最初は気のせいかと思った。こつこつ、こつこつ、と小さな音が聞こえた気がして。でもそんな音を出す物の心当たりなんてなくて気のせいだとかぶりを振ったのも束の間、ごつごつ、に変わった音に肩を揺らした。窓から聞こえた。気がした。ごつごつ。ごつごつごつごつ。おいやめろ怖がって泣いちゃうってていうか通報されるからこらおいやめろ、ごつごつごつごつ。その騒がしい音と騒がしい声に緊張と恐怖で強張った筋肉がほんの少し緩まる。正体を察したところで別の意味で恐ろしいことになってしまったけれど。
 音と声の正体がわかっていても微妙に恐ろしくて恐る恐る窓に近付いてカーテンを開く。
 想像した以上の惨劇が広がっていて思わず開いたカーテンをもう一度閉めそうになった。
 修学旅行で買ったのか、稽古のために必要で持っているのかはわからないけど松田くんの手に握られている木刀がごつごつとした音の正体で、それを握りしめた松田くんを後ろから必死に羽交い締めして阻止しようとしてくれていたのが大きな声の正体の萩原くん。

「なに、してるの……?」
「ウワッ居たのごめんねおねえさん!」

 羽交い締めすることに必死でわたしが窓を開けたことにも気付かなかったらしい萩原くんが謝ってくれて、木刀を握りしめて暴れている当の松田くん本人はなぜか満面の笑みでわたしを見ていた。何その純粋無垢な笑顔。幼少期にだって見たことない。
 美形の笑顔は胸がときめくものだと思っていたけど、状況が状況でわたしの顔は引きつる。だって木刀片手に羽交い締めされてわたしの部屋の窓をごつごつ叩くだなんて。いったい何が起きてるの。

「やっと出てきたな」
「ほんとごめんね! ちょっとまじで一回落ち着こうよ陣平ちゃん頼むからここ二階だから落ちたら怪我するし! いやそういう問題でもないんだけど!」

 萩原くんの宥めに全く耳を貸さない松田くんに顔が引き攣ったままどうすればいいのかわからなくて見守ることしかできない。なんと声をかけたらいいのかもわからなくて口篭っていれば唐突に木刀を投げ捨てる松田くんに目を見開く。次の瞬間窓に足をかけようとする松田くんにヒュッと喉が鳴った。

「エッ待って危ないから戻って!」
「これくらい余裕だし。危なくねえ」
「普段のお前ならそりゃもう余裕だろうけど今のお前はたぶん落ちるよほんと一旦落ち着いて頼むから」
「は? 余裕だし」
「あんまり我儘言ってるとおねえさんに嫌われるよ!」
「は?」
「え?」

 ドタバタ大騒ぎが一瞬にして静まり返って、静まり返る原因になった言葉にどう反応すればいいのかわからなくなってわたしも固まる。だけどそっと足を下ろしてくれた松田くんにホッとして、大人しくはなったけどそれでもまだ拘束は解かない萩原くんに感心する。

「……ちょっと一回水飲んでこよう、な?」
「……わかった」

 さっきまでの勢いはどこへやら、途端に気落ちした松田くんが素直に頷いて萩原くんが慎重に拘束を解くのを見守る。
 さっきまで大騒ぎしていた人と同一人物とは思えないほどものすごく小さく見える背中がとぼとぼと部屋から出ていくのを見て萩原くんに視線を向ける。疲れ切った表情で罰が悪そうな萩原くんになにをどう聞けばいいのかわからなくて変に見つめ合ってしまった。

「……ええと、ごめんね。あの、ほら、……はじめてのお酒でちょっと……だいぶやらかしちゃった」
「おさけ」

 申し訳なさそうに頬をかきながら呟いた萩原くんの言葉に松田くんの部屋を眺めれば確かに缶が散乱していて苦く笑う。なるほどお酒。

「ほら、普段結構我慢してるじゃん? こどもっぽくならないように大人の男らしくおねえさんを口説こうと頑張っててさ……その我慢がお酒の力で解放されちゃったのかも。でもだからってこれはないよねごめん」

 これ、と木刀を持って戻ってくる松田くんの目に入らないようになのか隅の方へ隠す姿を見ながら言われた言葉を整理する。

「ええと、そんなに飲んじゃったの?」
「大人の男ならこれくらい余裕だろ、的な感じで……。たぶん今まですごい健康生活おくってたから余計にこう……なっちゃったんだと思う」

 確かに警察学校はものすごく健康的な生活をおくれそう。でもだからってあそこまで松田くんがお酒で豹変するタイプだとは思わなかった。

「あと最近おねえさんの顔見れてなくて落ち込んでたし」
「……それはその、関係ないと思うよ」
「窓伝いに会いに行こうとするレベルなのに? そろそろ素直に受け止めた方がいいと思うよ」

 萩原くんの言葉に小さく呻く。

「すごい一途だよ。まだ駄目?」

 まだも何も、と心の中でつぶやいて萩原くんに笑みを向ける。

「おい何話してんだよ」
「陣平ちゃんのプレゼン兼さっきのフォロー」

 さっきものすごい純真無垢な満面の笑みを浮かべていた人と同じとは思えないほど顰めっ面とものすごい不機嫌そうな声で戻ってきた松田くんに視線を向ける。

「悪い、玄関から行くべきだった」

 玄関から来られても酔っ払いの対応は若干困る。水を飲んで落ち着いたのか、と思いきや不機嫌そうな顔は萩原くんにだけ向けられたもので、私に向けられる表情はさっきまでの純真無垢な満面の笑みまではいかないけどふわりと優しげな表情で、どんな表情を返したらいいのかわからなくなって愛想笑いを浮かべる。

「俺、飲める年齢になった」
「そうだね……おめでとう」

 おめでとうのタイミングが今なのかはわからないけどなんとなく言ったその言葉にとても嬉しそうな笑みを浮かべる松田くんに戸惑う。

「酒が飲めるからって大人になるわけじゃないのはわかってるけど、ちょっとだけあんたに近付けただろ?」
「そー……れは、」

 頷くことも否定することもできなくて意味のない言葉が宙に舞う。

「あんたのはじめての酒の時、俺も一緒にいたかった」

 拗ねた声音で呟かれた音はわたしに聞かせるつもりはなかったのかとても小さな音だったけど、耳に届いてしまって胸が軋む。

「……ねみい」
「うん、もう寝ろ。酒で明日記憶がどうなってんのかわかんないけどこれ以上ほっといたら隠してることも自白しそうで見ててハラハラするから寝ろ」
「別に俺がこの人のこと好きなこと言うのは悪いことじゃねえだろ」
「うんそういうのもシラフで言うべきだしおねえさんも酒飲んでないのに真っ赤になってて可哀想だから」

 松田くんと萩原くんの会話に思わず窓とカーテンを閉めたくなった。
 宣言通り余程眠たいのか、ふああ、と大きなあくびをした松田くんに萩原くんの言葉通りこれ以上この場にいると松田くんはもちろんわたしまで大怪我しそうで思わず口を挟む。

「そうだねそろそろ寝た方がいいと思うよ、おやすみ!」
「……ほら、おねえさんもおやすみって言ってくれてるんだから」

 萩原くんの一瞬の間と意味ありげな視線に気付かないふりをして少し引き攣った笑顔で手を振る。

「……久しぶりだしまだあんたの声聞いてたいけど、……おやすみ」

 眠気も入ったせいで更に緩くなった口と、眠たいせいなのか蕩けた瞳にぐっと口籠もりそうになりそうなのをこらえて、おやすみと再度口にして窓とカーテンを閉めた。

「あんまり大人っぽく頑張らなくてもその素直路線でいくのもいいのかもよ、……ってもう寝たの」

 閉める直前に聞こえた萩原くんの言葉は聞こえなかったふりをした。
2020/09/30


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