73


目が覚めると、全く知らない場所にいた。
頭がぼんやりとするし、体に上手く力が入らない。ここはどこだろうと考えて、自分が塵っぽい地面に転がされていることに気付く。
辺りは真っ暗で、辛うじて木の格子が嵌められた小さな窓から差し込む月明かりが、部屋の中の輪郭を僅かに浮かび上がらせている。そんなに広い部屋ではない。家具はなく、部屋の隅に薪のようなものが積み重なっているのが見えた。どこかの納屋か、あるいは蔵だろうか。辺りは静まり返り、不気味なほどの沈黙が支配している。
…一体、何があったんだっけ。ぼんやりとする頭を必死に動かして記憶を辿る。雨が降り出し、藤堂さんの薬屋で雨宿りをさせてもらったこと。彼が淹れてくれたお茶。一口啜るごとに体が温まり、緊張が解けて……。
…そうだ、あのあと。急に意識が遠のいて。そこから先の記憶が、プツリと途切れてしまってる。

「……どこ?」

ぽつりと呟いて、背中がぞくりと震えた。
手足の感覚が少しずつ戻ってきたのを感じ、必死に起き上がろうともがいた。けれど、力の入らない体は無様に床を転がり、強かに肩を打ち付ける。

「……っ、いた、」

痛みが走る箇所を庇いながら、焦燥感だけが胸の中で膨れ上がっていく。早く、早く蝶屋敷に帰らなければ。
今、何時だろう。こんなに暗くなっているということは、あの時からかなりの時間が経過しているはずだ。帰ってこない私に、アオイさんはきっと気付いている。
また、心配をかけてしまう。

その時、ガラガラと重い音がして部屋の戸が開かれた。
誰、と視線を上げて、突然向けられた手提げ提灯の眩しさに目が眩む。

「目は覚めているようだな」

細めた目で、部屋に入ってくる男性を見つめる。影の形的に二人いるようだった。
光に目が慣れてくるにつれ、その男たちの姿がはっきりと見えてくる。一人は頭に手拭いを無造作に巻き、もう一人はくたびれた浅色の羽織を肩に引っ掛けていた。
その二人の顔を見た瞬間、私は息を吸うことさえ忘れた。身体が、私の意識が追いつくよりも早く、過去の恐怖を思い出してガタガタと震え出す。
あの日、しのぶさんに頼まれて麓の町へおつかいに行った時、薬屋の裏路地で私を囲み、薄笑いを浮かべていた男たちだ。あの時は、偶然通りかかった冨岡さんに助けられたけれど、あの時の恐怖は私の魂に深く刻み込まれたまま。

「お、俺たちのこと、ちゃんと覚えてくれているみたいだな。嬉しいなあ」

手拭いの男が、下卑た笑い声を漏らしながら一歩踏み込んできた。

「あの時は、あの野郎のせいで上手くいかなかったが……。今日は邪魔者は誰もいない。お前を可愛がってやるには絶好の夜だと思わないか?」

浅色の羽織を着た男も、鼻を鳴らしながら愉快そうに続けた。

「薬屋の藤堂の旦那には感謝しなきゃなぁ。お前が一人で来るのを、ずっと待ってたんだぜ。あそこの屋敷には、今は弱そうな小娘しか残っていないんだって?お前みたいな上玉が、のこのこ一人で歩いてくるなんて運が良かった」

…藤堂さん?どうして、今、その名前が…?理解が追いつかず、思考が白く塗りつぶされていく。
藤堂さんは、いつだって優しく私を迎えてくれた。慣れない薬の名前に戸惑う私を励まし、アオイさんや三人娘たちの体調まで気遣ってくれる、穏やかで実直な人だったはずだ。
そんなはずないと思いたいのに、突きつけられた現実は、私の淡い期待を無残に踏みつぶしていく。なぜ、私が一人で町に来たことをこの男たちが知っているのか。なぜ、蝶屋敷に今、戦える隊士がいないという内情を彼らが把握しているのか。
それはすべて私自身が藤堂さんに、信頼の証として打ち明けてしまったことだった。
思い返せば、彼はやけに詳しく屋敷の様子を聞いてきた。しのぶさんの不在の期間、カナヲさんの任務。それを「心配だから」という言葉で包み隠し、私はその優しさに甘えてすべてを曝け出してしまった。
あの温和な微笑みも、眼鏡の奥の穏やかな瞳も、すべては私が隙を見せるのを待つための罠だったのだ。
あの薬に何か睡眠薬でも入っていたのかもしれない。私が、蝶屋敷を…みんなを、危険に晒してしまった。

「……ど……して……」

震える唇でそう言っても、返ってくるのは男たちの卑屈な嘲笑だけ。何をされるのかわからない恐怖に小さく体が震えて、私はぎゅっと唇を噛む。

「どうして、か。藤堂の旦那に言わせりゃあ、お前は最高の素材なんだそうだよ」

手拭いを巻いた男が、じり、と床を踏み鳴らして距離を詰めてくる。その瞳に宿る暗い熱に、私は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

「あの旦那、薬のことになると目がなくてなぁ。特にお前みたいな若くて活きのいい娘が、あの『特製のお茶』でいつまで指一本動かせなくなるのか……それを正確に記録したいんだとよ。高貴な御方々に売り捌くための、大事な商品試験なんだとさ」

男たちの口から語られる事実に、血の気が引いていくのが分かった。
藤堂さんが薬だと言って差し出してくれた、あの甘い液体。ただの眠り薬だと思っていたけれど、目が覚めてもなお指先ひとつ動かせないこの感覚は、普通の薬ではあり得ない。睡眠以外にも効能があったのだろう。
だから、あんなに熱心に勧めてきたのだ。私の身体が動かなくなるのを確認するために。「高貴な御方々に売り捌く」と言っていたが、裏でそんな恐ろしい取引が行われていたなんて。
藤堂さんが生み出したこの薬は、抵抗できない人間を玩具のように扱うための道具として、権力者たちの間で流行っているということなのだろうか。
絶望に打ちひしがれる私に、浅色の羽織の男が追い打ちをかけるようにわらう。

「お前が初めてじゃないぜ?先月のあの子も、その前のあの子も……みんなこの蔵で、お前と同じように震えながら、俺たちの"試験"に付き合ってくれたよ。…あぁ、あの子たちの泣き顔も最高だったなぁ。薬のせいで声も出せねぇもんだから、ただただ涙を流して、されるがままになってさ」

脳裏に、かつてここに転がされていたであろう見知らぬ少女たちの姿が浮かんだ。
助けを呼ぶことも、逃げることもできず、自由を奪われたまま、どれほど恐ろしい夜を過ごしたのだろう。心も身体も蹂躙され、尊厳を奪われたその子たちは、今、光の下を歩けているのだろうか。もう、外を一人で歩くことさえ怖くてできなくなっているかもしれない。

「特に、お前だよ。……俺たちは、あの日のことを一日たりとも忘れたことはねぇ」

手拭いを巻いた男が、私のすぐ傍で屈み込んだ。提灯の逆光で彼の顔が醜く歪む。

「あの時、あの野郎が現れなきゃ、お前はもっと早く俺たちのものになっていたんだ。お前のあの、今にも壊れそうな泣き顔を思い出すたびに、股ぐらが熱くなって仕方がなかったぜ」

彼らの指先が、私の頬に触れる。這い回るような嫌悪感に鳥肌が立つが、薬に呪われた私の身体は、拒絶の身じろぎ一つ満足にさせてくれない。

「それにしても、あの蝶屋敷の、紫の飾りをつけた嬢ちゃん……。あいつには散々、邪魔をされたからなあ」

浅色の羽織の男が、忌々しげに床を蹴った。提灯の光が揺れ、男たちの影が巨大な化け物のように壁に映る。

「あんな恐ろしい女と、その周りにいる小娘たちには二度と手を出さねえって、あの時に決めてたんだよ。だが……あの嬢ちゃん、ことごとく俺たちの邪魔をしやがる」

男は吐き捨てるように言葉を続けた。

「俺たちが町の女を少しばかり可愛がろうとすれば、どこからともなく聞きつけて守りやがる。おかげで藤堂の旦那も、新しい薬を試す被験者が集まらねえって、ずっと痺れを切らしてたんだ。そこで、お前に目が向いたってわけさ」

しのぶさん。しのぶさんが、守ってくれていたのに……。
しのぶさんがこの町の人々から信頼され、同時に恐れられていた理由。彼女が、私が知らないところでどれほどの毒虫を追い払い、静かな日常を守り続けてくれていたのか。
彼女が不在になったこの僅か数日の隙を。男たちは……そして藤堂さんは、ずっと暗闇から伺っていたのだ。

「あの紫の嬢ちゃんさえいなけりゃ、ここは俺たちの庭だ。お前はもう、誰にも守られやしないんだぜ」

男が私の着物の襟元に手をかけた。力任せに引かれ、布地が悲鳴を上げて左右に割れる。
露わになった首筋に、蔵の中の冷え切った空気が触れて、私は絶望に身を震わせた。

「……い、やだ……やめて……」

脳裏に浮かぶのは、蝶屋敷の皆の顔。アオイさんが淹れてくれた薬湯の匂いや、猫と戯れるカナヲさん、三人娘たちの明るい笑い声。それらが、もう二度と戻れないほど遠い場所にあるような気がして、私はぎゅっと目を閉じた。
逃げ場のない闇の中で、男たちの荒い呼吸がすぐ近くまで迫ってくる。

「さあ、あの日見られなかった最高の泣き顔を見せてくれよ」

男の指が、私の首筋に食い込む。
声が、思ったように出ない。ああ、こうなるんだと。本当の恐怖を前にした時、人は思考も身体も停止してしまうのだと思い知らされる。

「震えてんじゃん。大丈夫だいじょーぶ、すぐ気持ちよくなるから」
「っ……、やめて……!」
「黙れって。口、押さえるぞ」

ガッと髪を掴まれ、地面に無様に押さえつけられる。塵っぽい床の冷たさと砂利の感触が頬に刺さった。火事場の馬鹿力か、僅かに動いた顎を必死に動かし、押さえつける男の指を思い切り噛みちぎる勢いで食らいつく。けれど。

「いってぇ! このアマ……っ!」

掴まれた髪から伝わる容赦のない痛みが、私の抵抗を容易く折る。
──バシッ!乾いた音と共に視界が火花を散らした。頬を激しく叩かれ、肺の中の空気が強制的に押し出された。

「っ……だれ、か……」

口の中に鉄の味が広がる。けれど、助けを求める言葉を吐き出した瞬間に、今の絶望的な状況が重くのしかかってきた。
…いない。誰も、いないのだ。炭治郎くんは刀を求めて遠い里へ。カナヲさんも任務で屋敷を離れている。
しのぶさんさえいれば、アオイさんが側にいてくれれば。…いや、そもそも私がおつかいになんて出なければ、こんなことにはならなかった。
朦朧とする意識の底で、縋るように一人の人の姿を探してしまう。

冨岡、さん……。
助けて、と。その名前を呼びたい衝動が喉までせり上がる。けれど、それと同時に氷のような言葉が私の脳裏を支配した。

『冨岡様は誰にでもお優しい方だわ。でも、その優しさを自分に向けられた特別なものだって勘違いしているなら、あまりにも滑稽よ』

…そう。本当に、おこがましい。
ここで彼の名前を呼びたい、助けに来てほしいと願っている私は、どれほど滑稽で、おこがましいのだろう。
彼に拒絶されたくせに。突き放されたくせに。自分の愚かな過ちでこの窮地を招いたくせに、まだ彼に甘えようとしているなんて。
叫ぶことも、今の力じゃ抵抗することもできない。けれど、指先だけはまだ死んでいない。地面に放り出されているおかげで、床の塵っぽい土が爪の間に食い込む。
もう、これしかない。私は自由の利かない腕を必死に、泥にまみれながら手繰り寄せた。男の荒い呼吸が首筋にかかり、手が私の胸元に触れた瞬間、私は全身の力を指先に集め、床の砂利と灰を両手いっぱいに握りしめた。

「っ、ぐわあああ!」
「なっ……このアマ、何しやがる!」

覆いかぶさってきた男たちの顔面に、渾身の力を込めて砂を叩きつける。ふいを突かれた男たちが顔を押さえてのけ反り、背後にいた羽織の男もその光景に怯む。
その隙に、私は痺れる身体を死に物狂いで引きずり、男の股を潜り抜けるようにして、開いたままの引き戸へと這い出した。
そのまま立ち上がり敷居を越えて外へ出ると、そこは深い木々に囲まれた山の中だった。

「待て!逃がすかよ!」

自分が今どこにいるのか、蝶屋敷がどちらの方角にあるのかさえ、今の私には分からない。
雨はいつの間にか止んでいたけれど、濡れた地面はぬかるみ、泥が私の身体を容赦なく絡めとる。
けれど、とにかく逃げなければ。背後で男の怒号が響くが、力の入らない身体で私はただ走った。




****




「……はぁっ、はぁ……っ!」

ぬかるんだ夜の山道を死に物狂いで駆ける。
喉の奥が焼けるように熱い。冷え切った夜気が、吸い込むたびに刃となって肺を突き刺す。
視界を遮る深い闇の中、雨上がりの湿った地面が、私の足元を何度も無慈悲に掬おうとする。それでも、足を止めることなど万に一つも許されなかった。

「お願い、見つかって……。どこにいるの、リサさん……っ!」

リサさんが薬屋にお使いに行ってから、すでに二刻約四時間が過ぎていた。
最初は、帰りが少し遅いな、程度に思っていた。外はあいにくの雨模様だったから、きっとどこかで雨宿りでもしているのだろう。そう自分に言い聞かせて、私は夕餉の支度や患者の世話に追われていた。
けれど、つるべ落としに日が暮れて、辺りが真っ暗になっても彼女の姿は見えない。さすがに、私も三人娘も、胸の奥で得体の知れない不安がもたげ始めた。
彼女は、理由もなく屋敷の決まり事を破るような人じゃない。しのぶ様から「夜歩きは控えるように」と厳しく言いつけられていたことも、今の蝶屋敷がどれほど用心しなければならない時期なのかも、彼女なりにちゃんと理解していたはずなのだ。
町外れの薬屋、藤堂さんの店まで探しに行ったが、店はすでに閉まっており、近隣の住民に聞いても「もうずいぶん前に閉めたはずだ」という答えしか返ってこなかった。
その瞬間に、全身を駆け抜けた戦慄。町に徘徊する毒虫たちの存在は、しのぶ様から何度も聞かされていた。主である彼女が不在の今、それを一番分かっていなければならなかったのは、他ならぬ自分のはずだったのに。

「……私のせいだ。私が、あんなことを頼んだから……!」

溢れ出す後悔が、涙となって視界を滲ませる。
しのぶ様がいない時に限って、こんな事態を招いてしまった。私が弱く、無力で、戦う術を持たないばかりに。
もし、このまま彼女に何かあれば。私は一生、自分を許すことができない。しのぶ様に、そして何より彼女自身に、顔向けができるはずもなかった。

カナヲも炭治郎さんたちもいない今、私にできることはこれしかない。今、この近辺で動ける"柱"は、あの人しかいないのだ。

「……はぁっ、はぁ……っ!」

激しい動悸で耳の奥がうるさい。
ようやく視界に捉えたのは、周囲の静寂に溶け込むように佇む大きな屋敷だった。縋り付くような思いで拳を重い門扉に叩きつける。

「冨岡様!冨岡様……っ!お願いします、居てください……!」

叫び声は夜の静寂に吸い込まれ、返ってくるのは風が木々を揺らす音だけ。
何度叩いても、どれほど喉を枯らして呼んでも、屋敷の奥から灯りが漏れる気配も、主が歩み寄ってくる足音もしない。しん、と冷え切った暗闇が私の絶望を深めていく。
…そんな、嘘でしょう。いらっしゃらないの…?
膝から力が抜け、その場にずるずると崩れ落ちた。浅はかだった。一刻を争う事態に気が動転して、ただがむしゃらに走ってきてしまったけれど、柱である彼が常に屋敷にいるとは限らない。鴉に伝言を頼めば、あるいは隠の方々に協力を仰げば良かったのだろうか。
彼が任務に出ているのか、それともどこか別の場所にいるのかも分からないのに、確証のない希望に縋って時間を無駄にしてしまった。

「ごめ、っごめんなさい……リサさん、ごめんなさい……っ」

冷たい地面に手をつき、私は思わず声を上げて泣き崩れた。
私がこんなところで泣いている場合じゃない。一分一秒、彼女が地獄のような恐怖に晒されているかもしれないのに。けれど、戦う力を持たない私一人で、どこを探せばいいというのか。後悔と無力感が、どろどろとした泥のように私を飲み込んでいく。
私がしのぶ様のように強くあれば。カナヲのように、確実に敵を射抜く瞳があったなら。
炭治郎さんのように、嗅ぎ分ける鼻があったなら。善逸さんのように、闇を切り裂く速さで駆けつける脚があったなら。伊之助さんのように、どんな場所からでも獲物を見つけ出す野性があったなら。

「……どうして、私なの」

震える拳で地面を叩く。
彼女が心細い思いをしている時に、一番力になりたいはずの私は、ただ泥にまみれて泣いていることしかできない。
一人で行かせるのが不安なら、無理にでもついていくべきだった。仕事を言い訳にして、彼女の優しさに胡坐をかいていた。
もし、もしも彼女の身に何かが起きて、二度とあのおっとりとした笑顔が見られなくなったら。そう思うだけで、心臓が握りつぶされるように痛い。暗い地面を濡らすのは、止んだはずの雨ではなく、私の止めどない涙。

「……誰だ」

その時、ふいに頭上から低い声が降ってきた。
心臓が跳ね上がる。涙でぐしゃぐしゃの顔を上げ、弾かれたように振り返ると、そこには一人の男の姿があった。

「……冨岡、様……っ!」
「神崎、か?」

冨岡様は、夜と同じ色の瞳を僅かに細め、怪訝そうに私を見下ろした。任務帰りなのだろうか、どこか疲れて見える。

「こんな夜更けにどうした。……何があった」

視界が滲んで、彼の顔がよく見えない。けれど、その声を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、私は言葉を絞り出した。

「た、助けてください……!お願いします、リサさんが……っ!」

私は返事もままならないまま、縋り付くように駆け寄った。
泥で汚れた手で礼を失することも構わず、必死に彼の赤錆色の羽織の裾を、命綱を掴むかのような力で掴みしめる。

「お使いに出たきり、戻ってこないんです……!私のせいで、彼女が……っ。薬屋へ行ったきり、行方が分からなくて……!」

私の支離滅裂な訴えを最後まで聞く前に、冨岡様の身体が目に見えて強張ったのが伝わってきた。

「……詳しく話せ」
「今日、リサさんが町外れの藤堂さんの薬屋へお使いに行ってくれたんです……!でも、二刻過ぎても戻らなくて……!探しに行ったら、店はもう閉まっていて、近所の人たちも知らないと……っ」

溢れ出す涙を拭う余裕もなく、私は必死に言葉を繋いだ。

「しのぶ様も任務で遠出されていて不在で、カナヲも……動ける隊士の方々も今は誰も屋敷にはいないんです。私、私……彼女に無理をさせて……!町に物騒な男たちがいたことを知っていたのに、一人で行かせてしまったんです……!」

冨岡様は何も言わず、ただ私の言葉を一字一句逃さぬように聞いていた。
けれど、その沈黙こそが恐ろしかった。彼の周りの空気が、まるで真冬の池のように凍りついていく。

「……あの男たちか」
「……え?」
「以前、高月を路地裏で囲んでいた男たちだ」
「お、おそらくそうです……っ!」

私の考えも、同じだった。
あの時、町で彼女が危機に陥った際、間一髪で助け出してくれたのは冨岡様だったと聞いている。あの時、彼女を怯えさせた不逞の輩が、虎視眈々とこの機会を狙っていたのだとしたら。
そして、まさかとは思いたいが。藤堂さんの、あの穏やかすぎる微笑みの裏側。私たちが店を訪れるたび、彼は世間話のついでに聞いてきていた。
「今日はしのぶさんはお留守かな?」「屋敷の警護は足りているのかい?」「あのスカートの少女は、今日はいないのかね?」
私たちが信頼を寄せていた藤堂さんまでもが、その毒牙の一端だったのだとしたら……。
冨岡様の手が、腰に差した日輪刀の柄にかけられる。カチリ、と小さな音が、静まり返った夜に重く響いた。

「……神崎。お前は屋敷へ戻れ」
「で、でも……っ!」
「…高月は、必ず俺が探し出す。だからお前は、彼女がいつでも帰ってこられるように屋敷を空けるな」

私を見つめる瞳には、迷いなど一片もない。
これが、柱という存在の、覚悟の重さなのだろうか。ただ私の取り乱した喚きから、彼女がどこに連れ去られ、誰が黒幕なのか、その見当が全てついているというのだろうか。私が闇雲に走り回って辿り着けない答えに、彼は瞬きする間もなく到達している。

「……お願いします。……お願いします、冨岡様!」

私は縋り付くようにして叫んだ。
冨岡様は一度だけ、私の震える背中をぽんっと撫でると、次の瞬間には風を切り裂くような速さで夜の闇の中へと消えていった。




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