「……ほらやっぱり最大のライバルだ」
お疲れのところすみませんという申し訳ない気持ちと気まずい気持ちと今から話すことに対する緊張感が色々ないまぜになりながらぴんぽんを鳴らす。出てきたラフな格好の降谷さんに視線が泳ぐ。髪濡れてませんかお風呂上がりですかすみません。話す内容のせいで緊張してるのか、玄関先とはいえあれ以来初の降谷さんのお宅ということに緊張してるのか判別がつかないけどどうにか深呼吸して気持ちを落ち着かせて口を開いて返ってきた言葉に頭を悩ませる。
降谷さんのはいなのかいいえなのかわからない言葉に玄関先で今日あった出来事をもう少し細かく伝えれば腕組みをして壁に頭をもたれさせて盛大にため息を付いた姿が様になりすぎて一瞬固まってしまう。ため息、ということは。
「やっぱり、あの、……言わない方がいいですかね」
「公安の俺的にはいいよ。あの子の君への態度を見てると絶対に君に不利になるようなことはしないと思うから。君が覚悟を決めたならそれを見守るだけだ」
「公安の……?」
降谷さんの広すぎる懐に感動するのも忘れて呟く。公安の降谷さん的にはってどういうこと?
「ただの降谷零的にはすごい嫌だ。ただでさえライバルなのにこれ以上条件一緒にしないでほしい」
次いで告げられた言葉に、ぐ、と喉が詰まる。またスイッチが急に切り替わった気がして目が泳ぎそうになるのを堪える。ただの降谷零というのはつまり、そういうことで、何も言えなくなってしまう。
「……あの子の好きと、俺の好きの意味は違うが熱量はそう変わらない気がするからな。それに、君は俺よりあの子に対して甘いから嫉妬もするさ」
「……いえあの、この話を哀ちゃんにすれば、嫌われると思うんですけど、その、……哀ちゃんを守ってほしくて」
言われた通りきちんと忘れずにいるのに降谷さんの雰囲気が変わった気がして頭がそれ一色で働かなくなりそうなのをどうにか振り払ってまとまらないなりに声を出す。
哀ちゃんに私の理由を説明すれば、私はきっと嫌われる。奇跡的に嫌われなかったとして、お姉ちゃんとは二度と呼ばれなくなる。だって私は、どう言い訳をしようが事実哀ちゃんのお姉ちゃんを助けられなかった。そんな人間をお姉ちゃんだなんてきっと呼べない。
「……」
「ううう」
いずれは何もかも知るだろう降谷さん相手に隠す必要なんてないのかもしれない。でも、何もかもが変わってしまったこの世界で生きている人たちに私のこの中途半端すぎる知識を伝えて逆に変な先入観に囚われてしまったり、情報を撹乱してしまう不安が拭えなくて口籠る。松田さんや萩原さんや伊達さんや景光さん、全員が生きていることによって黒の組織の内部だって色々変わっているかもしれない。そもそも私の知っているあやふやな知識自体、完結済みの作品ではなかったしミスリードだってあるかもしれない。
「……君があの子を必要以上に目をかける時点であの子も俺たちと同じなんだなということはすぐわかったし、君の持っている情報にまでは届いていなくてもある程度はわかってる、つもりだ」
「え、」
ひたすら唸っていた私の頭の上に落とされた声は優しくて顔を上げる。言われた言葉を噛み砕いて、驚いて降谷さんの顔をじっと見つめてしまった。
「俺があの子に関してできることは保護、それだけだ。状況に合わせてその保護の仕方がどうなるかはわからないから君の望む通りになるかはわからないけど」
固まる私をよそに続けられた言葉に涙がにじむ。
「……君が言い淀むということは物語通りの俺なら知らなかったことが何かしらあるんだろ。でも君に色々な人を助けてもらった結果、優秀な友達がいて、助け合えて、君が見ていた俺よりずっと先に行けてる。これは君の手柄でもあるんだから何かしたいことがあるならとりあえず俺に聞いてみればいい。なんでも聞いてあげる、なんて言えたらいいんだが、まあそれは……無理なこともある、かもしれない。でもできるかぎり君の望みを叶えたいという俺の気持ちは本当だから。それは信じて」
安心して、胸がいっぱいになって言葉がなにも浮かばなくてこくこくと頷くことしかできなかった。
降谷さんの都合に合う日時を聞いて、哀ちゃんに誰にも内緒で来れる?だなんて誘拐犯でしかない発言をして迎えた当日。緊張で吐きそうになったり話す前から胃がキリキリして一分一秒がとても長く感じてしまった。そんな私を見て落ち着けと苦く笑う降谷さんに頷くものの落ち着けるわけがない。
誰にも内緒でと言ったものの絶対に内緒で来れるわけがない。哀ちゃんを信用していないわけじゃなくて、探偵は秘密の匂いがすると寄ってきてしまう生態だから。哀ちゃんに私の家を教えて、一人でたどり着くのか、一人でたどり着いたとしてその体に盗聴器が仕掛けられたりしていないのか、色々不安はある。
「会うのが遅いか早いかの違いだけですけどたぶん僕は一緒に出迎えない方が彼女は喜ぶと思いますよ」
「いっしょにいてください……」
「言葉だけ聞くととても嬉しいんですけどね」
だから待ち合わせの段階から降谷さんも一緒にいてほしいと我儘を言った。緊張のせいで頭が真っ白になってなにを口走ってしまうか
わからないから、見張ってて欲しかった。あと単純にもうすぐ嫌われるかもしれないという心細さで、そばにいて欲しかった。
遠目に哀ちゃんの小さな姿が見えてばくばくと心臓がわけのわからない早さで音を奏で始めた。一歩一歩小さな足で近付く哀ちゃんにどうにか覚悟を決めようと深呼吸をする。
「僕が唯一君に勝ってるのが、秘密の共有なので本当は教えたくないんですけど」
「絶対こんな男よりお姉ちゃんにお似合いの良い人が他にいると思うの」
「それは同感です。でも僕がこの人じゃないともう駄目なのでそんな人が現れても叩き潰します」
意を決して大きく息を吸って、こんにちは、と私が口を開く前にばちばちと火花が散る音がして声を出せなかった。あの、当人をほったらかしで喧嘩しないで……。当事者のくせに一言でも発したら藪蛇をつつきそうな話題に息を潜めて見守ることしかできない。
「たとえ僕が付き合えなかったとしても、僕以上の誰かが現れない限り邪魔をします」
「心の狭い男は嫌われるわよ」
「それが意外と嫌われないので安心して邪魔ができます」
唐突に降谷さんが哀ちゃんを見つめながら自分の襟元の後ろあたりをとんとんと指差して首をひねる。ギスギスとした会話はなぜか続いたままで、訳が分からなくて哀ちゃんに視線を向ければものすごく嫌そうな顔をしていてギョッとした。いくら会話内容がなんだかギスギスとしてるからってそんなあからさまな不快な表情は見たことがなくて固まる。
やっぱり降谷さんと同伴は嫌だっただろうか。少し考えたらそれもそうだ。哀ちゃんは降谷さんの正体を知らない。組織の人だと思い込んでいても仕方がない。怖いのに、来てくれた。なのに私は嫌われてしまうだなんて自分のことばかり考えて、哀ちゃんの気持ちを少しも考えていなかった。挙げ句、今も緊張してこんにちはの第一声も出せていない。哀ちゃんの勇気を見習うべきだ。せめて挨拶を、
なんて、反省していた瞬間哀ちゃんが襟元に手をやって何かを地面に叩きつけてとどめに小さな足でダンッと何かを踏み潰して思考もなにもかもが固まる。
「えっ」
あまりの衝撃に第一声が間抜けな声になってしまった。えっ今のはいわゆる盗聴器というかそういう。
「……教えたのは僕ですけど、君にとってはおまもりだったのにそんなことしていいんですか」
「私の意思に反したおまもりはおまもりじゃないわ」
「……それでも君の最後の砦だったと思いますよ」
「もし私がお姉ちゃんに騙されていたとしても、別にいいの」
「どうして、」
「……後悔したくないの。もう失いたくない。二度とあんな気持ちになりたくない。理由を知りたい、ただそれだけのわがままよ」
わがままよ、だなんて言いながら哀ちゃんの貫くような視線があまりにも真っ直ぐすぎて涙がこぼれてしまった。
「泣くのが早すぎます」
呆れたように笑みを浮かべた降谷さんが私の頬に柔らかいハンカチを押しあてて優しく涙を拭ってくれて、素直にハンカチを受け取った。私は何度降谷さんのハンカチを洗濯して返しているんだろう。降谷さんの前で泣きすぎて申し訳ない。
「君にとってのおまもりは君が壊してしまったしここをくぐったらもう後戻りはできませんよ。彼女を信用する気持ちもわかりますが、ただそれだけで僕が何者かもわからないのについてきて本当に後悔しないんですか?」
降谷さんはそういう、自分を悪いように見せる癖をやめたほうがいいと思う。降谷さんがやることなすこと全て私なんかには到底考えつかない、全てが計算されきった行動なのはわかってる。わかっていても本当は正義の心で満ち溢れた降谷さんを知っているから、わざと悪い人のように振る舞う姿を見てしまうとやきもきしてしまう。
だけどこのセキュリティのしっかりしたオートロックをくぐったら後戻りができなくなってしまうのは事実で、哀ちゃんを見つめる。私のことを嫌いになって私から離れたくなったとしても、私の事情を知ってしまえばもう今まで通りの日常は過ごせないかもしれない。保護してほしいと頼んだけど、子どもは確かに保護されるべきだけど、それでも、哀ちゃんの意思に反した強制のような保護になってしまうかもしれない。嫌われてもいいから、哀ちゃんに悲しい思いをこれ以上背負わせたくない。
なんの前情報もなくただ覚悟しろと言われても哀ちゃんは困るだろうけど、私はただ哀ちゃんの幸せを願うしかできなくて歯痒くなる。
「お姉ちゃんが信じてるから、お姉ちゃんは私の命の恩人だから、本当なら死んでたかもしれないから、……お姉ちゃんが信じてる人がもし悪い人でも後悔はしないわ」
「……僕もこの人が信じる君を信用して同じテーブルについてるので一緒ですね」
また涙がこぼれそうになるのを降谷さんに貸してもらったハンカチをおまもりのように握りしめて、ぐ、とどうにか耐えた。
私の部屋のはずなのになぜか私よりもスムーズにお茶を入れた降谷さんに感動する暇はなかった。哀ちゃんを目の前に、降谷さんに隣に座ってもらって緊張に視線が泳ぐ。
「私、……安室さんと出会えたのが夢だと思ってたんです」
「……え? ……あの、惚気を聞きにきたんじゃないんだけど」
勇気を振り絞って放った第一声に哀ちゃんが戸惑いの表情で呟いて固まりそうになる。確かにこれだけ聞くと、なんだか惚気というか、意味がわからない。どうしよう、とちらりと降谷さんを横目で見れば、ふ、と楽しそうに微笑んでいて余計に混乱する。
「いえすみません。言葉だけ聞くと熱烈な告白のようで嬉しくて。真面目な話なのにすみません。……比喩じゃないんですよ、これ」
「は?」
降谷さんが助け舟を出してくれたけどやっぱり言葉選びが悪すぎて哀ちゃんがイライラしはじめてるのがわかって余計に焦ってしまう。
「違うんです。あの、……私、この世界の人間じゃなくて」
はく、と哀ちゃんの唇だけが動いて空気が震える。
「私にとってこの世界は、大好きな物語のひとつだったんです」
2020/09/09