「……こんにちは、松田くん」
「……おう」
「鍵、忘れちゃった?」
「……別に」
きっと忘れたんだろうなあ。この子の未来を知っているからこのまま放置しても今の時点では大丈夫なのはわかってる。でも子どもが外で一人待ちぼうけをくらってるのをみてそのままはいそうですかと忘れることなんてできない。特にこの子は顔が良い。変な人に狙われたら大変だ。
だけど私も変な人と思われてるかもしれない。3つ年上の中学生なんて、小学生の男の子には未知の人だ。私が松田くんと遊んだりしていて親密な関係ならまだしも、挨拶程度しかしたことがない関係だ。そんな中学生のお姉さんの家にあがりこむなんてそれはそれで気まずいだろう。だけど一人にはできない。
「わたしは鍵忘れちゃったんだ。たまにうっかりしちゃうことってあるよね」
だからわたしも鍵を忘れたふりをした。本当は持っている。ぱちくりとまだくりくりとしたおめめを瞬かせる美少年に、嘘をついたことに照れてはにかんでしまう。松田くんには鍵を忘れて照れていると思われていることを祈る。
玄関先の階段に座って松田くんと視線を合わせる。
「ごめんね、あんまり知らない人がそばにいるのは嫌かもしれないけどここで待たせてね?」
「……女の人がひとりはあぶねえからいっしょにいてやるよ」
イケメンか。いやイケメンなのだけれども。見た目だけじゃなくて中身までイケメンか。いや元々知ってたけれども。だからこそあんな結末になってしまったのだろうし。……暗くなるのはやめよう。
照れ隠しなのはわかってる。自分が鍵を忘れたことを隠したいだけだってことは。だけどその照れ隠しで出てくる言葉がそれって、やっぱり正義感溢れていたのは小さい頃からなんだなあと微笑ましくなる。えらい。だけどこのくらいの子をからかうのは可哀想だ。緩みそうになる顔をどうにかこらえてありがとうとお礼を言う。
「……松田くん、ちゃんと水分とってる?」
「すいとう、残ってるから」
「そっか、えらいね。そうだ、おかし食べる?」
「学校におかしもっていったらだめだぜ」
「ち、ちがうよ、今日調理実習だったの。それでマドレーヌ作ったんだけど」
なんて良い子なんだ……。わたしがとても悪い子に思える。悪い子じゃなくて悪い大人なのだけれども。まあ正直生まれ変わっても精神年齢はちょうどいいくらいでようやく年相応になれた気がするのだけど。みんなすごいよね、わたしは人生2度目でようやく年相応になれました。
「……いいのか?」
「守ってくれてるお礼」
「まもって……?」
「ひとりは危ないからって一緒にいてくれてるから」
「あっ、お、おう。じゃあ、もらう。ありがとな」
小学生らしくさっき言ったばかりの言い訳をもう既に忘れて慌てる姿がとてもかわいい。
「だけどほんとは知らない人に食べ物もらっちゃだめだからね」
「知らない人じゃねえだろ」
本当にいい子だ。可愛い。余計に変な人に狙われそうで心配になってきた。少しさっきより近付いた場所に腰を落ち着けてマドレーヌを手渡す。嬉しそうな顔が隠しきれてない松田くんに頬が緩むのは仕方ない。
「知らない人じゃなくても悪い人かもしれないでしょ」
「悪い人は自分のことそんなふうにいわない」
賢いなあ。本当にわたしより年下?
だけどマドレーヌを頬につけてる姿は年相応で緩んだ頬がさらに緩んで本当に不審者になってしまう。だめだ、引き締めて。
「賢いね。でももし本当に危ない目にあったらダッシュで逃げてね。わたしくらいなら松田くんでも抵抗できるかもしれないけど、大人からは逃げてね」
「おう」
「聞いてるー?」
「おう。……うまかった、ありがと」
「どういたしまして。じゃなくて、守ってくれてるお礼だからね」
こどもにあしらわれてしまった。
しっかりした賢い子だとはいえまだ小学生の男の子で、あんまり女の人に話しかけられるのも嫌だろうと考えて口をつぐむ。だけどだんまりはだんまりで気まずいだろう。困ったなあ。これくらいの男の子の扱い方がわからない。特に松田くんは普通の子とは違うだろうし余計にどうしていいのかわからない。
うーん、何かないだろうか。
「あっ、ルービックキューブあった」
「学校におもちゃもってっちゃダメだぜ」
「それはごめん……。それはともかくやる?」
「……今は学校じゃないからやる」
「どーぞ」
また年下に怒られるわたし。いやでも言い訳させてほしい。学校では遊んでない。ていうか持って行った記憶もない。いつのまにか紛れ込んだっぽい。なぜ。まあ役に立ったからいいか。
わたしは図書の本でも読もう。
「なあ」
「どうしたの?」
しばらく二人で無言でいれば控えめに肩を叩かれて顔を上げる。なあ、って可愛いね。近所のお姉さんの名前を呼べない小学生可愛い。……名前知らないだけかもしれないけど。
「……エッほんとに?!」
美少年な松田くんに差し出されたルービックキューブを受け取って驚く。えっできてるんですけど……一面じゃなくてちゃんと全面色が揃ってるんですけど……。えっ小学生だよね? えっ。あっ、なるほど爆処エースは伊達じゃないって感じですか。いや関係ないか。でも凄すぎる。さすが松田くん。やばい。語彙力が爆発した。いや松田くんの部署的に爆発しちゃダメだ、語彙力が解体された。
「すっ……ごいね……えっ……天才……かしこ……えっ……すごいね……」
「……やりかた知ってたら誰でもできる」
「えっわたしできないんだけど……。すごいね……天才……もしかして何回でもできるの?」
「……やり方知ってるから……」
「えっ。じゃああの、見たいな……だめ?」
「……いいぜ」
わたしの褒め方が大袈裟すぎて若干引かれた気がしないでもないけど、引かれたんじゃなくて照れてるんだと思いたい。そして年下にねだってしまう。だって身近で全面揃えられる人はじめてなんだもの……その手腕を見たいじゃないですか……。
ぐちゃぐちゃにして、と言われて言われた通りぐちゃぐちゃにして松田くんに手渡す。
どこか緊張したように唇を引き締める松田くんはたぶん見慣れぬ女の人に見つめられるのが照れくさいんだと、たぶん思う。だって手の動きは淀みなさすぎるから……。すごい……すごいしかいえない……語彙力が解体されたまま帰ってきてくれない……。
「できた」
「すっごい!」
「……べつに、やりかた知ってたらだれでもできるんだって」
「でもわたしできないし、できる人見たことないから。すごいね」
「……おう」
「陣平?」
綺麗に揃ったルービックキューブを眺めていれば綺麗な声が聞こえて肩が揺れる。顔を上げれば松田くんのお母さん。買い物帰りなのか両手に荷物がたくさんだ。思わず立ち上がって軽く会釈する。不審者じゃないです。
「鍵忘れ、」
「母さん! にもつもってやる!」
鍵を忘れたことがわたしにばれるのを恐れてか大きな声で駆け寄って荷物と家の鍵をひったくる姿に忍び笑う。あっお母さん待って不審者じゃないんであんまり見ないでください。
「おねえさん、かぎわすれたんだろ? 俺、いっしょにまっててやる。女の人一人はあぶねえから。な、母さん」
「え? あ、そうね?」
「荷物おいてくるあいだだけまっててくれよ!」
「あっ、あー、底の方に鍵があった! いやあうっかりしてたなあ、忘れたと思ってたら忘れてなかったみたい」
わたしのあまりに大根すぎる台詞に松田くんのお母さんがなるほどというように頷いてから申し訳なさそうに松田くんにバレないように頭を下げてくる。勝手にしたことだからとわたしもバレないように少しだけ首を振るけど通じたかどうかはわからない。それより松田くんはあの大根演技で信じてくれたみたいでものすごい呆れた視線を向けてきていて心が痛い。たぶんこれ今日のわたしの言動のせいで大根すぎる演技なのにありえるかもって信じちゃったんだ。学校にお菓子やおもちゃ持っていくだらしないおねえさんだから然もありなんみたいな感じで。お菓子は誤解だしおもちゃも身に覚えはないんだけど。まあいいか、わたしの評価はだいぶ下がっただろうけどバレて松田くんが羞恥心で酷いことになるよりマシだ、うん。
「……おねえさんばかなのか?」
「こら陣平!」
「あっいえあの、馬鹿なのは事実なので……」
「すみません、本当はうちの、」
「いえいえ! お話ししてて楽しかったので本当に大丈夫です!」
やっぱりお母さんは察してくれてるようで本当に申し訳なさそう。だけど本当にわたしが勝手にしたことなのだから気に病まないでほしい。正直なんの役にも立ってないし、わたしがただ不安だっただけだから。
「ルービックキューブ、見せてくれてありがと、楽しかった」
「……だからあれは別にやり方知ってたら誰でもできるんだって」
なぜか素直に褒められてくれない松田くんに小さく笑いながら手を振る。松田くんもわたしの手に握られた鍵に呆れた視線を向けながらもほんの少し手を振ってくれて頬が緩んだ。松田くんのお母さんにはもう一度会釈してそれぞれ無事に帰宅できた。