「私を見て驚いていたのは、可愛すぎて、なんていう理由じゃなかったのね。私のことを、知っていたから」
「それは本当に可愛すぎて驚いただけです」
思わず反論してからあまりの空気の読めなさに自分の太ももをつねる。反射的に言葉が出てしまった。誤解されたくなくて放った否定がまた違う誤解を生みそうで後悔する。でも私の返事なんて関係なかった。哀ちゃんは俯いたまま、私の声は届いていない。
「……私、を、知っているのね」
「……はい」
暗く、静かな声に、私の声も沈みそうになる。でも、私が悲しむのはお門違いだ。
「……秘密はこれで全部?」
「全部、ではないですけど、……私に関することは全部話しました」
懺悔のように全て哀ちゃんに話した。きっと訳のわからない話だったと思う。降谷さんは当人だからまだ受け止める器が出来上がっていたけど、哀ちゃんにとってはなにもかも遠い話で、話の内容も訳のわからないことが多かったと思う。あなたは物語の中のキャラクターで、私はその物語を好きだった一読者で、夢の中でその物語をこうなったらもっと素敵だったのにな、なんて考えで動いていたらそれが現実になってしまいました。そんなこと急に言われても受け入れられるわけがない。物語を知っているならどうして私は、お姉ちゃんはこんな人生を送る結果になってしまったの、そうなじられても仕方がない。
「……じゃあ私も全部話すわ」
「え、」
ふ、と顔を上げた哀ちゃんとばちりと視線があって固まる。
今、何を言われたの?
「だから、……もうすでに知ってるだろうけど私の口から私の秘密を全部教えるの」
「どうして、」
「お姉ちゃんはお願いするだけでいいって言ったけど、やっぱりフェアじゃないもの」
「おねえちゃ、…………ちが、違うんです、私、私は、……助けてあげられなかった、お姉ちゃんなんて呼ばれる資格、ないんです、ごめんなさい、ごめんなさい」
あの話を聞いて尚、お姉ちゃんと呼び続けてくれる哀ちゃんの言葉を聞いて私の手と握りしめていた降谷さんのハンカチに水滴がぼとぼとと落ちていく。哀ちゃんの目の前で二度も号泣することになるなんて思いもしなかった。これ以上幻滅されたくないのに。
「どうして? お姉ちゃんは私を助けてくれたじゃない。あんなに震えて、腰が抜けて、それでも銃の前に飛び出して私を助けてくれてじゃない」
「それ、は、でも、私は、」
ただ前に立っただけ。降谷さんがきてくれなければどうなっていたかなんてわからなかった。
「……どうしてこんなに強情なの。どうやって説得したらいいのよ」
「それは僕も知りたいですよ。僕の場合は弁明してる最中に気絶されましたし。だから今の状況は僕の時と比べるとまだ良い方ですよ」
「……参考にもならないしなんの慰めにもならないわよ」
ふわふわと2人が会話してるのがなんとなくわかって、でも何を話してるか自分の嗚咽の音のせいでわからなかった。おまもり代わりに握りしめていたハンカチの本来の使い方を思い出して顔を覆う。哀ちゃんは突然突きつけられた事実を泣きもせず受け入れ、私を責めもせず向き合ってくれているのに、大人の私がただ泣いて視線すら向けられないなんて、なんて情けない。
「ねえ」
うるさい嗚咽音を響かせていても耳元で声がして気付かないわけがなかった。びくりと肩を跳ねて反射的に振り向けば机を挟んで目の前に座っていたはずの哀ちゃんが私の真横に立っていて、その真っ直ぐな目と視線がかちあう。情けなくもまたハンカチに顔をうずめようとした私よりも早く、ぱちん、と彼女の手が伸びてきて固まる。両手で私の涙に濡れた頬をはさんで逃がさないとでもいうように拘束してきた哀ちゃんに狼狽した。
「そんなに自分を責めないで。どうしようもないことなの。黒く染まった私にも、光り輝いている探偵にだってどうにもできなかった。ただの一般人がどうにかできる問題じゃないの。なんの後ろ盾もないただの人なんて一瞬で消されるだけよ。どうにかしようなんて思わなくてよかった、夢だと思ってくれててよかった、あなたと出会えてよかった。……ただの普通の人なんだからもう二度と私のことも助けようだなんて思わないでほしいけど」
一言一言幼子に言い聞かせるように懇々と私の目を見て告げる哀ちゃんの顔を見たいのに、涙が溢れて滲んでしまう。これじゃ逆だ。どうして私が慰められてるの。私は大人で、哀ちゃんはこんなにも小さな女の子なのに。思わず腕が伸びて、気付いた時には哀ちゃんが腕の中にいた。自分でも驚いたのに、哀ちゃんなんかもっとびっくりしただろうに、早く離さなきゃと思うのに、子どもの体温が熱くて、生きていると実感して意思とは正反対に強く強く抱きしめてしまう。
「お姉ちゃんと呼んでくれるなら、妹を守りたい気持ちもわかって、」
掠れた声で言った言葉の意味は哀ちゃんに正しく伝わっただろうか。
哀ちゃんが逃げないでいてくれたから、抱きしめているのか抱きついているのか抱きしめられているのかわからない体勢でしばらく泣いて、落ち着いて哀ちゃんを腕の中から恐る恐る解放した。ちら、と哀ちゃんを見ればどこか満足そうに口端をあげて微笑んでいて、また気恥ずかしくなる。
「……方向性は決まりました?」
哀ちゃんがいる方向とは反対側から降谷さんの声が降ってきて、唐突な音に肩が跳ねるどころか宙に浮いてしまうかと思ったくらい驚いてしまって心臓をおさえる。ばくばくとはねる心臓をおさえながら視線を移せばどこか恨めしそうな目つきで一瞬私を見て、哀ちゃんに視線を移した。忘れてたわけじゃないんです、驚いただけなんです。
「方向性?」
私が心の中で弁明してるのを知らない哀ちゃんが不思議そうに呟いて、私も同じく不思議に思う。方向性、ってどういうことだろう。
「この情報をどうするのか。君の周りには僕含め秘密が大好きな探偵がたくさんいます。信じるか信じないかはともかくとして、格好の餌になってしまう彼女の情報を、君はどうするんです?」
降谷さんの言葉に哀ちゃんを見つめる。
「……どうするもなにも、誰にも言わないわよ」
「どうして? きっと、解決に繋がる糸口かもしれないのに」
どうして降谷さんはこうも煽るような振る舞いになってしまうんだろう。私の知ってる降谷さんと違って甘えられる友達もたくさんいる、それでもこの露悪的な振る舞いをするのはやっぱり何もかもが計算尽くなはずで、だけど降谷さんの正義を知っているとどうしてももどかしくなる。邪魔をしそうになる口をどうにかおさえて2人の会話を静かに聞くことに徹するしかできない。
「お姉ちゃんを危ない目にあわせたくないからに決まってるでしょ」
「でもそれは君を守ってくれる人達を裏切ることになるでしょうね。それでも君は、彼女の秘密を守れるんですか?」
重ね重ね不安を煽る降谷さんにさっきの可愛らしい笑みが消えてまたばちばちと交戦をしだしたふたりに間に挟まれた私の胃が痛くなる。争う内容はやっぱり私が当事者だし、余計に。
哀ちゃんの返事によってきっとどういう保護になるのかが変わっていくんだと思う。緊張しすぎて働かなくなりそうな頭を回転させて二人の会話を必死に追いかける。
「裏切る? どうしてそうなるの。なにも悪いことをしていないのに裏切るもなにもないわ」
「何があっても彼女の味方でいると?」
「お姉ちゃんがお姉ちゃんである限り」
涙は枯れることはないのか、哀ちゃんの力強い言葉にまた涙がこぼれそうになる。
「それを聞いて安心しました。君のお姉さんは生きてますよ」
「え」
こぼれそうになった涙があまりの驚きに引っ込んだ。
えっ、いま降谷さんなんて言ったんですか? え? しれっとした顔で爆弾発言を放った降谷さんに金魚のように口を開閉することしかできない。聞きたいことがたくさんあるはずなのに、何を言えばいいのかわからなくて。
「どうして自分達や探偵だけが頑張らないといけないんです? 警察官という職業を忘れないでください。……まあ難しいのはわかりますけど」
「な、に」
哀ちゃんの震える声に降谷さんがにっこり笑う。
「彼女が僕達を救ってくれたことで、僕達はその分誰かを救えて、その中にあなたのお姉さんもいた。人間ってどこでどう繋がるかわからないものですね」
「私の、お姉ちゃん……?」
「僕もここにいたのに、全部話す覚悟を決めたんでしょう? 僕が何者かもわからない状況で、最後の砦であるおまもりも自ら壊して、……本来なら子どもがそんな覚悟を決めなくてはいけないほどの重荷を持たなくてよかったはずなのに。……ああ、言っておきますが僕が本当の君のことを知っているのは僕の地道な情報網の賜物であって彼女からは何も聞いてませんからね」
そもそも私はこの何もかも変わったこの世界のことを何も教えられない。だって生きてるなんて、そんな、思いもしなかった。震える唇がよかった、と音にならない言葉を紡ぐ。本当に良かった。
「今はまだ会うことはできません。いつになるかは正直わかりません。でもいつか、いつか必ず」
ドンッ、と鈍い音が出るほど哀ちゃんが勢いよく降谷さんに飛びついて降谷さんの言葉が遮られる。全く微動だにしなかったけど、さすがに驚いたのか両手を上げて私を見られても降谷さんが驚くことは私はもっと驚いているのでどうにもできません。
「できない約束はしなくていいわ。でも、ありがとう……」
哀ちゃんの涙に濡れた声は感情全てがない混ぜになっていて複雑で、でも言いたいことは私でも察することができた。犯した罪はなかったことにはならない。でも環境や年齢を考えれば哀ちゃんにはどうしようもなかった。妹を人質を取られているに等しい彼女も、あれが精一杯の抵抗だった。黒の組織のことが解決しても、色々複雑なことになるのは目に見えてる。だからきっと、会えないのかもしれない、でも生きてるだけでもうれしい、できない約束はしなくていい、その言葉通り降谷さんの言葉を遮った哀ちゃんの気持ちは理解できる。
「いえ、いつか必ず会わせます」
どうにかならないんだろうか。そう思う暇もなく、哀ちゃんの思惑や覚悟を全て分かった上で即答した降谷さんに胸が熱くなる。
「……やっぱり私、あなたが嫌いよ」
「知ってます」
降谷さんの胸板を弱々しく叩いて呟いた哀ちゃんを後ろから抱きしめたい衝動に駆られたけど、降谷さんの両手がゆっくりと降りて哀ちゃんの背中をとんとんとあやしているのを見て張り詰めていた心の糸が緩んで安堵した。
2020/09/09