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抜けるような青空から、容赦のない日差しが降り注いでいる。蝶屋敷の庭に響き渡る蝉の声は、耳の奥に張り付くように激しく、肌をなでる風も湿り気を帯びて重い。
そんな夏の盛りに、私たちは裏庭の井戸端にしゃがみ込んで作業を続けていた。
冷たい井戸水で冷やした布を固く絞りながら、私は額に浮いた汗を二の腕で拭った。
桶の中の水は澄んでいるのに、照りつける陽射しのせいでぬるくなるのも早い。
じゃばじゃばと水を跳ねさせながら、丁寧に隣で布を洗っていたきよちゃんが、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、リサさん。雪人さんのことお見送りに出なくてよかったんですか?」
きょとんとした無垢な瞳で見つめられて、私の手元がぴたりと止まる。
「……うん」
絞り出すようにそう返事をして、私はまたぎこちなく布を水に浸した。
復帰許可が出た彼は、今朝早くに次の任務先へと発っていった。
…でも、これでよかったんだ。彼を傷つけただろうか。酷いことを言ってしまっただろうか。そんな常識的な罪悪感が頭をもたげる一方で、それ以上に、冷え切った感情が私を支配する。
だって、酷いのだもの。何も知らないくせに、冨岡さんのことをあんなふうに悪く言うなんて。勝手な思い込みであの人を蔑ろにされたことが、どうしても許せなかったのだ。
怒鳴ってしまったことへの後悔はある。けれど、あそこで冨岡さんを庇ったこと自体は、少しも間違っていたとは思えない。
「……うん、いいの。私がいなくても雪くんは大丈夫だよ。器用そうだし」
無理やり口角を持ち上げて、きよちゃんに小さく笑いかける。
きよちゃんはどこか釈然としない顔をしながらも、表情を明るくして笑ってくれた。
「そうですね!あ、そうだ。あとでアオイさんが西瓜を切ってくれるって言ってましたよ」
「西瓜?」
「はい!今、日陰で水に入れて冷やしてあるんです。お仕事が終わったらみんなで食べましょうって」
「じゃあ、早く終わらせないとだね」
「はい!」
その屈託のない笑顔に癒やされながら、私はこの先に待っている賑やかな光景を思い描いた。
その時、ふらふらとおぼつかない足取りで歩く人影が視界に入る。
「あ、善逸さんだ。おかえりなさい!」
きよちゃんが門のほうから歩いてくる彼に気づいて声をかけたが、善逸くんからの返事はなかった。
うつむき加減で、まるで魂が抜けたかのように一歩、また一歩と井戸の方へ這うように進んでくる。どうやら連日の猛暑と任務の疲れで、限界に近いようだ。
「善逸くんおかえりなさい。今、冷たい飲み物持ってきてあげるね。少し待っ……」
そこまで言って私も口をつぐむ。
井戸のすぐそばまでたどり着くと、善逸くんは何かを決意したかのように目を見開いた。そして、黄色い羽織を乱暴に肩からずり落とし、そのまま地面へ脱ぎ捨てると井戸の縁へ身を乗り出す。
「……え、善逸さん?」
きよちゃんがおそるおそる声を上げるなか、彼は井戸の縁に置かれていた木の手桶を掴み取った。そのまま冷たい水を並々と汲み上げ、ザブンと迷うことなく頭からふっかける。
バシャアァッ!と水が勢いよく弾け、彼の金髪を濡らし、隊服の襟元から背中へと伝わっていった。
「わあっ!」
「善逸さん!何してるんですか!風邪をひきますよ!」
その豪快すぎる光景を目の当たりにした私たちは、目を点にして固まってしまった。
一方、髪から滴る水も気にせず、ようやく人心地ついたような表情を浮かべて善逸くんは天を仰ぐ。
「はぁぁ、生き返ったぁ……」
滴る水が、地面に落ちては黒い斑点を作っていく。善逸くんは犬のように頭を振り、四方に水飛沫を飛ばした。
…いや、それよりも。
「あっ、きよちゃんごめん!でもさ、この隊服がもう笑っちゃうくらい暑すぎなんだよ。これもう少しどうにかならないのかなぁ。涼しく改良するとか、風通しを良くするとかさ」
濡れて束になった金髪をかき上げながら、善逸くんは恨めしそうに隊服の袖を引っ張る。
彼の言う通りだ。見ているだけでも、詰襟の長袖、そして長ズボンという組み合わせは暑そうで仕方ない。それに、黒い生地はより熱がこもりやすいだろう。
…いや、それよりもだ。
「その生地は特殊な繊維でできているんですから、仕方ありませんよ……って、きゃあ!リサさん!?」
「え?リサちゃんそこにいたの?うつむいてて見えてなか……って、わあぁ!?ごめん!?」
ぼたぼたと、前髪の毛先から地面へと冷たい雫が伝い落ちる。着物の胸元から袖口まで、見事にぐっしょりと色が変わっていた。
…冷たい。いや、気持ちいいくらいには冷たいけれど。
善逸くんが水をかぶった拍子に、豪快な水飛沫をまともに浴びてしまったのだ。あまりの出来事に言葉が出ず、濡れ鼠のまま瞬きを繰り返す。
目の前では、我に返った善逸くんが「うわあああどうしよう!リサちゃん、着替えある!?というか、手拭い!どこ手拭い!」と慌てている。
「だ、大丈夫ですか!?早く拭かないと……!」
「ごめんねリサちゃん、本当にごめん!わざとじゃないんだ、あまりの暑さに頭がおかしくなってて……!」
「う、ううん。ぜんぜん大丈夫。ちょうど気持ちよかったくらい」
二人が右往左往しながら大騒ぎしている横で、私は自分の袖をきゅっと絞った。じょろじょろと水が流れ落ちる。
「リサさん、とにかく早くお風呂に入って着替えてきましょう!風邪をひいちゃいます!」
「う、うん……でも着替えが……」
「大丈夫です!ほら、あの薄紅色の、冬に着ていた着物があるじゃないですか!今の季節にはちょっと暑いですけど、あれを着れば……」
「あ、それ。今、ここに……」
私がおそるおそる足元の桶に視線を落とすと、きよちゃんもつられてそこを覗き込んだ。
木桶の中には、たっぷりの水に浸かって重たそうに沈んでいる薄紅色の着物。
正絹の着物の洗い方がよく分からなくて、ちょうどさっき、きよちゃんに手入れの仕方を教えてもらいながら洗っていた真っ最中だったのだ。
「そうでした……」
「えっ、着替えないの!?なんかもう、本当にごめんっ!!」
当事者である私そっちのけで、大慌てしている二人の姿がなんだか可笑しい。頭がすっかり冷やされて、かえってちょうど良かったのかもしれない。
…とはいえ、着替えがないのは確かに困った。夏物の着物は今着ているこれ一枚きりだし、
仕方ない、乾くまで寝間着の浴衣でも着て過ごそうか。そう頭の中で算段をつけていると、善逸くんが半泣きで私の前に膝をついた。
「ほんっとうにごめんねリサちゃん!俺、誰かに頼んで何か羽織るもの借りてこようか!?」
「ううん。ぜんぜん大丈夫だから、本当に気にしないで」
「で、でも……っ」
「あ、そうだ!私いいこと思いつきました……!」
ぱっと顔を輝かせたきよちゃんが、濡れた手をパチンと合わせた。
*
さらさらと、裾を抜けていく風が素肌を撫でる。帯の締め付けもなく、足元がすーすーとして頼りない。
着慣れたはずの着物の重みから解放された途端、全身が一気に軽くなったような気がした。
「……なんでしょう、このしっくり感は」
腕を組んだアオイさんが、まじまじと私を眺めながら呟く。
「本当に」
「これが普段着みたいです」
きよちゃんに続いてすみちゃんまで頷き、私を囲んで感心したように声を揃えた。
こうなった経緯は単純だ。着替えがないと困り果てていたところへ、きよちゃんが「アオイさんの予備の服をお借りしましょう!」と提案してくれたのだ。
アオイさんが快く貸してくれたのは、蝶屋敷の三人娘たちが着ているものと同じ形の、白い簡素なワンピースだった。
大人の私には少し丈が短くなるかも、なんて心配していたけれど、着てみれば驚くほどぴったりで。
「すごくお似合いです、リサさん!」
なほちゃんが目を輝かせて両手を叩く。
「あり、がとう……?」
みんなの絶賛に戸惑いながら、私は小首を傾げて自分の姿を見下ろした。膝下まで覆う清潔な白い布地と、動きやすい仕立て。
…しっくりくるのも、見慣れてしまうのも、当然といえば当然かもしれない。昔は、洋服しか着ていなかったのだから。
思わぬところで懐かしい日常を思い出してしまい、なんだか少しこそばゆい気分だった。
「アオイさんはこのワンピース、着ないんですか?」
彼女のものだというこれを、アオイさんが着ているのを見たことがない。
アオイさんは一瞬だけ視線を泳がせ、自分の隊服の袖を軽く引っ張る。
「あ、ええ。私は……まあ、一応は隊士ですから」
「本当ですか?じゃあ、今日だけお借りしますね」
どこか言葉を濁すようなその曖昧な返答に、何か事情があるのだろうかと気にかかったが、それを深く考える間もなく、きよちゃんが私の袖をちょんちょんと引く。
「どうしたの?」
「あの……リサさん。本当に大丈夫ですか?寒くないですか?風邪、とか……」
不安そうに眉を下げて、私の顔をじっと覗き込んでくる。急に水をかぶった私の体を、心底心配してくれているのだ。
「ふふ、優しいね。大丈夫だよ、寒くない。きよちゃんが思いついてくれたおかげで助かっちゃった」
しゃがみ込んで目線を合わせ、ふわりと微笑みかける。
そんなきよちゃんの優しい顔を見ていると、背負い込んでいた余計なものが少しだけ軽くなって、ふっと肩の力が抜けていくのを感じた。
だめだな、私。こんな小さな彼女に心配をかけて。
「じゃあ、そろそろ西瓜を切りに行きましょうか」
パンと手を叩いたアオイさんの声に、すみちゃんとなほちゃんが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「あ、そうですね!そろそろ冷えた頃ですし」
「早く食べたいです!」
弾んだ声が廊下に響き、きよちゃんも私の手をそっと握って歩き出す。
軽やかな足音を響かせながら、私たちはみんなで連れ立って、日差しを浴びる縁側へと向かった。
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