「あのう」
「はい?」
気配も何もなく背後を取られて心臓が跳ねる。トリプルフェイスで培ったポーカーフェイスでどうにか全く驚いていないように振り返れば見たことのない女性。ああ、気配も何も、ただの非力な一般女性だから俺のセンサーに引っかからなかったのかと内心腑に落ちていたのに次いで発された言葉にポーカーフェイスが崩れそうになった。
「大きなお世話だとは思うんですけれども、でもあの、あんまり目立つとバレちゃいますよ」
「……はい?」
大きなお世話、目立つとバレる、俺に心当たりがありすぎて深く考えてしまうが、非力な一般女性が発する言葉にはきっと意味がないはず。そう、きっと目立つのはこの容姿のことで、バレるのは……バレるのはなんだ?
「同業者だとお見受けしますけど、有能すぎて隠れられてません。火炙りにはされたくないでしょう?」
「あの、なんの話だか。僕はしがない探偵ですよ」
一般的な答えを模索していれば続いた言葉に息を呑みそうになる。どうにかこうにか堪えて意味がわかりませんと肩をすくめてみるも哀れんだ表情を浮かべた目の前の女性に口端が引きつりそうになる。
同業者、有能、隠れられていない、火炙り。
ただの一般女性が使うにしては物騒すぎる言葉だ。隠喩だとしても火炙りだなんて単語はそうそう選ばないはず。だけど、そうだと確信するにはまだ足りない。
「まあ表向きはそうなんでしょうけど、それならもう少し隠れないと。人間、怖いですよ。ちょっとでも違うとわかるとすぐ殺しにかかってきますもん」
「……は、」
確実にバレている。少しでも違うと殺しに来る?
それはノックバレに足を踏み入れているということだろうか。
目の前の女性の立ち位置がわからない。隠れろと忠告をしにきてくれている。ならば公安か。いや、でもこんな女性は知らない。なら組織の人間なのに俺を助けようとしてくれているのか? なぜ。
「余計なお世話だったかもしれませんけど、忠告しましたからね。それにしても、有能すぎるのも考えものですね」
────────
「あの、なんの話をされてるんでしょうか」
「は?」
またしても気配がわからないまま背後を取られるという不覚を取ってしまいながらもせめて彼女が組織側なのか警察側なのかを探ろうとあれやこれやと話を続けていれば、訳のわからない話ばかりしないでいただけますか、と怪訝そうに眉を寄せられてポーカーフェイスも崩れ去る。情けなくも声も漏れ出た。そんな間抜けな俺を放置して意味がわからない話はしないでくださいともう一度疲れ切ったように呟く女性に今までの見立てがガラガラと崩れ去りそうな感覚に陥る。
「本当、気をつけてくださいよ。せっかく見つけた同族が火炙りにされるところなんて見たくないですからね」
「いや、あの、」
黒の組織の話も、警察の話も意味がわからないと言われる。それなのに俺を同族だと言い、火炙りにされるだの殺されるだのを繰り返す女性にとうとうトリプルフェイスの仮面をつけ直すことも忘れてしまいそうになる。黒の組織も、警察も除外してただ目の前の女性を観察すれば、ただただ俺を心配しているように見えないこともない。ならどうして組織の気配も警察の気配もないのに火炙りだなんて物騒な言葉が出るんだ。
「……もしや、今まで同業者にあったことがない?」
仮面をつけることを忘れ素直に困惑の表情を見せる俺を見てようやく話が進みそうだと仮面を付け直す。どう転ぶかはわからない。でも目の前のこの女性はどうやら俺を心配して忠告しにきてくれたらしいのだから、話に乗ってみるのも手だ。
「……僕に接触してきたのはあなたが初めてです」
そう声に出した瞬間、小さな子を見る母親のような目になった女性に目を見開きそうになる。
かわいそうに。安心して。お母さんがついてるわ。
まるでそんな声が聞こえてきそうなほど如実に慈愛に満ちたまなざしを向けられてたじろぐ。まさかそんな反応が返ってくるとは思わなかった。目の前の女性の中で俺はいったいなんの同業者になっているんだろうか。
「ああ、かわいそうに。話が噛み合わなかったのも頷けます。いいですか、我々魔法使いにとって人間は怖い生き物です。人間は弱くてかわいそうな生き物なので、いくらこちらが友好的な態度でも牙を立ててきます。すぐ魔女狩りをしだす怖い生き物なんです。あと人間はそんなに賢くないんです。普通の人間のフリをするならもう少し馬鹿にならないと騙せませんよ」
「……」
時が止まったのかと思った。一般市民に対してかわいそうな人なんだろうか、なんて、警察官が思うべきじゃないことを考えてしまって心の中で叱責する。目の前の女性が嘘を言っていないのは長年の経験からわかる。わかる、が、それは彼女の中でだけの真実であって、世の中の真実はそうではないこともある。
「……今まで見たことがないのでいきなりそんなこと言われても信じられません」
俺も、嘘はついていない。
魔法使いは見たことがない。接触してきたのはあなたが初めてだが自分が同業者だとは言っていない。
嘘は、ついていない。のに、どうしてこんなに胸が痛むのか。目の前の彼女の言動があまりにも純粋で、善意の塊のように見えるからだろうか。
「ああ、ああ、そうですよね。かわいそうに。大丈夫ですよ、これからは私が魔法使いの生き方を教えてあげますからね」
「……あなたの魔法を見せてもらうことはできないのですか」
よくて高度な手品か何かだろう。
「ええと、何がいいですかね。ああそうだ、こんなところで立ち話もなんだし、見せるついでに私の家に行きましょうか。このあと他に予定でも? あるならまたゆっくり後日にでも」
「今すぐで大丈夫です」
仕込む暇は与えない。他の予定は即座にずらす計算をする。大丈夫、何が起きても対処する。人を油断させるためのつかめない会話術でなにがしかの罠だったとしても。彼女の中にしか存在しない真実だったとしても。何が起きても大丈夫だ。
「わかりました。できるだけ酔わないように頑張りますね」
彼女は車で来たのだろうか。それにしたって子ども扱いにも程がある。いくらそんな聖母のような慈愛の目を向けられても、いくらこの容姿が少し幼く見えるからってそこまでか弱くはない。それともよほど運転が荒いのだろうか、なんて、考える暇もなかった。
瞬きもしていない。のに、景色が一変した。高度な手品だとか言ってる場合じゃない。大掛かりなトリックのレベルも超えている。こんなのは、非科学的すぎる。
「散らかっててごめんなさい。適当に座ってください。あっそれはコーヒーカップに入ってますけどただの惚れ薬なので飲まないでくださいね。ええと確かあそこに紅茶があったはず」
いつのまにか彼女は杖のような何かを握りしめてタクトを振るようにあちらこちらにそれを振り回している。散らかっててごめんなさい、と言った瞬間、服や書類や何かの瓶が一斉に宙を舞ってあちらこちらに散らばり彼女の杖の指し示す方向に飛んでいき整頓される。
ただの惚れ薬、なんていう不思議な単語も聞こえて、そのただの惚れ薬の入ったコーヒーカップも宙に浮いて小瓶に小分けされていく。
情けなくも本当にただ唖然とするしかなく、呆然と突っ立っていた膝が急にかくんと押されて、学生以来の膝かっくんにいろんな意味の衝撃に固まる。背後をとられて攻撃されるなんて。と思ったのも束の間硬い床に尻もちをつく覚悟をしたのにふわりとクッションの感覚に戸惑い、俺を背後から攻撃した正体に固まる。一人がけのソファが、膝かっくんをしてきて、座らせた。
「ありましたありました、ええと、それでじゃあ、どんな魔法を見せましょうか。あんなにも有能ならそもそも教えることもなさそうで少し照れくさいですが」
ふわりふわりと漂うティーセットを傍に、無邪気に微笑む姿に両手を上げた。純粋な笑顔が不思議そうな表情に変わり首を傾げたのと同時に宙に浮いたままのティーポットも傾いて暖かい紅茶を注いでいる。
このレベルは彼女にとって魔法にカウントされないらしい。いや今目の当たりにしたあれやこれやは全て魔法なのだろうけれど、彼女の中ではこの程度ただの日常。
彼女に嘘をつくのは得策じゃない。すぐにでも真相を伝えるべきだ。わかっているのに、両手をあげたまま固まって、いつもは饒舌な言葉が出てこない。何をどう伝えればいいのかわからなくて。それに、魔法使いは、彼女は、人間を恐れている。人間は愚かだと、取るに足らない生き物だと本当に思ってはいるんだろうが、数の暴力に怯えている。そんな中、仲間を見つけて喜び守ろうとした彼女に嘘をついているべきじゃない。
「すみません、僕はあなたと同業者じゃないです」
「え?」
「ただの人間です。すみません。でも誓って、あなたを傷つけるつもりは一切ない」
「…………」
両手をあげたまま彼女をじっと見つめる。
「……バレたら火炙りだと言いましたよね」
魔女狩りは今もきっとどこかで行われている。火炙りなんて過激なことは今の時代行われていないのかもしれないけれど、異端を排除しようと一人の女性を街から追い出すことくらい、数の暴力をもてばたやすすぎる。人間同士でだってただの勘違いで殺人をおかす世の中だ。
びくりと震える彼女の顔はかわいそうなくらい蒼白で、今までの待遇を思って胸が痛む。
「僕も、バレたら殺されるようなところにいるんです。だから疑心暗鬼で、僕にとってあなたがどちら側なのか確かめたくてそれで話を合わせてついてきて……このパターンは想定してなかったんです」
「……あなたは人間なのにどうして火炙りにされてしまうの」
震える体で、杖を落とさないように強く握りしめた彼女が俺に杖を突きつけながら問われて気を引き締める。
「悪い人を捕まえるために、悪い人のふりをしているからです。本当は仲間じゃないとバレたら殺される、だからあなたがどちら側か知りたくて。……そうしたら全くの勘違いのすれ違いで、……すみません」
「……どうして謝るの。悪いのは馬鹿みたいな勘違いした私でしょう」
「いいえ。仲間を見つけて嬉しくて保護したくなる気持ちを悪いだなんて言うほど、僕はひどい人間じゃない」
拳銃のように杖を突きつけながら、けれどそれが拳銃だったとして、彼女はただの一般人で、きっと引き金に指を置くのを忘れている。ただの威嚇行動にしか見えないか弱い姿だった。
「……記憶を消す魔法があっても、消さないでほしい。あなたと話している間に通りすぎた人や車、背景や、猫や犬、何が僕にとって大事な記憶になるかわからないんです。ちょっとした記憶の欠如が、僕にとっては命取りになります。なので、お願いします。あなたのことは他言しないと誓う」
「人間の誓いほど信用できないものもない」
震えた声でかぼそく、だけどはっきりと耳に届いた言葉に胸が痛む。
「記憶は消さない。誓いもいらない。さようなら」
くい、と杖が動き、最後に耳に届いた声は涙に濡れていた。
ぱちりと瞬きをすれば景色がまた一転していて、道端で両手をあげたまま突っ立っている姿はとても痛々しい。幸いにも誰の視線にも晒されていなく、だらんと両腕を下ろしてため息をつく。
記憶を消されていたとして、忘れていることを気付くことなんてできるわけもなく、なす術はない。けれど、彼女のことを覚えているということは、彼女の最後の言葉を信用してもいいのかもしれない。
とにもかくにも、国を守ることが俺の使命で、この国に住む女性が死に怯えひとり震えているのを見過ごせるわけもない。魔法使いだろうがなんだろうが、この国に住むかぎり、俺の守るべき国民である事実は揺るがない。人間を怖がり、怯え、俺ですら退けられる彼女をどう守れるかはこれから考えるとして、とりあえず今はどこに飛ばされてしまったのか把握するところからはじめよう。
2020/05/05