降谷さんは忙しい時期に突入してしまったのかハロくんの存在すら壁越しに聞こえなくなってしまった。たぶん景光さんのところに預けているんだろうな。降谷さんと時間が合わないことは今までだって多々あったけど、ハロくんを預けるほど長期間全くすれ違うことがなくなってしまったことに寂しさを覚える。
でもぎくしゃくしたまま降谷さんと会えないこの状態にならなくて本当によかった。間を置けば置くほど私は一人で考え込んで意固地になって、降谷さんとの縁すら切れていたかもしれない。でも降谷さんが私にきちんと話をしてくれて、私の話も聞いてくれた。友達ではなくなってしまったことはやっぱりまだ少し寂しい気持ちもあるし、友達ではなくなった降谷さんの口から出てくる言葉は私を振り回すことも多いけど、降谷さんとの距離感に何も不安は生まれない。降谷さんの睡眠時間が確保されてるかどうかは不安で仕方がないけど。不安は生まれないけど、でも、ほんの少し寂しい。
降谷さんが忙しいということは治安がよろしくないということで、いくら心の中で思うこととはいえ寂しいと感じるのは我儘すぎる。しっかりしなきゃ、なんて今更ながらに思っていれば伊達さんとナタリーさんと小さな小さな赤ちゃんの家族にばったり会ってお礼を言われてしまった。私が素直に受け取れる感謝は伊達さんだけ、だなんて思っていたくせに、実際その場面に立ってしまうと無理だった。ありがとう、いえいえそんな。私が少し素直に受け取るのに時間がかかってしまったせいでしばらくぺこぺことお辞儀合戦を繰り広げてしまった。
伊達さんが生きていて、ナタリーさんも笑顔で、赤ちゃんもすやすやと気持ちよさそうに眠っていて、つい、可愛いですねと涙が浮かんでしまったせいで何も知らない伊達一家にものすごく感受性の豊かな人間だと思われてしまったことと思う。確かに赤ちゃんは生命の神秘で尊いですがさすがに普段赤ちゃんを見ただけで涙ぐんだりはしません。この家族が幸せいっぱいに休日を過ごせていることが嬉しくて、それのせいなんだけど説明はできなくて伊達一家に私は涙脆い人だと勘違いされてしまった。いつか誤解が解けるといいけど。
誤解は解きたいけどこの前のように偶然に伊達一家に出会うことなんてもうないだろうしなあ、なんて思いながら帰宅していれば気怠げにタバコを吸う松田さんを遠目に見つけて挙動不審になってしまったところを職質されてしまったつらい。いや冗談なのはわかってるんですけど。ものすごくニヤニヤしていたので揶揄われていたのはわかっていたんですが本当に職質を受けても仕方ないほど視線は動くしなんなら回れ右しようとしてしまったのでもう降参するしかなかった。回れ右はちょっと考えただけです。降谷さんに伝えている通勤ルートを変えるとそれはそれで迷惑をかけそうだから。
なんだなんだやましいことでもあんのか?
なんてニヤニヤ顔で詰め寄られて無抵抗で鞄を差し出しました。やましいことは何もないです。
今日は目の前に萩原さんが立っていていくら鈍くても勘付いてしまう。
「あの……頼まれてますか?」
「何を?」
「……頼まれてるんですよね」
今まであまりすれ違わなかったのに、ここ最近毎日のように入れ替わり立ち替わり降谷さんの同期に会ってしまえば偶然じゃないことくらいわかる。この間なんか遠巻きに風見さん見つけた。風見さんは物凄く優秀だと思う。ただ私が風見さんの顔をしっかり知っているカンニング済みの人間だからわかってしまっただけで、そうじゃなければ全く気づかなかった。
そのときは偶然この辺りでお仕事してるのかな、なんて呑気に考えていたけど、ここ最近のことを思い返して罪悪感に押し潰されそうになる。
降谷さんだけじゃなく、周りすらも巻き込んでしまっている。貰った腕時計のGPSを管理してくれているのはきっと景光さん。
私は今、いったいどれだけの人を巻き込んでしまっているんだろう。顔の知らない降谷さんの協力者だってもしかしたらいるのかもしれない。イレギュラーな私のせいで負担が増えてしまっている。
「俺たちお巡りさんはみんなを守るのがお仕事だからね」
はいともいいえとも言わなかったけど誤魔化さない萩原さんは誠実だ。誠実な人達を私の都合で振り回してしまっている。今までは降谷さんが直接守ってくれていて、降谷さんが忙しい時期に入った今は降谷さんのツテでフォローされている。
「でもこれは、……みんなと同じじゃないですよね?」
「うーん、例えばだけど、ストーカーがいるとするでしょ?」
「え?」
話を逸らすにしても意味のわからない話題選びに思わず間抜けな声が飛び出た。
「市民がストーカーに怯えて警察に通報してきてくれたのに、でも直接危害を加えられたりしたわけじゃないんでしょ?って追い返す警察官、いる? いや情けないことにたまにそういうクズも存在はするんだけど。そういう通報があったら、つきっきりで警護はできないけど、でも捜査したり、その通報してくれた市民の生活圏内のパトロールは増やしたりするよね?」
「……そうです、ね」
優しく諭すように落とされた声に何も反論するところなんてなくて素直に頷く。でもそれと、今の私の状況は関係ない。
「あんまり実感ないかもしれないけど、君、今そういう状況なんだよ。申し訳ないとか私だけ特別扱いなんじゃ、とか思う必要はなくて、……うーん、なんて言ったらいいんだろ。正直言うと別のやつから聞いたら事情を説明されても信じられなかっただろうし、それが本当のことなら警察の俺たちでもどう対処すればいいのかわからない不思議なことなんだけど、君、いなくなっちゃったことあるんでしょ?」
びく、と肩が揺れる。
喫茶店でほのぼのと会った時と違って、萩原さんの目は真剣だった。きっとあの時は何かしらの隠喩だと思ってたはず。一般人だけど警察にとって有益な情報をもたらしてくれたから、とかそんなふうに。
でもどう説明したのかはわからないけど、不思議やいなくなっちゃったの言葉選びからして、私の身に起きた荒唐無稽でしかない話を信じてくれている。いやきっとどう説明したのかなんて関係ない、降谷さんが語ることだから信じてくれた。降谷さんたち同期の信頼関係を目の当たりにして緊張で固まった体もすぐに解れる。
「ごめんね、怖がらせたいわけじゃない。……でも、やっぱり心当たりあるんでしょ? ならさっきの例え話で納得できない?」
「……、でもそっちは……どうしようもないことですから」
だけどそれでも信じてくれたからといって何かが変わるわけでもない。
降谷さんたちの信頼関係を感じられて嬉しかった。降谷さんが、荒唐無稽でしかない話をできる頼れる仲間が存在することがとても嬉しかった。
降谷さんが私のことを好きで、私が所謂ヒロイン役に抜擢されたことによる犯罪は、このパトロールで未然に防いでもらえるかもしれない。防げなかったとしてもこの腕時計で居場所を見つけてもらえる。
でも、ここからいなくなってしまうというそれはどうしようもないことだから。いくら降谷さんがすごくても、降谷さんが頼りにできる仲間たちが生きていても、どうしようもないことだから。
優しく私を諭してくれた萩原さんに申し訳なくて苦い笑みを浮かべて、誰も悪くないんです、とどうしようもない事実をもう一度口にしようとして、タレ目で優しげな瞳がほんの少しつりあがったことに気付いた。
「あいつが諦めてないんだからどうしようもないなんて言わないで」
一際静かな声だったのにまるで大声で怒鳴られたかのような威圧感に固まる。
「どうすればいいのかわからなくても、今はもう諦めてない。あいつのやることをどうしようもないことだからなんて諦めないで、信じてあげて」
金縛りにあったかのように動けなくて、息をすることも忘れてしまう。真っ直ぐ見つめてくる目はどこか降谷さんに似ていて、降谷さんに叱られているような錯覚すら覚えてしまう。
「俺達も諦めてない。なのに本人が諦めてどうすイテェッえっ?!」
「こんな簡単に背後取られる奴に言われても不安だろ」
「じんぺーちゃん?! 痛いんですけど何?!」
萩原さんの背後から唐突に現れた松田さんにさっきとは違う意味で心臓がバクバクと煩く騒ぐ。背後から急に頭を思いきり叩かれた萩原さんはもっとびっくりしたのかさっきまでの神妙な雰囲気はどこへやら、ぎゃんぎゃんと松田さんに抗議をしていて目を瞬かせる。
「なんで叩いたの?!」
「いやなんか泣かせそうだったから」
「ウッ……ごめんね……」
タレ目が余計に垂れていて悲しげな表情の萩原さんの方が今にも泣きそうで首を振る。そもそも私がこの優しい人たちの善意に対してぐだぐだと管を巻いていたのがいけない。
そうだ、降谷さんがやることを疑うなんてどうかしてた。降谷さんに任せるだけで百人力なのに、降谷さんの頼もしい仲間達がこんなにもどうにかしようと考えてくれている。
「私の方こそごめんなさい」
「みんなで考えればどうにかなるから」
「どうにかするから、だろ。なに他力本願な言い方してんだ」
ふん、と勝気に笑う松田さんに思わずつられて口角が持ち上がってしまった。降谷さんだけじゃなく、降谷さんもあわせた5人がどうにかすると言ってくれている。
私がすべきことは、諦めない。それだけ。本当にただそれだけしかできなくて、足手纏いなことには変わらないけど。
「気の持ちようが大事ですよね、……弱気なことはもう言いません」
「そうそうその意気!」
「まああんたは何も気にせず普段通り過ごしてりゃいいんだよ」
「陣平ちゃんはなんでさっきから良いとこ取りすんの?」
恨めしげな視線と声を松田さんに向ける萩原さんに今度こそ声を出して笑ってしまった。何も気にせず、なんて、そんなことは無理に決まってるけど、なんだか肩の荷が降りた気がして笑みが溢れる。
「あっでも不安なこととかあったらちゃんと安室サンに相談するんだよ? 弱気になって諦めちゃうのはだめだけど、弱音を吐いちゃいけないってことじゃないからね?」
松田さんに抗議していた萩原さんのどこか微笑ましいやりとりを眺めていれば抗議する勢いのままぐりんっと視線が私を再度貫いて目を瞬かせる。びっくりしたのも束の間、終始優しい言葉を向けてくれる萩原さんに弱気も吹っ飛んで私も素直に頷いた。弱気はだめだけど、ちゃんと相談はする。これ以上みんなに迷惑をかけないためにもしっかり胸に刻みつけた。
2020/07/07