「先生、……あ、ごめんなさい」

 集めた課題を提出しようと榊先生に声をかけて失敗したと悟る。壁で遮られて見えなかったのか、先生は誰かと話している途中で、慌てて謝る。その相手は男子で、男子なのにとても綺麗な整った顔をしていて何となく萎縮しつつも胸に抱えた課題を持ったまま、話が終わるのを待つ。誰かに聞かれたくない話ならそもそも先生が用事を言伝てたりしないだろうし、場所もかえるだろう。それでもやっぱり人の用事の盗み聞きはなんだか失礼な気がして、少し距離をおいて壁にもたれかかって待機することにした。
 ぼーっと、首だけを窓の外に向けて飛行機を目で追っていたら急に軽くなった荷物に先生が来てくれたのかと顔をあげた、ら、さっきの男子で目を瞬かせる。そしてその隣に先生もたっていて首をかしげる。……ああ、お手伝いのお手伝いかと有り難く思いながら、頭を下げた。

「ありがとう」
「いや、」
「先生、全員分は集まりませんでした。持ってきてない人もいて」
「そうか。まあ、期日は明日までだから大丈夫だ」

 じゃあなんで今日集めさせたのと口にしそうになったけど慌てて噤んだ。たぶん、先生のことだからなにかあるんだろう。たぶん。……時々先生は意味のないことをするから。今日は振り回される日だったんだろうか。それでもわたしは少し浮世離れした榊先生が好きでまるでアヒルの子供のようにあとをついていく。
 今日は見目麗しい兄弟もいるんだぞと内心鼻を高くして音楽準備室へと向かった。

「……あなたも、音楽委員なの?」
「いや、俺は」
「ついたぞ、入りなさい」

 はーいと返事をしてから遮られた言葉を聞こうと彼に視線を向ける、けれどどこか難しそうな表情で榊先生の背中を見つめていたから黙ってその後についていくことにした。






 準備室の机に課題を置いて、わたしはいつものように図々しく椅子に座る。

「先生、今日は弾いてくれますか」

 そしてまたいつものように報われないことの方が多い願望を投げ掛けて、今日はいつもとは違ってもう一人いるのを忘れていて固まる。なんとなくこの学校では先生との距離が遠く、みんな話しかけないから。この行為は異端だと思われただろうか。

「相変わらず物好きだな。ああ……、跡部に弾いてもらえばどうだ。跡部が許可したら、だが」

 だけどそんなこと気にもせず、もう一人の生徒、もとい跡部くんに話しかけた辺り、先生は跡部くんと仲がいいのだろうか。恐る恐る跡部くんを見ると、何やら慌てた雰囲気で先生を咎めていて口を挟む。

「先生、わたし以外にも話す人がいたんですね」

 つい、ピアノとは関係のない、それも大分と失礼になる言葉をはいてしまって慌てて誤魔化すようにへらりと笑った。だけど先生は気にしていないのか小さく笑って跡部くんに視線を投げ掛けていて首をかしげる。

「私はテニス部の顧問もしているからな」
「テニス、できるの?ピアノ弾くのに?」

 驚いてつい敬語がなくなったけれどそれどころじゃない。不躾なのは承知で立ち上がって先生の手をとって見てみればなるほど確かに豆が所々にある。

「先生、文武両道なんですね、すごい」
「そこの跡部もそうだ」

 跡部くんとやらに視線を向けるとどこか戸惑った表情。なぜか先生が見せてやればどうだ、と唆すから跡部くんは両手をわたしに差し出してくれた。きれいな顔からは想像できない努力家の手で、感心する。

「ピアノ、弾けるの?」
「あ、ああ」
「先生に習ったの?」
「いや、家で、」
「勉強も得意なの?」
「いや、ああ、まあ、得意、……それなりにできるが」
「すごいね先生! 先生よりすごいかもしれない」

 手を掴んだまま背後の先生を振り返ればどこかおかしそうな表情で見ていて更に言葉を重ねる。

「先生は学生のとき勉強も得意だった?」
「いや、跡部ほどではないな」
「跡部くんの勝ち?」
「音楽だけなら私の勝ちかもしれないが、トータルならば跡部の勝ちだな」
「先生の御墨付きだ、すごいね跡部くん!」
「あ、いや、」






──────────

「監督!」

 なぜか私を慕ってくれている子が出ていったあと、残った跡部に詰め寄られるのを軽く流して椅子に座る。怒ったような、微妙な表情で私を見る跡部に喉を鳴らして笑う。部活や生徒会での跡部とは全く違う姿が愉快でたまらない。

「なぜ、あんな、」
「話せたのだから良いだろう」

 顔全体が赤くなるわけではないが、髪に隠れた耳が赤くなっているのが見えて、それに今度こそ我慢できずに声をあげて笑う。青春だな。

「だ、べ、別に俺は、」
「似合いだと思うぞ。向こうは全く意識してないが」

 付け足した言葉に眉を潜めたりする姿はどこにでもいる中学生にしか見えない。普段のポーカーフェイスはどこへ行ったのやら。だが、似合いだと思ったのは本心からだ。それは言葉には出さないが。

「……別に、そんなんじゃない、です」
「ほう。……お前も、中学生だったのだな」

 は?と憮然とした表情を見せる跡部だが、そう思うほどに普段の跡部は老成している。たまに、無意識のうちに大人扱いをしていて、中学生の対応に戻すのが大変だったりするくらいには成熟だ。だからか、どこからどう見ても中学生な今の跡部は教え子としてとてもかわいく、見守りがいがある。まあ同じくらいからかいがいもあるが。

「あの子はなぜか私のピアノを気に入ってくれていてな。と、いうより、なにかしら秀でた能力を持っているものに懐くらしい。……だから私よりお前の方に懐くかもしれんな」
「は、」
「先生よりすごい、と感動していただろう。良かったな」

 含み笑いをこぼせば、だからそれは、とどうにか誤魔化そうとする姿に頬がだらしなく緩みそうになった。
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