「なん、なんで、なんで君が、」
どうして、なんで、と止まることのない疑問符を私に落としながら血が流れ続ける私のお腹をどうにか塞ごうときつくきつく圧迫し続けるサンジくんに小さく笑う。
本当は、当たったとしてもかすり傷の予定だった。かっこよく助けるつもりだった。だけど私の強さより、敵の強さの方が上回ってた。サンジくんのあまり日に焼けない肌が蒼白になって、いつもメロリンハートにしている目がせわしなく動く。だから珍しい、真面目な顔を見るの。ふふ、と笑えば口からも血の味がした。
「いつ、も、」
「しゃべらないで、しゃべったら血があふれ、なんでおれなんか庇っ、どうし、」
どうして?
「いつも、サンジくんがやってる、こと、だよ」
「え、」
「少しは、気持ち、わかった? わたし、は、サンジくんの、きもち、ちょっと、わかった、な」
こっちの方が、断然、楽だ。
サンジくんの呆然とした表情を目に焼き付けたいのに、どんどん視界が霞んでいく。それでも伝えたくて、どうにか口を動かそうと努力した。
──────sideサンジ
「庇われて、無傷だった時より、庇って、怪我して、死にそうな今のほうが、ぜんぜん、いたくないや、ずるいね、サンジくん、わた、し、も、こんどからは、こっちに、す、」
何かがぬるりと頬に触れた。血。血だ。彼女の血が、血に塗れた手がおれの頬を撫でた。いつもならするりと肌触りの良い感覚に目をハートにさせるのに、今日は、今は、どろり、と、何も考えられない。
ぴちゃん、と彼女の手が地面に落ちた。血の泉に、彼女から流れる血の池に彼女の手が力なく落ちている。それを支えることはできなかった。見てることしかできなかった。だって今、おれの手は更に流れ出る血を圧迫して止めることに必死で、気を抜けない。チョッパーはまだか。ぱから、ぱから、と音が聞こえる。大慌てで来ている。だけど1時間くらいその音を聴いている気がする。そんなわけないのに。きっと5分も10分も経ってない。
彼女の言葉を頭の中で何度も何度も繰り返す。
──いつもおれがしてること?
──少しは気持ちがわかった?
──おれの気持ちがわかった?
──今度からはこっちにする?
──ずるい?
「なァ、どういう、どういうこと、ねェ、おれ、ばかだからさァ、こんなかじゃ賢い方だと思ってたのに、ばかだったみたいでさ、わかんねェよ、おしえてよ、なァ、目ェ、あけて、もうちょいくわしく、おしえて、たのむ、頼むよ、なァ」
縋るように、絞り出した声は情けなく震えていて、とてもレディに聞かせるような声や言葉じゃなかった。少しも格好つけられなくて、情けない。情けなくていいから、この情けなさを見て笑ってくれ。目を開けて。頼むから。ほんの少し口の端をつりあげるだけでもいいから。空気を漏らすだけでもいいから。頼むから、何か反応してくれよ。お願いだ。
頬にべっとりとついたままの血を拭うこともせず、彼女のそばに居続けた。チョッパーの手当ての甲斐あってすぅすぅと穏やかな寝息を立てる彼女に安心しても、いつ容態が急変するかわからなくて、おそろしくて、キッチンにすら立てないおれの体をゴムでぐるぐる巻きにして部屋に突っ込んだ。サンジは無傷だけど心が傷だらけだ、一緒に休んでろ、船長命令だ。そう、いつもの騒がしいけれど朗々とした声ではなく、低く抑揚のないナイフのような声でそう言い放った。
だから、ただぼんやりとその寝息を聞き続けていた。
何も考えず、考えられず、ただぼんやりと。
かぴ、と頬の皮膚がひび割れて、血が固まったのだと悟ってようやく沈んでいた意識がほんの少し持ち上がる。そっと頬を滑らせればべっとりとついていたはずの血の感触はかぴかぴとした感触に変わっていて、触れただけでぱらぱらと血の塊が頬から剥がれていく。膝の上に落ちていく血のかけらにまた意識を持っていかれそうになって息を吐く。
彼女は生きてる。
大丈夫だ。
どうしておれなんかを庇ったんだ。
少しでも考えられる隙間ができれば浮かぶのはそればかりで、また彼女の言葉を思い出す。あの時のシーンは何度でも、何度でも鮮明に思い返すことができる。脳にこびりついたかのように、何度も何度も。
後ろから殺意が向かってくることには気付いていた。でも前からも殺意が向かってきていて、なんなら四方八方殺意に塗れていて、だから後回しにした。おれは剣士ではなくコックだから、背中に傷ができても腕さえ無事であればそれでいいから、背中の優先順位は低かった。だから前からの殺意をいなして、横からの殺意を払って、後ろからの殺意を受けてもまあ、立ってられるだろう、なんて慢心で、後ろの殺意を切り捨てた。それがいけなかった。
殺意は消えていないのにおれの背中に衝撃が来なくて、聞き覚えのある音色が苦しげに震えて耳に入って、振り返った先は惨劇だった。
思い出したくない。なのに頭の中の再生は止まらなくて、ゆっくり倒れていく姿も、とくとくと流れ出る血も、無意識に反撃して吹っ飛んだ敵の呻き声も、何もかもがしっかりと何度も何度もリフレインして目をつむりそうになる。今は落ち着いて見える彼女の容態が変化しちゃだめだとかぶりを振って瞬きするだけにとどめる。
そして、一字一句覚えている。
──いつも、サンジくんがやってる、こと、だよ。
いつもおれがしていることとはなんだろう。重傷を負って意識が朦朧としていたんだろうか。そんなわけがない。彼女の意識はうつろなようでしっかりしていた。
じゃあ、おれがしていること、って。
──少しは、気持ち、わかった? わたし、は、サンジくんの、きもち、ちょっと、わかった、な。
どんどん小さくなっていく声。
──庇われて、無傷だった時より、庇って、怪我して、死にそうな今のほうが、ぜんぜん、いたくないや、ずるいね、サンジくん、わた、し、も、こんどからは、こっちに、す、
そして途絶えた言葉。
また思考の闇に落ちてしまいそうになるのを慌ててどうにかする。
ああ、でも、彼女が死ぬかもしれないという恐怖に怯えて頭が働かなかったのがようやく、少しずつだけど動きだした。
いつもおれがしていること、って、彼女に向けられた殺意を代わりに受けることか。
彼女を庇ったとき、確かに何度か怪我をしたことがあった。その度に彼女はごめんねとチョッパーの巻いてくれた包帯の上から怪我をそっと撫でてくれて、それが嬉しくていつもメロリンしてしまっていたけど、その時の彼女の表情はどうだったか。記憶を掘り返す。ごめんねと囁いた声は震えていた。涙をこぼしてはいないものの今にも溢れんばかりの水の膜を目にまとわせていた。
そっと彼女の頬に手を伸ばそうとして、手にたくさんついている変色したドス黒い赤に触れるのをやめた。
「ごめんね」
呟いて、声が震えた。ああ、彼女もこういう気持ちだったのかと悟る。怪我の度合いは違っても、心を蝕むような痛みはきっと一緒だ。
そうだ、おれはずるい。
彼女の代わりに傷を負って、ごめんねと言われると、空に舞い上がりそうなほど嬉しかった。痛みなんて全然感じなかった。なのに今はどうだ。無傷のくせに、大怪我をした時よりよっぽど痛い。
だから彼女も、あんな大怪我をしたのに、満足そうだったんだ。
庇われる側の気持ちを知らなかった間抜けなおれは、たった一回の立場の交換でこんなにも胸が痛い。彼女はこの気持ちを何度経験したんだろう。彼女を守ってるつもりだったのに、こんな痛みを彼女に押し付けていたおれは、最低で、ずるい男だ。
2021/04/06