▽▽▽

「はわ」
「はわ?」

 廊下の真正面を歩いていた女子が発した言葉が不思議すぎて思わず復唱してしまった。いやだって、はわ、ってなんだ。だけどすぐ理解した。口元をおさえて俺を見る目が覚えのある目だということに気付いて、ちょっと言動がおかしいがよくいる女子たちの亜種なら対応を間違えたかと内心眉根を寄せる。下手にリアクションをとるべきじゃなかった。どうしようか。なんて思っていたら芸術だなんだと大仰すぎる言葉に思わず笑ってしまった。だって言い寄られたことはあれど、そこまで大仰に褒められたことはなかった。ここまで大袈裟に言われると逆に気が抜けてしまう。それにこれ以上俺には近付いて来ない珍しい行動になんだか安心してしまう。それどころか視線は一切逸らさないくせに一歩下がられた、珍しすぎる亜種だ。なんだこの子。

 二度目に遭遇した時も、やっぱり変な子だった。
 そんなに俺の顔が好きか、なんてそんな自惚れた台詞を言ってしまうほど奇妙だけれどわかりやすい女子に思わず笑う。
 変すぎて少し好感度が上がったというのに最後に言われた、命大事に、という唐突すぎる提案に好感度も何もないカテゴリに属されることが確定した。なんだこの子。なんだ命大事にって。

 彼女とはそれ以来会話することはなかった。視線を感じることもなく、あんなに俺の顔が好きだと態度でも言葉でも表してくれたのに、なんて勝手に裏切られた気持ちになりながらも彼女の顔すらおぼろげになった。
 だけどしばらくして萩原の悪癖に気付いてふと学生時代のおかしな彼女の言葉を思い出してぞっとした。若い頃は無駄に無敵だと思い込む。それは自分にも言えることで。成績優秀だからと調子に乗っていたかもしれない。こんな狭い世界で一番だからといって、俺がこの世で一番賢いわけじゃない。井の中の蛙なんだ。テストだから、試験官がいるからといって、いつ事故が起きるかもわからない。警察を目指すからにはいつも最悪の事態を考えて行動しなければいけない。国民を守るためにはまず、自分の体を大事にしないと守れるものも守れない。
 そう気付かせてくれた彼女の顔はおぼろげになったままだけれど、おかしな奇声だけは印象に残っているのかまだなんとなく覚えている。
 それから一番調子に乗りやすい萩原にはもちろんみんなに、それこそ耳がタコになる程命大事にと言い聞かせて理解させた。口では相変わらず調子のいいことを言うことが多いけど、きちんと身を守ることを考えるようになったから良しとしよう。

  ▽▽▽

 あいつが危ない。頭に血がのぼる。冷静にならなければいけない時ほど冷静になんかなれっこない。だって、どこから漏れた? それを考えただけで頭は煮えたぎったように沸騰してそこから先がかすみがかったように何も見えなくなる。何も考えられなくなる。心臓の音がやけに大きく聞こえる。はやく、はやく。

「あの!」

 そこで聞こえた声に固まった。聞き覚えのある声だ。なんで君がそこに。おぼろげだった容姿がピースがはまるようにカチリと鮮明に現れて急がなければならないのに時が止まったかのように感じた。路地裏に隠れるようにして潜んでいた彼女は携帯を両手に少し慌てているようだった。あの変な子だ。俺の外見が異常に好きな、少し言動のおかしな子。
 慌てている俺を見て慌てながら、身振り手振りを交えながら話された内容に目を見開く。このビルに、2人が。
 だけど彼女の言葉を聞くうちにだんだんと煮えたぎる思考がクリアになっていく。ただでさえ追われているあいつが、俺が慌てて階段を駆け上ったことにより追い詰められたと思ったらどういう行動をとるかなんて、考えるだけで恐ろしい。命大事にのコマンドは確かに大事だけれど、いざという時には国を守るためそれを捨てなければいけない立場に俺たちは立っている。頭に血がのぼって、そんなことも考えられなくなっていた自分を叱責する。
 彼女の言葉通りなら、ヒロは今、一対一だ。それならまだ希望はある。

「そう、あの、警察の応援、呼ばないんですか? 代わりにかけましょうか?」
「……代わり?」

 なぜ、と目を見開く。

「制服着てないしプライベートでは?」

 そうではなく。いやそうだけど、そういうことではない。なぜ俺が警察だと信じ込んでいるのかが謎で固まっていれば彼女の記憶はどうやら高校の時のままで止まっているらしかった。高校の時の情報とはいえ、女性のネットワークがなんだか末恐ろしくて小さく笑う。女性は謎に探偵顔負けの情報網を持っていてすごいな。
 程良く気も抜けてとりあえず落ち着きを取り戻せた。わりと時間が経ってしまったが、激しい物音も俺たち以外の人の気配もしないから、ヒロはきっと無事だという気持ちが高まる。交渉をしていてきっと長引いているんだ。そう、そうに決まっている。
 彼女を安全な場所に送り届けることはできない。そこまでしている時間はない。それにすぐそこが人通りの多い場所で、彼女ならきっと大丈夫だ。あとは俺に任せてと彼女を見送って深呼吸してビルを見上げた。
 大丈夫、冷静になった。ヒロならきっと、大丈夫だ。

  ▽▽▽

 久しぶりに見かけた彼女はなぜか大型テレビを見上げて固まっていて思わず声をかけてしまった。命の恩人のことを調べるだなんて少しばかり心が痛んだけど一応念のために自分で全て調べて、白と太鼓判を押せたせいで少し態度が馴れ馴れしかったかもしれない。

「どうしたんだ?」
「ひえ」
「……まだ慣れないのか」

 思いのほか驚かれて申し訳なく思ったけれど、そのすぐあとに口元を押さえた仕草になんだいつものかと呆れて笑う。不思議な人だ。まるで未来が見えてるかのようなアドバイスばかり彼女にもらっている気がする。

「それで、どうした? また予言めいたことを言いたいのか?」
「え?」
「ほら、いつものアドバイスのことだ」

 だからつい、冗談めかしてそんなことを言ってしまった。

「観覧車と病院です。でももう大丈夫だと思うんですけど」

 なのに返ってきた本当に予言のような意味のわからない言葉、だけど具体的すぎる場所をさらりと告げられて唖然とする。まさか本当に? いやそんなわけがない。ノリよく付き合ってくれただけだ。変な子だったじゃないか。

「……まあそれはあとで確認するとして、君はこれからどこへ?」
「え? さあ……観光地巡りですかね……」

 そう、変な子だったからと納得させたのに二個目の質問に対してまた意味のわからない言葉を返してくるから会話を処理しきれずに戸惑う。観光地? 今から旅行に行く素振りがない散歩のような荷物の軽さで、十年以上同じ場所に住んでいるこの街を、観光? 意味がわからない。
 彼女と別れて、念の為ヒロに電話して観覧車と病院で何かおかしなことが起きていないかと聞けば返ってきた答えに目を見開く。病院でおかしなことはないが観覧車に爆弾が仕掛けられている、と。そしてもうひとつどこかに爆弾が仕掛けられているらしいと。
 振り返れば彼女はすでにいなく、慌ててヒロに病院関係を調べてくれと頼んだ。
 まさか、本当に?

 あれから萩原たちもすでに調べていたのか結局もうひとつの爆弾も俺達がその情報を掴む前に既に病院に辿りついて発見、そして即座に解除され、観覧車に乗り込んでいたらしい松田もなんとか無事に地上に戻ってこれたらしい。彼女ともし会わなくても、萩原たちだけでなんとかなった。なんとかなった、が、彼女の言葉はやはり予言じみている。でももう大丈夫、とは、どういう意味だったんだ。萩原たちが解決することすらわかっていた? 彼女のおかしな言葉は全てほんとうに予言なのか? 唐突な命大事に、ヒロを探していたときも冷静さを取り戻せたのは彼女が声をかけてくれたから、今回は松田。もしそうなら、唐突な命大事ににかかっていたのは萩原か? そして、萩原が助かったから、今回の二手に分けられた爆弾の処理は観覧車と病院で、二人で解決できるから、だからもう大丈夫ということか?
 いや、そんなことはない。そんな非科学的なことあるわけがない。あるわけが、ない。

 あるわけがないと思っていた。
 だけどもうだめだ。恩人を疑うのは心が痛んだけれど何度調べても彼女は白で、白だったけどもやもやが晴れずに広げっぱなしだった俺の捜査網に彼女の救急への通報で再び引っかかった。なにか事故にでも巻き込まれたのかと焦りつつ調べればそれは事故の目撃者としてで。更に詳しく調べればその場には伊達がいて。記録には彼女に助けられたおかげで捜査員二名は無傷だったと書かれていた。今度は伊達を助けた。伊達を、助けた。4回は偶然で済ませられる数じゃない。彼女は俺の身の周りの人物を助けてくれている。
 そんな非科学的なことあるわけがないと思い込むのがもう無理がある。
 彼女にお礼をしなければ。もしまだ何かあるのなら、聞かせてもらわなければ。

 そう思っていたのに彼女とは全く会えなくて。たまに視界の端に彼女のような人影が映ることもあったけど、そういう時に限ってポアロは大繁盛だったりして彼女に声をかけることができない。そもそも今は安室透としてこの町にいて、彼女になんて説明をすればいいのやら、なんて本人を目の前にすればそんなの頭からすっぽぬけていた。

「どうしました?」

 どこか暗い顔で歩いている彼女を見つけた瞬間何も考えず話しかけてしまっていた。

「こんにちは」
「こんにちは。初めまして、安室透です。今日の予言はなんですか?」

 そしてつい、匂わせてしまった。公安失格だと思う。だけど未来が見える預言者に隠しごとをしたって意味がない。
 名前が変わったことに全く動揺しなくてニコリと微笑むだけでやっぱり彼女は預言者だと確信を得てしまう。ヒロにこんなこと言ったら思いきり頭を心配されそうだが。
 だけど彼女はどこかぼんやりしていて、いつもの俺への顔に対する不思議な言動もしない。流石に見慣れたのかと納得はするがあの奇妙な声が聞けないのはほんの少し寂しい。
 そして今更顔色が蒼白なことに気付いて目を見開く。恩人に会えて完全に浮かれていた。

「……大丈夫ですか? 具合でも?」
「いいえ、睡眠はばっちりですよ。仕事と睡眠しかやることないので」
「は?」

 おかしな言動はいつものことだ、だけど今日のはいつものとは違う気がする。そんなことがわかるほど、彼女と交流はないが、なんだか違う気がするんだ。どこかがおかしい。
 体調が悪いのかと聞いてもそうじゃない、睡眠も食事も取ってる。健康的な生活を送っている、そう答えられても目の前の人は今にも倒れそうなほど苦しそうで見ていられない。

「でもものすごくつらそうですよ」
「……母に、会いたくて」
「え」

 食い下がれば重い口を開いてくれたが言われた理由に固まる。会えばいいじゃないか。県は跨ぐが日帰りで帰れる距離に住んでいるだろう。家族仲も悪くないだろう。調べたせいで知っているそれを言いそうになる程、不思議な理由だった。急に病気にでもなったのか、いや違う。なら喧嘩でもしたのかと、そんなわけないだろうと思いつつ言えば途端に怯えた表情を見せた彼女に目を見開く。

「……僕が一緒に謝ってあげますよ」
「……私が悪いことしたの前提なんですか?」

 4人もの命を救ってくれた人がまさかそんな喧嘩なんてするはずないと思いながらも言えば小さく笑われて焦りつつもホッとする。間抜けな発言をしてしまったけれど、こんなにも何かに怯えた彼女がほんの少しでも笑ってくれるなら安室の皮を脱ぎ捨ててほんの少しくらい間抜けに見えたっていい。

「あの、ええっと、こわがってるように見えたので、」
「安室さん、一緒に謝ってくれなくていいので、隣で見守ってくれます?」
「え、も、もちろん」

 どこか覚悟を決めた表情で、かばんから携帯を出したかと思えばまず電源をオンにするところからはじまって驚く。そこまで。そんなに人と関わりたくなかったんだろうか。母に、会いたいのに? 喧嘩をしたわけでもなさそうなのに? 唯一の連絡手段である携帯の電源を、なぜ?
 安室の仮面のまま、それでも不思議に塗れた表情を隠せず戸惑っているのにも気付かないほど彼女は強く携帯を握りしめ緊張してまつ毛が震えていた。母親はすぐに出てくれたらしく、すぐに彼女の顔が泣きそうに歪んだ。声も震えていた。なぜ。

「私の知らない私のこと、教えて?」
「え」

 そして繰り出された質問に今度こそ声が漏れてしまった。
 何かを確認するにしても共通の話題でなければ確認できないのに、なぜわざわざ自分の知らない自分のことを教えて貰う必要があるのか。意味がわからなかった。そのうち帰るねと電話を切った瞬間堰も切れたのか涙が止まらなくなった姿にも驚いた。何もかもがわからない。ハンカチを頬に当てて涙を拭いながら考えても考えても答えは見つからない。
 大丈夫だとしか言わなくなった姿に、大丈夫じゃないだろうと詰め寄りたくなる。本当に、どうしたんだ。何があったんだ。何かできないのか、慰める言葉も思い浮かばずにただ焦りだけが脳内を駆け回る。

「いいえ、もう解決したんです。エセ預言者も引退です」
「え」

 涙が止まったかと思えばまた彼女のお告げが始まって固まる。終わり、というお告げが。

「もうこれ以上なにもできないんです」
「……」
「あなたにはきっと下手な誤魔化しも、嘘も、通用しないのはわかってるからこそ正直に言います。もう、なにもわからない。なのでもうこれで最後です」

 預言者という推測は正しかったのだろう。彼女は俺のことを知りすぎている。俺の周りのことも。だけどもう終わりだという。彼女の言葉はわけがわからないことが多いけど、嘘はついていないことはわかる。だからきっと、もうわからないというのは本当なのだろう。だけどこれで最後というのは意味がわからない。

「……別に、何かを聞きたいからあなたに近付いたわけではありませんよ」

 情報が欲しいから声をかけたわけじゃない。そりゃ、また何か予言をしてくれるならありがたく聞くが俺たちは警察なのだから自分たちで捜査して、自分たちで解決する。声をかけた一番の理由は、恩人にお礼を言いたかったからだ。予言が終わるからって最後にする必要はないだろう。だって俺たちは同級生で、喧嘩すらしていないのにお別れする必要なんてないじゃないか。ただ同級生を見かけたら話しかけるのは普通だし、別に最後だなんて、そんなこと考えなくたって今まで通り普通に話せば。

「近付いていたのはいつも私からですよ」

 肩をすくめて言われた言葉に、それは、と言葉を詰まらせる。
 だけど、彼女はいつも予言をするくせに、未来が見えるくせに俺と会う瞬間はいつも驚いていた。未来が見えるなら俺と会うタイミングだってわかるはずなのに、どうしていつも驚くんだ。奇声をあげて、あとずさって、だけど俺の顔は飽きもせずじっくり眺めて、……未来が見えるならそこで十分堪能して俺と話すときは心の準備ができて普通に話せていたっておかしくない。それなのに君はいつも突然の出会いに驚いて目を丸くして俺に釘付けになっていた。見えていたはずなのに。
 俺が何かを聞きたいから君に近付いたわけでもないし、君も、俺に近付こうと思って近付いたわけじゃないんじゃないか? 結果的に予言はしたけど、君から狙って近付いたわけでもないんじゃないのか?
 君は一体、なんなんだ?


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