67
秋晴れの青空がどこまでも高く広がる日だった。
「あ、リサちゃーん!こっちこっち!」
「甘露寺さん……!」
待ち合わせの約束をしていた町の甘味処まで辿り着くと、縁台から身を乗り出した甘露寺さんが大きく手を振って合図してくれる。
小走りで駆け寄る私に、彼女は爛漫な笑みで迎えてくれた。
「お待たせしてしまってすみません」
「ううん、全然待ってないよ!席だけ取っといたの。私も本当に今着いたところなのよ、ね?麗」
甘露寺さんが肩にとまった鎹鴉の麗に優しく笑いかけると、麗も嬉しそうに喉を小さく鳴らした。
「さ、座って座って!今日はお団子たくさん食べようね!」
促されるまま、私も彼女の隣の縁台へ腰を下ろす。漂ってくる香ばしい醤油の匂いと小豆の甘い香りに、思わず口元が緩んだ。
こうして甘露寺さんと二人で出かけることになったのは、数日前に彼女が蝶屋敷をふらりと訪れたことがきっかけだった。
任務の合間に顔を出してくれた彼女は、診察の待ち時間に私の顔を見るなり、
「リサちゃん!今度のお休みに一緒に美味しいものでも食べに行かない?」と、甘味処へ誘ってくれたのだ。
ここ最近は屋敷の外へ出る機会なんてほとんどなかった。もちろん屋敷での仕事は大切だし充実もしているけれど、たまにはこうして外の空気を吸って息抜きをするのもいいかもしれない。
何より、甘露寺さんに誘われて断れる人なんてこの世にいない気がする。
「美味しいお団子のお店、見つけたの!」と嬉しそうに教えてくれた彼女の顔を思い出しながら、私は改めて隣に座る桜色の髪を見つめた。
「お待たせしました」
運ばれてきたお盆の上には、桜餅が山のように盛られ、私の前には白い粉を纏った柔らかな豆大福が置かれる。
「わぁ、美味しそう……!私、桜餅が大・大・大好物なのよ!」
運ばれてきた桜餅に目を輝かせ、甘露寺さんは幸せそうに頬を染めた。
桜餅が大好物だなんて、尾崎さんと同じだな、なんてふと思い出す。けれど目の前に積み上げられた桜餅の数は、とても常人のそれではない。
甘露寺さんは目を輝かせながら、さっそく一つ手に取って一口で頬張った。
「ん〜〜っ!やっぱり美味しい!葉っぱの塩加減が絶妙なのよね」
幸せそうに両手を頬に当てる姿につられて、私も大福を口に運ぶ。ほどよい甘さの粒あんと塩気のある赤えんどう豆。
甘露寺さんと過ごす時間は、いつもあっという間に過ぎていく。最近蝶屋敷で咲いた季節の花のこと、町で見かけた可愛い野良猫のこと、他愛もない世間話から、互いの好きな食べ物の話まで。
「そうそう、それでね。宇髄さんが柱を引退したでしょう?だから柱の担当地区の見直しがあって、私の受け持つ範囲も少し広くなったのよ」
「あ、しのぶさんからも聞きました。ただでさえお忙しいのに、大変ですね……」
遊郭での激戦の爪痕は、こうして残された人たちにも確実に波及している。
ここ最近のしのぶさんも、いつにも増して屋敷を留守にすることが多かった。診察の合間を縫うようにして飛び回っていたあの忙しなさは、担当区域が広がった負担も重なっていたからなのだろう。
「でもね、大変なこともあるけれど、私なんだかわくわくしちゃうの!それにね、新しく担当になった地区に、ものすっごく美味しいお饅頭を出す甘味処があるっていう噂を聞いちゃって!絶対に調査しに行かなくちゃって思ってるのよ」
「ふふ、美味しかったらぜひ私にも教えてくださいね!」
そう返しながら、温かい湯呑みを両手で持ち上げてそっと口をつける。
「うん、任せて!」
甘露寺さんは力強く胸を張って笑ったあと、ふと何かを思い出したように首を傾げた。
「そうだ、リサちゃん。最近、蝶屋敷のほうはどう?しのぶちゃんから少し話は聞いたけれど……」
「あ、そうなんです!炭治郎くん、やっと目を覚ましたんですよ」
「えっ、本当!?」
「はい!」
大きく身を乗り出す甘露寺さんの前で、思わず笑いがこぼれてしまう。
炭治郎くんが目を覚ましたあの日は、本当に嵐のような騒ぎだった。
カナヲさんが驚いて花瓶を落として割ってしまったり、隠の後藤さんが目を覚ました炭治郎くんを発見して高級カステラを落として駄目にしたり。
アオイさんや三人娘が泣き叫びながら雪崩れ込んできて、安静にしていなきゃいけないはずの伊之助くんまで天井から降ってくる始末。
もう完全にしっちゃかめっちゃかだったけれど、あの場にいたみんなが、泣き笑いしながら炭治郎くんの生還を喜んでいた。
思い出し笑いを零しながら話すと、甘露寺さんは「よかったぁ……!」と胸に手を当て最後まで話を聞いてくれた。
「リサちゃんは最近どうなの?」
「私ですか?見ての通り、毎日元気にやってますよ」
「そうじゃなくて、あの殿方とは上手くいってるの?」
茶目っ気たっぷりに身を乗り出され、次の大福を口に運ぼうとしていた手がぴたりと止まった。
「それ、は……」
ふいを突かれ、喉の奥が引き攣る。
視線を泳がせながら固まってしまった私を見て、甘露寺さんがハッとしたように八の字に眉を寄せた。
「ごめんなさい。私、変なこと聞いちゃった……?」
「い、いえ!そういうわけではないんです。ただ……」
取り繕おうとするけれど、上手い言い訳が見つからない。
「その、振られて、しまって……。思い切って想いを伝えたんですけど、駄目でした」
言ってしまえば、驚くほど呆気ない。
甘露寺さんは桜餅を持つ手を止め、痛ましげに片手で口元を押さえて絶句していた。そんな彼女の表情に、申し訳なくなって慌てて手を振る。
「あ、で、でも!もう夏の頃のお話ですし、ずいぶん時間も経っていますから!変な空気にしてしまってごめんなさい」
「リサちゃん……」
泣き出しそうな顔で名前を呼ばれる。
せっかくの非番の日に、美味しいお団子を食べに連れてきてくれたのに。気を遣わせたくなくて、必死に口角を引き上げて笑ってみせた。
「もともと、私の一方的な想いだったし、こうなることも最初から分かっていたんです」
分かっていた。身分も立場も違いすぎる、届くはずのない恋だった。
…でも。じゃあ、どうして。あの日、どうして冨岡さんは、あんなにも熱く私に口づけたんだろう。考えなかったわけじゃない。
あれは、ただの気まぐれだったのか。それとも、行き場を失った
けれど、そんなことを考え続けたって意味はない。突き放されたという事実だけが、揺るぎなくここにあるのだから。
「だから、全然大丈夫なんですよ。こうして元気に甘味も食べられてますし、もうすっかり吹っ切れて……」
へらりと笑顔を浮かべて、彼女を安心させようとしたその瞬間だった。
「えらいっっ!!」
叫ぶや否や、甘露寺さんが縁台から勢いよく身を乗り出し、私の身体をぎゅっと両腕で抱きしめてきた。
「……え?」
「えらいわ、リサちゃん!本当に、本当にえらいわよっ!!」
「あ、あの、甘露寺さん……?」
突然のことに何が起こったのか分からず、目をぱちくりと瞬かせる。
私はただ恋に破れて、その情けない結末を口にしただけだ。褒められるようなことなんて何一つしていないはずなのに。
「だって、勇気を出して自分の想いをちゃんと伝えたんでしょう!?それって、とってもとっても凄いことだと思う!」
甘露寺さんは私の身体をそっと離すと、両手を私の肩に置き、真剣な瞳で顔を覗き込んできた。
その大きな瞳に、いっぱいの涙を浮かべながら。
「結果がどうであれ、誰かを心から好きになって、それを言葉にして相手に届けるなんて、誰にでもできることじゃないもの!だから、そんな自分をどうか誇ってあげて!私、リサちゃんのそういう真っ直ぐなところ、本当に大好きよ!」
なぜだろう。彼女の放った言葉の一つ一つが、乾ききっていたはずの私の心へまっすぐ突き刺さっていく。
視界がじわじわと滲んで、遮られる。止めようと思った時にはもう遅く、温かい雫がぽろぽろと頬を伝って零れ落ちていた。
「あれっ、……なん、で涙……」
指先で乱暴に拭っても、次から次へと溢れて止まらない。もう泣きつくしたはずなのに。どうして今さら、こんなにも涙が出てくるのだろう。
視界が歪む中、目の前には、私を励まそうと一生懸命に言葉を紡いでくれる甘露寺さんの姿。それと、さっきまで幸せそうに桜餅を頬張っていた、愛らしい仕草が重なる。
それが、かつて同じように桜餅が大好きで、屈託なく笑っていた尾崎さんの面影と重なってしまって、胸の奥を激しく掻き乱された。
「よく頑張ったね、リサちゃん。本当によく頑張ったわ」
ふわりと、もう一度甘い桜の香りに包まれる。
そこから私は、子どものように声を上げて泣きじゃくっていた。
*
「本当に本当に、送っていかなくて大丈夫?」
「はい!甘露寺さんはこれから急ぎの任務が入ったんですから、早く行かないと。私ならもう本当に大丈夫です。ありがとうございました」
通りの十字路で足を止め、握り合っていた手をそっとほどく。
甘味処を出た直後に麗から緊急の任務が告げられたというのに、甘露寺さんは私の顔を覗き込んだまま、なかなか足を踏み出そうとしない。
泣き腫らして赤くなった私の目を、心配そうに見つめている。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫です!」
「麗、どう思う?」
「シンパイ!目ガ腫レテル!アヤシイ!」
「えぇ……なんでぇ?」
一人で帰れるという私に、甘露寺さんも麗も揃って疑わしげな視線を向けてくる。
…心配してくれているのはよく分かる。でも、自分の状態は自分が一番分かっているのだから、本当に平気なのだ。
…なんて、ほんの少し前まで号泣していた私が言えた義理ではないから、口を噤むしかないのだけれど。
「絶対に、暗くなる前には屋敷に帰るんだよ?」
「はい、寄り道せずに真っ直ぐ帰ります」
「くれぐれも変な人について行っちゃ駄目だからね!」
「大丈夫ですよ」
「うう、心配だけど……でも、行かなくちゃ。リサちゃん、また絶対に美味しいもの食べに行こうね!」
「はい、楽しみに待ってます。お気をつけて!」
何度も振り返りながら大きく手を振って走り去っていく、白色の羽織。その背中が見えなくなるまで見送り、私は小さく息を吐いた。
冷えた秋の空気を胸いっぱいに吸い込むと、不思議と頭の奥がすっきりとしていた。
思い切り泣いて、甘露寺さんに全部受け止めてもらったおかげだろうか。心が少しだけ軽くなっている。
早く屋敷に帰ろう。みんなの待つあの騒がしくて温かい場所に。そう思って踵を返した、その時。
「お。お前もしかして胡蝶んとこの娘か。何してんだ、ここで」
頭の上から降ってきた野太く通る声に、思わず肩が跳ねた。
「……………こんにちは。そしてさようなら」
「随分と嫌われてんな、俺も」
見ずとも分かる、見上げるほどのがっしりとした長身。流した銀髪に、片目を覆う煌びやかな眼帯。左の腕を失って柱を退いたはずなのに、放つ威圧感は少しも衰えていない。
即座に早足で立ち去ろうとしたが、しれっと嫌味を言われてしまうと居心地が悪い。思わず足を止め、振り返る。
宇髄さんは私のあからさまな態度を気にした様子もなく、からかうように口元を歪めた。なんというか、どこまでも余裕だ。
「……何か御用でしょうか」
元柱相手にさすがに失礼すぎただろうかと、少しだけ反省して向き直る。すると、宇髄さんは少しだけ意外そうな顔をした。
「お。まさか立ち止まって話聞いてくれるとはな」
「……用件がないのでしたら失礼します」
「まぁそう急くな。減るもんじゃねぇだろ」
話に応じるしかないと思って立ち止まったというのに、軽くあしらわれると地味に苛立ちが募る。
宇髄さんは軽く肩を竦めた。
「俺がお前になんかしたか?初対面じゃねぇはずだが、えらくトゲトゲしてんじゃねぇかよ」
「………忘れたとは言わせませんが」
一歩後ずさり、冷ややかな視線を突き刺す。
わずか二ヶ月ほど前の出来事だ。突如として蝶屋敷に乗り込んできたこの男は、有無を言わさずアオイさんとなほちゃんを小脇に抱え、無理やり任務へ連れ去ろうとしたのだ。
泣き喚くなほちゃんを放り出し、アオイさんに対しても傲慢に振る舞ったあの横暴さを、私は絶対に許してなどいない。蝶屋敷の誰もが許していない。留守から戻って事情を知ったしのぶさんだって、カンカンだったのだから。
「あー……。あの時のことまだ根に持ってんのかよ。地味に執念深いな、お前」
「事実をお伝えしているだけです」
「任務を派手にこなすのに手段を選んでる暇はねぇんだよ。ま、結局は竈門のガキどもがケツ持ちに来やがったがな」
ケロッとした顔で言ってのけ、耳元の飾りをジャラリと鳴らす。
反省の色など微塵もない態度に、せっかく甘露寺さんに溶かしてもらった穏やかな気持ちが台無しだ。胸の奥でふつふつと不快な熱が湧き上がってくる。
「とにかく、私はあの子たちを泣かせるような人とは関わりたくありませんし、元柱であっても信用しません。……失礼します」
「おいおい、待てって。そうカリカリすんな。泣き腫らしたツラで凄まれても、器量落ちするだけだぞ」
「……っな!」
息を呑み、思わず睨みつけた。
よりによってこの人に、泣いたことを突かれるなんて最悪だ。こうも明け透けに値踏みするように言い放つ神経が信じられない。
「……で、誰に泣かされたんだよ」
「宇髄さんには関係ありません」
「男か?」
「…………」
「当たりだな」
「なにも言ってません!」
「そんな面してりゃ世話ねぇよ。お前、分かりやすすぎるんだよ」
分かりやすいとはなんだ。人の気も知らないで。
反論する言葉すら惜しくて、踵を返し、今度こそ立ち去ろうと足早に歩みを進める。
「わーった、悪かったよ。待てって」
宇髄さんが右手をひらひらと上げ、降参するように言う。思わず足を止め、振り返って怪訝な視線を向けた。
彼はそんな私にふっと鼻を鳴らし、からかいの色を消した真剣な面持ちでこちらを見下ろしてくる。
「……竈門の様子はどうだ。少しはマシになったか」
思わずぽかんとして言葉を失う。
…意外にも、この人にも人の心があったらしい。不敬なことを考えてしまったと、少しだけ反省した。
あの一件以来、宇髄さんが一度も蝶屋敷に顔を出さないものだから、勝手に「なんて薄情な人なのだろう」と思い込んでいたのだ。
任務のためなら少女たちを強引に連れ去ろうとし、終われば見向きもしない。そんな冷徹な人だと決めつけていた。
けれど、今向けてくる眼差しに嘘はない。自分は引退した身だからと、あえて一線を引きながら、遠くからずっと彼らの無事を案じていたのだろう。嫌悪感が少しだけ引いていくのを感じる。
「……はい。炭治郎くんと伊之助くんは目を覚ましましたし、善逸くんはもう任務に復帰しています」
努めて穏やかに答えると、宇髄さんは「そうか」と深く息を吐き出した。張り詰めていた肩がわずかに下りる。
「あいつらがしっかり立ち上がるまで、屋敷の連中で支えてやってくれ。頼んだぞ」
そう言って大きな手のひらが頭に置かれたかと思うと、乱暴にわしわしと撫で回された。
「わっ……!か、髪が乱れますっ!」
「ハハッ、いいじゃねぇか。泣き腫らしたツラよりはまだマシだ」
宇髄さんは豪快に笑い飛ばし、腰に手を当てて胸を張る。立ち去る気配もなく、その場に仁王立ちしたまま私をじっと見下ろしてきた。
「……あの、まだ何か?」
至近距離で見つめられると落ち着かない。乱れた後れ毛を耳にかけながら、一歩身を引いて尋ねる。
すると宇髄さんは、ニヤリと口端を吊り上げた。
「お前、面白えな。どうだ、今度うちに遊びに来ねぇか?歓迎してやるぜ」
…遊びに来い?屋敷に?何を言っているんだ、この人は。
一歩、また一歩と後ずさり、これ以上ないほど警戒を込めた目を向ける。
「……なるほど。警戒心の強い嬢ちゃんだ」
「いえ、警戒心を持てとよく怒られていましたから……」
冨岡さんに。
ぼそりと付け足して呟くと、宇髄さんは目を一度、驚いたように瞬かせた。
警戒心を持てと言われていた自分の行動をよくよく振り返れば、見ず知らずの男性だった冨岡さんに、警戒もせずついて行ったのは確かに軽率だったと今なら分かる。
けれど、あの時はそうするのが正しいと思ったし、その選択を後悔したことは一度もない。
ちらりと宇髄さんを見上げると、なぜか意外そうに眉を寄せていた。
「……へえ。あの冨岡がねぇ」
「え?あ、はい。まあ、最近は会っていませんけど……」
「ほぉー」
宇髄さんは顎に手を当て、何やら深く納得したように口角を上げる。
な、何だろう。その笑い方、すごく嫌だ。
「安心しろ。お前を取って食おうなんて考えてねぇよ。言ったって、俺には嫁が三人もいるんだ。間に合ってんだよ」
背を向けようとした私の背中に、さらりと信じがたい言葉が放り投げられた。思わず足を止め振り返る。
「……よ、嫁が三人!?三人もいらっしゃるんですか!?」
「ああ、そうだ。どいつも派手でいい女だぜ」
絶句した。一人でも手に余りそうなこの人に、奥様が三人。
呆気に取られて口元を押さえる私を前に、宇髄さんはさも当然といった顔で胸を張っている。
「……あの、失礼を承知で申し上げますが、ますます怪しくなりました。というか、むしろ信じられません」
「はぁ?なんでだよ」
心底不思議そうに眉を寄せる宇髄さんに、胸の奥でふつふつと煮え立つ憤りをそのままぶつけた。
「三人だなんて……そんなの、誰彼構わずいいって言ってるようなものじゃないですか!普通にお一人だけを誠心誠意、愛し抜くことはできないんですか!?三人もいらっしゃるなんて、不誠実にも程があります!」
「あァ!?お前、今なんつった!?」
宇髄さんの額にピキリと青筋が浮かび、威圧感たっぷりに私の前へと立ち塞がる。
けれど、一度火がついた私の勢いは止まらない。たった一人に拒絶されて、その痛みに胸を裂かれそうなほど苦しんでいる人間がいるというのに、平然と三人も嫁がいると豪語するこの男の軽薄さが、どうしても許せなかった。
「俺はな!忍一族の家系なんだよ!一夫多妻が当たり前の世界で生きてんの!三人が三人とも、俺にとっては一番なんだよ!それが分かんねぇのかよ、この地味な堅物女が!」
「わ、分かりません!一番が三人もいるなんて、道理が通りません!」
声を荒らげて言い返すと、宇髄さんは忌々しそうに鼻を鳴らした。
「はッ!道理だァ?そんな地味な理屈、俺に通用すると思ってんのか!いいか、お前みたいな色気もねぇちんちくりん、こっちから願い下げなんだよ!安心してろ!」
「なっ……!失礼ですね!私だって宇髄さんみたいな……その、誰彼構わず愛を振りまくような方はお断りです!私は私だけを真っ直ぐに見てくれる人と一緒になりたいので、こっちから願い下げですっ!!」
「はッ、強情な女だな!だったら話は早ぇじゃねぇか。これ以上ねぇ利害の一致だな!!」
「そうですね!!完全なる意見の一致です!!」
喉がちぎれんばかりに叫び終え、肩を大きく上下させてぜえぜえと息を吐く。
秋の涼風が首筋を撫でた瞬間、背中にすっと冷や汗が流れ始めた。
…やってしまったのでは?いくらなほちゃんたちのことがあったからと言って、勢いに任せてとんでもなく失礼な暴言を叩きつけてしまったのでは。
どうしよう。これ、不敬?もしかして不敬罪になる?元柱相手でも、やっぱりお縄になったりするのだろうか。
あまりの恐れ多さに、さっきまでの威勢はどこへやら、握りしめた拳がカタカタと震えだす。おそるおそる視線を上げると、宇髄さんは腕組みをしたまま、じろりと鋭い眼光で私を見下ろしていた。
ひぇ、と短い悲鳴が鳴り、咄嗟に目を逸らす。
完全に蛇に睨まれた蛙だ。逃げ出す足さえ竦んでしまい、私はその場で情けなく身を縮こまらせるしかなかった。
「……ふ」
頭上から、小馬鹿にしたような笑い声が聞こえてくる。
「……たく、派手に喚きやがって」
私はぷくりと頬を膨らませ、そっぽを向いたまま頑なに宇髄さんと視線を合わせるのを拒んだ。怒られるかと思いきや笑い飛ばされたけれど、素直に頷くのも癪に障る。
宇髄さんはそんな私に呆れたように笑った。
「わーったよ。俺も少し大人気なかったな。……おい、こっち向け」
「…………」
「無視すんじゃねぇよ。また嫁どもがいる時にでも改めて呼んでやるから。お前、甘露寺とも仲が良いんだろ?気が向いたら遊びに来い」
「え……?」
意外な言葉に、弾かれたように顔を上げた。
甘露寺さんと親しくしていることまで知られているとは思わなかった。蝶屋敷にほとんど寄り付かない人なのに、柱同士の繋がりなのか、それとも元忍としての情報網なのだろうか。
「本当、ですか?」
「ああ。あいつらもお前みたいな奴は嫌いじゃねぇはずだ。歓迎してやるよ」
宇髄さんはそう言うと、再び私の頭に大きな手を置いた。
今度は先ほどよりも少し優しく、わしゃわしゃと撫でられる。子ども扱いされているのは明らかなので抗議の声を上げる。
「宇髄さんっ!」
「気をつけて帰れよ、もうすぐ陽が落ちるぞ。夜道は危ねぇからな」
頭から手を離した宇髄さんは、満足げに頷くと今度こそ背を向けた。夕闇が濃くなり始めた街道を、長身を揺らしながら歩き去っていく。
一人残された道で、私は乱された髪を整えながらその背中を見送った。
横暴で、傲慢で、人の気も知らずに土足で踏み込んでくるくせに、どこか憎めない。
「……変な人、だなあ」
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