燥させられた藤の花びらが、紫の山を作ってこんもりと盛られている。
部屋の引き戸を開けた瞬間、ふわりと鼻をくすぐる独特の香り。
強い日差しを遮るようにすだれが下ろされた薄暗い室内では、アオイさんがすでに腰を下ろし、小さな布袋の山を前にして作業を始めていた。

「あ、リサさん。着替え終わったんですね」
「はい。私も手伝います」

新しい着物の袖を襷で手早く括り上げ、私もアオイさんの向かいに正座した。
手のひらにすっぽり収まるほどの巾着袋。それに、匙を使って乾燥した花びらを零さないよう詰めていく。指先で軽く押して香りを立たせ、口の紐をきゅっと固く結び留める。
単純だけれど、気の遠くなるような数をこなさなければならない、根気のいる手仕事だ。

「それにしても、すごい量ですね。こんなにたくさん作ってどうするんですか?」

畳の端にすでに積み上がり始めている香り袋の山を見やりながら尋ねると、アオイさんは手慣れた仕草で紐を結びながら答えてくれた。

「全部、隠の方たちに配るんです」
「全部ですか?」
「はい。定期的に新しいものと取り替えられるように、まとまった数を蝶屋敷から支給することになっていて。今夜のうちに仕上げて、明日の補給便に載せる予定なんです」

納得して、私は手元にある小さな紫の袋を見つめ直した。
隠の人たちは、夜間の負傷者の搬送や遺体の回収、戦いの後始末など、常に危険と隣り合わせの現場で動いている。
けれど彼らは、隊士たちのように呼吸を使って鬼と直接斬り合えるわけではない。だからこそ、せめてもの自衛としてこの藤の花の香り袋を懐に忍ばせておくのだという。
鬼は、藤の花をひどく嫌う。人間にとっては涼やかな良い香りなのに、鬼には毒になるのだ。

「しのぶ様が毒の調合のために、いつも藤の花を大量に仕入れてるじゃないですか。その時に毒の抽出には使えなかった花びらや、余りの分をこうして香り袋に再利用しているんです」

なるほど。無駄を一切出さず、すべてを役立てようということらしい。

「隊士とか柱の方たちも、こういうのを持ったりするんですかね」

私の言葉に、アオイさんは手元を動かしたままふっと苦笑を浮かべた。

「隊士の方々は持たないですよ。むしろ自分から鬼を誘き寄せたいくらいですし、気配を隠す必要なんてありませんからね」
「あはは……そうですよね」

苦笑しながら相槌を打つ。
確かに、鬼を滅ぼすことだけに全身全霊を注ぐ人たちが、魔除けの香り袋を大事そうに懐へ忍ばせている姿はまったく想像がつかない。いつだって、彼らは自分の身を守ることなど二の次で、冷たい刃となって鬼の前に立ちはだかるのだから。
でも、せめてこういう小さなお守りでも持っていてくれたら、なんて思ってしまうのは戦いを知らない私の勝手な我儘だろうか。

「リサさんも、ひとつ持っておきますか?良さそうなのをひとつ取ってください」
「えっ、私も?」
「はい。屋敷の敷地から一歩も出ないならともかく、買い出しで外に出ることもあるでしょう。お守り代わりです」

そう言って、アオイさんは出来上がったばかりの香り袋の山をこちらへ押し出してくれる。
思わぬ申し出に驚きながらも、その温かい気遣いが嬉しくて眉を下げて笑った。

「ありがとうございます。じゃあ……これ、もらってもいいですか?」

山の中から、紐がひときわ綺麗に結ばれたひとつをそっと選び取る。手のひらに乗せると、布越しに伝わる乾いた花びらの感触と、清らかな香りが鼻をくすぐった。
いい匂いだ。鬼を退けるための紫の袋。

「この袋も、アオイさんたちが縫ったんですか?」

手元に残る巾着の縫い目に目を落としながら尋ねると、アオイさんは「まさか」と小さく吹き出す。

「さすがにそこまでは手が回りませんよ。袋自体は、隠の方たちが縫い溜めて送ってくれたものです。私たちは中身を詰めるだけ」
「あ、そうなんですね。よかった、そこまでアオイさんたちがやってたら倒れちゃうと思って」

安堵して息を吐くと、アオイさんは「ふふ、心配しすぎです」と手元を動かしながら笑った。
それでも、届いた布袋に花を詰め、紐を結び、こうして送り出すだけでも途方もない手間だ。

「これだけ作っていると、身体中に藤の匂いが染みつきそう」
「夜にお風呂に入るまでずっと匂いがしてます」
「やっぱり」

袖口に鼻を近づけてみると、すでに新しい麻の着物からほんのりと香りが立っている。
朝お風呂に入ったばかりなのに、あっという間に上書きされてしまった。

「しのぶさんがいつもこの香りがするのも納得です。すれ違うたびに、いつも綺麗な匂いがしますもん」
「しのぶ様のお部屋は、いつも調合した薬と藤の匂いで充満してますから……」

アオイさんは花びらの山を見つめたまま、少しだけ声を低く落とす。そして、匙を動かしていた手をふっと止めた。

「でも、たまにしのぶ様が無理をされているように見えるときがありませんか?」
「しのぶさんが?」
「はい。いつも笑顔でいらっしゃるから他の人たちは気づかないかもしれませんけど……。どこか悪いんじゃないかって、ずっと気になってて」

たしかに、以前にも一度だけ、しのぶさんの酷く青ざめた顔を見たことがあった。カナヲさんが誰にも言わず、無断で最終選別へ行ってしまったと知らされた日だ。
カナヲさんを心配する恐怖や心労が重なったせいだろうと、その時は自分の中で解決したけれど。
でも、もしそうした突発的な感情の揺らぎだけではなく、日常的にそんな顔色をしているのだとしたら。それは少し心配かもしれない。

「私たちがいくら心配しても、絶対に『大丈夫ですよ』って笑って誤魔化されてしまいますし……」

ぽつりと零れたアオイの声に、小さな無力感が滲む。彼女は悔しそうに唇を噛み締めると、小さく息を吐いて再び匙を動かし始めた。
鬼を滅ぼす毒の研究も、柱として背負っている重圧も、戦えない私たちには代わってあげることができない。どれだけ傍にいても、彼女が笑顔の裏に隠している領域には、決して触れさせてもらえないのだ。

「……アオイさん。今夜は、生姜の佃煮にしませんか?」

でも、踏み込めない場所があるのなら、せめて自分たちの手の届く場所から支えたい。
夜遅くまで調合室に篭っていることが多い彼女へ、大好物の夕餉を届けるくらいなら私たちにもできる。
私の言わんとすることをすぐに察してくれたのだろう、張り詰めていたアオイさんの頬がふっと緩む。

「……そうですね。生姜もたくさんありますし」

小さく零れたその笑みに救われたような気持ちになって、私も頷き返した。




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