「鍵を忘れた」
「えっ」

 男として意識されたいからって一夜限りの関係をほのめかすような軽薄で最低な男の台詞をまさか自分が吐くことになるとは思わなかった。でも、他に何も思い浮かばなかった。少しずつそういう対象に見てもらえるように頑張ると言ったくせに、そういう目で見てもらうためにはそういう目で見ていると伝える方が一番手っ取り早いと思ってしまったから。
 本当に部屋に上がり込む気なんてない。世の中の下心丸出しの男達と同じように俺もまた男なのだと、君をそういう目で見ている男のうちの一人なのだと理解してもらうためだけの方便だ。
 成人している女性なら確実に警戒する言葉で、警戒するということはそういう対象として見てもらえるということ、になるはず。
 さすがに俺を神のように崇めつつ友達をしてくれている彼女でも部屋に上がり込みたいかのような俺の台詞に困惑して目を見開いたまま固まっていて、少しだけ緊張していた心が緩む。
 ただ少し、意識をしてほしいだけ。男として意識をしてくれればそれでいい。ほら、断ってくれ。ここで部屋に上げられる素振りを見せられる方が傷付く。そんなにも意識をしてくれないのかと。これは断ってもらうのが正解なんだ。理由はわからなくても本能で断って、あとでどうして友達なのに断ってしまったんだろう、なんてじっくり考えて、降谷零もそういう対象になる一人なんだと思い至ってくれればいい。
 何も思われていなければこんな驚きに目を見開いて固まったりはしないはず。全くの脈なしじゃなくて良かった、少しは男として意識をし、

「私、ヘアピン持ってますよ」
「えっ」
「安室さんがそんな凡ミスするなんて、どれだけ忙しいんですか7時間眠れてますか? 健康大事だって散々言ってるのに」

 てくれてたわけじゃなかった。
 くそ。物凄く俺の体を心配したが故の硬直だった。それはそれで俺のことを心配してくれていてありがたいが、そうじゃない。いやこれは俺が悪いのか。彼女の部屋をピッキングした過去の罰が今きたのか。
 鍵なんて持ってなくても降谷さんならどんな扉でも開けられますよね、そう思われるなんて全く誇らしくない。

「あっ……このヘアピンそれ用じゃないから無理ですかね。使い慣れた道具の方がいいですもんね……」

 それ用ってなんだ。いやそんなことよりヘアピンを持ってなぜかしょんぼりしはじめた彼女に思わず口が動く。

「いえ、僕にかかればこれくらい」

 彼女にいいところを見せたい欲が勝ってしまった。ピッキングがいいところなわけは絶対にない。わかっているのに。犯罪行為を自慢したいわけではないが、それでも、神のように俺を崇めている彼女の前で、できません、は言いたくなかった。かっこつけたかった。

「えっはや」

 一瞬で開いた音と共に彼女の声が廊下に落ちる。
 天秤を傾ける方を間違えたかも知れない。若干引いてなかったか。いやそれはそうだ、ピッキングだぞ。なんでピッキングでかっこつけられると思ったんだ馬鹿なのか。できませんと言って困ったなあとでも微笑むべきだった。恋をすると人間はこんなにも愚かになるのか。
 
「さすがですね」

 褒められてもあまり良い気がしない。だってピッキングだから。ゆっくり休んでくださいね、と俺の休む時間を奪わないようにおやすみの言葉を紡ぎながらも扉が閉まるギリギリまで俺の顔面を目に焼き付けるようにしている彼女に言葉も返せず見送ることしかできなかった。だってどう言い訳をすればよかったんだ。少し彼女に意識してもらおうと、ただそれだけだったはずなのに失敗するだけならまだしもなんだか少し意味のない怪我をしてしまった気がする。
 お出迎えありがとう、ハロ、帰ってきて早々悪いが慰めてくれ。




────────────

 急拵えのテコ入れなんて効くはずもなかった。俺が傷を負っただけ。やっぱりこつこつと長期戦をする覚悟で挑まなければならないのはわかっていても、今までとは全く違う反応ばかり見せる彼女に対してどうすればいいのかわからなくてデートに誘うことしかできない。

「一緒に出かけませんか」
「? 安室さんがちゃんと眠れてるなら」

 こっちの葛藤なんか知らずにひとつ返事で即答した姿に喜べばいいのか悲しめばいいのかわからない。友達を受け入れた彼女は、友達と出かけることになんの疑問も持たず快く引き受けてくれる。

「デートですね」
「うぐぅ……あの本当に大丈夫だとわかってても心臓に悪いので……」

 照れて真っ赤になるなら脈もあるかと浮つけるけど、彼女は安室のファンに刺されないかと怯えた表情で感情を噛みしめるから内心俺も苦虫を噛み潰す。普通の女性相手なら武器になる顔は彼女相手では武器ではなく芸術として拝まれてしまっているし、普通の女性相手なら武器になる会話術も神のように俺を崇める彼女にはなしのつぶてでしかなく全てをありのままに受け止められてしまう。俺のやることなすこと全て正義で何も疑うことなく受け入れる。
 とりあえず好感度を上げたいのに、既にその好感度がカンストしている場合はどうすればいいんだ。上げようがない。一番好きと言ってくれるのは嬉しいが、路線が違う。友達路線から恋愛路線に乗り換えてもらうにはいったいどうすればいいんだろう。

「人目が気になるなら今回はドライブでもしませんか」
「……大破しません?」

 付き合ってもいない男に、密室で人目も逃げ場もなく、信頼関係がなければどこに連れて行かれるかわからないドライブに誘われたら警戒するのは普通だ。普通だけれど彼女の心配事は普通じゃなかった。まあ確かに、確かに何度か愛車を破壊したことはあるけど、彼女は一体どの件の愛車大破を見てしまったんだろうか。

「安全運転を心掛けます」
「それなら安室さんの車、乗ってみたいです」

 心配事はそれだけだったらしい彼女はやっぱり一つ返事で承諾してしまう。久々の休日を想い人と二人きりでドライブデートができるのは嬉しいけど、意識してるのは俺だけだということも浮き彫りになって少し落ち込む。でもこんなことで落ち込んでる場合じゃない。少しでもそういう対象として意識してもらえるように、少しでも俺から視線を外さないように、俺以外を見ないように、どうすればいいのかはわからなくてもそれでも努力しなければ。







──────────

「ひえかっこいい」
「ありがとうございます」

 先に車を回すから五分後に降りてと言われて降りた瞬間、車のそばで待機する降谷さんに思わず声が漏れる。だって何あの車の宣伝かのような素晴らしい構図。そんな私を見て呆れたような困ったような嬉しそうな、何もかもを混ぜたようななんとも不思議な表情を浮かべた降谷さんもまたかっこいい。同じ敷地から出てくるだけに飽き足らず回してもらった車に乗り込むなんて、安室さんのファンに見つかったら今度こそ刺されないだろうか。

「久々の休みなのに、休まなくて大丈夫ですか?」
「休むのも大事なのはわかってますけど、こうして一緒に過ごすことの方が僕には大事な時間なんです」

 もう……本当にもう……安室さんはすぐそういうこと言う……。友達冥利に尽きることを言われて嬉しいんですけど安室さんフィルターを通すとなんだか炎上の気配が凄いので色んな意味でひえってなります。
 自然な動作でエスコートされていつの間にか助手席に座ってたことも怖い。いつの間に。降谷さんしか見てなかったから?

「それに、人目がつかないから普通に話せるしな」
「うっ」
「……君は本当に面白いなあ」

 車内は完全に安全なのか急に降谷さん仕様になられて思わず呻いた私を笑う穏やかな姿にとどめを刺された。

「2人きりだから周りを気にしなくていい。遠慮せず見つめてくれ」
「うぇ、い、言われると見にくいですよ……」

 見ますけど。安全運転のために降谷さんは前を向いていてくれるから遠慮なく絵画の如き横顔を凝視させていただきますけども。

「遠慮せず見てくれて構わないが、前見なくて不安にならないか?」
「え、降谷さんの運転技術疑う必要ないですし……あっやっぱり気が散りますよねすみません」
「……いや、遠慮せず見てくれと言った手前恥ずかしいんだが、気は散らないが照れる」

 照れ、……てれ……る……?
 全くそんな風には見えないけど、降谷さんが私の目しか気にしなくていい場所でわざわざ言うってことは、たぶんきっと本心なはず。全く照れているようには見えないけど。見えないけど、降谷さんが、照れている……?

「ひええ」
「なんだその間の抜けた声」

 降谷さんが照れているという言葉だけで破壊力がすごくて思わず魂が抜け出たかと思った。危なかった。もうちょっとで感嘆と共に魂も口から出てしまうところだった。
 そんな間抜けな私を見て気持ち悪がらず、ふは、と笑った降谷さんが可愛すぎて意味がわからない。かっこいいだけじゃなく、かわいいも兼ね備えている。やっぱり国宝にするべきでは。

「……君が気兼ねなく楽しめるように今日は遠出しようと思ってるんだが。……日付はまわらないようにするから今日は一日付き合ってくれるか?」
「えっ」

 人間国宝に推薦するにはいったいどうすればいいんだろうか。まず真っ黒な事件を真っ白に解決しなければ表舞台に出せないけど……だなんて真面目に考えていれば降谷さんの言葉に目を見開いてしまった。
 そんな私の反応を拒否と受け取ったのか、なんだか降谷さんの眉尻が下がった気がして慌てて口を開く。いや降谷さんが私が拒否した程度で落ち込むことはないとはわかっているし、そもそも私が降谷さんの言葉を拒否することなんて天と地がひっくり返ってもありえないことなんだけど。

「いやあの、降谷さんとお出かけするのは勿論全然あっちょっとまだ緊張はするんですけど、その、……さすがにこの町から離れるのは、いくらお休みでも急に事件が起きるかもしれないし、その……」
「俺一人が一日いなくなったところで機能が止まるようなやわなところじゃない」

 きっぱりと言い切る降谷さんに思わず見惚れてしまう。

「俺の部下も、同期も、尊敬している上司達も、この国を守ってる。一日降谷が抜けたくらいで揺らぐところじゃないさ。まあそんなに俺のことを買ってくれているのは素直に嬉しいが」
「……そう、ですね、すみません」

 降谷さんを思うあまり、降谷さん以外の警察官をまるで信用していないかのような発言だった。あの時、この町の警察官を信用しようと決めたと言ったくせに、それなのに私は降谷さんしか見えていなくて、申し訳なさからなんだか恥ずかしくなる。

「あと普通にすごい頼み込んだからな。せっかくのデートを台無しにしないでくれって」
「デッ」
「まあ直接降谷として頼めたのはヒロだけなんだが」

 なんでもないことのように言葉を続ける降谷さんの声が脳にふわふわと届く。

「デートの許可はおりてる。今日一日邪魔は入らない。だから一日俺に付き合ってくれるかの答えを聞きたい」
「デッッ」
「ふは」

 面白がられている。そうだった、友達の降谷さんはちょっと意地悪なんだった。完全にデートという単語だけで狼狽えている私で遊んでいる降谷さんを恨めしく見つめる。

「デートじゃないなら付き合います」
「……まあ、君と出かけるなら名目はなんでもいい」
「ぐ」

 心臓に悪い。今日一日私の心臓はもつんだろうか。だってずっとふたりきりで、ずっと降谷さんとして話をしてくれて、そんな状況で私の心臓がもつ気がしない。

「……どこに連れて行ってくれるんですか」
「はは」

 これ以上デートだなんだのの応酬を続けていれば私の身が持たないからと無理矢理話を進める私の意図を汲み取った上で流してくれず声を出して笑われる。まだ車に乗っただけなのにこんなに消耗してしまうなんて。

「私、ちゃんと今日家に帰れるでしょうか」

 この調子だと一時間後ですら降谷さんの揶揄いに耐えきれずに溶けて人間の形を失っているんじゃなかろうか。

「……帰さなくてもいいなら、……いや君はそういう意味で言ったんじゃないか」
「え」
「いや? 君は相変わらず面白いなと思っただけだ」








「疲れていないか?」
「えっそんなすぐ疲れないですよ、私座ってるだけですよ」

 目線がずっと動かなくて寝てしまってると思われたのかな。いやこんな気持ち悪いほどの熱視線を受けて降谷さんがそんな勘違いをするはずがない。あっ見過ぎたんだろうか

「……もう一時間経ってることに気付いてるか?」
「えっ」

 降谷さんの言葉に素っ頓狂な声をあげてしまった。慌てて降谷さんの絵画の如き横顔から視線をどうにかこうにか剥がして時間を見れば確かに車に乗ってから一時間経過していて固まる。もしや私は降谷さんを見ることに必死で降谷さんの声を無視したりしていたんだろうか。無言で一時間も凝視するだなんて、される側は気持ち悪すぎるでしょう。申し訳なさすぎる。

「ものすごい夢中で見てくれていたからどれくらいで飽きるんだろうかと思って黙ってたんだが、あまりにも飽きずに見ているから根負けした。邪魔して悪い」
「すみません……」

 よかった無視はしてなかったみたい。
 それにしても飽きるだなんてありえない。

「……一時間無言で見続けられるほど飽きないのにあまり目はあわせてくれないな。このあたり見てるだろ」

 きゅ、と車が止まったことも感じさせないほど安全運転をしてくれていた降谷さんが急にこちらを向いて自身の鼻をちょこんと指差してうろたえる。その仕草ですらモデルのようで吸い込まれてしまいそう。

「すみません……」
「謝ってばかりだな。別に責めてないのに」

 でも友達の顔面に緊張しすぎてたまにしか目を合わせられないなんて失礼すぎる。私がもし好意は確実で嫌われていることがないとわかっていて理由があったとしても友達と目を合わせることが少ないなと感じたらどことなく距離を感じてしまって寂しく思うのに。

「今のところそれが一番特別感あるからむしろそのままでいい。本当に気にするな」
「……この間は見ててって言ったのに」

 降谷さんの言葉は絶対なのに、一番見ててと言った口がきちんと視線を合わせられない私を叱らないから困惑して、大正義な降谷さんに思わず不満げなことを呟いてしまった。降谷さんの言葉をいつも通りただ飲み込めなかった私に呆れるだろうと思ったらなぜか目を丸くして私を見る降谷さんにびくりと肩が揺れる。自分でも降谷さんに口答えするなんて罪すぎると思ったけど、やっぱり大罪すぎて今から怒られるんだろうか。

「目は合わなくても降谷零のことだけ考えてるなら俺を見てるってことだから」
「……??」

 降谷さんの言葉を頭の中で繰り返して、2、3度噛み砕いて、結果何も理解できなくて首を傾げた。

「とりあえず腹ごしらえしようか」

 ぱちん、とこの話はおしまいとでもいうように手を叩いて話を切り替えた降谷さんに、さっきの言葉を噛み砕けてないけど一応頷く。
 でも腹ごしらえと言うけど、車の窓から見えるいつの間にかたどり着いた場所は人気の少ない青と白の二色しかない海辺で、腹ごしらえができるような食べ物のお店はどこにも見当たらない。

「弁当を用意してきた」
「えっ知ってたら昨日の夜ご飯も抜いたのに!」
「……一食も抜くな」
「はい」

 思わず漏れ出た声に普通に引かれてすぐさま頷く。心の中だけで思えばよかった。さすがに引かれるのも仕方ない。いつも私の反応を見て君は面白いなと笑ってくれる降谷さんもさすがに今回は面白がってはくれなかった。でも降谷さんのお弁当、胃になにも存在していない綺麗な状態で頂きたかった。

「いつでも作るから」
「えっそれは申し訳ないですごめんなさいそんな暇あったら寝てください」

 私のあまりの食い意地に呆れたのか、もしくは可哀想に思ってくれたのか、そっと一言付け足してくれて全力で首をふる。今日のを一生分噛み締めますので十分です。

「レジャーシートも持ってきたから外で食べよう」

 至れり尽くせりな降谷さんにこくこくと頷く。







「寒くないか?」
「日が出てるのであったかいです」

 国宝にするべき相手と二人でレジャーシートの端と端を持って広げるなんていう考えたこともなかった共同作業をしてお邪魔しますと呟きながらできるだけ端にちょこんと座る。
 座ったはずなのに、浮遊感。浮遊感にどくりと心臓が脈打った瞬間、またお尻にレジャーシートの感覚が戻って夢だったのかなんて現実逃避したくなった。だってまさか降谷さんが私の脇に手を差し入れて浮かせただなんて思うわけもなく。

「言っても絶対動かなさそうだったから」
「えっやっぱり降谷さん今私のこと持ち上げましたよね?!」

 なのに降谷さんの言葉で現実を受け入れるしかなかった。降谷さんに持ち上げられた。なぜ。
 呆然と降谷さんを見上げれば、ふ、と太陽すら負ける眩さの笑顔を向けられて心臓を押さえそうになる。いや私はそんな笑顔で誤魔化されませんからね。仮にも大人の女性をなんで今持ち上げる必要があったんですか。

「なんのための遠出だと思ってるんだ。安室のファンはここにいないんだから、ちゃんと横に座ってくれ」
「くっ、口で言ってください……動きますから……」

 降谷さんの口から出てきた理由に私の心臓が口から出てくるかと思った。大人になってこんなに簡単に持ち上げられることがあると思わなかった。こんな、鞄を横にずらしますよみたいなノリでひょいと大人の人間を動かせるなんて。私が軽いか重いかなんて降谷さんにはきっと関係なかった。でもだからって有無を言わさず持ち上げなくても。

「言っても絶対動かなかったくせに」
「う、ごきます」

 嘘だ。動かなかった自信がある。
 だって隣に座った降谷さんの距離が近過ぎて。自ら降谷さんに近付いて座り直すなんて行動、私には恐れ多くてきっとできなかった。だからってあんなに軽々しく持ち上げなくても。あまりの衝撃にそれしか考えられなくなってしまった。

「こどもじゃないんですから……」
「お姫様抱っこすればよかったか?」
「いえやっぱりさっきので大正解でした」

 隣を見れば思いの外近い降谷さんが両腕を上げてお姫様抱っこのポーズをして心臓が縮む。降谷さんに言われてもそばに近寄らない自信しかなかった私にはさっきの問答無用の持ち上げが最適解でした。さすが降谷さん。何もかも見通した上で……。いやさすがに降谷さんを崇拝する私でも無理がある。そもそも同じレジャーシートの上に座ってるだけでも十分近いんだし、仕方ないなといつものように笑ってほしかった。
 でも降谷さんに私が口でも体でも勝てるはずがなく、両手を上げて降参するしかない。仕方ない。降谷さんはちょっとお茶目で意地悪なんだから今まで以上に頑張って慣れないと。

「どうぞ」

 また決意新たに覚悟を決めていれば目の前に彩り鮮やかなお弁当が広げられてさっきまでの衝撃も飛んでいった。高級料理店のフルコースレベルでは?

「少し張り切りすぎた」

 少し? 少しってなんだっけ?
 降谷さんが料理上手なのは知ってるし、何度かポアロでもメニューを頂いているから味わったこともある。でもなんだかそれ以上に豪華で、美味しそうで、口内によだれが集まりそうになる。

「君とこうしてゆっくり出掛けられることに年甲斐もなくはしゃいでしまったんだ。……引くなよ」

 私がお弁当を凝視して一言も話さなくなってしまったからか降谷さんが落ち込んでしまったような気配がして慌てて顔を上げて首を振る。

「引いてません! 感動してたんです、あの、何時間かかったんですか……?」

 煮込むのも時間がかかるだろうし、飾り切りがもはや芸術だし、詰めるのに冷ます時間も必要だし、そもそもいつ買い出しに行ったりしたんだろう。

「そんなに時間かけてない。君に心配かけたくないからきちんと睡眠もとったし、普通に弁当を作ろうと思ってたから起きる時間も普通だったんだが、……気付いたら派手に盛ってた」

 恥ずかしそうに頬をかく姿はとても麗しいけど、気付いたらでこんな飾り切りが芸術になることあるんだろうか。ちょっとしたお花の形とかならわかる。平面ですらなく立体。

「……引くなって」
「引いてません」
「はしゃぎすぎたの自分でもわかってるんだ。もういいから食べてくれ」

 照れているのかなんだか乱暴に話を切り上げ、ほら!とウェットティッシュを渡され次いでお箸を受け取る。至れり尽くせりで申し訳なくなる。私何も用意してない。いや降谷さんに今日のことは任せてくれと言われたからなのはそうなんだけど、それにしたってただのお客様状態に申し訳なさが。なんて反省していたのに悩み抜いて選んだ卵焼きをいただきますと呟いて口にした瞬間そんなものは飛んでいった。そもそも反省なんてしてどうするんだ。降谷さん以上のお弁当を作れるわけでもないのだから適材適所でありがたく受け取るべき。美味しい。

「毎日食べたい……」
「……他意はないのがわかってるのに振り回されてしまうな」
「え?」
「いや。毎日作ろうか?」

 その言葉に私の心の声が漏れていたことを知って体が熱くなる。からかうようににっこり微笑む降谷さんに、私から言った手前断るのもおかしいし、だからってわーいと喜んで受け取るわけにもいかない。毎日食べたいのは本当だけど、降谷さんにそんな意味のわからない負担をかけるわけにはいかない。

「……月一くらいは本当に作ってほしいです」
「毎日でもいいのに」

 だけどつい、ちょっとだけ欲を優先してしまった。月一でもきっと降谷さんの負担になるかもしれないのについ。だってこの卵焼き美味しすぎて。美味しい。
2020/03/17


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