「別れてくれ」

 その言いたくない言葉をどれだけの勇気を振り絞って言ったと思う。どれほど泣かせてしまうのかと、どれほど傷付けてしまうのかと傷付ける側なのに、怯えていったと思う。世界の終わりのような気持ちで、言ったのに。その言葉の返事がまさか、

「はーい」

 だけだとは思わなかった。
 まさかあまりのショックに現実逃避をしているのかと。聞こえなかったのかと。もしくは俺が聞き間違えたのかと。

「……え」
「別にそんなとこまできっちりけじめつけなくってもよかったのに。真面目だねえ」
「まじめ、って」
「降谷くんが私を一番にしないことなんて最初から知ってたから別にわざわざ言わなくてもよかったのに」
「な、に、それ……おまえが一番だったに決まって」

 別れ話を仕掛けたのは彼女だったろうか。
 そんなことはない。俺から別れ話を仕掛けたはずだ。なのに。なのに何故俺がすがろうとしている。だって彼女が、彼女が、まるで俺の愛そのものを信じていなかったような口ぶりで。あんなに俺の言葉に照れたり、喜んだりしてくれてたのはなんだったんだ。自分は二番目の女だと勘違いしたままずっと俺に付き合っていたのか。そもそもなんでそんな勘違いを。

「隠さなくってもいいのに。じゃあ、今まですてきな想い出をありがとう。絶対に幸せになってね」
「なん、」

 なんで引き止めようとするんだ。別れるのが目的だったんだ。綺麗に別れられたんだから喜べよ。彼女を傷付けることもなく、きれいに。なのに体が動きそうになる。耐えて、耐えて耐えて耐えて。気付いたら彼女は見えなくて、口の中は血の味がして、手のひらは爪で傷付けたせいで血みどろになっていた。
 彼女をこんなに傷付けなくてよかった。そう思えばいいのに。







「どこかでお会いしたことありませんか?」

 十年ぶりに再会した彼女が、あまりにも反応を見せないからつい、正体を明かすこともできないのに声をかけてしまう。似た男の人を知っていると、思い出話に花を咲かせてくれないかと期待して。

「いいえ?」

 なのに彼女の答えはあの時と同様軽い調子で俺を傷付けるだけ。彼女の中には降谷のカケラすら残っていなかった。二番目だと勘違いしたまま付き合い、別れ、傷付くこともなくただ雑踏ですれ違う人間を忘れるのと変わらない当たり前の流れで忘れられている。
 俺のにこやかな笑顔のナンパの常套句に女子高生たちの好奇心をくすぐったのか、話の流れは恋愛のものに変わり始めて未練がましく聞き耳を立ててしまう。

「すてきな人、いないんですか?」
「わたしに? うーん。特にいないかな」
「過去にお付き合いしてた人とかは?」
「うーん。いないかな」
「えっ」
「え」

 思わず女子高生たちの驚愕の声に重なってしまって視線が集まる。思わずへらりと笑って誤魔化すも心はずたずたに切り裂かれて今にも泣きそうだ。潜入捜査でも泣いたことのない心がばきばきに折られて大雨だ。忘れられるならまだいい方だ、なかったことにされている。

「いえあの、すみません。こんなすてきな方なのに、誰ともお付き合いしたことがないということにびっくりして」
「そういう安室さんはどうなんですか?」
「ぼくは、……僕は、忘れられない人がいますよ」
「えっ、どんな方なんです?」
「遠く離れた場所に行くことになって、別れを切り出したら、本当に大好きだった人なのにその人に「わたしは二番目だったもんね」的なことを言われて、別れを切り出した側なのにべこべこにへこまされました。本当に大好きで、愛していて、二番目も何も、その人だけが特別だったのに、特別だったからこそ離れたのにそんな勘違いされてたことに別れ話の時に発覚したんです。別れ話をしてるので言い訳もできず、本当に、今でもその人だけを好きなんですけど、……どうしてそんな勘違いをしてしまったのか、今でも身勝手なんですけどずっと忘れられません」
「なんですぐに誤解とかなかったんですか!」
「てかなんで好きなのに別れるの! 遠距離なんて、そりゃ、まあ、さみしいけど! でもべつに別れなくたってよかったのに!」
「ぐうの音も出ない正論ばかりで耳が痛いです」
「……二股してたんですか?」
「話聞いてました??? 僕、その人としかお付き合いしたことないです。だからあんなにも愛していたのに二番目だと疑われていてものすごくショックだったんですから」
「えっ」

 まさか、といったように表情が変わった彼女に希望の光が灯る。でもそんなはずはない。たとえ思い出したとしても、シチュエーションが丸かぶりだとしても、性格も、名前も違う安室と降谷を繋げはしない。はず、なのに、彼女は何を知っているのか。

「その元カノさんと連絡取れないんですか? 今からでも誤解を解いてもう一度告白してみたらいいじゃないですか」
「連絡先とか! あっ同窓会とか!」
「若い人の勢いはすごいですね。僕は少し怖くて。同世代のあなたはどう思います?」
「……別れる理由になったことが全て解決して、落ち着いたら、話し合ってみるのもいいかもしれませんね。元の鞘に戻ることはないでしょうけど、胸のつかえは取れると思いますから」

 やはり、彼女は安室と降谷を繋げている。彼女はいつもどこか聡い人だった。だからこそ。だからこそ逆に変に悟りすぎて、変な方向に勘違いしてしまったのだろうか。
 だけど揺らいだ希望の光がまた吹き消される。なんで元サヤに戻れないなんて断言するんだ。もう俺のこと、好きじゃないのか。いや、それは、まあ、勘違いですれ違っていたとしてももう十年も前のことだ、気持ちに整理がついていてもおかしくはないけど。おかしくはないけど、でも、希望くらいくれたっていいじゃないか。
 だがまあ、全てが解決したら、あの時できなかった言い訳を紡げるかもしれない。それだけでもいい。言い訳をすることを許してもらうだけでもじゅうぶんだ。そこからまた口説かせて貰えばいい。

2019/04/23


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