「ねえ、おじさんの恋話聞いてくれるかい? 君にしか話せないんだ」
「はぁ?」
逃げたかったのに逃げられなかった。この男は要注意人物で、だけどまあ、お姉ちゃんと関わっているうちに少しだけ油断してしまった私の不注意もあるけれど、どう頑張ってもこの男にロックオンされたら逃げ切れないのはやっぱり要注意人物でしかないと警戒を高める。なのに鎮痛な面持ちで出てきた言葉に思わず呆れきった声が漏れ出てしまった。
「……君にしか話せないんです。彼女をちゃんとわかってくれるのが君しかいない」
お姉ちゃんがお姉ちゃんじゃなかった時を思い出してぞわりと全身の毛が逆立った気がした。あんな恐ろしい思いはもう二度としたくない。と同時にその件に関してだけは戦友のような、共犯のような謎の連帯感を感じてしまう。
「最近いろいろとあって気持ちを自覚したのはいいものの、僕の敵は神様か何かだけだと思ってたんだ。ほら、彼女、僕のことすごく好きでしょう?」
「……自惚れがひどい男ね」
「……そうなんだ、……人間相手だったら負けるわけないって思ってたんです。自覚してなかったけど、それでも、僕の敵は人知を超えた何かだけだと思ってたのに」
「ふられたの?」
「まだ、ふられてない」
どうせこの間の白昼堂々告白事件で色々考え込んでしまっただけなんだろうけれど。その場にいなかった私にすらその事件はすぐに耳に入ったのだから、目の前で見てしまっては考え込むのもわかる。でもいつも胡散臭い笑顔を浮かべている男の笑顔が少し崩れているのを見て勝手にいつもびくついている仕返しをしてしまった。その攻撃が思いの外効いていることに内心驚いて、その真剣さに少しだけ真面目に聞いてあげようかしらという気持ちになる。
「この間彼女に聞いたんです、恋人になる条件に顔は関係あるのかって」
まあ真面目に聞いていてもいなくても目の前の男はこうして勝手に語りだしたのだろうけれど。
「顔は関係なくて中身が好きで全てが好きになるから恋人ができたら世界で一番素敵に見える、みたいなことを言ってたんです。だから、僕よりも?って聞いたんです」
「うわあ」
心からのうわあが漏れてしまう。でもしかたない。いくら顔が良くても、いくらそれが好意のある男性からだったとしてもその発言はどうかと思う。のだけれど、目の前の男を引くほど崇めるお姉ちゃんは普通の質問と同じように受け入れた姿が容易に想像につく。
「うわあでしょう。僕も自分でうわあって思った。でもあんなに毎日好き芸術のようだ国宝にしたいとか言われてみてください。誰だって自惚れる」
「まあ……仕方ないわね」
「そうでしょう? ……それで彼女、延々と悩むんですよ。自分で言うのも恥ずかしいですけど彼女視点では僕より素敵な人が存在するのがそんなに難しいことなのか湯気が出るんじゃないかってくらい考えて考えて考えて、……僕を恋人にするっていう選択肢を思いつかなかった。そんなに考えなくたって、それが一番簡単に解決するのに。もう、脈無しどころじゃないなって思って、そんなに悩ませてごめん冗談だから忘れてって逃げてしまいました。情けないって笑ってください」
延々と悩む姿も想像に難くなくて思わず笑ってしまう。笑ってくださいとくださいと言ったくせに実際笑うとどこか拗ねたような空気を出すのに呆れもする。お姉ちゃんがああなのはわかりきってたことでしょう。
「ねばればよかったじゃないの」
「怖くて。倒れるんじゃないかっていうほど考えてるのに僕を恋人にすることを思いつきもしてくれないことに、もしくは思いついた上でそれは嫌だって思われてて濁されてるのかなんて考えたくなくて」
「……臆病なのね」
はあ、と深くため息をつく姿に少しだけ同情する。肩を竦めて私の言葉を受け入れる様子もどこか空元気で、だけど私に言われたってどうすることもできやしない。お姉ちゃんにとって、私はただの小さな子ども。後ろ暗いどころではない組織に属していたことなんて知らない、私のことをただ小さな子どもと思っている彼女に私ができることなんてなにひとつない。それは目の前の男も、……建前上はきっと同じはずで、私に言ったところでなにひとつ状況が変わるわけでもないのにただお姉ちゃんをお姉ちゃんと認識している仲間だというだけで愚痴を呟いている。
「彼女に関してはね。ただでさえ、神様のような何かにも彼女を奪われないようにするのをどうすればいいのかわからない現状であんまり詰めて避けられても困るので。……なんてのは言い訳で、ただ振られるのが怖いだけです」
「……だからってグズグズしてたらそれこそ誰かに取られちゃうかもしれないわよ」
だからつい、背中を押すような言葉を呟いてしまった。お姉ちゃんをこの胡散臭すぎる男相手に差し出すのは嫌だけれど、でもお姉ちゃんはこの男をものすごく信頼していて、私にとっては胡散臭すぎる男でもお姉ちゃんにとってはとても良い人なのだからと心を納得させる。
「だから人間対策でとにかくなんとかそういう目で見てもらおうとデートを重ねてはいるんですけど、彼女にとっては友達との楽しいお出かけで。友達枠だから何か名目がないと奢れないのにその名目も底をついてしまってデートとも呼べないお出かけばかりになってるんですよね」
三十路近い男が一体なにをしているのかしらと呆れてしまう。中学生じゃないんだから。組織にいて恋愛経験の乏しい私でもそれは悪手だとわかる。普通にお出かけばかりして普通に友情を深めていってるじゃないの。
「彼女から溢れんばかりの賛美を受け取るのももちろん嬉しいけど、でもその賛美は美術品カテゴリでしかないんですよね。好きな人から褒められるのはどういう意味でも嬉しいんですけど。でもやっぱり美術品だと恋人にはなれないので、一旦関係をリセットするべきだと思うんです」
相談と言いながら私に相槌を打たせる暇もなく、ぶつぶつとひとり呟く目の前の男はこんなに馬鹿だったのかしら。それとも要注意人物だと警戒していたのは無駄骨だった?なんて思いたくなるほど今目の前にしゃがみこんで考える男は隙だらけで、背後に近付いてくる気配にすら気付かない。ああ、その次の言葉がなんとなく想像つくし、理由もわかるし、気持ちもわかるけど、私の第二のお姉ちゃんはさっきまでの会話の流れを知らないからそれを言葉通りに受け取って傷付いてしまう。でももう止められない。恋に浮かれた男の唇は動き続けているし、お姉ちゃんの歩みは止まらないし、私は恋愛に口を出せるほど経験豊富なわけでもないから何が最善策かもわからず黙って成り行きを見てるだけ。
「どうしたら彼女と友達を辞められると思う?」
「……考えなくてももう辞められたんじゃない?」
「え?」
俺はしゃがんで小さな共犯と話していたのに急に目の前の子どもが視線を上にあげるのを見てしゃがんだまま振り返る。ぼたぼたと水滴が落ちてきていて、その発生源に驚きを隠せなかった。
大粒の涙を流した彼女が俺を見下ろしていた。
2020/04/09