「あら、おおきなおくち」

 おれを見てバケモノだと逃げていったやつらがいなくなったおかげで静かになったと思ったのに、なんの騒ぎかと窓から顔を覗かせた女とばちりと目が合って、言葉を聞いて、怯む。全然痛くない石を投げつけられるより、木の枝で殴りかかられたり、直接拳をぶつけられたりするより、ことばは確実におれの心を蝕む。追い払っても、力で勝っても、なぜか心は痛かった。
 おれよりでかくても、大人でもこんな薄っぺらい女なんか一捻りできる。それでも、それでも心だけは餅のように形を変えることができなくて痛みを吸収できなくて、意味はなくとも口を閉じてできるだけ小さくする。
 なんだ、と睨みつけようとして、その女の目の色が変なことに気がついた。おれを蔑む目じゃない。見下す目じゃない。恐ろしがる目じゃない。なんだお前は。

「うふふ、本当にかわいいおくち。今ドーナツをあげたところなの。食べていく?」

 すん、と鼻腔をくすぐる匂いは確かにドーナツの匂いで、だけどこの女の言ってる意味がわからない。なぜ。おれが誰か知らないのか。知らなかったとしても、この口を見てどうしてかわいいなどと言えるのか。なぜ。なぜ。なぜ。
 疑問が頭に浮かんでは消えての繰り返しで、なにも返事をせず女の目を見続けるだけのおれに微笑むから、余計に頭が真っ白になる。

「ドーナツはあんまり好きじゃない? じゃあ……明日はクッキーを焼く予定なの。クッキーは好き?」
「……どー、なつ、は、好きだ」
「うふ、かわいい。じゃあ入ってらっしゃいな」

 取り下げられる提案に、どうして縋り付いてしまったのかわからない。家に帰って一流のシェフに作ってもらったほうがきっとおれ好みでうまい。なのに、どうして。
 女から視線を外して、ドアに視線を向ける。ぱたぱたと女が窓から姿を消したのが横目に見えてどうすればいいのかわからなくなる。了承したわけじゃない。ただドーナツが好きだと返事をしただけ。一緒に食べることに頷いたわけでも、入ることに首を縦に振ったわけでもない。なら今のうちに立ち去ればいい。なのにそれができなくて、固まったまま。
 かちゃ、とドアが開いてまた女と目が合う。

「ほら、かわいいおくちの男の子くん、一緒にドーナツ食べましょうよ」
「なんでお前はおれの口をかわいいかわいいと言うんだ」
「かわいいことの説明なんてできないわ……」

 どうしてそんな意地悪な質問をするの、と眉を下げられておれも困る。気味悪がるのが普通なんだ。お前がおかしいんだからお前が説明しろ。そう言いたいのに本当に困ったようにだってかわいいものはかわいいんだものを繰り返す姿にこれ以上質問しても無駄だと悟る。

「もういい。ドーナツ、食わせてくれるんだろう」

 一口食べてみてから去るかどうか考えても遅くはない。こんな女に遅れをとるわけもないし、たぶん、害はない。変な女なだけだ。
 困った表情から一点嬉しそうに変わった笑顔に目を逸らす。どうぞ、と促されるまま、見知らぬ女の家へ足を踏み入れた。







「あーん」
「な、ん、」

 食わせてくれるんだろう、そう言ったのを勘違いして受け取ったんだろうか。おれはまだ確かにまだ子どもだけど、もう今では大人顔負けどころかバケモノと罵られるぐらい強くて、強いはずで。なのにこの女はこの口に、このおれに手を伸ばす。

「ほら、あーん」
「い、らねェ! 自分で食う!」

 まぶされてざらついている砂糖の感触が唇に押しつけられた瞬間、それをひったくった。ひったくってから、楽しそうにしていた目をかげらせてしまったか、だなんて家族相手でもない人間の心配をしてしまったことに苛立ってそれを押し殺そうとドーナツを頬張る。

「うま、」
「かわいい」
「し、……なんだお前」

 つい言葉に出てしまったそれに、女がまた訳のわからない言葉を呟いて眉を顰める。

「なに?」
「おれが、聞いてる」
「だからなにを?」
「おれがこわくないのか」

 かわいいの説明ができなかったとしても、これの説明ならできるだろう。

「こわくないわ、かわいい。それに思ったとおり、おくちをおおきくあけて食べる姿はもっともっとかわいらしかったわ。ほら、どんどん食べて。たくさんあげたの」

 皿ごとおれの前にドーナツを突き出してにこにことおれを見つめる姿に、もう何も言えなくなった。
















「どうして自分で食べないの?」
「お前が手ずから食べさせたがっていたんじゃないか」
「それは小さな頃の話でしょう?」
「おれはもう可愛くないから用済みか?」
「……かわいいけど、……だってあなた、たまに私ごと食べるから」
「困らせてるんだ」
「困る。……もう。そうやって先読みするのはかわいくないわ」

2021/04/09