まただ。またガードレールに座っている。あれから松田くんはほぼ毎日迎えに来てくれている。さすがに仕事をサボったりはしてないみたいでそこは安心しているんだけど、ほぼ毎日来てくれてるおかげで周りの視線がとても痛い。
だけど今日はほんの少し、ほんの少しだけ、あのふわふわのパーマが窓の外に見えて安心してしまった。
「またあんた一人でなんか抱えてんだろ」
ぎくり、と内心びくついた。いつものように、呆れた顔で出ていけたと思ったのに。
「何も抱えてないよ」
「……年々嘘が上達してってんのは褒めてやるけど、俺も年々あんたの嘘見破るの上達してんだよな」
なのに松田くんはわたしの虚勢を跳ね除けて、サングラスまで取って、直に目を射抜いてくる。警察の追及からただの一般市民が逃げられるわけもなく小さく息をついた。ため息なんかじゃない。安堵の息なのが、申し訳ない。
「これ、」
「あんたからのラブレターならいつだって大歓迎だけど」
「ふ」
カバンの奥底を漁って出した紙を握る私の手は震えていたけど松田くんのわざとらしすぎるほどの茶化しに震えが止まる。だけど、渡そうとしてるのに、渡したいのに、私の指が真っ白になる程つよく握りしめてしまって紙がくしゃりと歪む。反対側を掴みながら、わたしの白く硬直した指を一本一本優しくほどいて紙を受け取った松田くんを見上げた。
眉根を寄せて、じっとそれを見つめる松田くんの表情は見たことがなくて、きっと仕事中の顔。はじめて見る警察官の表情に、できれば一生見たくなかった、だなんて思って俯く。
「いつ届いた?」
「わからない。引き出しに入ってて、気付いたのは帰りの支度してる途中。だけど、その引き出しを開けたのも今日はその時だけで、昨日の夜から入ってたのか、今日の朝から入ってたのか、昼休みのあとに入ってたのか、私が席をあけた隙に入ってたのか、」
わからなくて、と震えてしまう唇を噛み締めた。
「サングラスをかけた男は誰」
ぽつり、と文面を読み上げた声は能面のように平らで、低く恐ろしかった。内容が恐ろしいのか、松田くんの声が恐ろしいほど低かったのか、判別がつかないくらい、低く、怖い音だった。
「松田陣平、職業警察、……たぶん知りてえのはこういうこっちゃねえんだろうな」
ぐしゃり、と紙の音がして顔を上げた。サングラスをかけなおした松田くんの目の色がわからなくて、胸がざわつく。
「おっとやべえ、証拠品が……いやまあ、新聞の文字切り抜いてちまちまこういうの作るやつが指紋とか残す訳ねえのはわかってっけどよ」
「ごめんね」
「あんたはさ、これが怖いこと、って理解してるわけだよな」
松田くんがするりと私の謝罪だげを無視するから宙に浮いたまま、だけど質問には頷く。怖いこと、というか、警察に行くべきこと、だということは、嫌でも理解している。ただ警察に相談に行くことと、警察官の松田くんに相談することは、違う気がして。
だって、
「堂々としてるか、こそこそとしてるか、攻撃的か、そうじゃないか、そんなボタンの掛け違えくらいの些細な違いしかないんだぜ」
だって、と続く言葉が、松田くんの言葉に遮られる。考えていたこととほんの少し、似ていた気がして。だけど松田くんの言葉にそうとは頷きたくない。
「俺も、この屑も、あんたが好きだってことは一緒だ」
はっきり告げられて、はく、と開いた口から空気だけが溢れる。
「い、っしょじゃない」
「一緒だよ。俺もあんたのこと、好きだし、こんなこと書かれるくらいには勝手に押しかけてるし」
「一緒じゃない。松田くんは、困るけど、……困るけど、一緒じゃない」
「二回言うくらい困るのは困るんだな」
ふ、と吐き出すように笑われて口籠る。松田くんの表情は、そう大きくもないサングラスに隠されてわからない。
「でも、一緒なんかじゃない」
「困るのに?」
「困るけど、今日だって、顔見て……安心した」
ひくり、と口端が動いた気がした。腹が立っているんだろうか、悲しいんだろうか。だってわたしは松田くんのそれを利用している。松田くんには運命の人がいるのはわかってるのに、それでもこうして、初恋のおねえさんのポジションで、守ってもらおうとしている。嫌いだと遠ざければいいのに、嫌われることは怖くて、松田くんを悲しませるだけだとわかっていて利用だけはしている。
そんな気持ちを利用するわたしに腹が立つのは当然で、思いを真摯に受け止められずに悲しむのも当然なのはわかっているのに、のらりくらりと逃げるだけ。最低だ。
「……子ども扱いされてんのはムカつくけど、子ども扱いだから許されてるのは知ってる」
松田くんを子ども扱いできてたなら、何年も困ってない。
心の中で反論して、松田くんを見つめる。
「でも子どもだからって安全牌扱いされんのも困るんだよな」
流れるような動作で松田くんの手がわたしの後頭部に伸びて、引き寄せられた。唐突なそれに身構える暇もなく引き寄せられて、一歩、二歩、と松田くんにされるがままに距離がゼロになる。びく、と体が強張る。松田くんの背中が曲がって、顔の距離も近くなる。息がかかるほどの距離で、ぴた、止まって安心するも、呼吸をすれば松田くんの顔に息を吹きかけてしまいそうで息を止める。
サングラスは遠目で見れば視線の先がわからないけれど、近寄ればほんの少し透けて見える松田くんの目にはわたしは写っていなくて固まった思考回路が働きはじめた。透けて見える松田くんの視線は私が出てきたビルをしっかり見上げていて、仕事中の顔だった。
「茶髪のショートで赤縁の眼鏡かけてる奴、だれ」
「え、あ、じょ、上司、かな」
「ふうん。あんた仕事変えた方がいい。そいつが犯人だ。あいつから見たら今の俺たちは恋人がキスしてるようにしか見えないはずで、そんで俺のこと、今にも殺しそうな目で見てる」
ぴたり、止まった場所で眉を顰めた松田くんに言われた特徴の人を止まっていた息を吸って慌てて答えて、また固まる。
「てか俺そいつとおんなじ聞き方してんな。やっぱ一緒だわ、最悪」
ごん、と肩に重荷が加わって息を吐き出す。あーあー、最悪最悪、ごめん、と呻きながら肩に額をぐりぐりと擦りつける松田くんにどうすればいいのかわからなくて固まったまま。
「あいつはこれで聞きてえことの答えがわかったろ。あとついでにこれも見せとくか」
わたしの肩に頭を預けたまま、内ポケットをがさごそしはじめた松田くんに、私はただマネキンのように固まっているだけ。ふ、と肩が軽くなって、だけど、わたしとの距離はゼロのまま。内ポケットから出された黒い手帳につられて私も顔を動かしそうになったけど反対の手で松田くんが後頭部を支えたままだから動けなかった。
「よし、見たな。あとで一応名前とかも教えろよ」
「まつ、まつだく、ん」
「あいつで確定だと思うけどあいつを辞めさせるにせよ、あんたが辞めるにせよ早い方が良いし、その時は一人でやろうとすんな。俺か、弁護士か、身内か、誰でも良いけど誰かと一緒にしろ、わかったな?」
こくこくと頷く。
「……言っとくけどマジで俺もあいつとそう変わんねえからな」
「松田くんは怖くない」
「……はー……こんなことされてんのになあ」
腰に四角い感触が当たって驚いたのも束の間、そのままぐい、と更に引き寄せられて固まる。まるで恋人のように密着する体にばくばくと心臓がうるさく動いて首筋に当たるふわふわの髪の毛がくすぐったいのが異様に気になる。
「あんたは俺のことも怖がるべきだよ」
2021/05/10