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「あ、そういえば私も聞きました。鬼殺隊にけいたいせつ?の号令がかかったって」
「……警戒態勢だ」
「あ、それです」

 真顔で訂正されて、私は視線を逸らしながらお茶を啜る。なんだか、こうして冨岡さんと穏やかな昼餉の時間を過ごすのは初めてかもしれない。
 竹皮の包みからおにぎりをひとつ持ち上げ、冨岡さんへと差し出す。彼がそれを受け取って一口かじるのを見届けながら、私はふと庭の木々へと視線を向けた。少しだけ開け放たれた障子の向こうで、色づいた紅葉が揺れている。

「なんだか仰々しいですね。また、何か大きな動きがあるんでしょうか」
「だろうな」

 冨岡さんは咀嚼し終えてから、短くそう答えた。

「それにしてもびっくりしました。禰󠄀豆子ちゃんが太陽の下を歩いてるんですもん」
「……そうだな」

 本当にすごい騒ぎだったな。きよちゃんたちは急いで敷布を持ってきて、禰󠄀豆子ちゃんを包んで日陰に連れて行こうとして。アオイさんまで顔色を真っ青にして。
 冨岡さんも知らせを聞いて驚いたのかな、と座卓の隣の横顔を何気なく見つめていると、視線に気づいた彼がふと優しく目を細める。恥ずかしくなって視線を逸らし、私は湯呑みを抱え直した。

「た、炭治郎くんはまだ眠ったままなんですけどね。全身の骨が折れてるみたいで……」
「甘露寺と時透は」
「あ、お二人とも怪我は多いんですけど重症ではないみたいです。念のためまだ寝台で寝てもらってますが、数日もあれば退院できるだろうって」
「そうか」

 運び込まれてきた甘露寺さんは全身怪我だらけで、久しぶりの再会がそんな形だったこともあって本当に肝が冷えた。
 けれど、しのぶさんが目を丸くして褒めるほどの驚異的な回復速度を見せていて、今ではもうご飯を何杯もおかわりできるくらい元気になっている。
 それから、もう一人の時透さん。初めてお会いした年下の柱の男の子で、アオイさんとは最終選別の同期なのだと後から聞いて驚いた。鬼の毒を浴びた彼も、ものすごい早さで快方に向かっている。
 上弦の鬼が二体も出る戦いだったのに。なお、この早さで立ち上がろうとする二人の姿に、柱と呼ばれる人たちの凄さを改めて思い知らされた。

「冨岡さんも、怪我の治りは早いほうですか?」
「さあ。若い頃は覚えてないが、あまり寝込むほどの大怪我をしない」
「……あ、そうですね」

 強いから、そもそも重傷を負うこと自体が少ないのだ。
 当たり前のような顔で言われて、納得しかけたけれど、すぐに思い当たるものがあって視線を彼の右手に落とした。

「あ、でも右手の甲の怪我。もうすっかり綺麗になってますよね。やっぱり治るの、すごく早いと思います」

 あの時の痛々しかった赤みや腫れを思い出しながら言うと、冨岡さんは自分の右手に目を落とし、それから私へと視線を戻した。

「お前の手当てが丁寧だったからだ」
「えっと……それは良かったです」

 まっすぐに褒められてしまい、頬を染めながら視線を泳がせていると、冨岡さんはおもむろに身を寄せて私の脚のあたりへ手を伸ばしてきた。
 畳の上で重ねていた私の着物の裾が、ぺらり、とためらいもなく捲られる。

「な、なんですか?……ひゃ」

 露わになった足首の肌に彼の指が触れ、思わず上擦った声が出てしまった。
 そんな私の動揺など気にも留めない様子で、冨岡さんは確かめるように傷の輪郭をなぞっていく。

「こっちは傷跡が残りそうだな」
「だ、大丈夫ですよ。普段はあまり見えませんから」
「……お前は、女子(おなご)だろう」
「冨岡さんがそこまで心配してくれるなら、むしろちょっとくらい残ってもいいかもって思っちゃいます」

 素直にその関心は嬉しい。
 そう思って答えたのだけれど、そんな私の言葉に冨岡さんはどこか不服そうな顔をした。

「顔や腕のように人目に触れる場所じゃないから本当に大丈夫ですよ。……あ、でも男の人は女の人の肌に傷が入ってたら嫌ですかね?お嫁にいく前なのに……」

 それを心配してくれているのかな、と尋ねてみるも、冨岡さんは余計に不服そうな顔をする。足に添えられたままの手に、わずかに力を込もった。

「そんな奴は放り出せ」

 大真面目な顔で言い切られて、思わず目を丸くしてしまった。

「それに、お前はまだ先でいいんじゃないか」
「え?」
「急ぐ必要はないだろう」

 …ひどい人だと思った。他の誰かのところへいくのは嫌だと、そう言われているみたいに錯覚してしまう。核心に触れるような言葉はひとつもくれないのに、そんな勝手な期待を抱いてしまう自分が悔しい。きゅっと唇を噛み締める。

「……先になんてしてたら、残りものになっちゃいますよ」

 ここに来てから知ったけれど、この時代の女性は本当に結婚が早い。十代後半にもなれば立派な適齢期で、二十歳を過ぎればあっという間に行き遅れなんて言われてしまうらしい。
 元の世界での感覚ならまだまだこれからという年齢なのに、こっちの物差しに当てはめれば、まさに今がその瀬戸際なのだ。町の店主たちと他愛もない世間話をしている時ですら、そんな話題が出ては溜息をつくことがある。
 のんびり構えていたら、あっという間に売れ残り。引き止めるようなことを言うなら、行き場をなくした私の未来をちゃんと引き受けてくれるのだろうか。

「冨岡さんは?冨岡さんなら、気にしますか?……私の肌に、傷が残ってたら」

 覗き込むようにして問いかけると、冨岡さんの足首に触れていた指が少し強張った。

「俺は……」

 珍しく言葉を濁して視線を彷徨わせる冨岡さんに、私の心臓も釣られて脈打ち始める。自分から口走ったはずなのに、彼の沈黙が長引くほど、投げた問いの重さに耐えられなくなってしまった。

「あっ、あの、でも、頬の傷はもうすっかり綺麗に治ったんです。ほら、見てください」

 話を逸らすように、こちらは大丈夫だと伝えたくて、ぐいっと左頬を彼の前に差し出してみせた。そして指で示して、ほら、とばかりに見せつける。
 けれど、冨岡さんは何も言わないまま。指さした私の頬から少し下へ、瞳が注がれる。

「あの、なので、大丈夫です……」
「……そうみたいだな」

 無言の視線に次第に耐えられなくなって、顔を引っ込め急いで湯呑みに口をつけた。冨岡さんも足から手を離し、おにぎりを手に取る。
 立ち上る湯気で、熱くなった顔を隠すようにして息を吐いた。空気を変えようとしたのに、余計に気まずい空気を自分で作ってしまっている気がする。

「……鮭だな」
「あ、気づきました?アオイさんにお願いして、鮭を多めに作ってもらったんです」

 好きなものなら、少しは気持ちも解れるんじゃないかと思って。
 そう言いながら照れ隠しに笑ってみせると、冨岡さんは微かに口元を緩めたようにも見えた。そのまま、もきゅもきゅとおにぎりを咀嚼して飲み込む。

「美味いな」
「お口に合って良かったです。塩加減、ちょうどいいですよね」
「そうだな」
「冷めててもお米がふっくらしてて」

 美味しいと思ってくれたことに胸をなで下ろしながら、私は空になった手元を見つめた。なんとなく、会話を戻すようにして向き直る。

「そういえば、随分お疲れだったみたいですけど、今回の任務大変だったんですか?鬼、たくさんいましたか?」
「いや。最近はとんと数が減った」
「しのぶさんも、同じことを言ってました」
 
 最近、蝶屋敷へ運ばれてくる隊士の数もうんと減った。
 近頃あちこちで鬼の出現がぱたりと途絶えているという。その言葉通り、今は重体の隊士がおらず、嘘のように静かな時間が流れている。
 病室の空気もどこか穏やかで、怪我の手当てに追われない日々は本来なら喜ばしいはずだった。けれど、その不自然なほどの静寂が、嵐の前の静けさのように思えてどこか落ち着かない。

「蝶屋敷にいると、みんな普段通りで穏やかな時間が流れているから……。ついつい気を抜いちゃうんですけど、柱の方にも何か指示が出てたりするんですか?」
「甘露寺と時透が回復次第、柱合会議が開かれる」
「そうなんですね。やっぱり、禰󠄀豆子ちゃんのことでしょうか」
「それについても、お館様からお話があるんだろう」
「なるほど」

 お館様が柱たちを集めて話すということは、それだけ大きな事態なんだろう。
 穏やかに過ぎていく日々のすぐ隣で、確実に何かが動き始めている。戦う術を持たない私には、ただ流れていく状況を見つめることしかできない。でも、目を逸らしたくないなと思う。

「けいた、警戒態勢が解かれるまで冨岡さんもまた忙しくなりますよね」
「どうだろう」
「しばらく、蝶屋敷には来られなくなりますね」
「任務の合間には寄る」
「……今日は、印をつけてくれないんですか?」
「つけ、」

 言いかけた唇を引き結んだまま、その瞳が私の顔を真正面から凝視した。手にしていたおにぎりがぼとりと小皿に落ち、端正な顔が信じられないものを見るように強張る。

「最近、会うたびにつけてたので、今日もその……するのかなと、思って……」

 自分で言っておいて、じわじわと耳の先まで熱が上がってきた。これじゃあ、まるで自分から「つけてほしい」とねだっているみたいじゃないか。視線をどこへ向けていいかも分からず、俯くことしかできなくなった。
 部屋に、重苦しい沈黙が落ちる。冨岡さんは静止したままだった手をゆっくりと下ろし、私の真横の畳に突いてた。そのまま、すっと顔を近づける。

「……お前は」
「はい」
「……つけて、ほしいのか」

 声が、やけに近くで響いた。冨岡さんは、いつもの無表情を装っているけれど、その耳たぶがほんのりと赤く染まっているのが見える。
 もう二度と彼の顔を見られないんじゃないかと思うくらい、恥ずかしさで頭の芯まで痺れていく。何も言わずに、ただ一度だけ、こくりと頷いた。
 自分でも信じられない。もっと触れてほしい、なんて。芽生えた身勝手な熱を持て余して、私の方が正常な判断ができてないかもしれない。

「何をするか分からない」
「え?」
「……いや、手首を出せ」

 落とされた声に促され、私はおずおずと左手首を差し出した。
 躊躇いがちに差し伸べた手を、冨岡さんの骨張った指が下から包み込むようにすくい上げる。指先が脈打つ場所に触れたかと思うと、そのまま引き寄せられ、肌に熱い唇が押し当てられた。
 ちくり、と微かな痛みが走る。じかに伝わってくる彼の吐息に、思わず肩を竦めた。ふ、と唇が離れ、冨岡さんは私の手首を畳の上へそっと戻すと、何事もなかったかのように元の胡座の姿勢へと引き下がる。
 赤く浮き上がった痕を見つめ、それから彼が顔を見上げた。

「……これだけですか?」
「これだけだ」
「どうして……」

 覗き込むようにして彼の瞳を追いかけると、視線を揺らした冨岡さんの右手が、すっと持ち上がる。

「たわけ」
「痛っ……」

 人差し指で軽く額を弾かれて、思わず両手で押さえた。痛みに眉をひそめて見上げると、冨岡さんは困ったように口を引き結んでいる。その表情は珍しいかもしれない。
 いつもならここで口を噤んでしまうところだけれど、妙な意地が湧き上がってくる。

「これも『責任』、なんですか?」

 私がそう尋ねると、冨岡さんは眉間に皺を寄せ、なんとも言えない微妙な顔をした。

「前に言ってた、責任を取るっていうのの一部なんですか?」
「………」
「あ、もしかして私のこと子ども扱いしてるからですか?頭を撫でたり、額を弾いたりするのと同じなんですか?」

 矢継ぎ早に問いかけても、冨岡さんは視線を逸らすだけで何も答えない。逃げ道を与えたくなくて、私は身を乗り出した。

「誰にでもこんなことするわけ、ない、ですよね……」

 問い詰めるように見つめると、冨岡さんは目を細めて私をじっと見据える。

「誰の目にも触れず、誰の手にも触れさせず、ここにいろと言ったら。……お前は従うのか」
「え」

 予想もしなかった言葉の重さに戸惑った。
 それは、外に出るなということだろうか。誰とも会うなということだろうか。いや、そういう物理的な話ですらないのかもしれない。
 どう、受け止めたらいい。本気でそんな無茶なことを口にしているのだとしたら、尚更わけが分からなかった。
 声も出せず、瞠目(どうもく)して見つめ返す私に、冨岡さんは当たり前のように言葉を重ねる。

「だからだ」

 何ひとつ説明になっていない。けれど、そこに悪意のようなものは微塵も感じられなかった。

「私が、従ったら?」

 問い返した私が悪かったのかもしれない。
 冨岡さんは息を呑み、見開いた瞳で私を見つめた。しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの真顔へと戻る。そして、今度は握られた拳でこつり、と額を小突かれた。

「痛い……」

 冨岡さんはそれ以上私の顔を見ようとせず、座卓の急須へと手を伸ばした。冷めかけたお茶を自分の湯呑みに注ぎ足しながら呟く。

「日が暮れる前に帰れ」

 またそうやって誤魔化す…。額に残る痛みを撫でながら、私はむぅっと唇を尖らせた。これ以上問い詰めても、貝のように口を閉ざしてしまうのは目に見えている。
 さっきまでは、この人のことが少しだけ分かる気がしていたのに。ほんの少しだけ、歩み寄れたような気がしていたはずなのに。
 …やっぱり、分からない。触れられたと思った瞬間に、するりと指の隙間をすり抜けて、また遠いところへ行ってしまう。
 悔しいけれど、いつまでも重たい沈黙を引きずるわけにもいかなくて、私はわざと明るい声を作った。

「冨岡さん。そろそろお風呂に入りますか?もうちょうどいい湯加減になってると思います」
「お前が帰ったら、入る」
「えっと、じゃあ、今帰ったほうがいいですかね」

 湯が冷めないうちに彼に入ってもらうのが一番いいはずだ。そう思って立ち上がろうとしたが、冨岡さんがその背中を制した。そのままの手で、急須から私の空の湯呑みへお茶を注ぐ。それが、私の前へと戻された。

「まだ、しばらくいいんじゃないか」
 
 …どこまでも、ずるい人だ。
 早く帰ったほうがいいに決まっているのに、湯呑みを受け取ってしまう私のほうも、大概救いようがなかった。





*




 
 結局、おにぎりを食べ終えてからも少しだけ他愛のない話をしてしまい、屋敷を出る頃にはすっかり夕暮れの気配が濃くなっていた。空は茜色に染まり、庭先の木々が長い影を落としている。
 門の前まで歩いてきて、見送りのために並んで立ってくれた冨岡さんと向き合った。冷えた風が、着物の裾を揺らす。

「蝶屋敷まで送らなくていいのか」
「はい。まだ日が落ちるまで時間もありますし、大丈夫です。朝早くから、突然押しかけてしまってすみませんでした」
「いや。助かった」
「……私はおにぎり運んだだけですよ」

 照れくさくなって、草履の先を地面に擦りつけながら砂をいじる。
 いつも気を張っている彼が、ほんの少しだけでも安らげたのなら来た甲斐があったと思う。けれど、彼をもっと知りたいという願いが果たされたのかと言えば、まったく別の話だ。むしろ、そばにいた時間の分だけ余計に分からなくなってしまった気がする。

「えっと、アオイさんたちも待っていますからそろそろ帰りますね。夕餉の支度もあるし」
「ああ」
「冨岡さんも、何か美味しいものを食べてくださいね」
「……お前も」

 短く返したあと、冨岡さんはふと視線を落とした。門前の砂利のあたりをじっと見つめたまま、何かを深く測りかねているように考え込んでいる。
 私も考えても、やっぱり彼のことはよく分からない。分からないけれど――。

「あの、」
「高月」

 珍しく声が重なった。驚いて顔を見合わせると、冨岡さんはわずかに肩を落とす。

「お前が先でいい」

 譲られて、私は少しだけ悩むように視線を彷徨わせた。
 何か言おうとしたはずの言葉が、喉でつかえて形を失っていく。もっと知りたい、また来てもいいかと踏み込みたい衝動と、これ以上あの底知れない深みに入り込んでしまったらまた拒絶されてしまうんじゃないかという怖れが、胸の中でせめぎ合っていた。
 迷った末に、私は小さく息を吐いて笑みを浮かべる。

「いえ、やっぱり何でもないです。冨岡さんは?」
「……いや、俺もない」

 冨岡さんはそう答えると、すっと右手を伸ばしてきた。触れるか触れないかほどの慎重さで、頭を優しく撫でられる。
 胸の奥がきゅうっと音を立てて縮こまる。こんな風に触れられるたび、期待してしまいそうになる自分がもどかしい。

「気をつけて帰れ」
「……はい。じゃあ、また」

 名残惜しさを振り切るように軽く手を振って、私はくるりと踵を返した。
 門を出て、夕暮れの道を一人で歩き始める。草履が砂利を踏みしめる音だけが、やけに耳に響いた。

 お互いに何か言いかけて、結局は何も口にできずに飲み込んでしまった。言わなかったのは私の方だ。けれど、冨岡さんだってきっと何かを言おうとして、引っ込めた。
 あんなに近くにいて、同じ空気を吸っていたはずなのに。一歩離れてしまえば、途端に分からなくなってしまう。
 踏み込まないまま、こうして適度な距離で守られているほうが、きっと安全なのだとは思う。傷つくことも、彼を困らせることもない。
 けれど、本当にそれでいいのだろうか。分からないまま、流されるまま、彼の水面をただ遠くから眺めているだけで、私は本当に満足できるのだろうか。
 答えの出ない問いを抱えたまま、冷えていく夕闇の中を蝶屋敷へ向けて歩みを速めた。




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