8


「リサさん、最近変わったよね」

廊下に漂う夕餉前のざわめきのなかで、三人娘のひとり――きよが、取り込んだ洗濯物を抱えながらぽつりと声をあげた。

「前はあんまり感情が表情に出なかったのに」
「そうそう!笑顔が増えたよね!」
「この前なんか、アオイさんが洗濯物を頭に被ってしまったときお腹を抱えて笑ってて」

はしゃぐように口々に続ける三人の声は、年頃の少女らしくどこか温かい。
私も立ち止まり、縁側の端に寄って彼女たちの視線の先を追う。庭の隅で、リサさんが洗濯籠を抱え、三人娘に手を振り返しているところだった。頬が薄紅色にうっすら色づいていて、日差しを受けた笑顔が柔らかく溶ける。

「……そうですね」

私は小さく微笑んで、三人に頷いた。
この子たちの言葉はお世辞ではない。毎日少しずつ、けれど確実に変わっていくその様子を、私自身もはっきりと感じていた。
きっと、あの女性隊士の存在が、彼女の内側に小さな灯をともしたのだろう。
二人でいるときの空気は、不思議なくらい馴染んでいて――まるで、昔から一緒にいた姉妹のようだった。
人は、人との出会いで変わる。こちらがいくら支えようと手を差し伸べても、届かないところがある。けれど、ほんの小さな共感や安心。"きっかけ"さえあれば、人の心は花開く。
姉さんもよくそう言っていた。尾崎さんは彼女にとって、そういう存在なのかもしれない。

最初のリサさんの印象は、不思議な子、だった。見慣れない服装をしていたし、話し方も少し変わっていた。
誰もが知っているようなことを全く知らないこともあって、まるで異国から来た娘のように思えることもあった。
次の印象は、なんて人に頼るのが下手くそな子なんだろう、だった。自分が困っているときでさえ、「大丈夫です」と笑ってしまう。誰かが手を伸ばそうとすると、一歩だけ下がって、迷惑をかけまいと言葉を飲み込んでしまう。助けた側がどう思うかなんて、まるで気にしていない。
その慎ましさと頑なさは、きっと彼女が長い間培ってきた癖なのだろう。だからこそ、あの冨岡さんが放って置けずにここまで連れてきた。

彼女に、一体何があったのか詳しくは聞いていない。けれど、私にはわかる。これまで幾人もの、似た目をした人を見てきたから。
鬼に家族を奪われた子供。仲間を失った隊士。自分の命さえ、価値がないと思い込んでしまった者たち。皆、あの無音の瞳をしていた。
リサさんもまた、そのひとりだった。

…けれど、不思議なことに、彼女には普通の人とは違う何かがある。雰囲気なのか、もっと物理的なものなのか、私にもはっきりとは掴めないけれど。
時折、ふとした瞬間、彼女の瞳は私たちの知らない遠い世界を映すのだ。誰も見たことのない景色を一人で抱えているかのような……。
その時の彼女の目は、深い湖の底に光が射し込むようで、思わず引き込まれそうになるのだ。

あの子はいったい、どこから来て、どんな世界を見てきたのだろう。
まだ頼りなくて、危なっかしくて、それでも――。
確かにあの日から、少しずつ、ほんの少しずつではあるけれど、彼女は前へ歩き出している。
その背を私が押してやれるのなら。

「……さあ、皆さんも手を動かしてくださいね。夕餉の支度が遅れてしまいますよ」

私の声に、三人娘は「はーい!」と元気よく返事をして、パタパタと廊下の奥へ駆けていった。
静かになった縁側で、私はもう一度だけ庭に立つ彼女の姿を眺める。
西日に照らされた彼女の横顔は、初めて会ったあの夜の、今にも消えてしまいそうな儚さはもうなかった。









産屋敷邸を訪れるたび、私は知らず知らずのうちに深く息を吸い込んでいる。
四季折々の花が咲き乱れる庭園は、どこまでも静謐せいひつで、肌に触れる空気には背筋を正させるような独特の重みがある。この凛とした静けさこそが、多種多様な異才が集う「鬼殺隊」という組織を束ねる象徴なのだと、訪れるたびに思い知らされる。

その日、私はお館様への任務報告を滞りなく終えたところだった。
数日前に山中で遭遇した鬼の件――犠牲者の詳細、討伐の経緯、そして今後の警戒区域。すべてを伝え終え、広々とした廊下を渡ろうとした、その時。
視界の端に、見覚えのある羽織が映った。水面のように冷ややかに澄んでいて、けれど決して折れない芯を感じさせる背中。柱合会議でもない時期に、ここで彼と顔を合わせるのは珍しい。

「冨岡さん」

声をかけると、その背中がわずかに動きを止めた。けれど、彼は完全にこちらを振り向こうとはせず、肩越しに短く「胡蝶」とだけ応じる。
相変わらず、会話という概念を根底から切り捨てるような素っ気ない態度。その頑なさが、ほんの少しだけ私の癇に障る。

「せっかくここでお会いしたのですから、少しくらい近況を聞かせてくださってもいいのに。そんなに急いで、どちらへ行かれるのですか?」

いつものように微笑を浮かべ、からかうように言葉を重ねてみた。けれど、彼は何も答えないまま再び歩き出そうとする。
……まったく。これでは私がひとり喋りしているようではありませんか。
そう諦めかけた、その瞬間。冨岡さんがふいに足を止め、何かを思い出したようにゆっくりとこちらを振り返った。

「……蝶屋敷の、あの娘は」

あまりに淡白な問い。…主語しかない。
それだけで何を聞きたいのか察してくれと言わんばかりの物言いに、貼り付けた私の微笑みがぴきりと引きつる。

「……あの娘が、どうかしたのですか?」

あえて意地悪く、私は首を傾げて聞き返した。
彼が誰を案じているのか。あの夜、彼がその手で救い上げたあの子のことを、どれほど気に掛けているのか。分かっていながら、私は彼に「言葉」を強いたのだ。

「どう、している」
「どうも何も、蝶屋敷の娘、ではなく高月リサさんですよ。ちゃんと名前があります」

――やはり、気にしているのですね。それを素直に言えばいいのに。心配だとか、元気かだとか、気になるとか。そう言えば済む話なのに。
どうしてこの人は、まるで無関心を装うかのように、たった一言で済ませようとするのだろう。
けれど、そういう不器用さこそが冨岡さんらしくもあって、否応なく目を引く。

「…元気にしていますよ。最初はどこか自分を閉じ込めていましたが、最近は笑顔も増えました。あの子たちともすっかり打ち解けて、最近では女性隊士の尾崎さんという方とも仲良くしているようです。…とても、良い方向へと変わってきています」

頑張りすぎなのが少し気になりますが、と付け加えて説明をすると、冨岡さんは短く息を吐いた。

「……そうか。お前のところに置いたせいで、世話を増やしているな」

それ以上は続けず、すぐに視線を外してしまう。
謝罪でも感謝でもない、ただ事実を口にしただけのような声音。
あまりにも素っ気ない返事に、さすがの私も頬の筋肉がぴくりと引きつった。
こちらがどれほど言葉を尽くしても、結局返ってくるのは一拍で終わる短い返事だけ。
本当にこれで済ませるつもりなのだろうか、と心の奥で小さな苛立ちが灯る。

「……前にも言いましたよね」

微笑みを崩さぬまま、声にわずかに棘を忍ばせた。

「会うたびに毎度毎度、彼女のことを訊いてくるのはやめてください。そんなに気になるのなら、いっそご自分で蝶屋敷まで足を運べばどうですか」

冨岡さんは何も言わず、ただ黙して私を見ていた。その沈黙がかえって答えのようで、余計に胸の奥がざわつく。
……本当に不器用な人。心配するなら素直に顔を出せばいいのに。彼女の変化を気にしているのは明らかなのに、こうして間接的にしか聞こうとしない。
私は小さく息を整え、内心の苛立ちを胸の奥に押し込んだ。

――けれど、わからなくもない。
リサさんはどこか、放っておけない雰囲気を纏っている。
力強いわけでも、器用に世を渡れるわけでもない。むしろ頼りなく、どこか危なっかしい。だからこそ、なぜか目を逸らせなくなる。
きっと冨岡さんも、それを感じ取っているのだ。だから気にしてしまう。だから毎度、こうして訊いてしまう。

「……まったく」

小さく呟き、私は背を向けた冨岡さんの後ろ姿を見送った。
邸の庭に吹く風が、白梅の枝を揺らしている。早咲きのその花弁が一枚、冨岡さんの肩へと舞い落ち、すぐに地面へと消えていった。
私はその光景を目に焼き付けながら、胸の奥で静かに呟く。
――まあ、でも。彼女を放っておけない気持ちは、私も同じですから。
唇に浮かんだ微笑みは、誰にも見せることなく消えていった。


前へ   次へ


目次へ戻る

Back to top

39994 views