真っ赤な薔薇を抱えてふわふわの髪を揺らす男前はさぞ目立ったんだろうなあ、なんて、現実逃避をしたことを思い出した。真正面からだとその男前な顔は隠れてしまうほどの大量の薔薇に驚いて注目して、横を通り過ぎたときに垣間見えるその男前さにまた驚いて背中を視線が追った、っていうのを何人の人がしたんだろう。たぶんわたしもその場にいたらその一人になってたと思う。まあ、わたしの場合、目の前に立たれてしまったから背中を視線で追うことはできなかったけれど。
「……ホワイトデー、忘れんなよ」
そう呟いて今度はわたしの顔面が薔薇に覆われてしまったから、背中を向けた松田くんを視線で追うことはかなわなかった。
ホワイトデー、忘れんなよ、ということはやっぱりあれはバレンタインデーの贈り物だったんだと思う。松田くんの発した言葉はそれだけだったから。それ以上を言われてしまっても困るけれど。わたしの答えは決まっているし、もちろん松田くんだってそれは知っているはずだから。
1ヶ月前のことを思い出してまたため息をついて、棚を見つめる。
ホワイトデーのポップアップがそこかしこに貼られる棚の中には、可愛らしい商品ばかりが並んでいて、それを選ぶ人は男の人ばかりだ。わたしは確実に浮いている。わたしが見ている棚だけぽっかり不自然に空いてしまっているのが逆に申し訳なく思うほど。
この棚を見つめ続けたって、松田くんが好きそうな商品に陳列が変わるわけでもないのにどうしてもこの場から動けない。ホワイトデーに、男の人へお返しをすることになるなんてはじめてでどうすればいいのかわからなかった。ホワイトデーじゃない、普通の、消えものにでもしよう。そうだ、そうしよう。何もホワイトデーの陳列棚から選ばなければいけないだなんて決まりはない。松田くんだって、薔薇を、……いやこの思考は逆にドツボにハマる気がする。頭を振って仕切り直す。そう、日頃の感謝の気持ちも込めて、何か見繕えば良い。何も考えず。そう。
「あ、やっぱりお姉さんだ」
ホワイトデーコーナーから出よう、と踵を返した瞬間、振ってきた声に顔を上げてギョッとした。
「陣平ちゃんはいないよ、俺だけ」
目敏い正義の味方はギョッとした後にしたわたしの視線の動きに自然に答えて頬を引き攣らせた。確かに、探してしまったけれど、言葉にされると違うともそうだとも言えなくて困ってしまう。だけどあからさまにホッとしたわたしの変化に萩原くんが気付かないわけもなく小さく笑って、だけどそっとしておいてくれた。
「陣平ちゃん、お姉さんに何あげたの?」
その話題もそっとしておいてほしかった。
「……まさか本当に薔薇の花束だったりしない?」
「……」
「ウッワやるじゃん俺無理。そんで俺がお姉さんだったら躊躇わずに通報するね」
友達を犯罪者にしようとする萩原くんに苦く笑う。
「通報しないのは、近所のかわいい男の子だと思ってるから? それとも、」
「花を貰っただけで、通報なんてしないでしょう?」
萩原くんの言葉を引き継ぐ。何を言われるのかわかったものじゃないけれど、わたしにとって都合のよろしくない言葉を紡がれるのはわかってる。目の前の男の子は軽薄そうに見えて、とても友達思いだから。
「貰う相手によるでしょ。何年もしつこく言い寄ってくる男にそんなもんもらったら怖がるべきだよ、お姉さん」
にっこり笑う萩原くんから目を逸らす。目を逸らした先は買い物かごで、さっきまでじっと見つめていた商品と大差ないものがたくさん入れられていた。
「ああ、見ての通りホワイトデーのお返し。陣平ちゃんは健気にも一個も受け取らずに薔薇の花束せっせと渡しに行ったので返すもんもないから今日は一緒じゃないんデス」
友達思いの男の子は次々と豪速球を投げてきてわたしの罪悪感をどすどすと遠慮なく刺していく。
「どうでもいい相手にはお返しも悩まないでしょ。──ああごめん、俺お姉さんに意地悪したいわけじゃないんだよ」
わたしの表情がどう変わったのかなんて知らない。萩原くんが困ったように笑った音が聞こえて、顔を上げればやっぱり困ったように眉尻を下げてわたしを見つめていた。わかってる。あなたたちは本当に優しい男の子たち。わたしはそれに甘えている。いい加減、終わらせてくれればいいのに。
「陣平ちゃんは、何貰っても喜ぶよ。こんなに悩んでくれてるんだから」
ハッピーバレンタイン、と笑ってレジに向かった萩原くんの背中をじっと眺めて、今度こそ踵を返した。
2021/05/20