「お兄さんお兄さんお兄さん!!」
「アア?」
猫をかぶっていない今はもう大抵の女はこの不機嫌な顔と、この威圧的な声と、この体格、主に鉤爪を見ては一目散に逃げていく。なのにこの女には全くそれが通用しない。というより、おれのことを見ていない。女の視線は驚くほどに一点に集中していた。
「その宝石、どこの島のものですか?!」
おれの指に収まる宝石にしか目がいっていない恐れ知らずの女に思わず鼻で笑った。
「知らねェ」
「エッ困ります一目惚れしたんです」
にこにこ表向きの顔を作っていた時は何度も受けていた言葉はおれに向かっていなくて、宝石に一生懸命告白をする女に喉を鳴らす。この女、一度もおれを見上げやしない。
「海賊がご丁寧に店で物を買うと思ってるのか」
「エッ」
きらきら輝く瞳が絶望に伏す瞬間を見てみたくなって思わずのたまう。瞬間、驚いたように跳ねてばちりと目が合った。のに、きらきら輝く瞳が澱むことはなく、想像からかけ離れたその目にけしかけたおれが思わず戸惑ってしまいそうになる。
「……じゃああの、非売品ですか」
「さてな。そもそもいつから手元にあったのかすら覚えてねェ」
「あのう、じゃああのう、……くださいって言えばくれますか?」
「はあ?」
今度こそ戸惑ってしまった。なんだこの女。
「一目惚れなんです。その色。本当に欲しいんです。でもお兄さんはそんなに執着してないならくださいませんか」
「……海賊にモノをねだる女がいるとは驚きだ」
「ダメ元でも行動はしてみないと」
また視線が宝石に落ちて眉間に皺が寄る。変な女だ。海賊の機嫌ひとつで殺されるかもしれねえのに。女にとって死ぬほどつらい目にあう可能性だってある。それなのに、こんな石ころ一つのためにおれに近付いてきた。おもしろくて、憐れな女だ。
「……おれがこれを贈って、なにか得することはあるか?」
「ないです。……お金、多分全財産持ってきても、海賊様のお気に召す金額にはならないと思います」
「わかってんじゃねェか」
そもそも海賊に金なんて必要ねえ。奪えば良いだけだ。
「……ううう」
「クハハ、まあ久しぶりに笑わせてもらった礼だ。やる」
「エッ」
鉤爪に引っ掛けて指輪を抜き取って投げる。慌てながらもきちんと獲物を手中におさめた女に喉を鳴らした。恐る恐る手を開いて自分の手におさまった宝石を穴が開くほど見つめる姿はさっきの言葉通り愉快だ。気分が良い。略奪者の海賊が施しをするなんて。それも、あの時のように何かを企むための前段階でもなんでもなく、ただ気分が良かったから、それだけの理由で。
「きれい」
恐る恐るながらもつまんで、陽の光に照らしてうっとりとつぶやく姿を見て更に気分が良くなる。慈善活動をしたいわけじゃない。そんなもの、反吐が出る。ただの変な女の愉快な行動に対する駄賃だ。それだけだ。
「お兄さん、本当にくれるんですか? いいんですか? 本当に?」
「そんなみみっちい嘘なんざつかねェ」
おまえを騙したところで国がとれるわけでもないだろう、は口の中に押し込んだ。
「ありがとうございます! 海賊なのに良い人ですね!」
「……てめェのそういうところが面白いからソレをくれてやったが、そういうところを直さねェとそのうち死ぬぞ」
余計な一言を付け足した女に呆れて見下ろす。善意のみだったのは理解できる。でも他の、頭の回らない海賊相手にそれを言えばどうなるかは想像に難くない。馬鹿にしてるのかと頭に血が登る馬鹿ばかりだろう。
それを理解しない女は首を捻りつつも宝石をくれたおれに頭が上がらないのかこくこくと頷いて理解を示そうとしていて余計に呆れる。わかってねえのに頷くな。そのうち死ぬぞ。宝石に一目惚れはそいつだけにしとくんだな、と女の手に収まる宝石を見下ろしてため息をつく。
「用は済んだろう」
「はい! 本当にありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
にっこり破顔して大事に大事にまた手の中に指輪を包み込んできれいな直角で頭を下げた女を見下ろす。もう行け、と思ったのが伝わったのかもう一度頭を下げて背中を見せる姿を眺めた。
嬉しさからなのか楽しげに早足に家に向かう後ろ姿に不自然に釣られる背中を見つけてタバコの煙を吐いた。
「よお姉ちゃん、良いもん持ってんじゃん」
さらりと足が砂に溶けたおれを見た何人かが小さな悲鳴をあげるのを無視して女を追う男を追って想像通りの図に呆れてため息も出ない。気分によっては穏便なおれとは違って明らかに機嫌も良くなさそうで馬鹿そうな男に囲まれているんだからすぐにでもその手元にある宝石を渡せばいいのに、握り潰す勢いで大事に抱える姿に目を細める。一目惚れだからと言って命を落とす価値はないだろう。まあおれに声をかけてきた時点で一度命を落としたようなもので、ただただおれの機嫌が良かったから死ななかっただけの運の良さだったわけで、だからこそ面白くてくれてやったんだが。
その運はおれで使い果たしただろうが。本当に馬鹿で憐れで、変な女だ。
「ソレはそいつが面白かったからくれてやったモノだ。なんで面白くもなんともねェてめェらに横流しされちゃァ困るな」
「あ?」
男どもの目がギョッと見開く。それはそうだろう。おれからは取れないからと女に向かう馬鹿どもだ。本人登場で顔面蒼白になるのもわかる。ただそんな度胸でどうしてその宝石を手に入れようとした。度胸だけならてめェらより、てめェらが今囲っているその女の方がある。無謀にも直接おれに声をかけてきたんだからな。てめェらにもその度胸と気概があればせめて船に乗せてやるくらいの褒美はやれたのに。愚かな連中だ。
「砂嵐」
呟いて男どもへ小さな砂嵐を向かわせた。ただのチンピラどもは成す術もなく風に身を攫われ彼方へ飛んでいく。それを呆然と見上げる女に呆れてため息をついた。
「飛んでった……」
「返品するなら受け付けてるが?」
「エッやっやっぱり綺麗ですもんね惜しくなりましたよねそりゃそうですよねごめんなさい」
囲まれていた時にも怯えた表情は浮かべていたが涙は浮かべていなかったくせに、見当違いな勘違いをしている今は涙目になって指輪を返そうとする姿に呆れる。
「た、助けてくれてありがとうございました。少しでも素敵なものを身につけられて嬉しかったです」
「……勘違いするな、それを持ってると今みたいに変な輩に目をつけられるだろうが」
「アッそういうことならその、大丈夫です。死ぬときはこの子と一緒がいいってくらい、一目惚れしちゃったので……」
エッじゃあやっぱりもらったままでいいんですかいや返したほうがいいですよねアッでもそのせめて写真を、と喚く女に思わず久方振りに大声を出して笑ってしまう。
「ク、クハハ……!!」
なんだこの女、本当に変な女だ。げらげらと笑い続けているおれを心配そうに見上げているところも変だ。
「……っはー……」
「あの大丈夫ですか? その、結局どうすれば、」
喉が引き攣るほど笑ってしまって息を吐く。
なおも伺いを立てる女は本当に、本当に、本当に馬鹿で憐れで、変な女だ。伺いを立てずに逃げるべきだった。海軍に助けを求めるべきだった。海賊と、接点を作るべきじゃなかった。
「ソレはやる。さっきまでは欲しいものはなかったが、面白いものを見つけた海賊のやることはひとつだろう?」
「え」
「欲しいものは奪うだけだ」
砂を巻き起こして女を浮かせた。さすがに恐怖に顔を歪ませるかと思ったのに、ウワワワワとアンバランスな砂に慌てながらも死ぬときは一緒とのたまった宝石を落とさないように抱え込む姿でまた呆れる。本当に馬鹿だ。あのチンピラどもよりおれの方がヤバい男だということを知らないから呑気なだけなんだろうか。指輪をくれる親切な男だとそう思い込んでいるから砂で包まれながらワアすごいとほうけていられるんだろうか。
周りを見てみろ、誘拐だ拉致だと海軍に連絡だと喚いて距離を取られているのがわからないんだろうか。
本当に馬鹿で憐れで、変な女だ。
2021/03/25