「私好きな人がいるんです」
「……へえ」
ついさっきまで普通に放課後のおしゃべりに興じてた相手が唐突に敬語で話しだしてさぞ気味悪いことでしょう。そして知り合ってから今の今まで色恋沙汰に全く触れなかった私がそういう話題を持ち出したのも不思議でたまらないんでしょう。でももうこれしかなかった。私の持ち得る知識で出た答えはこれしかなかった。
「キスマークちょっとつけてくれないですか」
「は?」
そりゃ、は?でしょうとも。は?でしかないですよね。わかる。でも私の言い分も聞いてほしい。お願いだからアホの子を見るような目で……いやそれくらいならまだ優しい。軽蔑しきったようなそんな冷たい目で見ないでください。五条くんとても美人さんなんだからそんな目で見られると泣いちゃう。
「とりあえず聞いてほしい。私には好きな人がいる」
「それはわかった。で、誰?」
「いやそこは突っ込まないでほしい。いつか教えるから」
「……続きをどうぞ?」
呆れながらもため息をついて先を促してくれる姿もとても様になる。相変わらず綺麗な青い目だな。まつ毛もばしばしで綺麗だな。なんて一瞬思考が逸れてしまう。
「好きな人がいるんだけど、でも好きな人に好きって言うつもりは一生ないし、寧ろその人にそういう意味で好きじゃないですよ、っていうポーズをとりたいの」
「……意味がわからないんだけど」
「好きな人に好きってことがバレそうで、バレたら今の関係も崩れそうで嫌で、だから私には他にそういうことをする相手がいるんですよ、私には特定の人がいるのであなたを恋愛対象に見る予定はないですよ安心してください、っていうのをキスマークをつけることで察してもらいたいんですよね。……わかる?」
「意味がわからない」
「……そっか」
まあでもこれはそもそも断られるのも想定内。断られたとしても穴のない計画、のはず。なぜならその好きな人というのが五条くんだから。まさか好きな人本人に好きな人がいるから協力してほしいだなんて頼む人がいるとは思わないだろう。だからつまりこれはこの話が五条くん相手にできた時点でクリアできる案件。この話を五条くんにした時点で五条くんは私の好きな人が自分以外の誰かだと勝手に思い込んでくれる。まあキスマークつけてもらえたら一生の思い出にできるなあなんて付加価値程度の計画だったので協力内容はなんでもよかった。恋人のフリをしてくれ、は私が照れてしまって絶対に恋心がバレてしまうから却下。あとたぶんそんな長期的な協力はこの五条くんがするわけがないので。いくら友達として良い関係を築けているなと自負していてもさすがにそんな面倒なことを長期的に付き合ってくれるレベルで仲が良いわけではない。だから一瞬で終わること。でも少し触れ合えること。そう考えてのキスマークをつけてほしいという依頼だった。まあその一瞬すらも跳ね除けられる程度の友情だったことが判明して今ちょっと傷付いてるけど、友情はまだまだこれから築けば良い話だし。築けるし。築けるもん。
「キスマつければいいの?」
「えっ協力してくれるの?」
「……意味わかんないけどまあそんくらいなら付き合ってやるよ」
「ありがとう! ここらへんにちゅってしてくれると助かります!」
はーーーあ、と物凄い大きなため息をついた五条くんとは裏腹に私の声は喜びに上擦る。だって嬉しい。嘘でも、愛がなくても、一度だけでも五条くんの唇が私に触れる。諦めなくちゃいけないけど、ずっとそばにいたいから友達を続けたいけど、ずっと夢見てた五条くんの唇が、私に。
そう思うと面倒そうなため息も、呆れたような目も、なにも恥ずかしくない。嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。五条くんの気が変わらないうちにと慌ててうなじを隠していた髪の毛を全部左端によせて首元をあらわにして、ここ、と指差した。
椅子から立ち上がって私に近付く五条くんを視界に入れるより早く私の肩を掴んで私の体に影が落ちる。えっ、はや。ちょっと待ってまだちゃんと綺麗に髪の毛よせれてないかもしれないのに。ぐ、と痛いほど両肩を掴まれて、いつの間にか私の顔の横に五条くんの綺麗な顔がある。ちかい。顔がきれい。顔がちっちゃい。
髪を寄せたせいで首筋に直接かかる息に、私の呼吸は止まりそう。
「ここ?」
「えっともう適当に見えなさそうで見えるような場所につけていただけると見てもらえるだろうし」
耳元で話されたせいで何言ってるのか自分でもわからなくなってきた。ここ?と聞かれた場所がどこを指してるのかもわからない。とりあえずちゅっと軽くしていただけると。
ふに。
「ふ」
あまりにも可愛らしい感触に空気が漏れ出てしまった。何今の柔らかい感触。五条くんの唇か。なるほど。うるつやですね。リップは何を使ってるんでしょうか天然物ですか羨ましい。あまりの衝撃に思考回路が本格的におかしくなってしまった。
「……悪い、失敗した」
「失敗とかあるの? ついてない?」
「吸うの忘れた」
「……そっか」
それただのキスでは?
驚きすぎて逆に冷静に頷けてしまった。よかった。変なとこで好意がバレてしまうとこだった。完璧人間が失敗なんてするとは思わないじゃん。よし、次こそはお願いします。なんて気合いを入れて待つ。五条くんがずっと近いのさすがに緊張するのでちゅっとして早く離れてほしい。
「……本当につけていいのかよ」
「ひとおもいにどうぞ」
「……わかった」
ふに、とまた柔らかな唇が首筋にくっついてぎゅ、と目を閉じる。だけどさっきとは違って生暖かい空気が肌越しに伝わる。瞬間、ちろり、と首筋を舐められてびくっと体を揺らしてしまった。幸いにも五条くんが肩を掴んでくれてるので逃げ腰になることはなかったけど、ばくばくと心臓が跳ねる。
「ひ、ぅ」
ちろ、と肌を湿らされて、ちぅ、と可愛らしい音が聞こえた気がした。唇がはなれて、はぁ、とため息をつかれてしまってそのため息が肌にかかってまたぴくりと体が揺れる。え、えっちだ。キスマークをつけてもらっただけなのに、えっちだ。
肩から手が離れてゆっくり目を開ける。目の前にもう五条くんは立っていなくて、すでに椅子に座っている姿に何度か目を瞬く。えっ、つけてもらったよね。今一瞬5分ほど寝てて見た夢じゃないよね、なんて焦って首元に手を当てる。
慌てて鏡を取り出して確認すれば確かに誰が見ても疑いようもないキスマークが首筋についていてほっとした。
「ありがとう」
「どーーーいたしまして」
面倒そうに手をひらひらとふってお礼を受け取ってくれる五条くんに頬が緩む。
「……なんで好きなやつに好きだってことバレちゃ駄目なわけ?」
「……今の関係が心地いいから。弱虫なの、私」
「わかる」
「失礼な」
わかる、と頷かれて思わず笑いながら突っ込む。そりゃ五条くんからしたら大抵の人はみんな弱虫でしょうよ。
────五条side
「私好きな人がいるんです」
「……へえ」
脈絡も何もなく、本当に唐突に他人行儀に言われた言葉に動揺してなかっただろうか。誰そいつ知らないんだけど、と殺気を飛ばしてなかっただろうか。あまりの殺気に雑魚をうっかり祓ってしまっていなかっただろうか。不安に思うことはいくつかあったけど、目の前に座る彼女が驚いたり怖がったりした素振りを見せなかったから素知らぬ顔で相槌を打てたんだと思う。
「キスマークちょっとつけてくれないですか」
「は?」
は?
心の声と現実の声が同じ音を発するくらい動揺が表に出てしまった。意味がわからない。一瞬現実逃避でもして間の会話が抜け落ちでもしたんだろうか。いや違う。コイツが突拍子なさすぎるだけだ。意味がわからない。思い切り素が出てしまったけどこの反応が正しいことを言った自覚はあるらしい。
「とりあえず聞いてほしい。私には好きな人がいる」
「それはわかった。で、誰?」
「いやそこは突っ込まないでほしい。いつか教えるから」
「……続きをどうぞ?」
自然に聞けたはずだけど、自然すぎて流されてしまった。いやそこ一番重要なとこだと思うけど。いつかっていつだよ。でもあまりごねるとじゃあこの話はもうおしまいと言われてしまいそうで先を促す。
「好きな人がいるんだけど、でも好きな人に好きって言うつもりは一生ないし、寧ろその人にそういう意味で好きじゃないですよ、っていうポーズをとりたいの」
「……意味がわからないんだけど」
ごねたらこの話は終わりと終いにされそうな焦りよりも意味のわからなさに突っ込みをいれたい気持ちの方が勝ってしまった。だって意味がわからない。
「好きな人に好きってことがバレそうで、バレたら今の関係も崩れそうで嫌で、だから私には他にそういうことをする相手がいるんですよ、私には特定の人がいるのであなたを恋愛対象に見る予定はないですよ安心してください、っていうのをキスマークをつけることで察してもらいたいんですよね。……わかる?」
「意味がわからない」
心の中でも思った同じことを再度繰り返す。何度でも繰り返す。意味がわからない。オマエの好意を知ったらウザがるような男、こっちから願い下げだよって見切りをつければいいのに。どうしてオマエの好意を知ったらウザがるかもしれない男を安心させるためだけにオマエが変なことをしなきゃいけないんだ。
「……そっか」
悲しそうなその声にきゅ、と心臓が掴まれる。意味がわからないけどオマエにとっては藁にも縋る気持ちで俺を頼って、……俺がここで突っぱねたら俺以外を頼るかもしれない? キスマークをつけてくれと? 俺以外に?
そんなのは駄目だ。
「キスマつければいいの?」
だから慌てて口にした。ごめんね、他の人に頼むね、なんて言われる前に。
「えっ協力してくれるの?」
俺が協力しなきゃオマエ、誰に頼みに行くの。他の男にそんなこと頼みに行かせるわけがない。
「……意味わかんないけどまあそんくらいなら付き合ってやるよ」
「ありがとう! ここらへんにちゅってしてくれると助かります!」
嬉しそうに破顔して普段は隠れているうなじごと首を差し出されて、その綺麗な首が憎らしくてこのままこの無防備な首を絞めてやろうかなんて考えがよぎる。しないけど。しないけど、なんだよその言い方。そんな、作業的な言い方しなくたっていいだろ。仮にもこの顔が、この、きゃあきゃあ言われるこの顔にキスマークつけてもらうんだぞ少しは照れたりなんだりしろよ。ムカつきながらもその首筋に吸い寄せられるように一瞬で側に立って肩を掴んだやる気満々の俺が馬鹿みたいだろ。好きな女のこんなお願いを聞く俺は馬鹿みたいじゃなくて馬鹿そのものなんだけど。
「ここ?」
「えっともう適当に見えなさそうで見えるような場所につけていただけると見てもらえるだろうし」
ぐ、と顔を寄せて、だけど勇気が足りなくて思わず口を開いた。のに返ってきた答えは適当で良い、ああムカつく。本当ムカつく。
バレないように深呼吸して、首筋に唇を寄せた。
ふに、なんて柔らかい肉の感触に固まる。
「ふ」
くすぐったかったのか漏れた声に今度こそ動揺して唇を離してしまった。
「……悪い、失敗した」
慌てて謝る。終わったものと思われて距離を離されても困る。
「失敗とかあるの? ついてない?」
「吸うの忘れた」
「……そっか」
呆れたような声に唇を噛み締める。そうだよな。オマエはただキスマークをつけてほしいだけなのに、好意もない男にただキスされた状態になったもんな。呆れるのも仕方ない。でもそんなの、好意を寄せてる男を安心させるためだけに、知らなかったとはいえ自分に好意がある男にキスマークつけてほしいだなんて馬鹿な願い事をするオマエよりはよっぽどまともだ。俺がオマエを好きで大事に思っていなかったらこのまま押し倒してる。俺に頼まず他の男に頼んでいたら、クズが据え膳とばかりにキスマーク以上のことをしでかしていたかもしれない。そんな馬鹿な願い事をしでかすオマエにだけは呆れられたくない。
「……本当につけていいのかよ」
「ひとおもいにどうぞ」
「……わかった」
最終確認はすぐに肯定されてしまった。
もう一度唇を寄せて、またバレないように深呼吸する。ほんの少しだけだからと誘惑に負けて肌を味わってしまった。それがいけなかった。
「ひ、ぅ」
甘ったるい声がすぐそばで聴こえてぐわんと脳を揺さぶられる。駄目だ。これは駄目だ。すぐに唇を窄めて本来の目的を終わらせる。なんだ今の声。なんだ。ただ少し舐めただけだ。そういうことをしたわけじゃない。
慌てて逃げるように離れて元の場所に座る。ぐわんぐわんと脳が揺さぶられるまま視界も揺れる。そんな視界になってるのを知らない原因が鏡を取り出して満足そうに微笑む姿にイラついて、ぐわんぐわんとした揺さぶりが霧散した。首筋に赤く滲んだ痕は俺が付けて、それを満足そうに見つめている。
「ありがとう」
「どーーーいたしまして」
鏡から俺に視線がうつされて、それでもまだ満足そうに笑う姿がムカついて仕方がない。お世辞にも愛想がいいとはいえない不貞腐れた返事をこっちを見るなと言わんばかりに手を振りながら返した。
「……なんで好きなやつに好きだってことバレちゃ駄目なわけ?」
素直にまた鏡で満足そうに見つめる姿に疑問を口にする。もう依頼は済んだから、深く追及してやっぱ頼むのやめた、なんて言われる心配もない。好きなやつを聞くのは無理でもそれくらいは追加報酬として聞いてもいいだろ。
「……今の関係が心地いいから。弱虫なの、私」
「わかる」
返ってきた言葉につい全力で頷いてしまった。俺も俺がこんなに弱虫だって知らなかった。最強だと思ってたよ。オマエに出会うまで。オマエの一挙一動に振り回されるまで。関係を壊したくない気持ちが痛いほどよくわかった。
「失礼な」
オマエに同意したけどオマエを弱虫だって言ったわけじゃない。弱虫だから関係を壊したくない気持ちにわかると言っただけだ。
意味がわからなくても好きなやつのために行動を起こしたオマエは、俺よりは確実に強いんだから。
2020/12/05