「立てるか?」
心配そうにおろおろと私を見あげるトナカイさんに微笑む。私を安心させようと笑みを返してくれるトナカイさんの優しさに頷いて、壁に手をつきながら一歩進んだ。くらり、と一瞬眩暈がしたけど気のせいにする。下でおろおろしてる可愛いトナカイさんにこれ以上の心配はかけたくない。
「大丈夫」
「リハビリだけどな、無理しちゃだめなんだぞ、大丈夫じゃないときはちゃんと大丈夫じゃないって言ってくれよ?」
「ふふ、……これが演技で扉を開けた瞬間元気に脱走するかもしれないのに?」
「うぐぐ、……それならそれで、元気になってよかったなって思うけど! でも演技はできても数値は騙せないから元気じゃねェ! 逃げたくても今はまだ逃げちゃだめだ! 元気になってからにしろよ!」
ふ、と笑って傷口が痛む。歩けるようになっても足も手も縛らないこのお医者さんは優しいが過ぎてついからかってしまいたくなる。私を先導して扉を開いてくれた瞬間、明るい髪の毛を持つ女の子が目の前に現れて目を見開く。向こうも驚いたのか一瞬驚いたように目を丸くしていたけれどすぐにどこか呆れ顔になってその視線にたじろぐ。
「あんたもう歩いて大丈夫なの? 死にかけてたってのに元気ねえ……」
壁についていた手を優しく取られて固まる。
「なぁに? せっかく私が介護してあげようってのにイヤだっての? 本当なら金取るのよ金」
「え、……あ、」
つっけんどんな言葉と違って本当に優しくエスコートしてくれたその女の子に何も言葉が浮かばずにただされるがままについていく。驚きすぎて、眩暈も痛みも感じなくなってしまった。
とん、と一歩扉の外に出れば甲板の上で、青い空と青い海、そして個性豊かな麦わらの一味がそこかしこで自由に過ごしていて気不味くて視線を落とす。
「チョッパー? この子どうすればいいの?」
「癒着予防にほんの少し散歩してもらおうと思っただけだよ。おねえさん、無理はだめだからな? ちょっとずつでいいから」
「わかった! じゃあ女だけの特等席に案内してあげる」
私に話しかけているようでいて当事者の私を置いてふたりで完結している会話に戸惑う。
「すぐそこだけど、痛かったら言うのよ。私は抱っことかできないからね」
返事をしない無愛想な私を気にも止めずにあっちよ、と指を指されて視線を向ける。
優しすぎる空間に眩暈がしそうになった。リゾートのようにパラソルの休息地があって、そこへ案内される途中ガイコツが動いた上に話しかけてきて気絶しそうになるのを女の子には笑われ、ガイコツ本人には申し訳なさそうにされ、こちらこそ頭を下げた。起きれたのか良かったな、とそこかしこから声が聞こえて優しすぎる空間に涙が出そうになる。
そっと手を離されてベンチにそっと座らせて貰ってしまって恐る恐るお礼を紡ぐとにっこり笑われて目を伏せた。だめだ。ここは優しすぎる。
「ちょっと待ってて、サンジくんに飲み物もらってくる」
甲斐甲斐しくお世話をしてくれる女の子に待ってと言おうとしたのに一瞬で離れられてしまって、ぽつん、とベンチに一人。ほんの少しの散歩がどれほどの距離のことを言うのかわからなくて困る。驚きと戸惑いで痛みも飛んでいってしまって痛みで判断しようにも判断がつかない。全然痛くも痒くもなかったから、少しは痛いと思うほど歩いた方がいいんじゃないだろうか。わからない。優しさに溢れるこの船は、身の置き場がなくて困ってしまう。逃げようにもここは海の上で、優しさからも逃げられなくて唇を噛んだ。
ちり、と首筋が焼ける感覚がして視線を向けた。緑色の頭をした、海賊狩りの海賊が私を真っ直ぐ貫きながら人間が持ったらだめだろうと思うほどの器具を上げ下げしていて思わずホッと気が緩んだ。殺気を向けられて気が緩むのはおかしいのかもしれない。だけど、ようやく呼吸ができた気がした。これが正常。あれが正しい。あの人は優しい船の人たちを訳の分からない客人を見張ることで守っている。よかった、ちゃんと、敵として見てくれている。よかった。私はこの船の人たちの、敵。
────────sideロビン
「ゾロを見て安心したでしょう、あの子」
「ああ?」
休むことなく汗をかいて鍛錬をしている背中に語りかける。こうやって、私が背後から話しかけても殺気を飛ばさなくなった。そのまま話し続けてくれるようになった。仲間として、受け入れてもらえた。未だにこうして色々なことでふと噛み締めていることを仲間たちは知らない。仲間たちと呼べることに胸がくすぐったいことも、知らない。
だからこそきっと、彼女の気持ちは私が一番わかる。
この優しい船の上で、異物が混ざり込んでしまっているのに受け入れてくれる優しい人たちばかりで罪悪感に苛まれて、そして、その罪悪感を殺してくれるゾロに、安堵する。
少しでも妙なことをしてみろ、そんな空気をちらつかせるゾロに、とても安堵した。誰も私を責めない。それどころか優しくしてくる。そんな中でただひとり、正常な反応を向けてくれて安堵する。ああ、私は敵なんだ。仲間じゃない。招かれざる客人だ。認識が合ってることにホッとする。
あの子の表情は、あの時、私が浮かべた表情ときっとそっくりだった。
「私もはじめて船に乗った時あなたと目が合ってとても安心したもの。この、優しすぎる人たちに囲まれて腑抜けてしまいそうになる心を殺してくれる、殺気に」
「……」
「だけどその殺気も今思うと私にとっては優しさだった。だって安心しちゃってるんですもの。結局はこの船の人たちはみんな優しくて、だからこそ、つらいのよ」
「あいつとてめェじゃ、ちげェだろ」
ぼそりと呟かれた言葉にまた胸がくすぐったくなる。今では私も優しい船の人側。私が実際あの子に優しくできているかは別として、ゾロの中では私はもう、とっくに一員。あの子があの時の私と同じ気持ちならこんなほわほわした気持ちで和んでいるのは不謹慎だと思うけれど、でもきっと、あの子も近いうちにこちら側に来る。だってサンジが、あのサンジがもうきっと離す気などない。その気持ちが責任感、義務、どこからきているのかはわからないけれど、きっともう離す気などかけらもない。それがあの子にとって嬉しいことなのか、悲しいことになるのかはわからないけれど、結局私は海賊に染まっていて、この船の人たちが幸せに笑ってくれればそれでいい。私のために世界を敵に回してくれた人の幸せを願うのは当然で、だけど不幸な結末にはならないのはわかる。だってみんなで進めばいつも最後はみんなで笑って宴をしている。
次の宴はきっと、あの子も一緒。
「あなたのその視線は殺気だけど、だけど結局それが私たちには心地が良くて、ゾロが一番優しいのね」
「ちっ……勝手に言ってろ」
────────
「歩けるくらいには回復したのね、良かったわ」
放置されて気不味く身を縮こませている私に声をかけてきたニコ・ロビンに肩を揺らした。どうも、と見舞いにお礼を言うのもなんだかおかしな気がしてぺこりと頭を下げるだけにとどめる。
「あの剣士さんのことは気にしないで。そのうちくすぐったくなるから」
ぴりぴりと首筋を焼く殺気がどうしたらくすぐったくなるのかはわからないから曖昧に微笑む。というか、気にしないでも何も、あれが正しい反応だから別に構わないのに。
「サンジと話はできたかしら」
「話、」
話自体は目が覚めてから何度かしている。だけどきっと、この人が言う「話」とは違うのだけはわかって口籠る。
「まあ自分の身を投げ打ってしまう人同士じゃ話は進まないのは察していたけれど」
「……」
「あら、これは私も耳が痛い話だったわ。うふふ」
楽しげに笑う姿に眉を顰めそうになる。なんの話をしているのか、わからない。
「この船に乗ってる人は、自分を傷付けて庇われても喜ぶ人はいなくて怒る人たちばかり、ということよ」
「おねえさまのお仕置きタイムだった?」
ひょこ、とニコ・ロビンの背中から頭を覗かせた明るい人にぎょっとしてしまう。
「いいえ。私にはそれをする資格はないもの。ただ少し、ヒントをあげようと思って」
「やっさし〜」
「うふふ、タダで給仕をしてあげてるナミにはかなわないわ」
「べっ、べつに、別にそういうんじゃないわよ」
ふんっ、と憤りながら私の胸元に綺麗な色をした飲み物の入ったグラスを押しつけてきて反射的に受け取ってしまう。
「今から意地悪するもの」
受け取ったもののどうすればいいのか、飲めばいいのはわかってるけれど気持ち的にそう簡単に口をつけることができなくて思わず顔を上げる。さっきまで狼狽していたのに、んふ、と悪戯げに含み笑う姿に瞬きを繰り返す。隣でニコ・ロビンが困ったように肩をすくめるのを見て首を傾げそうになった。
「サーーーンジくーーーん! もうひとつ追加よろしく!」
途端に叫ばれた名前に固まる。思わず腰を浮かそうとしたのにベンチからお尻が離れなくてどうしてと見下げれば綺麗な手がいくつもベンチから咲いていて私の体を柔く拘束していてヒュッと喉がなった。
「だめよ、逃げちゃ」
「おねえさまがそれ言う〜?」
「あら手厳しい」
「了解ですンナミすわぁーん! ……っと、」
竜巻のように現れた黒足と視線がばっちりと絡み合って固まる。初めて会った時のようにふざけているほどくだけた言動が、私と目が合った瞬間影を潜めたのがちくりと胸を刺す。あんなに明るかった黒足に影を落とすようなことをしてごめんなさい、あなたたちの優しい人を傷付けてごめんなさい。そう言いたいのに何も言えなくて、なのに視線も落とせなくて固まったまま。
「ええと、ロビンちゃんの分、でいいのかな? てっきりおかわりかと思って同じものを注いだんだけど」
「ええ、私もいただきたいわ」
「よかった。どうぞ。女神達のいる花園に混ざれて嬉しいんだけど、邪魔はしたくないからさ、……ひとつだけ、聞いてもいいかな」
びく、と肩が震えてしまったけど、私が何かを言える立場でもなく顎を引く。
「口に合った?」
それ、と飲み物を指差されて戸惑う。そんなことを聞かれるとは思わなかった。だって、もっと聞くべきことはたくさんあるはずで。なのに、優しく優しく落とされた言葉はそれで、さっきまでなんとも思わなかった怪我がまたじぐじぐと痛み出す。
「ま、だ、……飲んでなくて」
「……そっか。ええと、じゃあ、飲んだらまた感想教えてくれると嬉しい」
それじゃあおれは料理の仕込みしてくるから、と背中を向けた黒足に訳もわからず焦ってしまう。行ってしまうわよ、耳元で(本当に耳元で)(なのにニコ・ロビンは少し距離のある場所に立っているからさっきの手のように耳元に口が生えたんだろうか)囁かれて余計に焦ってしまう。どうすればいいのかわからなくて、だけど体は動いて、ちう、とストローを吸い込んだ。
「おいしい……!」
伝えたくて、だけど本当に美味しすぎて声が掠れて小さくなってしまった。だけどもう一度口を開く勇気がなくて、口を閉ざしてしまったのにあの小さな声が届いたのか、真っ黒な背中がくるりと反転して綺麗な笑顔が私を貫く。
「レディのお口に合ったなら光栄です」
恭しくお辞儀をして金色のスープを飲んだ時と同じ言葉を繰り返す姿を見つめることしか私にはできなかった。だって、貰ってる側の私が向けられるべきものじゃなかった。
「成り行きとはいえ船に乗せてもらってるのだから、船長さんにご挨拶がしたいのだけど……その、手足を縛ってくれていいから」
飲み干したグラスを机の上に置いておずおずと女性二人に交渉する。ま、と楽しそうに笑うかたわら、ギョッと目を見開いて私を見つめられ、まるで正反対なリアクションをする二人に私が戸惑う。図々しいお願いだとはわかっているし、黒足やあの小さなドクターが船長に無許可で私を乗船させるわけがないのはわかっていても、自分の口からもきちんと言葉にしたい。迷惑をかけて申し訳ないと、(私なんかが危害を加えられるわけがないのはわかっていても一応)危害を加えるつもりは一欠片もないと伝えたかった。
「あんた、そういうのチョッパーにも言ったの?」
「そういうの、……チョッパー?」
「うちの愛らしくて優秀なドクターのことよ」
「手足を縛るだのなんだのよ」
喜怒、正反対の感情の板挟みになってただでさえない肩身が狭くなる。こくりと頷けば重苦しいため息をつかれてぎゅ、と唇を引き締めた。
「あのねえ……まあいいわ、チョッパーが怒ったでしょうし。ルフィに挨拶もまあ別に、しなくたっていいんだけど、そういうこと言うタイプの人なら挨拶した方が心置きなく過ごせるんでしょうね」
「サンジが既に全員に許可を取ってるものね」
黒足に迷惑ばかりかけて申し訳ない。そう反省しようとした瞬間、ルーフィー!!と大声で叫ばれてびくりと固まる。
「どした? おっ、起きたのかー! よかったな!」
目の前に逆さまに顔が現れて一瞬音もなく気絶しそうになった。というか一瞬白目剥いて気絶したんだと思う。背中にそっと手を支えられた感覚があったからたぶん、おそらく。オレンジの髪の女の子がガミガミと麦わらを叱っている姿を見て思わず頬が緩みそうになる。
「楽しい船ね」
思わず呟いた声はみんなに届いたのか、誇らしげに胸を張る姿にこの船が海賊の船だということを忘れてしまいそうだ。叱られ終えたのかきちんと私の前に立って、というよりしゃがんで視線を合わせてくれる麦わらに息を吸う。
「……あの、助けてくれてありがとう。できるかぎり迷惑にならないようおとなしくしてるので、次の島までよろしくお願いします」
座ったままで言うのは失礼かもしれないけど、足に力が入らなくて、でもできるかぎりの誠意は見せたくて頭を下げる。
「うーん。いや、いいんだけどな、お前サンジとちゃんと話したか?」
また「話」。恐る恐る顔を上げて麦わらを見れば困ったような表情で私を見ていて私も眉が下がってしまう。
「おれはサンジが好きだからサンジのこと守ってくれたお前のことも好きだぞ」
明け透けな好意に思わずギョッとしてしまう。ギョッとしてしまうのは、この船に乗る人たちの言葉は全て嘘じゃないから。ほんの少し前の環境で言われたなら、少し微笑んで喜ぶ姿を見せられた。だって嘘だから。信じられないから。なのに、1時間も顔を合わせていないのに受け流せずギョッとしてしまうのは、彼らの紡ぎ出す言葉全てが本当の本当に心から思っている音だから。信じなければ、驚けない。自分の反応にも驚いて戸惑う。どう言葉を返せばいいのかわからない。
「お前、サンジにそっくりだなァ」
「なに、」
この人たちの話す言葉は嘘じゃないのはわかっているのに、それだけは頷けなかった。あんなに優しい人と私を一緒にしちゃ駄目だ。どうしてそんなことを言うの。
「お前が本当にそうしたいならおれは止めねェけど、ちゃんとサンジと話してからにしろよ」
この船の人たちはみんな、真っ直ぐに目を見てくるから苦手だ。
おずおずと顎を引いてどうにか頷いた。
2021/04/02