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なんだか、誰かに見られているような気がする――。
そう確信に近い違和感を覚えるようになったのは、いつだっただろうか。それは決まって町へ出た日に感じる。冨岡さんの屋敷へ訪れた日にも感じる。
上手く、表現できないけれど。それは肌にぴりぴりと刺さるような、射抜かれるような熱を持った視線なのだ。
その日も、出納帳のお手伝いを終えて蝶屋敷に向かって山道を歩いていた時。
ふと、どこからか視線を感じ後ろを振り返った。けれど、そこには風に揺れる木の葉がざわざわと揺れ、蝉が鳴いているだけ。
気のせいだ、と自分に言い聞かせて前を向くが、首筋から背中にかけて、ぴりぴりと刺すような視線がまとわりついて離れなかった。
しのぶさんに相談してみようかな、とも思ったけど。これくらいのことで騒ぎ立てるのも、なんだか違う気がすると放っておいた結果。
その視線の熱量が、日に日に大きくなってしまった。
幸いなことに、今日に至るまでこれといって何か実害があったわけではない。背後から襲いかかられたり、帰り道に不審な人に声をかけられたりしたこともない。
暴漢の人たちは捕まったと言うし、彼らではないのは確かだ。ただ、見つめられている。それだけのこと。
それでもやっぱり、誰かにじーっと見られながら歩くのは、日常の風景としては少しばかり異様で、居心地が悪いものだった。
けれど、そのしつこい視線の正体を探るために血眼になるより、今は次に冨岡さんに持っていく贈り物のことでも考えているほうが、よっぽど有意義だ。
私は、そのうちほとぼりが冷めるのを待とうかなぁなんて、どこまでも呑気に考えていたのである。
「ちょっといいかしら」
夕方。町へ買い出しに出た帰り道。人並みに沿って商店街を歩いていたら、ふと声をかけられて振り向いた。
振り向いた先にいたのは、紫色の袴を着た美しい容姿をした女性。多分同い年くらい、だろうか。髪も肌も指先まで丁寧に手入れされていて、すごく美容に気をつけているんだろうなということが窺える。
はっきりとした見覚えというものはないけど、どこかで会ったことがあるような気がしないでもない。
「えっと、私に何か……?」
声をかけられる心当たりもなく首を傾げていたら、その彼女はじっと私を見つめたまま私の手首を掴んだ。
思わずぎょっとしたが、そのまま強く腕を引かれて彼女についていく他なくなる。雑踏から外れて少し離れた林の近くに連れていかれたかと思えば、彼女はそこでようやく私の腕を離して真正面から私を見据えた。
「ねえ」
「あっ、えっと、はい」
「高月リサって、あなたよね?」
小首を傾げた拍子に、艶やかな黒髪が揺れる。重たく切り揃えられた前髪の下、二重の大きな瞳が私を捉えた。
「は、はい……高月です。高月リサ、です」
「あなた、冨岡様の何なの」
「えっ?」
あまりに突拍子もない質問に小さくたじろぐ。それと同時に、先程彼女に感じた既視感のようなものがはっきりしてきた。
…そうだ。いつか伊之助くんと町を歩いていたとき、私の不注意でぶつかってしまった相手の女性だ。
あの時も、彼女は目を惹くほど綺麗だったから記憶に残っている。けれど、なぜそんな人が私にこんな問いを投げかけてくるのだろう。彼女は冨岡さんを知ってる?鬼殺隊の人だろうか。
「前から見てたんだけど。どうしてあなたみたいな人が、冨岡様の屋敷に平然と出入りしているの?」
…前から見ていた。そこで唐突に、数週間前から私にまとわりついていた、あのぴりぴりと刺すような視線の正体を理解した。
彼女だったんだ。竹林の影から、町の角の向こうから、ずっと私を見ていたのは。
「聞いてるの?冨岡様から離れてくださらない?」
それはあっさりと、雑用を頼むかのように。了承されるのが前提とも言うべき彼女の口調に、言葉を失った。
別段表情を変えるわけでもなく、目の前の綺麗な彼女はただ穏やかに笑みをたたえている。
「あら、聞こえなかったかしら。冨岡様に近づかないで欲しいんだけど」
聞こえてます。そう反論するだけの余裕は実際のところ持ち合わせていなかった。
私の狼狽を嘲笑うように、彼女は自らの名を「フエコ」だと名乗った。
「……あの、すみません。理由を聞いてもいいですか?」
フエコさんは、まるで自分にこそ正当な権利があるのだと突きつけるように、冨岡さんとの出会いを静かに語り始めた。
かつて町外れで鬼に襲われ、死を覚悟した極限の瞬間。彼女を救ったのが任務中の冨岡さんだったという。
無駄のない太刀筋で鬼の首を刎ね、一瞥もくれずに刀を納める姿。震える声で礼を口にした彼女へ、視線すら合わさず「するべきことをしたまでだ」とだけ言い捨てて夜の闇へ消えた彼に、彼女は心を奪われてしまったらしい。
「あんなに、つれなくて……けれど真っ直ぐな瞳を、私は他に知らない。甘い言葉で着飾る男たちとは魂の純度が違ったわ」
恍惚とした表情で語るフエコさんの熱量に、私は気圧される。
あの日奪われた心を取り戻せないまま、彼女は冨岡さんの背中を追うためだけに町を歩き回り、聞き込みを続けたそうだ。
ようやくあの竹林の屋敷へ辿り着いたとき、彼女はどれほど胸を高鳴らせただろう。けれど、焦がれた場所で待っていたのは、温かな再会ではなく固く閉ざされた重い門だった。
私には、その光景が痛いほど想像できてしまった。だからこそ、命を救われた彼女がその背中に焦がれてしまう気持ちも、決して理解できないものではなかった。
「何度も、何度も訪ねたわ。身なりを整えて、精一杯の誠意を持って。でも、返ってくるのは『帰れ』という拒絶だけ。……それなのに門の向こうから、当たり前のように出てくるあなたの姿を見つけたの」
彼女にとって、その門はどれほど手を伸ばしても届かない絶壁だったはずだ。そこから、大した身なりでもない、何者でもない私が現れた。
「どうせ、あなたが無理を言って屋敷に入れてもらったんでしょ?いい迷惑だわ」
「それ、は……」
「冨岡様は誰にでもお優しい方だわ。でも、その優しさを自分に向けられた特別なものだって勘違いしているなら、あまりにも滑稽よ。身の程を知りなさい」
「……あ、えっと……はい。それは私も本当にそう思います」
「はぁ?何それ、馬鹿にしてるの?」
思ったまま答えたのだけど、彼女にとって納得のいく答えではなかったらしい。
冨岡さんの底知れない優しさに甘えているなんて、きっと私自身が誰よりも理解していると思う。冨岡さんは優しくて、あたたかくて。でも、自分を「取るに足らない存在」だと律している人だから、私のお節介も拒まずまるごと受け止めてくれているだけ。
そのことにいつも申し訳なさや感謝を感じているし、だからこそ私に出来ることはなんでもやろうと思っているけど…。結局は彼に助けてもらっている自覚は、十二分にある。
「お願いだから、冨岡様に軽率に近づかないで。見ていてすごく不愉快なの。冨岡様だって、あなたみたいな人に付き纏われて心底迷惑しているわ」
フエコさんは、最後に吐き捨てるようにそう言った。
私は、冨岡さんに恋をした時には、幸運にも既に彼の傍にいた。彼への想いに悩んではいるけど、それでも彼に比較的近い距離にいることができた。
だから、想像してみようと思った。あの日、私が冨岡さんに拾われず、どこか別の場所に拾われていたとして。その町で、見たこともないかっこいい人がいて、その人に一目惚れをして。
当然、彼の家や何をしている人なんて分かるはずもなく、ならば彼との接点を持つためにはどうするか。その人の屋敷に通い詰めるしかないのである。
この女性も、私と同じ。いや、私以上に必死に冨岡さんに恋をしている。少しでも彼に相応しい自分でありたいと、髪を整え、袴を選び、一生懸命に自分を磨いて。慣れない山道を何度も往復して、あの屋敷に通っているのだろう。
「今日は門を開いてくれた」「今日は会話ができた」
そんな些細な一つ一つに喜びを見出そうとする中で、私みたいな存在が、我が物顔で屋敷から出入りしていたら。
…不愉快になる。当然だ。私は、冨岡さんが好きだ。彼の隣に立つような自信はないけれど、彼を想う気持ちの強さなら誰にも負けないと信じていた。でも。
先程彼女に言われた「冨岡様も迷惑してる」という言葉を聞いた時、「そうかもしれないな」と一瞬考えてしまった。
「私を差し置いて、あなたが彼の特別だなんて、道理が通らないわ。なぜ、あの方はあなたを選ぶの?」
「……違います」
震える声を、どうにか形にして吐き出した。
フエコさんき気圧されそうになりながら、私はぽつりと自分に言い聞かせるように言葉を継ぐ。
「……彼とは、何も、ありません。色々とお手伝いはさせていただいて、お世話になってはいますけど……本当に、何もないんです」
嘘ではない。彼が帯留めをくれたのも、贈り物を受け取ってくれるのも、それは彼が温かい人だからであって、私が「特別」だからではない。
そんなことは、自分が一番よく分かっているはずだった。
「ちゃんと、身の程はわきまえています……。フエコさんが仰るように、私みたいなのが彼の隣にいるなんておかしいってことも……」
うつむくと、足元の土の乾いた色が視界に入る。
彼女の、白く美しい指先。それに比べて、私の手は蝶屋敷でのお手伝いで小さな傷が絶えず、お世辞にも綺麗とは言えない。
彼女が必死に磨き上げた"想い"と、私の"幸運"を並べた時、どちらが尊いかなんて考えるまでもなかった。
「だから……そんなに、怒らないでください」
「はあ?何をそんな被害者みたいな顔をして。何もありませんですって?笑っちゃうわ」
彼女を否定する言葉なんて、一つも持っていない。
ただ、彼女の絶望を目の当たりにして、私は自分がどれほど無防備に彼の優しさに甘えていたかを突きつけられ、立ち尽くすことしかできなかった。
フエコさんは苛立たしげに自身の袴の裾を払うと、ふと林の合間から見える空を仰ぎ見る。
「……もうすぐ、日が暮れるわね」
ぽつりと呟いた彼女の横顔に、濃い影が落ちる。
一度でも鬼の恐怖を味わった人間にとって、陽の沈む時間は何よりも耐え難いものなのだろう。早く帰らなければ、夜の闇に飲み込まれてしまう。そんな焦燥が、彼女の足を自然と町の方角へと向けさせる。
けれど、そのまま背を向けて立ち去るには物足りなかったらしい。足を止めたフエコさんは、冷え切った視線をこちらへ投げかけた。
「ところで、私が誰だかご存知?」
「えっ……い、いえ……すみません……」
縮こまりながら正直に首を横に振ると、彼女はわずかに顎を上げて誇らしげに胸を張った。
「新派劇の主演女優よ。覚えておきなさい」
言い捨てるや否や、彼女は紫の袴を翻し早足で林の小道を抜けて去っていった。
一人残された私は、夕暮れの冷え始めた風の中にぽつんと立ち尽くすしかなかった。
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